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社会正義はめんどくさい。
人種や性別、性的指向などによらず、誰もが「自分らしく」生きられる社会は素晴らしい。だが、光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。「誰もが自分らしく生きられる社会」の実現を目指す「社会正義(ソーシャルジャスティス)」の運動は、キャンセルカルチャーという異形のものへと変貌していき、今日もSNSでは終わりのない罵詈雑言の応酬が続いている──。わたしたちは天国(ユートピア)と地獄(ディストピア)が一体となったこの「ユーディストピア」をどう生き延びればよいのか。ベストセラー作家の書き下ろし最新作。
(底本 2023年8月配信作品)
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
読書録「世界はなぜ地獄になるのか」5
著者 橘玲
出版 小学館新書
p270より引用
“ この世界が地獄になるのは、得体の知
れない「陰謀」のせいではなく、その方が
都合がいい者がいるからなのだ。”
目次より抜粋引用
“小山田圭吾炎上事件
ポリコレと言葉づかい
会田誠キャンセル騒動
社会正義の奇妙な論理
「大衆の狂気」を生き延びる”
評論家・作家である著者による、昔に比
べて平和で穏やかなはずなのに生きにくい、
現在の状況が生み出される原因について
記された一冊。
有名人の炎上から社会正義の動きや流れ
について、現実の息苦しさの実例を挙げて
論じています。
上記の引用は、本編の結びの一文。
どんなに正しさを説く綺麗な言葉であって
も、どこまでいっても誰かが利益を求める
行動でしかないのかも知れません。
貧しい子供の助けを訴えていた人が、大豪邸
に住んでいた、なんて話もありましたね。
この一文を書き残すために、本編の全てが
書かれているのだなと思われました。
p66では、今の世の平和と安全に対し、
体感の治安の悪さについて少し書かれてい
ます。
滅多に起こらないことに事件について、大
げさに騒ぎ立てる人たちの言葉には、よく
よく気を付けたいところです。
今の世の中を、穏やかに生き抜くために、
なにがしかの参考となるであろう一冊。
特に、p263からの項だけでも、一読してお
くと良いのではないでしょうか。
ーーーーー
Posted by ブクログ
はじめに、の中に、タイトルに対しての回答がざっと詰まっているので、ここを立ち読むだけでも意味があると思います。
私は正直ショックだったのですが、なるほどとも思い残念な納得感を感じました。
誰もがその所属するなににも縛られず「自分らしく」生きられる社会は素晴らしい、というのはその通りなのだけれど、結局そのリベラル化が極まっていくことにより社会はどんどん複雑になり、私たちはの首がだんだんと締まっていくという現実。
ポピュリズム(右傾化)がリベラル化の行き着く先ということは、もうどっちに行っても最終的には地獄に着くってことなのかもしれないですね。悲しき人間社会。。
日本も近年は平和と自由を享受できるサービス期間だったのかな。
Posted by ブクログ
リベラル化の潮流 自分らしく生きられる
社会が複雑に 孤独に 自分らしさが衝突 格差拡大
リベラル化の帰結、その一部としてのポピュリズム
キャンセルカルチャー 反倫理 反道徳
小山田圭吾 東京パラリンピックテーマ曲
ロッキングオンジャパン記事 和光学園 高機能自閉症
地位についた者が攻撃の対処、キャンセルできる地位になければ無視
資格がないと辞退すべきだった・・・
ポリコレ political correctness ~グローバル空間での適切なふるまい方
身分制から生まれた日本語 相手のとの距離を調整 上下/内外
大きな差別がなくなり 小さな差別へ 言葉づかい 過剰な敬語
会田誠「犬」
オリエンタリズムを超える「低俗な変態的画題を風雅な日本画調で描く」
アーティストではなく、プラットフォームへの抗議
言論・表現の自由: 何が正しいかは議論で決着・・できない
評判格差社会のステイタスゲーム
80億人の中で ステイタスを上げる
「成功」「支配」の地位にない被害者が「美徳」で正義を振りかざす
「帰属する集団のステイタス」アイデンティティ融合(推し)
共同体の制約の中、ステイタスの高いものを引きずり下ろし、自分を高める
↓
社会正義
欧米の左派の信念 あらゆるものに差別がある 陰謀論 リベラルと対立
↓
大衆の狂気 ~法に触れなければ何をしてもいい
キャンセルカルチャー産業によって作り出される地獄
特定の問題に時間資源投じられるマイノリティが そうでないマジョリティを抑圧
脳はしゃべり続けている差別主義者 ←前頭前野がブレーキをかけている
「極端な人」 一定の抑圧がされているが 批判されるとブレーキが外れる人
地雷原に近づくな 個人を批判しない リベラルの立場で発言する
Posted by ブクログ
自由を求めてるはずなのに、自由になってってるはずなのに、現実はどんどん息苦しくなる。
ポリコレやソーシャルジャスティスの名の下に、今日もあちらこちらで火が上がる。SNSでの炎上は、もはや通常運転のうちになっています。オンライン上に残した足跡はすべて監視され、バレたら総叩きの目に。いまやこの世はおそるおそる薄氷の上をゆくようなキャンセル・カルチャーの嵐です。どうしてこんなことになったのか、またどうやってこの地獄をサバイブすべきかをこの本は教えてくれます。
