西崎憲の作品一覧
「西崎憲」の「青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集」「あの人たちが本を焼いた日 ジーン・リース短篇集」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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小説・文芸
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Posted by ブクログ
19世紀フランス象徴主義の天才作家マルセル、シュオップの短編集が、ましてや文庫で出版された驚き。22の短編が収められている。
シュオップの描く幻想世界のキーワードはグロテスク、破滅、死、恐怖、血、暴力、穢れ、執着、聖性。まさに19世紀末フランスの、あのグランギニョールにも繋がる残酷さ、おぞましさ。
例えば表題作「黄金仮面の王」はこんな話。子供の頃より黄金の仮面を被った王。玉座の脇にはそれぞれの役割に応じた仮面を被る50人の神官と50人の道化、そして妃嬪たち。そこに現れた盲目の乞食が言う。道化の皆さんも笑顔の仮面の下ではおそらく泣いているだろう、神官の人たちもお前さまを騙す悦びで顔を顰めているだろう、と。
「お前さまご自身が、その飾りとは裏腹に見るも恐ろしいお顔ではないと誰が知りましょうぞ」
この言葉が妙に気になった王の心に良からぬ欲望が這い込む。王は仮面を脱いで自分の顔を見てしまう。
ネタバレするので最後までは言わないが、この後王の人生が激変する。残酷で哀しいラスト。乞食の言霊により王の脳内で何かが起きたのか。
他には、戦地で爆破により顔面が削げてしまった2人の兵士。目の部分に穴が空き、口も鼻も形を成さず、コミュニケーションも取れない。女はどちらかが自分の愛する夫であると連絡を受けたが2人の区別がつかず、2人とも家に連れ帰り2人の世話を始める。どちらが夫なのか。そして皮肉なラスト。リドルストーリーになっている「顔無し」。
星が見えないほど木々が鬱蒼と茂る森の奥に住む少年アレンは嵐の夜に初めて星を見た。お祖母さんに神様が星に火をつけて明るくするのだと聞いたアレンは自分の星を探す旅に出る。ついに木の星を見つけたアレンは自ら火を灯すが…。童話のようなストーリーから恐ろしいラストへ。無垢の残酷さが描かれる「木の星」。
どれもラストはハッピーではない。グロい描写もある。その幻想的な世界観は見事で、文学性は高い。漫画化するならやはり丸尾末広にお願いしたい。ボルヘスやポラーニョが、日本では澁澤龍彦や江戸川乱歩、倉橋由美子らが影響を受けた名作の数々にゾクゾクしました。
Posted by ブクログ
ヴァージニア・ウルフの短編集で、執筆年は1900年代から1930年代くらいのあいだ。
ヴァージニア・ウルフは相当昔、高校生の頃にたぶん『ダロウェイ夫人』を読んだだけだったと思う。ほぼ印象は残っておらず、自分の文学地図の中でジョイスの影に隠れてしまった印象がある。
本書を読んでみると、なかなか新鮮だった。「まさにモダニズム」なのである。
従来のコンテクストを超え、新奇で根本的価値設定を再探究するかのような味わいがあり、読んでいてワクワクする。これは音楽で言うとシェーンベルク、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、初期のショスタコーヴィチ、サティ及びフランス6人組といった面々の清新な作風に通じるものがある。絵画ではもちろん、ピカソ、ブラック、マティス、未来派、シュルレアリスムなど。
もはやそれらは100年も前のムーブメントであって今では「古典」と呼ぶべき一群ではあるが、そのスパイシーさ、フレッシュさは、今なお色あせているわけではない。まさに欧米芸術の黄金時代だったのだと思う。
さてウルフのこの短編集では、様々な「試み」がなされ、それぞれに完成度が高い。従来の「物語」は破壊されて、スケッチ風のシーン、コトバの放逸な実験が繰り広げられている。たとえば20世紀後半のヌーヴォー・ロマン、シモンやブランショなどは「さらに先へ」行ったのかもしれないが、ここでウルフが投げかけた問題提起はすべて解消されたわけではなく、相変わらずそれは無限の可能性を秘めて屹立しているように見える。
このモダニズム小説は、日本で言うと初期の横光利一におおむね反映されているような気がする。
ヴァージニア・ウルフの邦訳は近年割と手に入りやすいようなので、改めて読んでみたい。
Posted by ブクログ
幻想文学好きには知られてるマルセル・シュオッブのまさかの初文庫化。
正直、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』文庫化以上に驚いたかも。アンソロジーなんかでマルセル・シュオッブが組まれてることはあるが、まさか文庫で、まるまるマルセル・シュオッブが読めるとは……!
