Posted by ブクログ
2020年04月29日
新田次郎が他界して早くも40年。中高生の頃、わたくしは吉村昭・城山三郎・有吉佐和子そしてこの新田次郎を秘かに「ストオリイテラア四天王」と呼んでゐました。単にわたくしの好みです。
で、何故『ある町の高い煙突』か。随分前に(30年位前か)、公害関連の書物を色色漁つてゐまして、その中に紛れ込んだのがこ...続きを読むの一冊。富国強兵時代の日本で躍進したある鉱山と、その煙害に苦しむ地元農民たちの物語であります。これはフィクションですけどね。
フィクションといつても実話が元になつてゐます。明治から大正にかけて発展を遂げた日立鉱山がそのモデル。日立製作所の母体となつた企業であります。
公害を垂れ流す企業と地元住民との関係といふと、とかく泥沼化いたします。企業は因果関係を証明せよと主張し、謝罪や補償を嫌がります。住民は何かと感情的になり、理性的な交渉が出来ず暴徒化しがちであります。しかし日立鉱山をモデルとした「木原鉱業所」では、被害調査を村民と協力して、とにかく補償金は惜しみません。田圃も全滅、山も枯れ、村の財政は逼迫するのですが、その一年間の被害額を算出し、それを補償するのですから、とりあへず住民側はぐうの音も出ません。
しかし、これでいいのか。鉱山との交渉を一任されてゐた関根三郎は、ある日村の女が発した言葉につまる。鉱山との交渉といつても、いかに煙から逃げるか、補償をどうするかの話ばかりで、肝心の煙が出なくなるやうな交渉は出来ぬのか、と。
鉱山側も、通称「百足煙突」や「命令煙突」(これは、あまりの大失敗振りに「阿呆煙突」と呼ばれるやうになつた)などを作るなどの手を打つのですが、解決にはなりません。村民側もいくら補償金を貰つたとて、農作物の育たない死の土地に住み続けることは難しいでせう。煙のせいで馬も、人も死んでゐます。村を捨てて、丸ごと別の土地に移転する案も出て、それは俄かに現実味を帯びてきました。関根三郎は、最後の望みとして、スウェーデンで成功したといふ高い煙突の建設を鉱山側に依頼しました。しかし効果が未知数の、しかも巨額の資金を必要とする工事を鉱山側は承諾するでせうか。
が、木原鉱業所の社長・木原吉之介(久原房之介がモデル)は傑物でした。社内の反対論を退け、社運をこれにかけたのです。156メートルもの常識外れの煙突。これに失敗すれば、恐らく会社はつぶれる。しかしこれ以上高騰する補償金を払ひ続けるのも限界にきてゐました。文字通りの賭け。
結果、大煙突は期待通り煙害から鉱山と村を救ひました。この成功がなければ現在の日立製作所は無かつたかも知れぬと思へば、感慨深いのであります。
無論現在の目から見れば、それは自分の村を救つただけで、結局煙は別のどこかへ、しかも広範囲に行くのだから解決とは申せません。しかし煙が高所へ流れる事で、気象台との連携で、風向きなどで被害が大きくなりさうな時は精錬を一時止めるなどの、事前の対策が可能になつたといふことです。当時としては、精一杯の施策と思はれますので、責める気にはなれません。そもそも、ここまで企業の責任に於いて対策を施す実業人はどれだけゐることか。
この大煙突を中心に、新田次郎は実在人物を元に、眞に魅力的な人物を造形いたしました。 主人公の正義感・関根三郎、その許婚のみよ、先述の木原吉之介、鉱山の技師・加屋淳平、その妹で三郎と淡い交情を交はす千穂、大煙突の現場監督として大車輪の活躍をした尾田武、煙害問題を最初に三郎に知らせたチャールス・オールセン......夫々が有機的に物語に絡み、この小説に彩りを添へました。
読後爽やかな気分になる一作でございます。デハまた。