作品一覧

  • 大学でいかに学ぶか

    大学でいかに学ぶか

    ビジネス・実用

    3.9
    1巻924円 (税込)
    青春という思索と苦悩の時代をどう生きるか。ここには、歴史家として、教育者として大きな足跡を印す著者の生きた経験が、青春への変らぬ共感とともに語られている。学生生活における自由、学問することの意味。それらに触れながら、著者が強調してやまないのは、自ら考え、行動する人間へと自己形成することの尊さである。(講談社現代新書)
  • ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ

    ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ

    ビジネス・実用

    4.3
    1巻1,859円 (税込)
    「地中海世界」の没落と「ヨーロッパ世界」の誕生、その背後で決定的役割を果たしたイスラムへの着眼――。歴史家が晩年の20年に全情熱を傾けたテーマ。ピレンヌの集大成にして、世界的に参照され続けている古典的名著、待望の文庫化!
  • ヨーロッパ中世の社会史

    ヨーロッパ中世の社会史

    ビジネス・実用

    4.7
    1巻1,177円 (税込)
    ヨーロッパはなぜ世界の覇権をとったのか? その基層をなす社会構造の特殊性は中世に準備されていた。中国やローマ帝国が目指した世界帝国を否定し、国民というまとまりの上に立つ国家という独自の道を、中世一千年をかけて形成したのである。そのとき、神・自然・同胞、三つに対する考え方の変化が起こった。政治史・経済史・法制史などに分化した理論をぶちこわし、人間の移動や、文字に残っていない民衆の「話し言葉の世界」をひっくるめて、現在に続く世界史の転換と相関を、語りかけるように読み解く。わたしたちは歴史から何を学べるか? 【原本】 『ヨーロッパ中世の社会史』(岩波書店、1985年) 【目次】 第一講 中世社会史への誘い 第二講 民族大移動期の世界史的意義(4~8世紀) 第三講 西ヨーロッパ的生産様式の形成と普及(8~11世紀) 第四講 西ヨーロッパ中世都市の特色(11~13世紀) 第五講 中世西ヨーロッパ社会に共通した特質(13~16世紀) 第六講 国家権力の質的変化について
  • ヨーロッパとは何か

    ヨーロッパとは何か

    ビジネス・実用

    4.2
    1巻946円 (税込)
    ヨーロッパの思想や制度を熱心に受け入れることにより、驚異的ともいえる近代化を達成してきた日本。それでいて、ヨーロッパとは何かについて、真に学問的な深さで洞察し、議論した書物は意外に少ない。本書は、ヨーロッパの社会とその精神の成り立ちを明らかにし、その本質的性格に迫ろうとする「ヨーロッパ学入門」。

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  • 歴史する心

    歴史する心

    ビジネス・実用

    -
    1巻4,895円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 【内容紹介・目次・著者略歴】 西洋史の碩学による、歴史を学ぶということはどういうことか、歴史学の面白さ、歴史学の方法や現代社会についての随想をまとめた書。 【目次』 歴史する心 現代における歴史する心 ヨーロッパ中世の経済 都市生活の精神的基盤 社会経済史研究の新動向 歴史学を学ぶ人へ 古典と現代 タキトゥスの『ゲルマーニア』 アンリ・ピレンヌの魅力 ハインリッヒ・ダンネンバウアー 三浦新七先生の文化史研究 実学の尊さ 私の歩んだ道 私の歩んだ道 私の卒論 悲しき思い出 ふるさとの山河 室生寺の思い出 現代のチグハグ 人は一代 スペシャリスト論争 良識と勇気 頑固と長寿 現代のチグハグ 自然と文化 紙つぶて ユーモア 近代化と伝統 職業冥加 思いちがい たたき大工 ハヤ釣り 不毛の民主主義 点と線 里芋礼賛 同時通訳 南と北 天災と国民性 村と町 ヨーロッパぼけ 松茸狩り 読書の秋 ウルトラC 石に寄せて 文体 落葉 気力 話し合い 自然美 不思議な傾向 分化と総合 ご苦労さま あとがき 増田 四郎 1908~1997年。歴史学者。一橋大学学長、一橋大学名誉教授。東京商科大学(後の一橋大学)卒業。専門は西洋史、西洋経済史。文化勲章受章者。 著書に、『獨逸中世史の研究』『ヨーロッパ社会の誕生』『西洋中世世界の成立』『西洋經濟史』『ゲルマン民族の國家と經濟』『都市 その根底にあるもの』『歴史学』『西洋経済史概論』『都市』『ヨーロッパの横顔 自然・人・文化』『西欧市民意識の形成』『西洋封建社会成立期の研究 ヨーロッパ初期中世史の諸問題』『歴史学入門』『東と西』『歴史学概論』『大学でいかに学ぶか』『歴史する心』『ヨーロッパとは何か』『ヨーロッパの都市と生活』『歴史と社会』『西洋中世社会史研究』『地域の思想』『社会史への道』『ヨーロッパ中世の社会史』『地域の力』などがある。

