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アベノミクスを支持する著者がバブル崩壊以降の低所得・低物価・低金利・低成長する経済状況を日本病として解説される。女性と高齢者が働き手になり社会保障を支え、個人投資による資産形成で将来不安を解消させることが景気回復に繋がる。
永濱 利廣
一九七一年、群馬県生まれ。第一生命経済研究所首席エコノミスト。早稲田大学理工学部工業経営学科卒業、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。一九九五年に第一生命保険入社、日本経済研究センターを経て、二〇一六年より現職。衆議院調査局内閣調査室客員調査員、総務省「消費統計研究会」委員、景気循環学会常務理事、跡見学園女子大学非常勤講師。二〇一五年、景気循環学会中原奨励賞を受賞。著書に『経済危機はいつまで続くか――コロナ・ショックに揺れる世界と日本』『MMTとケインズ経済学』など多数。
日本病 なぜ給料と物価は安いままなのか (講談社現代新書)
by 永濱利廣
日本では「失業」と聞くと、どうしても悪いイメージを抱きがちですが、世界的にはキャリアアップのために自発的に会社を辞めた人々が多く含まれており、ここでの数字は必ずしも「かわいそうな失業者」のみを意味しません。むしろ「転職率」に近いイメージで捉えてください。 ポストの空きが出やすいため再就職もしやすいですし、労働市場の高い流動性はキャリアチェンジのしやすさも意味します。一度社会に出た後に大学に戻って専門性を身につけ直すことも、海外では珍しくありません。 その意味では、失業率が低いかわりに賃金の上がりにくい日本は、「安心して失業できない国」と言えるのかもしれません。
ただし、アメリカの場合は社会人年齢での教育参加率は高いのですが、GDP(国内総生産) に対する再就職支援の割合は非常に低くなっています。これは、すべて自己責任という社会を反映しています。金銭的・時間的余裕があれば再教育を受けられるけれど、それはすべての人に叶うわけではありません。アメリカの場合は自由市場がやや行きすぎており、これが圧倒的な経済格差にもつながっています。そのため、政府主導で再就職支援を行う北欧のトランポリン型社会のほうが、日本の経済成長にとっては望ましいと考えられます。
先ほども見たとおり、ひとえに「物価上昇(インフレ)」と言っても、「良いインフレ」と「悪いインフレ」があります。 景気が良くなることで企業が物価を上げることができ、企業は収益を上げ、そこで働く人の賃金も上がり購買力が増す……この好循環をもたらすのが「良いインフレ」です。これは、「需要が供給を上回ることによる物価上昇(demand-pull inflation)」と言い換えることができます。 逆に、「悪いインフレ」とは、原料価格の値上がりなど、「生産コストの高騰による物価上昇(cost-push inflation)」を指します。
現在のように、脱炭素化やロシアによるウクライナ侵攻の影響などにより、日本国内で代替のしようがない原油や穀物の値段が上がってしまうと、企業は製造コストが上がるので価格を上げざるを得ません。しかし、単に損を減らすために上げているだけなので、企業が儲かることはなく、働く人の賃金も増えません。生活必需品ですので消費者は高い値段でも買わざるを得ませんが、それはただ所得が海外へ流出しているだけで、国内には恩恵がありません。こういう物価上昇が「悪いインフレ」なのです。
まずGDP(国内総生産) とは、「一定期間内に国内で生み出されたすべての付加価値の総和」を表す値です(付加価値とは、総生産額から生産に必要な原材料・燃料費などの中間投入額を差し引いたもの)。
ではここで、アメリカではデフレにならずにIT化(効率化) を進められたのはなぜだろうか、という疑問が浮かびます。 それは、アメリカ経済が日本のような極端な需要不足の状況になかったからです。経済が過熱しているときというのは人手不足のときなので、効率化で供給量が増えることで良い影響が出ます。 一方、経済が冷え込んでいるときは人が余っているときですから、過度の効率化を行うと余計に人が余ってしまい、景気がさらに悪化してしまうので、むしろ控えたほうがよいのです。 そもそもアメリカの景気が良いのは、景気が落ち込んだときに、すかさず積極的に金融政策と財政政策を行い、デフレを回避したからに尽きます。コロナ・ショック以降は少しやりすぎて過熱しており、政策の出口に向かおうとしています。それでも、デフレの長期化によって「日本病」になるよりマシだという判断でしょう。このように、経済を早期に健全な状態にすることで、効率化もうまくいき、順調に成長を続けられるのです。 アメリカの好景気は、もちろん新しくて強い企業がたくさん生まれていることにも由来します。しかし、いくら素晴らしい企業がたくさんあっても、デフレを長期化させてしまったらどうなるか、それはここ 30 年の「日本病」が証明しています。 つまり「景気」というものに対しては、強い産業が存在するだけではダメで、金融政策や財政政策といった経済政策が非常に大きな意味をもっていると言えます。
緩やかなインフレの国では、新しいことに果敢にチャレンジしていく人のほうが出世し、経営者にもなりやすいものです。しかしデフレ下では、できるだけ積極的な経営を行わず、内向きに経費削減やリストラなどで数字を安定させるほうが評価されやすいことになりがちです。それゆえ日本では、なかなか前向きな経営に踏み切らない経営者が増えてしまったのではないかとの指摘もあります。
しかし、海外の研究などを見ると、日本の現在の中立金利水準は大幅マイナスになっているとされています。なぜなら、日本の企業も家計も、将来のためにお金を貯め込みすぎているからです。 国内の経済主体は基本的に「家計」「企業」「政府」しかありません。このうち日本では家計と企業がお金を貯めすぎてお金が余っています。政府はお金が足りないのですが、三つの主体を合わせると、国内全体では異常にお金が余っており、よって中立金利は大幅マイナスとなります。
