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Posted by ブクログ
山本文緒が2013年に発表した『なぎさ』は、物語を総括するのが難しい。
〈カフェもの〉かといえば、そんな浮ついたものでもないし、ましてや〈恋愛もの〉なわけない。そういう要素もあるんだけど、それは添え物に過ぎず、じゃあメインディッシュは何なの?と読み終わったあとにしばらく考え込んでしまった。
視点人物は2人いて、横須賀市の久里浜を舞台に「私」と「おれ」が交互に語り手となる。
「私」=冬乃は、長野の須坂市から久里浜に移り住んだ垢抜けない中年女性。
「おれ」=川崎君は、しがない営業職のサラリーマン生活に澱を溜まらせる若者。
この2人を中心に、その周辺の人々を巻き込んだ、いくつかの些細な出来事が描かれる。
もし、物語の舞台が横浜や鎌倉だったら〈オサレカフェもの〉まちがいないのに、久里浜だもん!しかしそこに山本文緒の狙いがある。
山本が描いたのは、2010年代の日本に蔓延していた社会の閉塞感だ。久里浜という凡庸な町で生きる人々が、何かから搾取される物語だ。
奪う主体は、いけすかない社長や会社、得体の知れない友人、希望を語って近づく企業、生活保護の毒親、あるいは自分がこじらせた夢、あるいは家族。
ブラック企業にしがみつく人や、家族の絆に縛られる人の不幸は、いったい誰のせいなのだろう?
そんなことを考えさせる物語だ。
もちろん閉塞感の中にも救いがあって、飄々と生きる「所さん」や、あっさり飛び立つ「菫」や「百花」、社会に適応できない「紅シャケ君」の存在するこの世界って、捨てたもんじゃないのだ。
ある意味では、世界を肯定する閉じ方で、やっぱり山本文緒が紡ぐ物語はすごい!と思った。
Posted by ブクログ
冬乃とそのダンナ、佐々井、川崎とその恋人、百花。この2組のカップルや、その他の人物のつながりが分かりはじめたとき、「あ、これはおもしろい!」と思いました。冬乃と川崎、2人の語りで進行していきます。
冬乃と川崎の心が、丁寧に描かれており、とちゅう目頭が熱くなるところが何ヶ所かありました。思うようにならない2人のもどかしさが、よく伝わってきます。
冬乃の心の支えとなっていた、年配のおじさまの言葉
「生きていくということはやり過ごすことだよ」
この言葉、刺さりました。私も袋小路に入ったようになっていたとき、似たような言葉を職場の先輩にかけられたことがあったからです。それは、「流れにまかせて」でした。これまでの人生、人に、言葉に助けられていました。
川崎の言葉の中にも、刺さるものがありました。それは、
「巻き込んだり巻き込まれたり、みんなそうやって生きているのだろうか」
はて、私はどっちの方が多かったのだろう。身近な人に迷惑をかけたこと、多かったなあ。反省しきりです。
川崎くん、25才。こんな弟いたら、正直ちょっと大変!(笑)ですが、でも「ガンバ」って言ってあげたいです。
山本文緒さんの作品、好きです。それは本当のことが書いてあるから。受け取り方によっては、キツく感じてしまうかもしれないけれど。でも、突き離されたという感じで終わるのでなく、優しさを感じるのです。
山本文緒さんが他界される(2021年)の少し前、TVで拝見し、気さくな方で「親戚のお姉さんでいてほしい」と思い、いきなりファンになり、さっそく作品を読み始め、ほどなくしての訃報。ショックでした。
これまで5冊ほど読んでいます。その他の作品もゆっくり読んでいきたいです。
Posted by ブクログ
☆4.5!
山本さんの作品は短編から長編まで結構読んでるけど、やっぱり長編のほうが好きだなぁ。
☆5って言いたいけど、全体的に曇りがかっている雰囲気があるから、気分の落ちている人には無条件に薦められない。最終的には明るめな終わり方だけど、長いからね。
妹の菫とカフェをやることになった冬乃。冬乃の夫の佐々井くんと、その会社の後輩川崎。菫にカフェ話を持ちかける謎の男モリと、川崎の彼女の百花。そして近所のおじさん所さん。
主にこの面々が織り成す、家族、愛、生死、、、そういったことが描かれる作品。
山本さんの作品は恋愛のイメージが強いけど、この作品は恋愛色は薄い。家族愛がテーマかな。
わたしも姉妹だから、冬乃と菫の関係性は共感できるものがあった。似てるけど似てない。クラスにいたら同じグループってタイプではないけど、気が合わない訳ではなくて、お互いに信頼してる。それでも家族だから頼れる部分と、言いたくないことがあって。何があっても自分たちが姉妹であることからは逃れられないけど、いつでも安心できる居場所になれる。そんな存在。
どうか冬乃と佐々井くんが明るい未来に向けて、ふたりで手を取りあって歩んでいけますように。
Posted by ブクログ
生きていくとはやりすごすということ。
生きるというのは複雑で、自分の望むようにはいかないものだ。
自分が一生懸命頑張ったつもりでも、あっけなく終わりが来てしまって無力感を感じたり、誰かに必要とされるがまま生きてきたら食い物にされることだってある。
そんな生きる難しさの中で、誰かに頼りたくなったり、それがいつの間にかそのうち自分と他人の境界線を超えてしまって人を苦しめてしまったり。
そんな関係性が怖くなり、もう手を伸ばすこと自体をなんとなくやり過ごしてしまったり。
とはいえ、生きるを諦めることも、成層圏から人を見下して楽しむことも愚か。
きっと自分が羨ましいと感じる人にも、自分が想像し得ない苦しみがあり、しがらみがある。
みんな失敗しながらも、未熟ながらも、日々生きる中で重ねる小さな成功体験を希望に生きていくしかない
そんな解釈をした。
私も仕事をしていて、他に自分に合う環境がどこかにあるのではと探してしまうこともある。
ただそんな環境はどこにもなくって、やっぱり自分で諦めずに、時々やりすごしながら、誰かに適度に頼りながら
やりすごしていくしかないんだな、と思えた
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