ユーザーレビュー

  • ヨーロッパ中世の社会史

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    都市同士の有機的な繋がりおよび発展と、各市民の意識の形成がうまく繋がっていくのがとても面白かった。
    村落から都市への発展は生き生きと読めたのだが、都市から国家への発展がまだ掴みきれていない気がするので勉強していきたい。

    以下僕の理解↓
    ローマを継いだ東欧は帝国を志し、ゲルマンと共存した西欧は世界帝国を否定し国民国家の基盤を形成していった。
    西欧の村落は原始村落から集村あるいは散村に発展し、それぞれ穀物生産を三圃式で増強あるいは特産品を産出した。集村と散村の接触地帯には市場が展開された。外敵の侵入が落ち着いたことや人口増加、市場の展開などを背景に12,13世紀ごろには商業が発達、商人の力が増し領主に肩を並べる。領主と商人の敵対を皇帝が取り持つ形となり、やがて都市、自治体制や市民意識が育まれていく。あるいは封建領主の経済政策として自治権を付与され新都市が建設されるパターンも多かった。
    商業の形態の違いにより各都市の個性が出てくる。例えばドイツなど北方の商人はハンザ同盟を結び各都市が協同的、合理的な市民的連帯を行ったのに対し、イタリアなど南方の商人は東方との交易で各仲介商人が自由市場的に競い合い、やがて豪族の力が増した。
    フランスやイギリスでは皇帝と都市の経済が密接に結びつくことにより集権的国家の性格を帯びる。経済の規模が増大するに従い大規模な連帯が必要になったことで都市単位ではなく国家単位での競争が優位となり、市民から国民へと意識がシフトしていき、現在の西ヨーロッパ国家群が確立するに至る。

    0
    2025年04月01日
  • 大学でいかに学ぶか

    Posted by ブクログ

    880

    増田四郎
    1908年奈良県に生まれた。東京商大−一橋大学−卒業、同大学教授、同学長を歴任。日本学士院会員。経済学博士。西洋経済史を専攻し、とくに封建社会の構造分析では優れた成果をあげている。『西洋封建社会成立期の研究』『歴史学概論』『都市――その根底にあるもの』『西洋中世世界の成立』などの著書がある。

    大学でいかに学ぶか (講談社現代新書)
    by 増田四郎
    教師もまた、高校までは教科書を教えることが主でした。教科書に書かれてあることの、ことばは悪いですが、いわば一種の押し売りです。しかし、大学の教師は、どんなばあいにも、押し売りは許されません。ただ、長いあいだ研究して、その教師が到達した立場から、自分の一貫した考え方を講義するだけです。それは、その教師が研究しているあることの、一つの考え方をすじみちをつけて述べるだけなのです。つまり、自分の説とはちがった考え方が、ほかにいくらでもありうるという前提のうえに立って講義するわけです。