しかし、こうした日本の政策当局のメンタリティが変わらない限り、日本のデフレはこのまま続く可能性があります。金融政策は黒田総裁になって変わりましたが、財政政策が変わらないと、デフレ脱却はなかなか難しいのです。たとえ量的緩和を行っても、お金が市場に「回って」いかなければ効果は限られるからです。どこの国でも、財務省は大規模な財政出動をやりたがらないものですが、海外では官邸主導、政治家主導で大胆な政策を行ってきました。その意味では、日本も海外を見習うべきでしょう。
サマーズ氏やバーナンキ氏に限らず、海外の主流派経済学者の間では、デフレ脱却のためには金融緩和に加えて財政の積極的な出動が必須であるというのが常識になっています。 しかし、日本では均衡財政主義が主流になっています。そして、マスコミでは「日本の政府債務が増えて大変だ」というメッセージが定期的に流されるので意外に思われるかもしれませんが、海外と比較したグラフ(図表4‐2) を見ると、明らかに日本の政府債務残高は増え方が少ないことがわかります。
まず、私は、少なくとも現状の日本においては、ある程度は円安のほうが良いと思っています。 国内で代替のしようがない原油などに限れば、もちろん円高のほうが良くなりますが、円高になると海外からその分安くモノやサービスが入ってくるので、競合する国産品が売れにくくなります。日本が海外へ輸出しているモノやサービスも、円高が進むと売れにくくなります。こういうときに円高にしてしまうと、国内で生み出される付加価値が奪われ、経済全体で考えれば良くないと言えます。
今のアメリカのように経済が過熱している状況なら、それを抑えるために自国通貨を高くしたほうがよいわけですが、日本は長らくデフレ、つまり「需要が足りない」状況です。 また、経常収支の側面からも円安が望ましいと言えます。海外から受け取る所得と、日本から海外へ支払う所得のバランスを考えたとき、海外から受け取るより支払う所得が多ければ、当然円高のほうが有利です。しかし、日本の経常収支は黒字、つまり海外から受け取る所得のほうが多いのが一般的です。
日本ではいまだに投資をギャンブルと区別しない人が多いですが、ギャンブルのような投資もあれば、インデックスファンドなど比較的リスクが抑えられた投資もあります。将来不安が大きければこそ、「お金にも働いてもらう」ための投資知識を持っておくのは重要なことに思えます。
海外では貧しい人はより貧しく、裕福な人はより裕福になることで格差が広がっていたわけですが、日本の場合はみんなが貧しくなっている。つまり日本は「格差社会」ではなく、「総貧困化」に向かっているわけです。 なぜこんなことになっているかと言えば、日本が経済成長していないからです。海外で所得格差が広がっているのは、新しい産業や経済成長の恩恵がうまく分配されず、富裕層に富が集まりやすくなってしまうためです。だからこそ、生活必需品の値段が上がるスクリューフレーションは「中低所得者層への締め付け」と言われます。 しかし日本では、大きな富を生み出す新しい産業が生まれるわけでもなく、長期停滞で賃金も上がらず、「みんなが締め付けられている」状態です。
図表6‐4では、高所得者層と低所得者層の割合から、日本では格差が広がっているのではなく、みんなが貧しくなっているのだということを示しました。
逆に、2010年~2011年、民主党政権下で実質賃金が上がっているのですが、実はこのときは景気悪化により低賃金の人たちが多く解雇されたことで、今度は逆に平均賃金が押し上げられたのです。さらに景気悪化の影響で物価が下がったことも手伝い、「名目賃金 消費者物価」である実質賃金が上がったに過ぎません。 経済政策の最大の目的は「雇用の最大化」です。マクロ経済学的な視点で見れば、実際の雇用が増えているほうが、経済政策としては断然良いと言えます。
MMTの提唱者の一人、ニューヨーク州立大学教授のステファニー・ケルトン氏は日本経済新聞(2019年4月 13 日付) の取材に、「日本が『失われた 20 年』と言われるのは、インフレを極端に恐れたからだ」として、日本がデフレ脱却を確実にするには、財政支出の拡大が必要と語っています。 これは、本書でさんざん必要性を力説してきた、金融政策と財政政策の連携に非常に似ているように見えます。流動性の罠に陥っているような深刻なデフレに対しては、金融政策と財政政策を大規模に行う必要がある。そのためには、マネタリーベースを増やす量的緩和は躊躇せず行うべきだ。
分配とは耳に心地いい言葉ですが、毒にも薬にもなりえます。岸田政権の言う「分配」はどちらでしょうか。 分配政策がもたらすメリットとは、経済が成長することによって新たに増えた税収を、意図的に低所得者層に分配することで底辺を底上げすること。デメリットは、経済のパイが拡大しない中で、経済を牽引するような高所得者層の所得を低所得者側に分配することで、そもそもの経済成長すら止めてしまうことです。つまり経済が拡大しないことには、分配政策を正しく行うことはできません。
富裕層ほど所得に占める金融所得の割合が高くなるのに、金融所得を他の所得とは切り離して課税する「申告分離課税」が採用されており、しかも一律約 20%。そのため、おおむね所得1億円を境にして、所得税の負担率がむしろ下がること(いわゆる「1億円の壁」) を岸田首相は指摘していました。これに対する問題意識からの見直し提案です。 首相は「『成長と分配』の好循環を実現する」と強調してはいますが、しかし、金融所得税率を一律に引き上げたりすれば、貯蓄から投資への流れに冷や水を浴びせることになり、これだけでは全体のパイを増やす政策とは言えないでしょう。