あらすじ
12万字書き下ろし。未発表スケッチ多数収録。
出会いと別れの“大泉時代”を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録。
「ちょっと暗めの部分もあるお話 ―― 日記というか記録です。
人生にはいろんな出会いがあります。
これは私の出会った方との交友が失われた人間関係失敗談です」
――私は一切を忘れて考えないようにしてきました。考えると苦しいし、眠れず食べられず目が見えず、体調不良になるからです。忘れれば呼吸ができました。体を動かし仕事もできました。前に進めました。
これはプライベートなことなので、いろいろ聞かれたくなくて、私は田舎に引っ越した本当の理由については、編集者に対しても、友人に対しても、誰に対しても、ずっと沈黙をしてきました。ただ忘れてコツコツと仕事を続けました。そして年月が過ぎました。静かに過ぎるはずでした。
しかし今回は、その当時の大泉のこと、ずっと沈黙していた理由や、お別れした経緯などを初めてお話しようと思います。
(「前書き」より)
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「少年の名はジルベール」関連で読みました。少女マンガ界の巨匠2人の確執って、言っていいのかな?それを萩尾氏サイドから語る内容。「よく書いたな、コレ」って思うほど、衝撃的な内容でした。あえて、この内容で出版する、書籍という形に残すっていうのは、相当な覚悟をして臨んだんだろうな、と。
その竹宮惠子との確執というか「大泉サロン」の終焉の顛末とは別に、萩尾氏が両親の反対を押し切って、福岡の大牟田から上京しマンガ家を目指す経緯も語られていて、こちらもすごく興味深かったです。
萩尾氏とにこは、年齢は20歳ほど離れているわけで、にこがマンガを読み始めた頃、1970年代の半ばには、もう第一線で活躍されていて、小学生の頃『スターレッド』とか読んでました。応募者全員サービスでもらったクリアファイル、まだ持っています。当時、マンガの地位は今とは比べ物にならないくらい、低かった。熱狂的なファン層があったものの、どこか弾圧される宗教を信仰するような、そんなノリがあった。だから、萩尾氏がマンガ家を志して上京するぜってなときに、実家がどれだけ反対したであろうかは、もう………。この萩尾氏とご両親について語られたことが、とても心に残ります。なんというか、萩尾氏に同情したくなるというか。
マンガ家として成功し、実家に取材がくるまでになった。あんだけ反対してた母親が手のひらを返したように「昔から応援してた」的なことを言ってる。後日、母と会った際に「昔は反対してたのに、なんで応援してたとか言ったと?」的に問い質すと「(応援しとったとか)そんなこと、言ってない」と、まぁすぐにばれる、ミエミエの嘘をつくんですな、母親が。あぁ、このときの萩尾氏の気持ちを思うと。救われないというか、失望するというか、なんなんだコイツ的な。共感度MAX。
あぁ、『メッシュ』のシリーズとか『銀の三角』とか、読み返したくなってきた。
でも、アホな親に断りなしに捨てられて、もう手元に無いのである。
「なんで捨てたと?」って訊いても「あんたがいいってゆうたけん」って。
ミエミエの苦し紛れの嘘をつかれたものさ。
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高校時代と思うが手塚治虫の「火の鳥」に夢中になっていた頃、「ポーの一族」と言う素晴らしい作品があるという事を知って萩尾望都作品集を購入して夢中になった、ついでに竹宮恵子作品集も購読したが記憶に残るほどの作品はなかった。その後大島弓子、山岸凉子と少女漫画にどっぷりと浸かり少年漫画なんて程度が低くて読めなくなってしまった。花の24年組大泉サロンのことも雑誌「ぱふ」等で知ったが、竹宮恵子のイケズそうな顔を知って大丈夫なのかなと思っていたら、こう言う事が起こっていたのだ。私は誰が何と言おうと萩尾望都を支持します。
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1970〜1972年、著者の萩尾望都さんは、上京して大泉にある二階建ての借家で暮らし始めた。同居人は竹宮惠子さん。