    すぐれた教師というものは、自分の講義が丸暗記されることを望んでいません。教師は、ある前提、あるいはある立場というようなものを論理的に説明します。その講義は、その前提なり立場から、一貫した論理をもってなされます。そのばあい、ある問題はこういうふうに考えなければならない、あるいは、こういう結果になるという立場の一貫性というものが、一例として、そこで講義されているだけのものだ、という受け取り方をしなければならないのです。

    講義されていることは、思考の一例が述べられているにすぎないのですから、学生であるあなたがたは、たとえ教師の説とちがっていても、自分で勉強して、自力でエンジンのかかった研究をする糸口を、自分でさがさねばなりません。そうすることが、大学で勉強する、学問をするいちばんたいせつなことだと思うのです。

    このようにいうと、それでは、なんでもかでも、教師にたてつく学生がほんものなのか、とあなたはいいたくなるかもしれません。しかしそれは良識のあるひとのいうことではありません。それに、りっぱな教師であれば、そんな反抗のための作文など、たちどころに見破る力をもっております。ほんとうに学問をしている学生と、そうでない学生を見抜く力を備えています。ですから、教師の説くところがあなたに納得できるならば、それを自分の考えとして書くことは、いっこうかまわないし、またそれがそのまま学問したことになるのです。  要するに、あなた自身に納得できるかどうか、教師のいうとおりであるか、ほかにちがった、あるいは反対の考え方もあるのではないか──そういうことをたえず反省しながら講義を聞く。このことが、あなたがたにとっていちばん重要な態度であることを重ねて強調したいと思います。

    その練習をしないですむなら、別に講義に出席する必要はないでしょう。講義録で勉強してもいいし、家にいて本を読むだけでもこと足りる。しかし、じっさいに大学の生活をしてみると、つまり、そうした練習をしてみると、本や講義録では、どうしようもないことがあるのです。たとえば、民法なら民法で、いま問題になっているのはどういう点か、ということが一方にあり、他方に、経済学なら経済学で、いま問題になっているのはどういう点か、ということがあるとします。この二つは別々の問題のようでありながら、究極のところ現代社会の動向を反映しているという意味で、同じ意味あいをもっている。──こういうばあいがひじょうに多いのです。

    現代のような、こうした時代の大きな転換期にあっては、いろいろな学問、特に社会科学の面では、専門科目が細分化されてそれぞれ無関係のように見えるけれども、それらがもっている問題の意味は、ひじょうによく似ているばあいが多いわけです。

    しかしまた、高校から大学に進んだばかりのあなたがたの年ごろでは、受験勉強から解放されて、大学の科目以外のことにいろいろと興味をもつことも事実です。いままでは受験勉強に集中してきたために、読みたいもの、知りたいことを、ゆっくり考える暇もなかった。だからこそ、大学生になると、急にいろいろなことに、強い興味をもちます。  いままで、名前だけは知っていても、作品を味読することができなかった、内外の有名な文学書を読みたい、大思想家の著書に取り組みたい。そして、そういう要求のほうが強くて、大学でなにを専攻していいかわからない。そうしたひともまた、ひじょうに多いにちがいありません。

     このことについて、率直にわたし自身の経験からいいますと、やはりあなたがたは、まず教養というものを広く身につけてから、じっくりと、自分の力量や性格に合った専門をあとできめる、あるいは、きめるべきときがきたらきめればよい。──こう思うのです。というのも、わたし自身、大学にはいったころ、西洋史をやろうとか、経済史をやろうとか、夢にも思っていませんでした。それがいつのまにか、こうなってしまった。たいへん自覚のないように見えますが、じっさいはなにかをめざして、毎日こつこつやってきたというだけなのです。

