そう言えば「学問のすすめ」をきちんと読んだことがなかった。
冒頭の「天は人の上に~」のフレーズは知っていても、どういう内容なのかまでは、そういえば理解していなかった。
約150年前に書かれた福澤諭吉の名著であるが、こういうきっかけがないと手に取らないだろう。
一念発起して、斎藤孝氏による現代語訳版を購入してみた。
読み終わっての感想としては、150年前の人々の課題と、現代の我々の課題とが、あまり変わっていないことに驚かされてしまった。
明治期の近代化に邁進していた時代と、戦後80年で、経済が停滞した平成期を乗り切り、新しい令和の時代とで、共通項があるとはとても思えない。
そう考えると、「学問のすすめ」に書かれていることは、時代を超えた人々の普遍的な課題なのかもしれない。
タイトルが全てを物語っているのだが、結局「学問をきちんと修得しなさい」ということに尽きる。
ついつい、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」が有名過ぎて、「学問のすすめ」を「人間に身分の差はない」という話かと勘違いしてしまいがちであるが、実は主題は全く違う。
(それこそタイトルが「学問のすすめ」なのだから、気付きそうなものなのだが)
福澤諭吉が本当に伝えたかったことは、その後の部分だ。
人間は確かに生まれながらにして平等なのだが、現実には「賢い人と愚かな人」「豊かな人と貧しい人」の差が生まれてしまっている。
その差はなぜ生まれるのか。
それは「学問をしたか、しないか」であると断言しているのだ。
確かに中学高校で「学問のすすめ」を習った気がするが、こういう話だったという記憶がない。
冒頭の「天は人の上に~」を暗記させるよりも、よほど大事なことを言っているのだから、そちらの方をきちんと学ばせるべきだ。
「学問のすすめ」は、明治期の大ベストセラーだそうだが、なんと当時約340万部(17編合算)という驚異的な発行部数だそうだ。
当時の人口や、識字率&読書人口を考慮すると、これは異常な数字だ。
それだけ、当時の庶民に大きな影響を与えたのは間違いない。
近代化を目指す日本国家の国力増強のためにも、庶民レベルでも学問の大切さを感じ取ったのだろうと思う。
今、令和の時代になって、学ぶことの大切さが再注目されている。
これだけ変化の激しい時代において、過去に勉強した遺産だけで生き残ろうと思うのは、都合がよ過ぎる話だ。
過去に体験したことがない事象がドンドン起こりえる中で、それらの課題にどうやって向き合うのか。
リベラルアーツを学ぶことが見直されている。
職業訓練とは違う意味で、一見すぐに役に立つ訳ではなさそうな「教養」を改めて身に付けろということだ。
これは、本当にその通りだと思う。
哲学や倫理観、美意識こそが、未知の課題に対してはすごく重要になってくる。
複雑に絡み合った物事を、単純には解決できない今の時代、その複雑なパズルをどうやって解くのか。
解法は決して一つではなく、おそらく関係者の利害を考慮した「最適解」を出すことが精一杯になるはずだ。
その最適解を、どうやってステークホルダー(利害関係者)たちを巻き込んで、納得させ、解決のために進めていくのか。
少なくとも日々鍛錬していない人には、これら高度な課題を解くことができないだろうと思う。
「学んだか、学ばなかったか。それだけの差である」
人事の仕事をしていると、この言葉の重みをヒシヒシと感じてしまう。
かつては何も考えずに会社に勤めさえすれば、終身雇用で守ってもらえた。
しかしこれからは、完全に「100%自己責任の時代」だ 。
過去の成功体験に固執し、学ぶことを放棄した人は、どれだけ社歴が長く経験を積んでいたとしても、環境の変化についていくことはできないだろう。
逆に、常に新しい知識を吸収し、アップデートし続ける人は、150年前の明治期だろうが、令和の現代だろうが、どんな時代でも必要とされる人になる。
「学問のすすめ」こそ、普遍的な真理と言えると思う。
福澤諭吉が強調している点は、単なる知識の詰め込みではないところが特徴的だ。
日常生活やビジネスに役立つ「実学」こそ大事であるという点 。
難しい古典を読み解くことよりも、読み書き、計算、地理、歴史、そして経済の仕組みを学ぶことを重要視している。
現代風に言えば、「ポータブルスキル」や「ITリテラシー」「生成AIの活用能力」に相当すると思う。
これからの時代、ホワイトカラーの仕事がAIに代替されるのは間違いない。
単純な事務作業やルーティンワークは、今すぐでもAIが担うことは可能だ。
そんな時代に、我々に求められる「実学」とは、得られた情報を分析し、自分なりの知見としてまとめ、行動に移す力のことだ。
「ITが苦手だから」という言い訳は、もはや通用しない。
自らデジタルツールを使いこなし、業務を効率化させ、余った時間でさらに新しいことを学んだり、ビジネスを作り出したりする。
この「学びのループ」を回せる人だけが、生き残ることができるはずなのだ。
本書のキーワードの一つが「独立自尊」という言葉だ。
一人ひとりが自立し、自分の足で立つこと。
それができて初めて、国家も自立できるのだと、説いている。
私自身、組織開発の仕事を長く経験しているのだが、「自走する組織」を作ることが本当に難しいと思っている。
各人が前向きになるだけでは駄目で、そこから一歩進んで、組織としての自走を実現しなければいけない。
各人が歯車のパーツになったとしても、それらが有機的に嚙み合って、小さな力で大きなアウトプットを出せるようになることが理想だ。
そんな組織としての力を目指しているのだが、まだまだ道半ば。
組織の歯車であったとしても、指示を待つだけの歯車ではいけない。
依存し合うのではなく、自立した個人が、共通の目的のために協力し合う。
そうした「独立自尊」の個人(歯車)の集合体こそが、どんな困難な状況にも対応できる強いチームになると思うのだ。
社内でDX推進を行っているが、まさにデジタル化こそ主体性が問われる事象だと思う。
自分たちの仕事を少しでも良くするために、DXをどう活用するのか。
いくら便利なツールがあったとしても、主体性がなければ、宝の持ち腐れになってしまう。
真の変革を起こすためにも、主体的に学び続け、改善し続ける組織が必要だ。
最近は「リスキリング」や「アンラーニング」なども、一般的な言葉になった。
中高年でも、新しい環境に合わせて自分のスキルを磨き直すことが求められている。
それは決して、苦労して無理して獲得するスキルではないはずだ。
むしろ、新しい知識を楽しんで得ることの方が大事。
何歳になっても、今まで知らなかった世界を知ることは、最高の喜びのはずである。
自身の精神のためにも、楽しく学ぶことは、非常に重要な資質だと思う。
世界が益々複雑になり、未来を予測することは本当に難しい。
AIに仕事を奪われるかもしれないし、会社がなくなるかもしれない。
そんな不安に飲み込まれないために、自分の頭で考え、判断し、行動するための知恵を持つこと。
それこそが、福澤諭吉が問いかける「学問のすすめ」の本質なのだと思う。
自分自身を戒めながら、学び続ける人生を歩みたいと思っている。
(2025/8/26火)