Posted by ブクログ
2022年05月27日
・「自分に必要なモノが分かっている人」、「大事なもののために減らす人」
・「広い家に住みたいなぁ」と誰でも思うが、それは自分が暮らすためではなく、モノさんに広々と暮らしてほしいと思っているだけだ。モノはニートであり家賃を喜んで払っている場合じゃない。
★・デッドスペースはデッドスペースのままにする
...続きを読む★ →何も置いていない空間を無駄な空間と捉え、あらゆる技術を駆使してその空間を埋めていく(突っ張り棒、フック)。モノ自体の数を減らすのを諦め、収納を増やそうとする。これではいつまでたっても快適な生活は手に入れられない。満員電車が息苦しいように、あらゆるテクニックを用いて押し込まれたモノたちは見ていてとても息苦しい。何もない空いた空間こそが、落ち着いた気持ちにさせてくれる。
・いつか使う・とりかかるについて、その「いつか」という未来は永遠に来ない。「いつか」はもう手放そう。「今」必要でないモノは、この先もずっと必要ない。
・「元を取る」という発想は捨てて、損は損として素早く手放す。その方がお財布のためにも、穏やかな気持ちを保つためにも結局は具合がいい。
・ストックという発想とは今日限りでおさらばする。ストックはゼロにし、なくなったら買いに行く。もしくは1つだけストックし、ストックを使ったときに補充する。
・店を倉庫と考える。モノを「所有する」のではなく、必要になったら倉庫に「取りに行く」という発想。
・街自体が自分の間取りだと考える。(応接間⇒ファミレス)
★・人生は短い。モノが原因で、わざわざその時間を短くする事が「もったいない」。
★・モノを選ぶ基準は、デザインがミニマルで表面積が小さく掃除がしやすいこと、色がうるさくないこと、長く使える事、作りがシンプルなこと、小さく、軽く、コンパクトにできる事、1つで多くの機能を持つこと。
・心理学者ティムキャサー:「時間の豊かさ」が幸せに直結し、「物質の豊かさ」はそうではない
⇒モノを減らせば、時間は本当に増える。モノを買う時間、探す時間、家事の時間、引っ越しの為の時間も、ダラダラしている時間も減るからだ。
★・「掃除をすることは自分を磨く事」→部屋に溜まっているのは、ほこりや汚れではない。ほこりや汚れを放置し「やるべきときにやらなかった自分」が堆積しているのだ。何より嫌なのは放置した「過去の自分」と向き合う事になるから。モノを減らし掃除を簡単にすれば誰でも習慣にすることができる。毎日「やるべきときにやった自分」と向き合えるようになるから、自分のことが好きになり、自身も湧いてくる。
・受け取るべき情報を減らし、アンテナを広げるのではなく「アンテナをたたむ」ことの方がもはや切実な課題だ。
・瞑想・座禅・ヨガが習慣化されているのは自然なこと。モノを減らすと、自分の意識は「外側」にあるモノで煩わされることが少なくなる。すると意識は自分の「内側」に自然と向かう。もはや内省の時間無くしては、情報過多のノイズに「自分」が溺れてしまうのだ。
・カーネギー:「汚れてもいない皿を洗おうとしない」⇒将来、老後、これは世取れてもいない皿のこと、その時に悩めばいい。
★・明日も来週も実は存在しない。明日は来てしまえば今になる。1年後は来てしまえば今になる。すべては今なのだ。ぼくは未来の何かを怖がることはもうないだろう。モノがなければ身軽だし、何がどう起こってもどうとでもなる。どんな暮らしをしたとしても、人と比べることももうない。貧しかろうが、悲しかろうがそれを味わうだろう。何が起ころうとも、ただ「今」を味わえばいいだけだ。
▼「慣れ」、「飽き」
・ぼくたちの願いはすべて叶っているのに、「慣れ」→「飽き」の仕組みがあるせいで、叶った願いに対して不満が募り、不幸を感じてしまう。
・この仕組みは、たとえ人がどんな困難な状況に陥ったとしてもそれに打ち勝ち、立ち上がって進めることと同じ仕組みでもある。人は、どんないいことにも、どんな悪いことにも慣れていくのだ。
★・人の神経ネットワークは「差」自体を刺激として検出する仕組みだった。だから別の「差」として新しいものがほしくなり、大きい「差」として高価なものが欲しくなる。
・アガシ:「優勝した私は、ごくわずかな人しか知り得ないことを知りました。勝利の喜びは敗北の苦しみにはかなわない。そして、幸せな気持ちは悲しい気持ちほど長くは続かない。似ているとさえ言えません。」
・1万円と5万円の指輪をもらったとき5倍嬉しいわけではない。モノの価格には限界がないが、「人の感情には限界がある」。
・なぜ「飽きる事」に「飽きもせず」次々にモノに手を出してしまうのか?