    その点、いまの若い先生がたは、あまり最初から専門がきまりすぎていて、かえって損をしているのではないかという気が、正直にいって、わたしには強くすることがあるのです。大学にはいったら、小説や詩を読んだり、美術や美術書に親しんだり、哲学の本に頭を突っこんだりというふうに、あっちこっちを歩き回ってみる。それは、一種の精神的遍歴ですが、しかしけっして漫然としたさすらいではありません。ほんとうは必死な気持ちで、自分の力と自分の性格にぴったりしたなにかをさがす。このことがたいせつではないか、ということです。

    西洋人は、ものの考え方がひじょうに分析的です。これに対して東洋人は、一般に総合的だといわれます。東洋人は、体系化していくというよりも、「何の何々におけるは、何の何々におけるがごとし」といったふうに、直観的、 比喩 的な論法で象徴化していく。ものごとが象徴化の形で一足とびに理解されていく面が多い。それをそうではなく、論理的に体系づけるにはどうしたらよいか。こういう課題が提出されてきたということが、日本においても自覚されてきていると思うのです。  もうすこし具体的なことで例をあげてみましょう。西洋医学──これは分析法です。これに対して東洋医学は総合的です。生きている生命というものを総合的にとらえるということが前提となっています。  ガンという病気があります。西洋医学では、ガンの専門家は、そのガンそのものを治療することを主にする傾きがある。東洋医学は、それがどういう副作用を起こし、その患者の生命とどうかかわり合うかということを理解して、全生命体として患者を治すにはどうしたらよいかを考えて対処します。

    この意味からすれば、西洋は分析的・学問的であり、東洋は総合的、実際的です。ですから、西洋医学を評して、ガン細胞の増殖をくいとめることはできたけれど、くいとめたときには患者の命がなかった、などという笑えぬ笑い話も生まれるわけです。自然科学ではそういう例がたくさんある。したがって、東洋医学の研究が、西洋においても最近盛んになってきています。

    このことを裏返しにすれば、さきに述べた、現在わたしたちが学問のうえで当面していることが、あなたがたにもよくおわかりでしょう。つまり、政治のやり方、あるいは経済や文化などの理解のしかたにも、ヨーロッパがつくった体系が、そのままものさしとなり、世界のどこにでもあてはまるという考え方を、わたしたちは一応捨てなければならないのです。東洋…

    しかし、にもかかわらず、かれらはベトナム人の心を理解せずに、あるいはわかろうとしないで戦争をし、どろ沼にはまりこんでいます。わたしはここで政治的なことはいいたくありませんが、諸民族の心を知ることのたいせつさは、やはり政治の最大の 要諦 ではないでしょうか。

    もともと、わたしは、世間で偉いひとといわれているひとたちの、当たったところが 的 だった、というふうな書きっぷりの自伝を読むのが、おそろしくきらいです。わたしは、人間というものは、そんな偉いひとになるようにきまっているものではないと思うのです。どんなひとでも、みんな迷いに迷っているものだろう、という気がします。ですから、はっきりした方角もわからない道を、手さぐりしながら、あるいは先生・先輩・友だちなどの影響を直接・間接に受けながら、まがりなりにもようやく生きていく。──それがほんとうの人間の姿にちがいないと思うのです。

     ところで、わたしの家は、下宿するか寄宿舎にはいって、農学校なり大和郡山の中学校なりに入学することを許してくれません。しぜんわたしは、高等小学校へいって、あとは農業をやるつもりでいました。すると分校の校長先生が、上野の中学校を受けてみろというのです。  そこでわたしは、家へ帰ってねだってみました。父や母は、中学校が受かるはずはないと考えたのでしょう。そんなに校長先生がすすめるのなら、まあ、受けるだけは受けてみなさい、というわけです。ところがどうしたことか、さいわい合格してしまいました。自宅からの通学を条件に受けたのですから、なんとしてでも、家から通学するということで、古いさびついた自転車を買ってもらい、これでかようことになったのです。  尋常小学校を出たばかりで、人一倍小柄であったわたしは、最初は足がとどかず、おとなの自転車に横乗りに乗って、毎日かよい始めました。そして五年間、峠を二つ越えて、雨の日も雪の日もかよったわけですが、いまにして思いますと、この経験が現在のわたしの骨格の基礎をつくったような気がしてなりません。それは実にたいへんな労力だったと思うのです。

