作品一覧

  • 簡単な生活者の意見
    4.5
    1959(昭和34)年より、東京西郊の団地にある賃貸の2DKに住まう文芸評論家は子ももうけることも家を所有することも欲することなく、親族との関係も絶ち、石塊の声に耳を傾けながらひたすら人間の生の根柢を見つめつづけてきた。 声高に語られる正義の言葉に疑問を呈し、その虚偽を拒む思考とはどのようなものか? 1974(昭和49)年から1987(昭和62)年という、オイルショック直後からバブル景気の時期に時代と社会の定点観測のように文芸雑誌や書評紙に書かれた文章を読む者は、その言葉が呟きのようでありながら独自性と粘りに満ちていることに気付かされる。 その深くえぐるような強度は、21世紀の現代においてむしろ重要性が増しているように感じられるものなのである。 混迷する世界にかろうじて生きる我々にこそ響くエッセイ集、初の文庫化。
  • 信長
    -
    1巻1,100円 (税込)
    桶狭間の合戦から本能寺の変まで、従来の日本的な発想では理解できなかった信長の行動を、文芸評論の泰斗が東西の古典を引きながら、その真実に迫る。野間文芸賞&毎日出版文化賞W受賞、歴史文学の名著、待望の復刊! 解説は石原慎太郎。
  • 砂粒の私記
    -
    1巻2,090円 (税込)
    文学の旅人・秋山駿、珠玉の評論――1945年の敗戦は、大人たちの敗戦。そのとき、少年は思索の輝ける荒野へ旅立った! 互いに聴(ゆる)すことないまま、別れを告げにきた前衛党の友、語り尽くして尚、竭(つ)きることのなかった文学の友、ウィスキーの滴りの、眩惑を誘った町よ。一人の文学者の青春と思惟の風景。
  • 小林秀雄と中原中也
    -
    1巻1,672円 (税込)
    現実よりも自身の裸の心を守り抜こうとした詩人と、その世界に深く共感するがゆえに背反せざるをえない知性で武装された批評家――。「自分が人間であることのすべてを負っている」と言うほど絶対的な影響を受けた中原中也の特異な生の在り様を「内部の人間」と名付け、小林秀雄の戦後の歩みに「ヴァニティ」(中原中也)を超えた人間探究の軌跡を見出す、秋山駿の出発点。
  • 内部の人間の犯罪 秋山駿評論集
    -
    1巻1,463円 (税込)
    「犯罪」とは――。都市の空虚なビル、そのコンクリートの壁の上に、簡単な1本の線で描かれる「人間」の形である。少年による「理由なき殺人」の嚆矢、小松川女高生殺人事件。犯人の少年の獄中書簡に強く心を衝たれた著者は、動機の周りを低回する世間の言説に抗し、爆発的な自己表現を求めた内部の「私」の犯罪であるとする文学の言葉を屹立させた。他、永山則夫、金嬉老など、犯罪を論じた評論17篇を精選。
  • 「死」を前に書く、ということ 「生」の日ばかり
    4.0
    1巻2,090円 (税込)
    日々の暮らしの中で「生」の現実とのかかわりを通じて、人間存在の内奥を探り、ただ純粋に考えてきた言葉で綴られた、ライフワーク長編エッセイ。本書のタイトルにある『「生」の日ばかり』とは、「生」の器を傾けて、日に一滴、二滴の、生の雫を汲むことからつけたもの。日々の探求を綴ったノートのタイトルでもある。2010年10月31日から2013年2月15日の絶筆までを収録。巻末に富岡幸一郎氏による解説を付す。
  • 人生の検証
    -
    1巻440円 (税込)
    「人生とは何であろうか。或る日小鳥がそんな問いを私の許へと運んできた。そこで私はしみじみと考えてみた……」食・恋・友・身・性・金・家・夷・悪・美・心・死。生きるために必要な12のテーマを追究した人生再発見の書。――自らの半生の体験をかえりみ、心の軌跡をたどり、文学者や古人の言葉にも触発されて、人の生のありようを深く省察する。第一回伊藤整文学賞受賞。
  • 「生」の日ばかり
    3.0
    1巻1,881円 (税込)
    今日という一日が在る。それは大切なものだ。ということは、分かる。しかし、「一日」とは、果たして何であるのか、と問うと、何も分からなくなってくる。老いる、とは、子供時代の生を味わい直せ、ということだ。私の言葉は、問題を創り出すためにあるのだ。理解したり、解釈したり、要するに、現実を水で割って薄めるための言葉ではない。いい人間は、ときに、「いい気な奴」を、子供として連れて歩いている。――〈本文より〉

ユーザーレビュー

  • 簡単な生活者の意見

    Posted by ブクログ

    団地ぐらしをし、いま家を買おうか迷っている私には大変面白かった
    狭いところから寛大なものをみるとただしく認識できないように、この人は多く誤解されて生きてきたのかもしれないとおもった

    1
    2025年09月07日
  • 「死」を前に書く、ということ 「生」の日ばかり

    Posted by ブクログ

    秋山駿さんの遺作。2011〜2013年の群像での連載がまとめられている。

    最晩年のエッセイだ。

    人生で膨大な本を読んできた秋山さんの心に残った一握の思い出が語られている。

    中原中也、ポール・ヴァレリー、ドストエフスキー、風土記、英雄列伝・・・

    きっと私も死ぬ前にこんな風に生きるんだろう、といち早く体験させてもらった感じがする。

    2011年といえば東日本大震災があった年だが、崩れた本棚を見て「お前の仕事の仕方は間違っているのではないか」という天の声を聞く気がしたというのは痛々しかった。最晩年でもそんな風に思ったりするのかと。

    この本の最後には富岡幸一郎氏の解説があるが、秋山駿さんの言

    0
    2025年06月14日
  • 簡単な生活者の意見

    Posted by ブクログ

    私が読んだのは小沢書店のもので、ある編集者に向けた献呈された本で、著者のサインが入っている。

    1930年生誕、2013年没。戦中の体験によって生き方が規定されたような方で、59年からずっと団地住まいをされていたそうだ。

    私も団地出身で、20年以上住んでいたので親近感をもって読んだ。

    この本では75年から85年までの評論・エッセイが収められている。

    随分昔のように感じるかもしれないが、持ち家は持つべきかだの、週刊誌のセンセーショナルな報道がどうだなど、今と全く変わらない気持ちで読める。

    「惨めな生の意識を持つことが必要だ」という一節があるが、分断が進む今だからこそ響くものがある。

    0
    2025年05月25日
  • 「生」の日ばかり

    Posted by ブクログ

    2009年の頃のエッセイがまとめられている。秋山駿(1970-2013)氏の最晩期の作品である。

    白紙の原稿に向き合う秋山氏のいつもながらのエッセイだが、奥さんの介護が生活に入り込んでいて、「生」についての思考が多くなっている。

    古いノートと最新のノートが混ざり合うように並んでいて時系列はバラバラだが、違和感は全くない。ずっと同じ場所で、同じように格闘してきたのである。

    ヤラナケレバナラヌモノハ、ヤラナケレバナラヌ

    それをひたすらにやってきた記録の断片がこの著作である。

    自分の生き方に並んでいる人は、秋山さんみたくノートに向き合うのも良いだろう。私もそうしてる。

    0
    2025年06月02日

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