後に『大泉サロン』と呼ばれるようになる若手新鋭少女漫画家達の集まりである。
萩尾さんたちが暮らす家には多くの駆け出しの漫画家が集まってきた。二人の漫画家のアシスタントとしてだったり、遊びに来て漫画について語ったり。
24時間、いつだって漫画について語れる楽しい場所だった。はずなのに。
◇
この本には、萩尾望都さんの立場で、同居していた頃のことが書かれています。
この本を読む限り、萩尾さんの気持ちを考えると辛いです。
大泉の家に次々と若手の少女漫画家が集まって、沢山の作品を生み出し、様々な交流があって、萩尾さんも楽しい日々だったと回想していらっしゃいます。
貴重だった大泉での時間。その後上井草に引っ越して、さらに竹宮惠子さんから言われたことがきっかけで上井草も離れて、埼玉の緑深い田舎に引っ越したこと。
「個性のある創作家が二人、同じ家に住んではだめなのよ」
木原敏江さんのこの一言が全てではないのかなと思っています。
萩尾さんと竹宮さんの対立構図のように表面的に見えるけれど、お互い漫画家としてのリスペクトはあるのだと感じます。
そして道が離れてしまったことも、宿命であったのかもしれません。
萩尾さんの、もうそっとしておいてほしい、今は今で静かに過ごしたいという気持ちがなんとも……。
非常に難しいものだなあと辛くなりました。
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登場する関係者の作品をほとんど読んでいないため、本書を読むことを躊躇していた。
読んでみたら、人間と人間の生の関係性が痛々しいほど綴られていた。しかも半世紀も黙っていたことを。
「他人が何を考えているか分からない」「内気で自分からはうまく言えない」と悩んでいるなら、もしかしたら共感できる内容だと思う。
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24年組の信者としてはかなりショッキングな本でしたが、ただ受け止めるばかりです。
良いも悪いもない、「そうなんだ…」という言葉しかないです。一度きりの、というタイトルがまた胸が痛くなります。
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これは、ある意味どんな漫画より萩尾望都がわかる本である。
そして、「アマデウス」をモーツァルト側から書いた本だなと思った。
竹宮さんも優れた才能の持ち主である。
しかし、萩尾望都は天才であって、その能力を誰よりもわかっていたのも竹宮さんではなかったか。
そして、増山さんという漫画のミューズのような人がいて、二人に影響を与え、そのため二人が似た題材で描くことになった。もちろんパクったとかパクられたとかいうことはない。それは竹宮さんもわかっているだろう。作家として持っているものが全く違うので同じヨーロッパの寄宿舎の少年たちを描いても、全く違う作品なのは読めば明らかなのだが、(同じ情報を得た芸術家がそれをどう自分のものにして表現するか、比較するのも興味深いと思う)パッと見似ているのは否定できない。
そして、努力の秀才である竹宮さんが、これ以上一緒にいたら、似た題材で萩尾さんが自分より明らかに優れた作品を描く可能性があることに、言いしれぬ恐怖を感じたことは想像に難くない。竹宮さんの本を読んでいないので想像だけど、それは「嫉妬」以上のものであったと思う。
凡人としてはどちらかといえば竹宮さんの心情の方が理解できるのである。
しかし、こちらはモーツァルトがいかに苦しんだかが語られている。そこが、衝撃だった。
天才でも努力しているし、作品への思い入れだってある。プライドもある。ただこのモーツァルトは、悪気は欠片もなく、とてつもなく繊細で、正直で、優しい人なのである。(そこが作品の魅力にもなっているのだが。)自分の才能を信じて人がなんと言おうと意に介せず生きていける人なら、これ程苦しまなかっただろう。
これはどちらが悪いというわけでなく、同じ分野に才能のある、ほぼ同じ年齢の人たちが、同時期に同じ場所にいたことで起こってしまった悲劇である。
もし、時代や年齢や場所がずれていたら、起こらなかっただろう。