     上野の中学は、わたしより四、五年まえに、作家の横光利一さんが出ておりました。あの寒村の、生徒が十三人しかいない小学校の分校からはいって、五年の通学ののちに中学を卒業したときには、なかなかのおとなになったような気がしましたし、ずいぶんうれしかったわけです。なんといっても、あの地方のいちばん山奥の村で、中学にかよわせてもらえたのは、わたしひとりだったのですから、ひじょうな恩恵だと思って、両親に感謝の気持ちでいっぱいでした。

    こうして百姓仕事を手伝っているうちに、わたしは妙なことに気がつきました。こういうことです。  百姓は、自家でものをつくっている。自分でものをつくっている。それなのに、そのつくったものの値段をきめるときは、自分の意志というものはぜんぜん働かないものだ。苦労してマユをつくっても、その値段は、できたときに買いにくる、別の機構と経済情勢できまってしまう。マユばかりではない。他のすべての農産物も同じことだ。生産者の意志にぜんぜんかかわりのないところで値段がきまる。いったい百姓というものはこれでいいのだろうか──。  いまのあなたがたのことばを使えば、〝主体性のないもの、それが百姓だ〟ということを、中学生の頭で痛感したわけです。働いても働いてもらくにならない、 木流にいうと〝じっと手を見る〟です。しかも、なにかちょっとでも思いがけないいい値段がつこうものなら、百姓は、まるでばかみたいにその場で喜ぶだけで、長期の計画というものがまるで立たない。

     たとえば、わたしは、村のひとりのおじいさんにたいへんひきつけられた覚えがあります。そんなに金持ちではなく、高等の学校を出たひとでもなかったのに、村会議員にもなっていて、村の世話をし、とてもものわかりがよかった。だれにもやさしかった。おじいさんが発言すると、権力も金もないひとなのに、村のみんなが従う。わたしは、少年の目でそれを見たり感じたりしたわけですが、なんとなく、あのおじいさんは偉いなあと思いました。いわば村の知恵者です。その姿を見て、尊敬せずにいられませんでした。そして、ああいうのが人格者というものだと思い、心のやわらぎを覚え、これはたいへんなことだという気持ちをいだいたりしました。

    どうしてもほしいと思いながら、買えない。そういうばあいもあります。しかし、まあしかたがないと思って、しじゅう見にいきます。こうして、本の顔を見ておくという練習が積まれたのは、この神保町の古本屋街のおかげです。あなたがたは、なにかの研究についてのスタンダード=ワーク(基本図書)の顔を見ているかどうか。わたしの知るかぎりでは、いまの学生諸君はあまり見ていないらしい。

    わたしどもは、哲学の本とか経済学の本とかがそこにあれば、書物の姿を見ただけで、それがだれのなんという本かすぐわかった。店員さんなどよりもよく知っていた。そして、ほしいほしいと思っている本が、きょうも店頭にあると、まだあったと思って安心する。しかし、ある日のぞいてみると、売れてなくなっている。そうしたときは、まるで自分のものが盗まれてしまったかのように悲観したものです。神田の古本屋というものは、そういったぐあいに、一つの教育の場であり、それほどわたしたちの生活環境に重要な位置を占め、影響を与えたと思います。

    もう一つ、わたしに大きな影響を与えたのは、岩波文庫の発刊でした。あれは、たしか昭和二年でしたでしょうか。それはもちろん、わたしだけではない。当時の学生全部に対して、ひじょうに大きな役割を果たしたのです。あれは、だいたい古典的な価値をもったもので、だれがいつ読んでも役に立つ、というのが発行のねらいといわれましたし、ポケットに入れられる大きさ、当時、星一つ十銭で買えたのですから、貧乏学生にも、いわゆる 高嶺 の花ではなかったわけです。

