高校で世界史選択の方も宗教という視点から読み直してみると、
歴史はめちゃくちゃ面白いというか「は!?」とか「なんでやねん!」「めちゃくちゃやろ!」と突っ込みながら読めると思います。
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新約聖書の成立には、教団内のグノーシス主義やマルキオンの偏りすぎた考えに対抗するために編纂された過程があったり、
...続きを読むローマで国教になったら、清貧を失い、それを嫌った人たちが隠遁して修道院を作ったら、またそれがブームになってしまって収拾がつかなくなったり、
密接に、政治的なゴダゴダがいつも絡んでいたり、
教皇が次々と暗殺されまくったり、
十字軍で、同じキリスト教国滅ぼしてしまったりとメチャクチャです。
免罪符(贖宥状)は手法がカルトそのものやけど、民衆もそれを望んでいたし、いわば「愛する人の先祖供養」のために心を込めて免罪符を買ってたんだなと思うと、また、そのお金でルネッサンスを後押ししたとなると、なかなか考えさせられます。
30年戦争では、ドイツのカトリックvsプロテスタントの争いに首突っ込んだカトリックのフランスが、プロテスタントを支援して戦争を長引かせたり。
そんな笑えるほどドロドロの負の歴史の中でも、
アシジのフランシスコを筆頭とし、蛮族と対話だけで和解した教皇がいたり、十字軍の最中にイスラムと友情を結んだ皇帝がいたり、
感動で涙の溢れるエピソードも。
ドッロドロの中で、キラキラ輝く聖人たちの存在の尊さ。
もともとは、アブラハムというたった一人の男から始まったユダヤ教、
そこから出てきたナザレ派はいつのまにか、中東から出て、ローマを乗っ取り、ゲルマンに受け入れられ、紆余曲折の愛憎劇を2000年やってきて、
それでも、滅びずになんとかやってきました。
律法学者ガマリエルはこう言います。
「彼らのことは放っておいた方がいい。もし彼らの計画や行動が人間の思いつきならすぐに自滅する。だがもしそれが神から出たものであったなら、あなたたちに彼らを滅ぼすことはできない。それどころかあなたたちは神に敵対することになる。」
キリスト教の歴史は、控えめに言って、KUSOです(汗)
でも、逆に、それで歴史の審判に朽ちずに残っているということは、その腐敗も耐え忍びながら神が支えてくださっていることの何よりの証左かも知れません。
そして、それでも残ってきた「本物」は確かにあるのです。
たぶん、世界の終わりまで、カトリックもプロテスタントもイスラムも仏教も神道も存続し続けると思いますし、残ってきた本物だからこその迫力もあります。
自分は歴史の外側に出ていってしまって、安全で汚れのない立場から、自分とは異質のものとして批判するのは簡単で、そして卑怯だとも思います。
人は歴史から切り離された存在ではあり得ないからです。
大切なことは、「歴史の流れにいながら、歴史を背負って、少しだけでも良いものを次の世代に繋げていく」ということだろうと。
まだまだ、二千年。まだまだ「初代教会」。
「これから」です。
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西宮神社の宮司の家系に生まれ、カトリックとプロテスタントもどちらも筋が通っているためどちらを選ぶかに3年かかって、2020年に前者を選んで洗礼を受けたという著者。
信仰を持つ者が書く歴史であるがゆえに、小説や劇のようにイキイキと登場人物の感情が伝わってきそうです。
世界史学ぶ際にはこれ一冊あれば事足りる、、、かも。