萩尾さんは、竹宮さんと別れてから彼女の作品は全く読まず、噂さえ耳に入れることを恐れ、会う可能性を徹底的に排除し(それは貴重な体験や出会いを諦めることでもあった)生きてきた。萩尾さんほどの才能のある方がそんな苦しみを持ち続けていたことにショックを受ける。
しかし、竹宮さんは萩尾さんの作品を一つ残らず読んだんじゃないか。そんな気がする。
そして、老境にさしかかった今、自分と萩尾さんの持っているものの違いについてより冷静に判断できるようになり、萩尾さんの才能も認め、もう一度会えたらと願っているのではないかと思う。
けれども、萩尾さんの傷ついた心は癒えることはなく、おそらくこのまま会うことはないだろう。
それは、もう、仕方ない。こんなことがあったと残っただけでも、ファンとしては喜ばないと。
それにしても、深い教養と優れたインスピレーションを持ちながら、漫画家になることなく、原作者として名前を残すこともなく消えていった増山さんという人、皆を冷静に見ていた城さん、辛辣な佐藤史生、山岸凉子、木原敏江ら漫画史に名を残す作家、役者が揃いすぎていて、ドラマにしたくなるのはよくわかる。
本書には未公開の萩尾さんのスケッチも多数あり、とても貴重な本。
昔少女漫画を熱心に読んだ人なら、見ただけで作品を思い出す懐かしい名前がたくさんでてくる。
山岸凉子と大島弓子についても、是非その生い立ちから人柄、エピソード、作品などについて、近しい方が記録を残しておいて欲しいと思う。
萩尾さんの作品が素晴らしいのは、この感性があるからで、「何十年も経ってるのにこんなこと書くな」なんて言う人は作品をちゃんと読んだことのない人なので、気にしないで欲しい。これが読めて本当によかった、書いてくださってありがとうございます、という気持ち。
Posted by ブクログ
「ポーの一族」や「トーマの心臓」他、多数の名作を生みだしたレジェンド漫画家の半生記、交遊録、そして悲痛な心の叫びを記した衝撃の一冊。
読む前は、著者が若いころを過ごした東京都練馬区大泉時代の懐かしく、楽しい時代の、「トキワ荘」タイプのエッセイだろうと思っていたら、全く正反対のものだった。
1970年代前半に同居までしていた竹宮恵子とは、現在に至るまで絶縁状態(!!)であること、著者自身はBLには興味がなく(!!)、ただ少年をキャラクターにした方が、少女を使うよりも話を進めやすいから使っているだけのことだとか、触れてほしくない大泉時代の話を最近やたら聞かれたり、ドラマ化したい等のオファーが絶えず、日常生活に支障きたし始めたので本書を出すことでその回答としたい、等々驚嘆する内容が満載。
寡聞にして、両巨頭の関係がそのようなことになっていたとは本書を読むまで全く知らなかったため、ただただ驚いたのと、悲しい気持ちになった。
なぜ、そのような断絶状態になったかは本書をご覧いただくとして、お二人の関係がいつか修復され、できれば共作の発表等があることを強く祈るばかりである。
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こんなに痛々しく、こんなに強靭な想いに満ち溢れた本には出合ったことないかもしれません。それもメディアに対して大泉時代の話は今後一切受け付けない、という意思表明のメッセージを発信するための、作者が現在必要としている機能を果たすべく生まれた本です。そういう意味では、一度きりの「大泉の話」であると同時に、「一度きりの大泉」の話でもあるのです。手塚治虫がマンガに持ち込んだドラマツルギーを萩尾望都や竹宮恵子の団塊の世代の女性作家たちが少女マンガに持ち込んだ…的なフレームワーク的な分析がいかに平面的で定型的か、ということを思い知らされました。創作はいつだってひとりひとり個人的な熱情の発露なのですね。もちろん、作者自身が改めて整理しているようにあちら側の竹宮恵子や増山法恵(今回、初めて知った人)は大きなパースペクティブで「少女漫画革命」を志向していたのかも知れませんが、萩尾望都はそういう運動論でクリエーションしていたのではない、その違いは大きいのだと知りました。それが京都芸術精華大学の学長になる才能と、クリエイターであり続ける後年の人生の違いなのかもしれません。天才、秀才という分け方も紋切型かもしれないけど、そういう単語も感じました。もしかしたら、竹宮恵子は才能のありすぎるサリエリだったのかもしれませんね。彼女の本も読まなくてはなりません。