    だんだん不景気になってくる時代でした。やがて日本が、満州事変、二・二六事件などを経て日中戦争・太平洋戦争へと突入していく前夜に当たるころです。三月に満州の建国宣言が行なわれ、五月十五日には右翼と軍人とによる犬養首相らの暗殺が行なわれた五・一五事件が起こります。そうした激動の昭和七年、わたしは卒業します。ですから、なかなか職がありません。保険会社の外交員になって大いに威張っていたようなものもいる。そういうような時代でした。まさに〝大学は出たけれど〟みんな失業者といっていいありさまでした。風船玉に重役らしい顔をかいて、それを踏みつけてパーンとやる漫画があった時代です。

    学校の成績に優が多かろうと少なかろうと、どうせまともな就職はできない状況でしたから、ある意味では、自分の好きなことをやるのに、いい環境であったともいえます。つまり、学問でもしようかというばあい、ひどく不景気か、あるいはたいへん好景気のときがいいのです。中途半端なときは、心にもないことをして、優をとりたいという気持ちを起こさせますから、どうもよくないようです。

    こうして歴史の門口に立ってみると、ここにも困ったことがたくさんありました。いったい西洋史をやるのか、東洋史をやるのか、それとも日本史をやるのか、それがわからないのです。当時の一橋の気風としては、ヨーロッパの学問が圧倒的でした。一橋だけでなく、明治以来、日本の知識というものは、すべて欧化思想が支配的です。西洋へいくか、日本をとるか。どっちを専攻したらよいかわからない。そういう状況でだいぶ悩み続けました。

    ソビエトのような一律支配も、またアメリカ合衆国のようにヨーロッパ合衆国をつくるのもいやだ。各国の国民性の特色を生かしながら、しかも、ヨーロッパ以外の地域とは異なる共通の意識を育てたい。そのためには、個々の地域の特殊性と、ヨーロッパ全体としての特殊性はなにかということを反省しなければ、新しい世界情勢に押しつぶされてしまう。コミュニズムであれ、アメリカニズムであれ、ヨーロッパ全体をのみこんでしまい、ヨーロッパがヨーロッパでありえなくなってしまう。だから、生活のいちばん基盤であるところのヨーロッパ的特色をはっきりさせようではないか。──こういう考えが、地域史研究に拍車をかけ、イギリス・ドイツ・フランスなど、どの国においても盛んになってきているのです。

    しかし、わたしが企てたのは、さらにさかのぼって、ギリシア・ローマの古典古代社会からヨーロッパの中世へと移行するばあいの、その転換がどういうものであったかを調べることでした。それは、問題関心としては、中世から資本主義社会が生まれてくる状況を見ようとするのと同じです。ただ、別の意味でちがっているのは、ヨーロッパ古代社会の中心が地中海を舞台としているのにひきかえ、中世社会の中心が西ヨーロッパの西北地方であったということです。地理的な移動があった。ですから、資本主義社会というものは、地中海が生んだ社会ではなく、まさに西ヨーロッパを母体として発生したのです。

    アメリカやソビエトを国家とよぶ、それと同じ意味において、たとえばルクセンブルクやモナコやスイスを国家とよぶのは、ある意味ではほとんどナンセンスとしか思われません。抽象的に、領土と主権と人民とがあれば国家という定義に合致するというのなら、あるいはみんな国家であるかもしれませんけれども、ソビエトということばは、ユナイテッド=ステイツということばで表わされているのと相似た、別個の意味内容をもっているわけです。

