Posted by ブクログ
2021年11月17日
心の底から「いい小説を読めたなあ」と思った一冊です。短編ながら人生の苦みや喪失を、そしてその先にある小さな光や転機を描き切った粒ぞろいの作品。
表題作の「海の見える理髪店」は素晴らしい出来の作品。理髪店の店主の穏やかな語りで、店主の人生が語られます。
戦前から平成という時代にまたがって語られる店主...続きを読むの波乱万丈な人生。それぞれの時代の空気感を描きつつ、店主の巧みな語り口にのせられ読み進めるうちに、時に緊張が走り、そして温かい気持ちに包まれる。
どこか郷愁を誘う語り口、人生の数奇さを思わせる話の展開といい文句のつけようのない短編でした。
「いつか来た道」は画家の母から逃れ16年たった娘が、久しぶりに母親に会いに行く短編。「時のない時計」は父の形見の古い時計を修理してもらう中年の男性が主人公。
いずれも人生に惑う年。そして親への微妙な距離感。それを表現しつつ、その感情がいかに変化していくか。劇的なことが起こるわけではないけれど、主人公たちの気づきの瞬間というものが、劇的でないからこそ、読んでいる自分たちと身近に感じられて、どこかホッとした気持ちになれる気がします。たぶんこの身近さこそが、荻原さんの真骨頂なのかなと思います。
最後を飾る「成人式」は感動的な短編でした。表題作に負けない名編だったと思います。娘を喪い空虚な日々を過ごす中年夫妻。そんな彼らの元に亡くなった娘への振り袖のDMが届き…
娘への思いと生活の空虚さが切々と沁みる中で、二人が取った思いがけない行動。そこから物語は荻原さんらしいユニークさもあって、なにより二人が企んでいる様子が楽しくて、話が一気に明るくなり、読んでいる自分も楽しくなってきます。人の温かさと再生の様子に、ほんのりと心に火が灯されるような感覚になりました。
とにかく前半と後半の対比が見事! 喪失と再生をこの短い短編に、この濃さで描けるのが本当にすごいと思いました。
大げさにドラマチックに描くのでなく、あくまでしみじみと染み入るように描く人どこかにいそうな普通の人々の喪失と再生。名手荻原浩さんの技と優しさが詰まった一冊だったと思います。
第155回直木賞