排他的独占愛、という萩尾望都が長い時間をかけてたどり着いた大泉時代の終わりを理解のためのキーワードも、もしかしたら創作のエネルギーとして必要なことかもしれません。「お付き合いがありません」この圧倒的拒絶により自分のワールドを守ろうとする萩尾望都のピュアさのエネルギーもものすごいですが…ユーミンが歌う「♪時はいつの日にも親切な友だち、過ぎていく昨日を物語に変える♪」ではない現在進行形の痛切な叫びが本書でした。嫉妬と拒絶、これがあるから少女マンガが少女たちの心をとらえた、というこれまたステレオタイプの思いも浮かびますが、もしろ少年マンガの夢の砦であるトキワ荘も部活的意味合いだけでなく、もっと個人的物語に再解体しなくてはならないのかも、とも思いました。
一度きりの大泉の話
萩尾先生から見た大泉の話が語られています。
口語らしい文章だなと思ったらインタビューから文字を書き起こしたようです。
ご本人が仰るように萩尾先生は人間関係の苦しい部分(嫉妬など)について少し鈍感なんだと思いました。素直で器用ではないけれど天才肌で、周りからしたら脅威に思われたのかもしれません。萩尾先生が傷つく結果(互いに傷つけあう結果)になったのは心が痛いです。
萩尾先生も竹宮先生も偉大な漫画家ですが、どこか対極にいるような性質で、面白かったです。おそらく竹宮先生はこの本を読むのだろうと思うと、今後の動向が気になります。
交流がない事を知ってはいたが
小学生の頃からお二方の作品を読み、中高生時代は肩までどっぷりでした。
2台巨頭といいますか、圧倒的な実力を持ったお二人でした。私は萩尾望都先生の方が好きでした。萩尾望都先生の昔の作品の端っこに落書きがあって、竹宮先生あてのメッセージ?だったようです。でも、後の作品や雑誌の近況などにもお二人の共通点はありません。
年齢も同じなのに。
でもこの実力派二人は、近くにいられないだろう、と思ったのです。私も趣味ながら絵を描いて、話を作っていましたから。
繊細な心を描く萩尾先生と、煌くような躍動する魂を描く竹宮先生では、根っこが異なるのです。離れるしかないでしょう。
でも、読み進めてるうちに、本当に萩尾望都先生は、《作品通り》の痛みやすい心の持ち主なんですね。それに蓋をして、漫画に没頭されてこられたのですね。
どうか、萩尾望都先生が静かな環境でこれからも作品を描き続けられますように。
Posted by ブクログ
日本少女漫画界の大巨星・萩尾望都御大の自叙伝が出ると聞いて、
喜び勇んで予約したものの、
発売を待つ間に何やら不穏な気配を感じた。
読み始めてじきに、嫌な予感が的中したのを察した。
新人時代の慌ただしくも楽しかった青春の日々――
といった話ではなく
(もちろん愉快なエピソードも回顧されてはいるが)、
反芻すればするほど苦くて辛い出来事の記録なのだった。
これから読もうとする人のために、細かい点には触れないが、
オモー様の価値観、物事の捉え方・考え方、また、
それらに基づく反応の仕方に強く共感した。
例えば p.265、
> 私は何か言われて、不快でも反論せずに
> 黙ってしまう癖があります。
> それは不快という感情と共に、強い怒りが伴うので、
> 自分で自分の感情のコントロールが
> できなくなってしまうのです。
> 感情は熱を持ち、一気に暴走列車のようになり、
> 自分で持て余してしまいます。
> この感情はきっと大事故を起こす。
> 怖くなって、押さえ込み、黙ってしまう方を取ります。
> 冷静に反論する練習をすればいいのでしょうが、
> なかなかうまくいきません。
ああ、わかるなぁ。
芸術家と呼ばれる人たちの中に、
多弁・能弁でセルフブランディングが得意な人物と、
不得手な人物がいるとすれば、
私は後者に好感を抱くし、応援したいと思う次第。
それから、本書を通読して、
何故自分が(自慢できるほどちゃんとした読者ではないけれども)
萩尾作品が好きなのか、理由の一部を再確認した。
勝者の物語にほとんど興味がなく、
悩める人々が自らの苦悩とある程度折り合いをつけながらも、
やはり悩み続けて生きていくストーリーに
共鳴するからなのだ――と。
未読の初期作品にもアタックしようかな。
Posted by ブクログ
