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Posted by ブクログ
パンチェンラマ十世のミイラが蘇るという荒唐無稽な物語の中にチベットの現状を描き込んだスラップスティック・コメディ。
ダライラマやチベット仏教をを扱った本は何冊か読んだけれど、本作を読んで全然わかっていなかったと感じた。たとえば、作中にある〈素のままのチベット人は、今でも勇猛果敢で残酷で、その上狡猾な、厳しい気候に鍛え上げられたとてつもなく強い民族だ。チベット人の苛烈さを封じ込めていた仏法を、共産党はそれとは知らずに破壊してきた。その結果が、今日見たあの騒ぎだ。どれほど弾圧しようと工作しようと、面従腹背で、いつでも敵の寝首をかこうと待ちかまえているのがチベットの民だ〉とか〈時代が違います、猊下。今どき、フリーチベット、ダライラマ万歳を唱えるのは、一部の活動家だけです。普通の人々の心を占めているものは、政治でも信仰でもありません。今日の糧です〉とか読むと今までの〈チベット=弱者、虐げられるだけの存在〉という自分の認識がいかにうすっぺらく、現実味のない考えだったかがわかった。この作品のチベットには血が通っていると感じた。蘇ったパンチェンラマ十世も〈意地汚くモモを食べ、女の尻をなで回し、ペンキで塗られた目をぎらぎらさせて中国共産党と毛沢東への恨みを語り、放射能汚染によって死にかけている移牧民のために激怒〉する、非常に人間的な存在として描かれている。かと思えば物語後半では当局の無謀な計画を防ぐ冷静な奮闘をする聖人らしさをみせる。これは、人間は煩悩があるもの、それにとらわれないことが重要なのだという大乗仏教の真髄ではないかと感じた。
それと、篠田節子の他の著作でも感じることだけれど、著者は超常現象を扱った作品を書きながら本当の意味でそういったことを信じていないのではないか。世の中には何か現代の科学では説明できない不思議なことが数多くあるけれど、それは輪廻転生やあの世や霊魂や神なんかではなくもっと別のものなんだという考えで描いている。それは本作中のパンチェンラマ十世のミイラが、十世から転生したといわれる十一世ゲンドゥン・チュキ・ニマ経由ではなく、十世のパーソナリティをそなえて蘇ったことでもわかる。魂というものがあるかどうかはわからないけれど、もしあったとして、それは別の肉体に転生するものなんかではなく、肉体固有のものなんだという考えがあるからこういう描き方になっているのだと思う。蘇ったパンチェンラマ十世は言う〈私は私だ。生まれたときからずっと私だ。他の人間であってたまるか〉のはそういったことを一行であらわすすばらしい表現だ。
ごちゃごちゃ理屈を書いたけれど、本作の魅力は単純に面白くて笑えるところ。何も考えずに読むよろし。
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