⇒理由:人が「未来」の感情を「現在」を基に予測してしまうというところにある。
例:お腹が空いた状態でスーパーで必要以上に買い込んでしまう。
原因:これはお腹が空いている「現在」を元に「未来」の腹具合を、誤って予測してしまったことが原因。人は未来を予測できると考えるが、たった30分後のことすら実際には予測できない。二日酔いも同じ。
▼感謝
・「感謝しているときこそ幸せである。」⇒感謝は「手段」ではなく、幸せの一部であり「幸せそのもの」だった。
・感謝は物事を「肯定的に見る」ことであり、本質である(例:水がまだ半分もある)。これでいいのだ、と思えるのが感謝だ。
★★・「今」に「感謝」し続ける。すべての「今」を「肯定的に見続ける」人がどうなるかは明らかである。ポジティブで、寛容で、あきらめない。親切で、優しく、何よりいつも幸せそうだ。いつしか現実を変えていくだろう。
▼幸せ
・幸せの構成比
△:90%環境、10%遺伝 (一般的に思われている、宝くじに当たりお金さえもてば幸せになれるイメージ)
△:90%遺伝、10%環境 (一般的に思われている、生まれつき頭が良かったり、容姿端麗であったり)
★〇:50%遺伝、10%環境、40%日々の行動に左右される (ソニア・リュボミアスキー)
⇒遺伝50%を占めるのは、容姿や頭の良さが重要という事ではない。人にはそれぞれ幸福の「基準点」のようなものがある。いつでも周りを明るくする、遺伝的に幸せに恵まれている人は確かにいる
⇒環境10%は人は慣れるから。最低限の安全と、食事と寝床さえ確保できれば、そうでない場合と比べて幸せは劇的に高まる。それ以降は影響が少ない。
・×:何かの条件を達成しさえすれば幸せに「なれる」
⇒「幸せ山」という山の頂に立ちさえすれば、その後今後の幸せが保証される。だが幸せそんな頂きの形はしていない。だから幸せに「なる」ことはできない。瞬間的になった幸せも、すぐに慣れて当たり前の日常になってしまうのだから。
〇:幸せに「なる」ことはできず、その瞬間、瞬間に「感じる」しかないものだ。今から、いつでも人は幸せを感じることができる。
★▼五観の偈(ごかんのげ) ※禅の食事の前にするお祈り
(1)目の前の食事の来歴に思いを馳せる。(どんな風に育ってきた食べ物か、誰の手がかかってここまで運ばれてきたのか、各工程を考えてみる。)
(2)この食事に値する徳と行いを、今日の自分は積んだのだろうか?と自問する。
(3)貧り急ぐことなく、他のことは考えず、目の前の食事だけに集中していただく。
(4)おいしいか、まずいかというグルメのためではなく、この命を支えるために食べる。
(5)自分が成し遂げたい目的のために、この食事をいただく。
▼その他
・お酒は幸福ではなく、不幸の一時停止。
・2040年には40%にも達するといわれている空き家率。そして地震予測をみれば固定された家に住むことのリスクは年々高まっている。