「私たちは魔法が使える」と聞いて、どう思うだろうか。何を幼稚園児みたいなことを言っているんだ、使えるわけがない、と思う人が多数だと思う。少なくとも私もそうだった。
「カフェ」の言葉でなんとなく手に取り、小学生の頃にハーブの薬屋を営む女の子の話が好きだったため、面白そうだと思った。この本のあらすじには、「魔法」「魔女修行」「ウソがわかる能力」というような非現実味を帯びた言葉があり、ファンタジー物語なのかと思っていたが、実際は違った。いや、半分はそうで半分は違うと言った方が正確かもしれない。
主人公の万結は、ウソがわかる能力のせいで人を言じられないハーブカフェの店員である。嘘をつく人の声にノイズがまじったり、体から赤いもやが見えたりするのだ。もし自分がそんな能力をもっていたら、あまり嬉しくないかもしれない。人を信じられなくなった万結の気持ちが分かる。人の気持ちに関して何でもかんでも知っていれば得をするわけではないと思うから。それが直感ではなく聴覚や視覚で分かるというのも落ち着かない気がする。
そこで私は、「嘘」について調べてみた。広辞苑には、「真実でないこと。」「正しくないこと。」「適当でないこと。」とあるが、嘘をつくことは、必ずしも悪い行為とは言えないと思う。人は誰でも嘘をつく。
こう言われて否定はできないだろう。ここで注目したいのは、他人をかばうためや、守るための「擁護の嘘」だ。四種類ある嘘のうちの1つらしい。これは嘘の中でも比較的お互いに幸せになれる優しい嘘だと思った。
この本に考えさせられたことがもう一つある。それは、「優しさ」について。優しさには、たくさんの種類がある。例えば、悩んでいる友達を応扱したいとき。近すぎず遠すぎないところからそっと見守る、寄り添ってそばにいる、言葉で励ます、目に見えるよう形に表す、一人になる時間を与えるなどの離す優しさ、私がなんとかする!というような強く引っぱる優しさ。もちろんどれが適切な優しさかどうかはその時の状況や相手の性格にもよる。擁護の嘘も優しさも、使い方を間違えれば逆効果になってしまう。難しいところだが、私はこの優しさを使い分けることができる人になりたいと思った。
さて、始めの話に戻る。「私たちは魔法が使えるのか」という話である。結論として、私は「使える」と思った。それはおとぎ話に出てくるような魔法使いが使ういわゆる魔法ではないが、人を励ましたり、喜ばせたり、幸せな気持ちにしたり、楽しませたり、勇気を与えたり。
考え方を変えれば、これらは私たちが使える「魔法」ではないだろうか。
本の中で万結が用意するお客さんに合わせたハーブティーや料理は、「魔法」のように心を和ませ、穏やかにしていた。そして私は、今まで出会ったたくさんの人たちが「魔法」をかけてくれていたから、今の自分があるということに気づかされた。だからこれからは、私が周りに「魔法」をかけられるような存在になりたい。心に傷を抱え、不器用ながらも優しく強く生きる登場人物たちに出会えて良かった。