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Posted by ブクログ
多分、むかし読んでいるのだが、もう一度読みたくなって文庫版の新版を読み始める。写真がものすごくよい。
温泉で執筆していた文豪のことや、民俗学者・宮本常一のことなども出てくる。自身の神経病みのことも少し出てくるが、社会的弱者からの視点、弱者への眼差しが感じられる。読んでいて心がほぐれる。
期日前投票に行ったが長蛇の列で、約1時間この本を読みながら順番を待った。高齢者が多く、膝や腰が痛くて立っていられない、座ったは良いが順番がわからない。などなど、嘆きの声があちこちから聞こえてくるなかで、赤ん坊の鳴き声も一際目立っていた。日本の人口構成がわかるような気がした。
Posted by ブクログ
巻頭に昭和45年当時の鄙びた山村、漁村、温泉宿の写真が載せられるが、もはや探しても見られなくなった絶滅風景か。ここ写る子どもたちは、そうか、ちょうど自分と同じくらいの年齢なわけだ。かつて、未舗装路に並ぶ掘っ立ては我がまちにもあったが、ここまで寂れて侘しい風景は記憶にあるような、ないような。わずかばかりの我が深山幽谷の旅では、著者の望む趣きもないのだけれど、仲間と泊した九州の安宿、がっかり民宿ほど想い出深く語りぐさになっている。旅人は訪れた地域の風情や風習をけがしてはならず、寄らせていただく気分が大切だが、迎える側も外貨稼ぎで俗化したサービスに努め、旅人が観光客と呼ばれ、お客様気分になった時点で、ここに載せられる旅は失われたんだろう。
Posted by ブクログ
全編、何ともまったりとした侘びしさ。いや、でも暗くはないのだ。
それは著者が、自分で自分を面白がってしまうようなユーモア性を隠し持ち、淡々としながらもどこか魅力的な文章を書くせいなのかもしれない。
知る人ぞ知る山奥の鉱泉で出会う不便で粗末な作りの宿屋や、陰々滅々として絶望的な景色の中にこそ、著者は心の底から幸福感を得るようだ。
大自然を目の前にして、自分自身がケシつぶのようなちっぽけな存在であることを実感する旅。自由とは自分からの自由にほかならない。
つげ義春の旅は、まさに”自分なくしの旅”なのだろう。
また奥さんや子供と一緒に、所謂名所や観光地などにも出かけている。(鎌倉随歩)
中でも、鎌倉の長谷寺で十一面観音に会った時の文章に激しく共感する。
── 薄暗い本堂の正面には、そこだけライトに照らされて、金色に輝く巨大な観音像が立っていた。私は子どもと冗談を云ったりしながらそこへ入っていきなり出会って虚(きょ)を衝(つ)かれ、思わず息をのんだ。その観音像が生身の生きた仏像がそこにいるのかと錯覚を起こしそうになったのだった。ふつう神や仏は目に見えないもので、だからそんなものは存在しないと頭から否定したり、半信半疑だったりするわけだが、そこにある高さ九メートルの見上げるばかりの彫像は、物凄いリアリティで仏の存在をしめしているかのようであった。私は何故かしらうろたえてしまった。 ──
ありがとう。こんな紀行文に出会えて、よかったです。
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