収録されてる作品はどれも傑作で、幻想的で、美しく、時にはグロテスクな作品が描かれる。
マルセル・シュオッブは19世紀末の作家だが、今読んでも古さを感じなくて、驚く。
それと本書には新訳がいくつかあったりするのも嬉しかった。
ただこのマルセル・シュオッブの文庫を手に取ってしまい、もしも心を掴まれてしまったら『夢の扉 マルセル・シュオッブ名作名訳集』を手に取るか、もしくはその3倍の価格のする『マルセル・シュオッブ全集』を手に取るしかなくなるのだが……。
Posted by ブクログ
「あいつらにはジャズと呼ばせておけ」これは痺れる。
ジーン・リースについては、英国植民地ドミニカ生まれ育ちの白人に対する、本国イギリス人からの蔑視(こいつらは本物のイングランド人ではない)を抜きにしては語れない。
生まれ育った故郷であるカリブの島では支配層でありながら、母国であるはずのイギリスでは一段下の存在として扱われる。同時に、育った島は白人プランターへの憎悪を募らせてゆき、支配者としての一族は没落してゆく。
どこにも居場所がない感覚、帰属先を失った異邦人。
そしてもう一つは、女性が社会的、経済的に男性の管理下にあった時代への反逆だ。
コーラスガールやモデル(マヌカン)として働いたジーン・リースは、パトロン気取りの男性による、若さや美しさへの賞賛の裏に、女性の知性や下層階級への嘲りが併存することを鋭敏に察している。
「あいつらにはジャズと呼ばせておけ」にも、これらの要素が盛り込まれている。
肌の色の差別、階級差別、女性蔑視、貧困と飲酒癖に飲み込まれて、足場を失いずるずると“堕ちてゆく”ような生活。
でも、僕が痺れたのは、逆境への反抗、不屈といった文脈ではない。
白色/有色、富裕/貧困、男性性/女性性、これらは相対性の概念に過ぎない。
主人公の内にに呼び覚まされた歌は、相対性で象られた世界と壁を飛び越えて、その外へと繋がっている。
カテゴライズやレッテルは、鮮やかに無効化される。
彼女を取り巻く人びとの悪意も、得た金の出どころも、狭量な社会規範も、もはや彼女を傷つけ、損なうことはない。
だからこの短編を、民族的アイデンティティの発露とは読まない。黒人奴隷の歌/白人のジャズ、ほんもの/にせものといったレッテルもまた、無意味なカテゴライズだろう。
もはや、どこかに属すことなど求めない。その孤高と不遜なまでの逞しさ。
“もしトランペットであれを吹いたとしても、たとえわたしが望むように、正しく吹いたとしても簡単に崩れる壁などない。「だから、あいつらには、ジャズって呼ばせておけ」と私は思う。間違ったまま吹かせておけばいい。それはわたしが聞いた歌を傷つけることはできない。”
- ー
“あの嫌なじいさんは、自分がむしろ好かれているのだと知ったらなんと言うだろうか。包み隠さないあの憎しみや侮りはむしろ気晴らしになるのだ。新聞記事の行間や本の表紙で蛇みたいな声をあげている憎悪に比べれば。ずるい笑みの奥に潜む憎悪に比較すれば。女? ああ、女か。 女はこうしなければ、女はそうしたいだろう、女はこうするだろう。”
Posted by ブクログ
フットサルの小説だけど、フットサル以上のものがたくさんあった。
主人公は、大学受験に二度失敗し、浪人をしながらアルバイトを転々として暮らしている松永おん。おんはかつて双子の弟がいたことから、自分は半分だけの存在だという意識を持って生きている。彼の日常に起こるささやかな出来事と心の動きを解像度高く綴っている。
ファンタジーノベル大賞を受賞してデビューされた方だけど、本作は純文学に近いと思う。
何をやっても、どこかどんくさい主人公。自分に自信はない。二浪しているにも関わらず、焦りは少なく、実家から出て弁当屋のアルバイトと仕送りで生計を立てている。
ある日、おんは高校時代の部活・写真部の集まりで、友人に誘われたことがきっかけで初めてフットサルをする。ボールを止める、蹴る、ドリブルする、守る。連続的に判断を求められるフットサルは、のほほんとしているおんにとって味わったことない何かだった。やってみたいと思ったおんは永田町にあるスクールに入ることに。自分に自信はなかったけれど、フットサルが面白いものであることは感じている。
他にも地元北千住の同人誌が開催する読書会への参加、同級生の留学などを通して、少しずつ自分の世界を広げていく。
なんと言っても、文章が面白い。
フットサルの描写はもちろん、おんの心理描写、地の文がすごい。こんな文章は一生書けないと思う。