■思考停止の儀式を育んできた日本の公教育。
日本の過去の公教育の中心は知識の教育だと言われてきた。既にある情報(知識)が答えとして用意されているのが日本の公教育だった。
言われたことをきちんとこなし、効率よく答えを導く、複雑なオペレーションでもスムーズにやり遂げる能力を養うことを可能にする「閉じる
...続きを読む場」が経済界からの当面の要請にも適していた。
この「閉じる場」の教育は、知識を教えるのが教育という歴史由来の伝統ともマッチしていることもあって何の違和感もなく日本の社会に溶け込んでいった。
以前から指示待ち人間の多さを嘆く声がよく聞こえていたが、そもそも日本の教育はきちんと指示をこなせるような人間を育てることを目的の中心に置いてきた、と言っても間違いはない。そして、そのためには「閉じる場」が極めて有効に機能したと言うこと。
この「閉じる場」と枠内思考が表裏一体の関係にあることからもわかるとおり、「閉じる場」では基本的には思考力を必要としない。「閉じる場」では、物事をその本質にまで遡って「なぜ、何のために、そもそもどういう意味があるのか」などと考えるチャンスが全くない。答えは既にある選択肢の中から選ぶものであり、選ぶときに必要な思考力と言えば、まさに最低限のそれしかいらないのが、「閉じる場」だ。「閉じる場」の強みは、その安定性。余分なゴタゴタを起こさない、持ち込まないのが「閉じる場」。