    そうしたことを考えて、研究していくうえで方法的にいちばん参考にしなければならないと思うのは、マルクスとマックスウェーバーというふたりの偉い学者のやった仕事です。もちろん、マルクス学者やウェーバー学者の専門家にはわたしはとてもなれませんけれども、その方法だけでも自分なりに受け取って、自分なりに生かしてみたいわけです。  ウェーバーというひとは、どういうふうにして全体を見る方法上の道具立てを考えるべきか、という問題を、社会学的に提起しております。また、マルクスというひとは、社会を、単に時代分けして、自分はこういうふうに見るのだといっているのではなく、現代を考える、あるいは、つぎの時代はどうだという運動の法則を問題にしているのですから、そこにわたしをひきつけるものがあるのです。

    勉強するときには、むだな努力がいかに尊いかということを考えなければいけない。すべてがすぐ目に見える効果的な勉強をねらっていたのでは、歴史の勉強はできない。勉強というものは、まことにむだの多いものだ。自然科学でも、三年五年とやって成功しないばあいもあるし、否定的な結果しか出ないばあいもあるのだ。だから、むだのない勉強をするという考えは捨てなさい──。

    それから、なによりも強く教えられたのは、書物をたいせつにせよ、ということでした。まえにも書いたことのある話ですが、よい例ですから、むしかえしておきましょう。  さきに述べたように、幸田先生は、講義のさい、材料に使った本を山ほど教室へ運びこまれるくせがありました。ところが、だんだん年をとられたうえに、神経痛になられて、手足が不自由なところから、本のもち運びができなくなりました。そこで、荻窪の先生宅の近くに下宿していたわたしが、講義の日には先生といっしょに本をもち運ぶことになりました。

    しかし、ひとの悪口や不平ばかりいっていたのでは、いい社会はできないし、世の中は成り立ちません。家庭においても、団体においても、いい意味の刺激を受け合う状況をつくることがだいじであり、そういう状況のなかで、自分の心の 糧 となるものをハッと感じとる。──そうした気合いのかかった人間関係をつくることが、切実に求められます。そうでなければ、みんなで生きているこの世の中がつまらなくなります。世の中をおもしろいと感じとるのは、金持ちになったり、権力をにぎったりすることではなく、人間関係の妙味を感得することなのです。

    どんな山村でも、全体の経営がうまくいっているところでは、青年団とか婦人会とかは余暇を読書会に当てています。文庫本とか新書版などの、いい本が、そこでいくらでも読めます。老人は俳句の会などを開く。

    そうすれば、苦難の世紀ではあるけれども、いまに、はじめて西洋とまったく対等の地位に立って東洋を主張できる時期が必ずくるにちがいありません。いままでは植民地化され、東洋は、西洋を先生と仰ぎ見ていたけれども、もうそういう時代ではなくなりました。このことを政治に反映すれば、日本の独立ということを、ほんとうに考えるときがくるのです。精神史的にも、ワビ・サビ・禅ではなく、学問的に日本人の精神の自由をかちとるときがきます。

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    2024年06月04日
  • ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ

    Posted by ブクログ

    すごく面白かったけど高校教員がピレンヌ・テーゼをインストールしたいだけなら『中世都市』だけもいいかも

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    2023年04月03日
  • ヨーロッパとは何か

    ヨーロッパとは何か

    ビジネス・実用

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    ネタバレ

    海という自然の国境に囲まれた島国に生き、日本語という絶対的な標準語があり、民族も単一(本当は違うが)である我々日本人には理解できない大陸国家の人たちのもつ国家観念について、示唆に富む話がわかりやすく書かれている。

