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Posted by ブクログ
何かを評価するということはとても難しいことだと思います。評価の対象が「人」である場合は特にそうでしょう。
学校の教科学習の評価や資格試験の合否のように、テストで獲得した点数という「評価基準」があればまだしも、明確な「評価基準」が示されていなければ、評価する側の好みで評価の良し悪しは大きく変わることでしょう。
また、人は皆、「普通」という感覚を持っていて、評価対象が「自分にとっての普通」の範疇にあるかどうかで評価は変わるでしょう。そして、評価対象を見る時の「普通」は、評価者の立場によって異なることでしょう。
本作では、小学校の校長先生だった高村正子先生が亡くなり、その「偲ぶ会」に先生との思い出の品を持ち寄って語る6人の姿が描かれています。
6人の思い出の品と見方が6つの短編となっており、高村先生への見方は面白いくらい異なります。大げさに言えば、6人が別々の人について語っているようです。。。
人は、評価する人も評価される人も「生きています」。生きているということは「変わる」ということだと思います。
それぞれが変わり続ける「動態」である人が、互いに評価し合うということは、なんと難しいことでしょうか。
昔、数学で習いました。変数がふたつある時は一つを固定してから問題を解くとw
なので、ある人がどんな人かという評価は、その人が亡くなってから開始されるべきだと、わたし(みのり)は思っていますww
もし、評価対象への評価をずっと変わらずに持っているとしたら、それは(たぶん)評価する側が変わっていないからだと思います。(たぶん)評価する側の「普通(広い意味での偏見)」が変わっていないからです。
良きにつけ悪しきにつけ、(たとえ同評価に落ち着いても)評価は時々し直したほうが良いのではないでしょうか。それは自己を再評価することにもなると思います。
本書を読むと、高村先生への様々な見方を知ることができ、評価対象を「再評価」する参考となることでしょう。
亡き人を偲ぶことを兼ねて、お彼岸の中日である今日、9月23日に読んでごらんになってはいかがでしょうか♡
お彼岸という定期的なタイミングに、お墓参りに行ったり故人を偲ぶことは、もしかしたら、時の流れや自分の変化に気付くためにあるのかもしれません。。。
〈蛇足〉
自分にとっての「普通(偏見)」を見直すにはどうしたらよいでしょう?
それには、たぶん、他者にとっての「普通(偏見)」を追体験してみるのが良いのではないでしょうか。
その方法としては、他者との対話を通して追体験する方法もありますが、わたしは「読書」が有効だと思います。
映画や演劇でも良いと思いますが、時間とともに場面が流れていく映画・演劇よりも、自分のペースで進められる「読書」のほうが「考える」には適しているように思います。読書は作者との対話ですが、「自分との対話」でもあると思うのです。。。
では、評価される側として心がけることはあるでしょうか?
それは、同じ事をしていても、人からなされる評価は異なる訳ですから、評価を気にせず伸び伸び生きることではないでしょうか。
でも、人は自分の偏見に囚われてしまうことがありますよね、その時はどうすれば良いでしょうか?
それは。。。
〈蛇足〉の最初に戻るww
〔本書の紹介文〕
第三小学校の校長として、長く地域に尽力した高村正子さんが亡くなった。彼女の死を悼んだ後輩の教師たちにより、生前勤めた学校で「高村正子先生を偲ぶ会」が開かれることに。
教え子、友人、趣味の仲間、同僚……生前、彼女と関わっていた人々が偲ぶ会に持ち寄るための思い出の品を準備しながら、高村先生からもらった言葉や教えを振り返る。浮かび上がるのは、頼りがいがあって、生徒と真摯に向き合う高村先生の姿。しかし、実の娘だけは彼女に複雑な気持ちを抱いていて――。
一人の女性教師と周囲の人々との交錯を、温かな筆致で描いた感動作。
〔目次〕
1 コンパス
2 連絡帳
3 うちわ
4 スーツ
5 こんぺいとう
6 深呼吸
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