" でも竹宮先生が一度だけ、萩尾先生がいない時に「モーサマが怖い」って言ってた覚えがあります。萩尾先生は、例えば棚とかカップとか、見たものをぱっと覚えてすぐに絵にできるんですよ。特技というか才能、ですね。見たらすぐにそれを漫画に落とし込んで描ける。" p.343
" 例えば竹宮先生は「本当は構造的にこの階段はこうは見えないんだけど、漫画としてはったりがほしいから、このように描いてほしい」とか、そんな風です。かたや萩尾先生の場合、どんぶらこっこと川を流れる桃を描くとなり、「桃の点を打って」と、まだ来たばかりのほとんど素人のようなアシスタントに指示を出した時があったんですね。アシスタントが桃に点々を打って出したら、先生が「いや、石じゃない、桃の点を打って」と。アシスタントが「え? 桃の点はどうやったら打てるんですか?」って聞いたら「桃、桃と思いながら打つ」って(笑)。ダメでしょう、そんな教え方じゃ。" p.345
竹宮惠子著『少年の名はジルベール』に対する、萩尾望都のアンサー。萩尾望都は同書を読んでいないというけれど、せざるを得なかったアンサー。
体調を崩すほどに思い悩み、「冷凍庫に閉じ込め、鍵をなくした」と自ら表現する過去をほじくり返そうとするやつばらに、よかろう、そこまでいうのなら見せてやろうと、たっぷり呪詛を込めて解き放たれたパンドラの箱。
タイトルの時点でネガティブな内容であろうと察していたが、これほどとは。菅原道真の呪い節ってこんなんだったんかね。
竹宮惠子のことは『地球へ…』でしか知らず、萩尾望都のことは『ポーの一族』を含む幾つかの作品しか知らない。前者は合わないと感じ、後者は一時期にせよのめりこんだ。両者とも著者の人となりは作品を通じてしか知らない。
縁遠い部外者が観測できたのは、いじめた側は、懐かしい過去を美化して記憶し、叶うならば旧交を温めたいと願っていること。いじめられた側は、手ひどい仕打ちを受けた忘れたい過去でしかないということ。秋の木漏れ日と絶対零度くらいの温度差がある。双方とも、意図してかせずしてか、相手を傷つけたという自覚はあるようだ。
この視点は、作品に触れた頻度ゆえの親近感という点で萩尾望都よりであることには自覚がある。
竹宮惠子とそのブレインである増山法恵はBLの祖と言われているようだ。BLではなく少年愛と呼ばれていた時代、二人はそれにものすごく熱中したという。一方、同居していた萩尾望都は当時はまったくピンと来なかったという。え? 萩尾望都だって美少年のペアを描いてるじゃん?という反論が脊髄反射的に発生したが、言われてみれば腐描写はなかったように思う。『残酷な神が支配する』は読んでいないのである。
その、ピンと来なかった萩尾望都のBL分析が、その界隈が往々にして見せる狭量さの理由として腑に落ちた。それは愛だという。愛は時として独占欲を伴う。作品のファンならば「同担拒否」などという片腹痛いことは言うまい。きらきらひかる宝物――わたしだけのカプ――を独占したい欲と考えれば、とてもよくわかる。心に秘めて思うのは自由だ。しかし、一般公開されている作品に対して公然と抱ける感覚では、到底ありえない。
竹宮惠子も萩尾望都も、ともに才能も研鑽も人並ではなかったであろうという前提の上で。竹宮惠子は努力型の才人であり、萩尾望都は天然の才人であったのだと感じられた。写真記憶とか、努力したって身につかんよね。
いずれの著書においても、著者周辺にさんざめいていた幾多の才能のまばゆい輝きが感じられる。巻末に一文を寄せた萩尾望都のマネージャー城章子は、現在漫画家としては活動しておられないというが、文章からだけでもその観察眼には表現者としての冴えが感じられる。
Posted by ブクログ
萩尾望都先生の作品が大好きで読んでみました。当時の少女漫画家の立場や時代がとても細かく描かれていました。そして大泉時代の話がこんなに知れるなんて…!とファンとしての喜びはありつつ、ひとりの人間として辛い期間を過ごされていたのだなと感じると、少し自分と重なる部分もあり(烏滸がましいですが)涙が出る部分がありました。
萩尾先生の漫画からずっと言語化が素敵な人だなと思っていましたが、やはり温かみのある文章とクスっと笑えるようなユーモアを持ち合わせている素敵な方だと改めて感じました。萩尾先生のファンはぜひ読んでほしいですし、昭和時代の少女漫画家についても知れるのでかなり読み応えがあります!