    -----以下要約-----

    地中海というギリシア文化の影響をもろに受ける土地で着実に文明化したローマ人。そのローマ人の打ち立てたローマ帝国の実情は契約関係で結ばれた複数国家の集合体であった。それが東洋の領土国家観に影響を受け次第に皇帝が全てを統治する制度国家へと変貌するが、ローマ帝国の衰微に伴ってゲルマン民族が擡頭しはじめるとローマ帝国は東に移ってビザンツ帝国となり西にはゲルマン民族の一種フランク人によるフランク帝国が誕生する。しかし著者曰く「西ヨーロッパはすでにローマの滅亡以来、今日に至るまで、いまだかつて一つの国に統合されたためしはなかった」(p.134)。フランク帝国は現在の西ヨーロッパに広大な領土をもったが、それは結局のところ初期ローマ帝国内部の契約関係と似たものであり、つまりヨーロッパははなから統一体ではなかった。
    言語的にみても錯綜はなはだしく、その言語に即して政治的分離独立することもできれば、またそれを超えて一つになることもできる。つまりヨーロッパとはそれだけ流動的な集合体である。EEC(発刊当時)が目指すのも画一化されたヨーロッパという一つの(日本人的発想による)国家的存在ではなく、各々の個性を打ち出しながらも緩くヨーロッパという枠組みの中でヨーロッパを守っていくことにある。

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    2023年03月08日
  • ヨーロッパ中世の社会史

    Posted by ブクログ

    ヨーロッパ社会史 増田四郎

    一橋大学の歴史学4傑と呼ばれる増田四郎氏の市民講座を本にしたもの。最近、広井氏の『コミュニティを問い直す』や木下武男氏の『労働組合とは何か』を読んでいた際に、中世都市の記述で増田氏が頻繁に引用されているのを発見し、改めて増田氏の本を読みたくなった。増田四郎氏は、祖父のゼミの先生であり、私のゼミ教官が増田四郎氏が指導した阿部謹也先生の愛弟子であるため、私とは深い縁がある。大学入学時に耽読した『ヨーロッパとは何か』『大学でいかに学ぶか』の2冊には大いに興奮した。特に、『ヨーロッパとは何か』で取り上げられる辺境史観という発想は、その後、言語学や人類学などを学ぶにつれて、非常に役に立った。
    そんな増田四郎氏がヨーロッパについて『ヨーロッパとは何か』より平易に書いた本が本書である。歴史学においては、アナール学派などによる市民の生活を仔細に把握する社会史という分野が当時開かれていたが、本書における社会史とは、ヨーロッパ史というものを広く、トータルにとらえ、近代という時代を生み出した前史を辿るというものである。本書の序盤では、これまた一橋歴史学4傑の一人である三浦新七先生が引かれ、ヨーロッパの起源をギリシアの哲学、ユダヤの宗教、ローマの法学の結節点とみなし、その3つの潮流の融合体としてのキリスト教的統一世界という見方を紹介する。そして、そのキリスト教的統一世界の中で、中世史は形成され、黒死病の蔓延や社会の流動化を端緒とし、イギリス、フランス、ドイツなどの現在の国家の形に分かれていく姿を描いている。特に、前段で紹介したコミュニティ論やユニオニズムは、近代への反省を主題としている。そんな中で、近代の萌芽まで遡り、我々が所与のものとして認識している近代の前史を辿ることは、近代の超克および、日本において近代的な制度を運用するにあたり、非常に有用であると感じた。
    また、本書を通じて、増田氏の平和への願いを感じた。中世都市のお互いが顔が見える範囲での緩いつながりを紹介する段では、近代国家同士の戦争を未然に防ぐ方法として、このような都市間の平和協定を網の目の如く張り巡らせることができないかと模索している点や、都市内部や都市間での紛争の際に、宗教的な権威が仲裁し、一定期間流血を許さない「神の平和」が実施されることを引き、近代国家間の戦争時にも宗教的な権威による停戦協定を如何にして実現するかという部分にも想いをはせていることには、歴史学や中世史をアクチュアルにとらえているとともに、戦争を経験した世代としての矜持を見て取ることができる。一方、宗教による戦争の仲裁を学ぶと同時に、宗教による戦争についても興味が深くなり、本書を読み終えるころには、山内進元学長の『十字軍の思想』を次回の読書リストに追加した。

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    2021年09月23日

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