五輪担当をキャンセルされた小山田圭吾の問題。会田誠の芸術作品『犬』に見る表現の自由と言論の自由。差別へのNoを先鋭化させた海外リベラルの、度を越した言葉狩り。複雑多様な性別やジェンダーを紐解くために、変態性癖やその原因であるテストステロンにも触れ、はたまた日本語の敬語表現など言語学的なフィールドにも分け入り、それらを全体的に俯瞰しながら、キャンセル・カルチャーの構造を暴きます。
この本の中で著者はリベラルを「自分らしく生きたい」という価値観、だと定義します。そもそも人類史において、生まれながらの身分などに縛られず、”自分らしさ”を追求できるような社会になったのは戦後からだということにあらためて驚嘆しました。日本も戦後急激にリベラル化が進み、いま現在もみんなが自分らしく生きられるように、よりよい社会を目指しています(そのように見えてはいます)。
しかしそんな戦後のリベラルな運動によって、格差や人間関係の複雑化、婚姻率や出生率の低下、価値観の衝突が生まれたとこの本は説きます。旧態依然の価値観やコミュニティでは安定を得られなくなり、リベラルな価値観からこぼれ落ちたものは、その反動でより右傾化。そして2026年2月現在、今の政治的潮流はまさにこの説明の通りで、この右傾化する結果まで含めて、近現代のリベラル化の必然的な帰結だと述べられています。そもそも「リベラルで格差や生きづらさがなくなるという考えが大きな勘違いだった」というのが(どちらかというと)リベラルな自分にとっては少なからずショックでした。インクルーシブを目指してるはずなのに、不寛容になって、息苦しさが色濃くなっていくなんて、本末転倒すぎる。こんな残酷なカラクリってあるの!?
英語圏で”障がい者”を表す単語が、よりポジティブなものに言い換えされていった結果、当事者である障がい者の側から「まるでポジティブであることを強要されているようだ」という声が上がって、元の単語に戻ったというエピソードが紹介されています。一見笑い話のようだけれど、なんとも考えさせられる示唆に富むものでした。叩かれないように言葉遣いに気をつけた結果、「無意識レベルの差別だ」という言いがかりで、◯◯警察が逮捕(ネットスラング)し始めて、しまいには当事者間でも意見が分かれるような細かいニュアンスまで掘り下げてしまっては、息苦しいに決まっているでしょう。
現代美術家・相田誠を取り上げた章が特に面白かったです。美術や表現活動が不適切だという場合、抗議は作家に対してではなく、美術館や主催者などへ向く場合が多いとのこと。なぜなら作家への抗議は表現の自由への配慮があるからだそう。相手の言論・表現の自由を直接否定することは、ブーメランのように自分に返ってきますもんね。でも平気でそれをする奴がいるのも事実。昨今の論破ブームも、自分の正当性を守りたいだけで、そのために相手を引きずり下ろすばかり。それでは建設的な議論にはなり得ません。他者の文脈を読み取りつつ、自分の文脈も守っていかなきゃ。それが本当に難しくて、体力を使うことは百も承知だけれど。
わたしにとって複雑怪奇だったのがジェンダー/セクシュアリティ問題を取り上げた章。ひとくちに「性」といっても、生物学的な性、性自認、ジェンダー、表現する性と階層は複雑。でもこの章を読んで昨今話題になった、男性から女性に転換したトランス女性は女性トイレ・女風呂を使ってもいいのか問題をわかりやすく捉え直すことができました。
社会的なステータスを得られないものが、匿名かつローコストで正義のヒーローになれるSNSを手に入れ、正義の名のもとに他者を糾弾するようになり、”正義というエンタテインメント”の味を覚えた、と著者はキャンセルカルチャーの社会的・生物学的な背景をこのようにまとめています。
この本を読んで、キャンセル・カルチャーはこんなに複雑で繊細な問題なんだと気づきました。ジェンダー、人種、宗教、性的指向、障がいなどの全てのポリコレに適応するなんて無理ですよ。配線が張り巡らされた爆弾に立ち向かう地雷処理班ぐらいの器用さじゃないとサバイブできないのでは、と思えてきます。
「正義」という、まるで大いなる意志のようなものがつねに自分たちのそばにある、というのがまず幻想だと思いますし、その幻想が人それぞれで全く違うということが問題の複雑さを産んでいると思います。そもそも正義なんてない!地球が誕生して以来、正義なんてものを自然は用意してない!人間が作っただけ!本当はすべて個別の事案!どんなルールにも完璧はない!ルールや、ルールを作った存在である人間に、完璧はない!、、、ゼエ、ゼエ、ゼエ、、、とこんな風にヒートアップする自分も、「正義」という幻想に取り憑かれているのかもしれません。
放火魔のごとく、火をつけ焚き付け面白がっているだけの人間のことはわからないけれど、少なくとも本気でキャンセルを訴えている人にはその人なりの理屈や文脈があるんだ、ということは分かっておこうと思いました。それを理解できるか、理解する必要が自分にあるかは置いておいて。
とりあえず瞑想でもするか、、、
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