Posted by ブクログ
もう昔の話なんだから
今更大人げない
晩節を汚しますよ
──そのような綺麗事を吹っ飛ばす自伝。
傷ついたら、傷ついたと言っていいんだ。許したくなかったら、無理して許さなくてもいい。
そう励ましてもらえたような気がする。
萩尾望都さんやっぱり大好き。
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ面白かった。
その時代の女性漫画家とはどんな風だったのか、
どんな風に資料集めをしたりどれくらいの時間をかけて描いていたのか、とか、、それだけでも面白いのに、
あの天才萩尾望都の漫画家人生、そして誰と出会って別れてきたのか、、
本当に素晴らしく読み応えのある本であった。
吉田豪がこれは読まないとダメと言ってたのが分かった
Posted by ブクログ
内容を知らず読み始めました
姉の漫画本を読んでいたので同時代を体験していますが、結構崖っぷち漫画家だったというのは意外でした
あの漫画家とも繋がっていたのかと驚きがありますが、つちだよしこが出てこないのはそりゃそうだというか残念
竹宮惠子との成り行きを説明する事がこの本の主題でしたが、萩尾望都の態度は私は理解できる
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萩尾望都さんの文章、エピソードを聞くと現代で言うところのASDのグレーゾーン味を感じる。
などと書いてしまうとあるいは「無礼な(それはそうです。不躾で申し訳ない)」「これこれこうは当てはまらないので違います」などと思われてしまうかもしれない。発達障害についてここで詳しく解説はしませんが、私は発達障害をマイナスなものとは捉えていないし、何かにカテゴライズしてジャッジしようという話ではないのです。
ただ萩尾望都さんのお話する様子を動画などで拝見すると分かる異常な頭の回転の早さ、記憶力、「パッと見た物を記憶してすぐ描けてしまう」という才能。一方で、発言を額面通りに捉えてしまう(忘れてください、と言われたことを本当に忘れるべきだと思い込む)、逆に言語化されていない空気・感情・反応が読み取りづらい(一部自覚がある、各エピソードで物理的な事象意外の言及がない)、0か100かで判断してしまう極端な思考(一コマの批判を全てが否定されたと捉えてしまう)、など、「あ、この方はASD傾向の人だったのかしら?」と思ったら腑に落ちました。
漫画家や芸術家のようにずば抜けた才能を求められる職業に、極めて高い才能を待つ発達障害の人が見出されるのは珍しいことではないと思います。最近は、発達障害は「ギフテッド」とも呼ばれますね。
(萩尾さんの親の方がもっと強いASD傾向のようなので、後天的にそういう思考パターンになっている可能性もあるものの、やはりこれだけの才能。天才でしかありえないと思ってしまうのです)
という視点でこの本を読むと、この情報の少ない時代に、萩尾望都という天才に、世の中には生物学的に天才としての素養を持って生まれる人間が事実いる、ということも知らず、真っ向から接して「嫉妬した」という竹宮さんと、人一倍人間の悪意に敏感で繊細な性質を持つのに、何らかの形で悪意に当てられて心身をひどく痛めてしまった萩尾望都さんのくだりは、たいへん心が痛みました。どちらも気の毒なことです。
萩尾望都さんが、その後も、現在も、作家として素晴らしい作品を生み出し続けてくださっていること、あらためてありがたいことだと心に沁みました。
答え合わせに、竹宮さんの方のエッセイも、そのうち読んでみようと思います。
Posted by ブクログ
天才ゆえのナイーブな葛藤。
が、存分にわかる自伝。
信じていた相手によってもたらされた傷は、
何年経っても幾つになっても、
古痕となり消える事はない。
例え、相手が嫉妬ゆえの行為だとしても。
傷つけた相手の葛藤も苦しみもわかるけどね。
やっぱり、人間関係って難しい。
それが天才同士だとなおさらに。
『少年の名はジルベール』
併せて読まれる事をオススメします。
Posted by ブクログ
もっとノスタルジックな内容かと思ったら、全然違った・・・
なんかもう、いろいろビックリだし悲しい。萩尾望都がこんなに自身を卑下してるのかとか(巻末作家!? 私、多分、生まれて初めて読んだ少女漫画は萩尾望都の作品だと思う。だからこんな風に自分を評しているのはとても悲しい)、少女漫画界二大巨頭といっても差し支えないと思う二人の間にこんなことがあったのかとか。『小鳥の巣』は確かポーの一族の中で最初に読んだお話しで、一連の中では一番好きなんだけど、その裏にこんなエピソードがあったとは・・・!
間に入って取り持ってくれるような人がいないのも悲しい。
これってどちらの作家のファンかで受け取り方分かるんだろうなあ。
Posted by ブクログ
萩尾望都と竹宮惠子。かつて大泉にともに暮らし、別れた二人。竹宮惠子の書いた「少年の名はジルベール」を読んだものの、では萩尾望都から見た別れとは何だったのかのアンサー。
読むとその抑制された情報制御の鋭さに驚く。
過去を思い出して誰かに話すとき、さらにそれが後悔や痛みを伴うとき、自分にとって不利なことは言いたくないし、どうしても「そんなつもりではなかった」と後から振り返った観点をその場の回想の際に口にしがちだ。
当時のことは、日記代わりのクロッキー帳をもとに淡々と記し、後から振り返った謎解きというか、萩尾望都なりの回答を最後にまとめる。創作ですら視点ブレがあるというのに、自分のことを突き放して整理して見せてくる所が凄い。
それから、竹宮惠子との別れ後に、思い出しても辛いし、今後に関わり合うことはないと決めた。過去のことだ。この本を書いたまた忘れる。
それからの「一度きりの大泉の話」といタイトルの秀逸さよ。ミステリか!と言わんばかりの構成力である。
あとがきを読むと、語りおろしのようにも思えるが、膨大なフィルムを編集したノンフィクションのような気もする。
そこに居ると辛い、触れるとつらい。でも、それに情もあるし想い出もあると、なかなか離れづらい。
困難には立ちむかい、障害は乗り越えてこそ成長する。例え誰かに傷を負わされたとしても、その相手が反省し許しを請えばそれを認め、和解することが美しいとされる世の中であると思う。それは正しいのかもしれないけど、つらいはつらい。
でも、自分の身を守るために離れる、考えないと言うことが選択できるし、選択していい。
作品の中では、心に楔をぎりぎりと食い込ませてくる描写の、萩尾望都ですら、己の身を守ることを選択したことは、救いのように思えた。
面白かったと言っていいのかわからないけれど。大きな物語を読んだような気持ち。
Posted by ブクログ
これを発表しなければならないほど追い込まれた萩尾望都先生、どれほど苦しかったことかと胸が痛む。
当事者同士いろいろあるのは人間誰しもで、何を感じどう振る舞うかも本人の選択。
周りが知ったように助言したり、仲を取り持とうとしたり、首を突っ込んだりすることは、本当に余計なお世話だ。
この先、萩尾先生も竹宮先生も心穏やかに過ごせることを祈ります。
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萩尾望都の漫画は大好き。
ほぼ全部読んでるとも言える。
素晴らしい才能と感性だと思っている。
引っ越し等で処分してしまったので、電子版で買い直した作品も多数。今読んでも面白い。
でも、この作品を読むとあまり自信がなかったらしい。驚きである。
竹宮惠子の「風と木の詩」も面白く読んだ記憶はあるが、再読したいとは思わない。
似たように見えるテーマでも、時間の経過とともに残るかどうか、それが良い作品なのであると、以前、ある画家さんに教わったっけ。
で、萩尾望都と竹宮惠子は天才と秀才であり、萩尾望都には天才の、そして、竹宮惠子には秀才の悲哀や苦しみがあるのだろうと思った。モーツァルトとサリエリのように。
竹宮惠子の「少年の名はジルベール」も呼んでみるつもりである。
Posted by ブクログ
当たり障りのない言葉でサラッと書かれていますが、実際はもっと色々あったのだろうな。近づき過ぎてはいけない2人だった。けれど才能のあるもの同士は引き合う運命だった。結末は悲しかったけれどその後もお二人とも活躍されて、やはりどちらもすごい人だったのだと思う。
Posted by ブクログ
モーツァルトとサリエリを思い起こさせる関係。
むしろ周囲の空気を読まない無神経、無防備、無邪気で、無欲な自己肯定感の極めて低い天才の側にいる常識人な同業者竹宮センセの悲哀を痛感し同情した。天才側に悪意も自覚も無いのが尚更辛いわ。
「トーマの心臓」は特に、作品の裏話は幻滅もあったけれど意外な事実にメウロコでスッキリした。
なんと言っても次々と登場する当時の漫画家さんたちの名前には興奮した。
Posted by ブクログ
萩尾さんの漫画は 昔々リアルタイムで読んでいた。あの頃はいろんな系統の漫画がたくさんうまれてきていて、面白かったことを覚えている。
その萩尾さんの、あの頃のことが書かれた本ということで楽しみにしていたのだけれど、、なかなかどうして、予想を裏切ってのなかなか、ヘビーな内容だった。
やっぱり、人間関係は難しい。
自分を守ることも必要だし、その方法は人それぞれ。
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竹宮惠子のエッセイ「少年の名はジルベール」がサイドAなら、萩尾望都の本書はサイドBである。若かりし駆け出しの頃に同居をしていた少女漫画の大家ふたりが、それぞれの視点から同じ時代を回想して書いているからだ。萩尾望都は本書を、「少年の名はジルベール」の刊行の反響を受け刊行したと言っている。数十年の沈黙を破り、反論するためにだ。自分の平和を守るために。
本書は冒頭からずっと、深い悲しみと癒えない傷の苦しみに満ちている。竹宮惠子が懐かしみを持って回顧した栄光の出発地「大泉サロン」(2人が同居していた長屋)は、萩尾望都にとっては、大好きだった友にある日嫌われたという封印したい辛い記憶の場所だった。この点は、世間にはほとんど知られていなかった。世間はそれまで、サイドAの話しか知らなかったからだ。まさかこの、少女漫画史の中でセットで語られることが多い2人が、70年代のある日を境に交流を全く絶っていたとは。
2人の仲違い、別離の真相は、結局読者には正確には分からないけれど、若い女子にありがちなもののようにも思う。一方(竹宮)が相手の才能に嫉妬し、もう一方(萩尾)は対人コミュニケーション的な意味で鈍かった。そして、少女的な情熱で膨れ上がる竹宮と増山(竹宮のブレイン)との友情が、いつしか萩尾を除くかたちで築かれた。女性のそういった絆は時に他者に対して排他的、被害妄想的になるもので、取り残された萩尾は敵とみなされた。最後はそういう構図だったのだと思う。
絶交を言い渡され大変ショックを受けた萩尾望都は、鬱になり目をやられ、田舎に引っ込む。それでもクロッキーを手放さず、沸き上がる漫画のアイデアを描き続けた。ここは圧巻。ミューズはこの漫画の天才を手離さなかった。萩尾望都は漫画から逃れられなかった。
本書にはその時に描かれた漫画作品がひとつ収録されている。トーマの心臓が生まれたとき、ポーの一族が生まれたとき、この娘売りますが生まれたとき、萩尾望都がそんな苦境にいたなんて知らなかった。漫画を描き続けてくれてありがとう…
仲違いの双方の言い分を書籍一冊ずつの分量で読めるという意味で、芸術家の人間関係についての貴重な文献ともいえる。と同時に、当事者でない世間は、一方の話だけ聞いて知ったような気になってはならないと、昨今の、SNSですぐ広まる勝手な憶測の風潮を思いながら、戒めのように思った。
この件を読む人はぜひ、サイドA、サイドB、両方のエッセイを読むべきである。
Posted by ブクログ
萩尾望都作品が好きで、自伝?というだけで読んだ。
竹宮惠子さん周りの話とかは全く知らずの状態でした。
正直、萩尾望都さんが自分を卑下してばかりでありながらもどこか他者を見下しているように感じる部分があり、何度か読むのが嫌になった。
こちらが嫌だと思うことも先回りして謝られて、なんか行き場のない感情を抱える。
どちらが悪いとかではないし、どちらのことも人間性まで知りたくないのだと思った。
萩尾望都さんも作中で仰られているが、すべて作品に描かれているのだから。
それでも、心の内をできる限りそのままに綴った内容を出版されるのはすごく勇気のあることだと思った。
もう忘れます。
作品だけを好きでい続けます。
巻末の城章子さんの目から見る萩尾望都さん竹宮惠子さんが読む分にはちょうどよかったから、ありがたかった。
自伝はこれから読むのはやめようと思う。
自身の言葉から自身の目や体からしか見てない世界をそのままは辛い。
やはり物語や作品として消化し昇華され濾過されているものを読んでいきたい。
Posted by ブクログ
竹宮氏の自伝と併せて読みました。
お別れした当時のことは、御本人方しかわからない部分があるでしょうから、それぞれそういう想いがあったんだ…と納得しながら読みました。
しかし、竹宮氏がなぜこの時期自伝を出し、のみならず、それに付随する様々な事を起こそうとしたのかが疑問でした。
竹宮氏御本人というよりはその周辺の方というべきでしょうか?非常にきな臭く感じました。
「トキワ荘」に対抗し、「大泉サロン」という象徴を残そうとしてるのか…。
また、最近有名漫画家さんがご自身の作品の扱いについて傷つき、生命を絶たれた事件とリンクするような作品を創り出すことへの苦しみを萩尾氏も述べられております。
Posted by ブクログ
期待して手にしただけにガッカリ。「人間関係失敗談です」とあらかじめ断りがあったが、それでも何十年前の話をイジイジと。大御所なんだから盗作疑惑の噂なんて笑い飛ばせばいいだろうに。愚痴本でなく「交友失敗自伝本」だって?ふー。