テキヤが暴力団と結びついた理由は主にこの3つです。
1.江戸時代の露店管理組織(香具師)がヤクザのルーツだった
2.屋台ビジネスは縄張り争いが多く、力の組織が必要だった
3.場所管理の仕組みがヤクザ組織と相性が良かった
廣末 登
(ひろすえ のぼる、1970年3月27日 - )は、日本の社会学者、ノンフィクション作家。元久留米大学文学部非常勤講師(社会病理学)、龍谷大学犯罪学研究センター嘱託研究員(治療法学)、日本社会病理学会会員、青少年問題学会会員。専攻は犯罪社会学、刑事政策学。福岡市中央区生まれ。服飾系の専門学校中退後、2001年、北九州市立大学法学部法律学科卒業、2005年、同大学大学院法学研究科法律学専攻修士課程修了、2008年、同大学大学院社会システム研究科地域社会専攻博士後期課程修了、博士(学術)。2008年、参議院において民主党の国会議員政策担当秘書に就任、3年勤める。2018年~2019年度、福岡県更生保護就労支援事業所長、2019年~2020年度、公益財団法人清心内海塾主席研究員、2019年、龍谷大学犯罪学研究センター嘱託研究員、2020年から、法務省・保護司(福岡市中央保護区)、2023年、西日本自分史文庫設立。2024年、立憲民主党の衆議院議員・藤原規眞の政策担当秘書に就任[1][2]。中道改革連合(旧立憲民主党)衆議院議員・藤原規眞が、第51回衆議院議員総選挙落選のため政策担当秘書を退任。
「注 8 テキヤは自らを神農と名乗るとともに、神農を崇める。テキヤの業界を神農会と呼ぶ。この神農とは「古代中国の伝説的な人とも神ともつかない存在で、『淮南子』などに出てくる。頭に角がある姿で描かれる。テキヤの間では、良薬になる植物を発見するために自らの命の危険を冒して、さまざまな植物を毒見した神とされている。現在でもテキヤの一部が神農を崇めるのは、彼らの系譜につながる古い時代のテキヤが薬草を商っていた名残とされている……テキヤはしばしば『神農道(しんのうどう)』という言葉を口にする。『神農道』とは神農のイメージを損なわないような生き方のことで、代目披露など彼らの社会での社会的地位の上昇を披露する儀礼では、『神農道に邁進する』という表現で決意が表明される。神農道に違わぬ態度とは、具体的には愚直なまでの勤勉さや、弱きを助け強きをくじく正義感あふれる態度をいうようである」(厚香苗『テキヤ稼業のフォークロア』青弓社、二〇一二年、二九頁)。注 9 テキヤ稼業経験者である北園忠治は、自著の中で、警察官による場所割りの弊害について以下のように述べている。「全国随所で散見するような、祭礼時の露店の場所割り(小間割り)が、餅は餅屋の諺に逆らい、餅屋でない素人の警察官の手によってなされ、祭りはさびれ、出店者は時間のロスや諸経費の高騰、売り上げの低下、その他諸々の弊害を被り、その損失は甚大なものとなる」(北園忠治『香具師はつらいよ』葦書房、一九九〇年、二〇頁)。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「注 11 赤字破門や絶縁は、ヤクザの社会では最も重い制裁。慣習的職業社会の懲戒免職に相当する。黒字破門は復縁可能性があるが、赤字破門と絶縁については、復縁の可能性は無い。注 12 一家を形成する理由につき、添田知道は次のように述べている。テキヤが「『行衛出所不定』の者は仲間とせず、が、第一義となったのは、掟の上での当然だった。なにぶんその業態が移動を主としているのだから、行衛と出所が不明であるのが目に見えるところのかたちである。これを、不明でなくするところに、仲間の緊密性が欠かされないものになる。移動はしても、その本来の住居(本拠)はもってもいれば、またもたなければならないものでもある。それをまだ持ち得ない若い者は、親分をもつことで、その資格を得ることになる。 ここに親分・子分の関係が生じ、一家が形成される」(添田知道『てきや(香具師)の生活』雄山閣、一九六四年、一一七頁)。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「 私は勉強では理数系は苦手で、どちらかと言うと国語や歴史、いわゆる文系の方が好きでした。テキヤの頃にその歴史を自分なりに調べたりしましたが、小学校の頃からの歴史好きが幸いしたのでしょう。 そうそう、小学校の時は、月に一度開かれる西新井大師注 1の縁日(毎月二一日注 2)に行って、露店を見るのが楽しみでした。三寸(露店商の屋台)も結構出ていましたし、ボクヤ(植木屋)などもバイしてましたから、その縁日は賑わっていたことを覚えています。この時はまさか将来、テキヤを自分が生業にするなんて思ってもいませんでした。少ないお小遣いで、お好み焼きを買って食べたこともあります。初めて買ったお好み焼きは、おいしかったことを覚えています。その後の縁日、しかも同じ場所で買ったお好み焼きは、比べものにならない位まずかった。売る人が変わったり、粉やソースが変わると味も変わるんですね。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「野球部時代の成績ですが、中学三年生の時は、足立区で優勝し、都大会にも出ました。ただし、上には上がいて、慶應義塾中等部に一回戦で敗退しました。でも、この経験は、甲子園を目指す自信になりましたね。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「 その後、私も十二指腸潰瘍で吐血下血をし、梅島にあった佐々木病院というところに運ばれ、入院生活を余儀なくされたこともあります。その辺からですかね、変わった環境にも馴染めず、学校も面白くなくなり、家にもいづらくなり、渡部とつるんで、遊ぶ機会が多くなりました。高校二年に上がったばかりの頃でしたか、とうとう高校の数学教師を殴り退学。そこまでくると、坂を転がり落ちるように、不良の道へ傾倒していきました。 楽しいこともありました。夏、自分で新聞のチラシを見て、アルバイトを見つけて、綾瀬にあった「佐藤運輸」(仮名)というところで配送の助手をやりました。トラックの助手席に乗り、定期ルートで首都圏、特に横浜あたりを回るんですね。少ないお小遣いで洋服を買い、休憩時間はもの珍しくあちこち散策したこともあります。約一か月だけだったけど、楽しい思い出でした。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「私のいた「極悪」というチームは、昭和四八年頃、国士舘高校の OBが中心になって作られたそうです。築地、月島が発祥の地だと言われています。北千住、板橋、三ノ輪、千駄木、五反野、町屋、西新井と、どんどん勢力を拡大していきました。「硬派」「アンパンやシャブは御法度」「暴走族を潰すために存在する」みたいなことを謳い文句にしていました。 そういう先輩もいたにはいたけど、シンナー中毒やポン中(覚せい剤中毒)、軟派野郎も多かったですね。その反面、若くして侠道に身を投じ、現在も男を磨きながら第一線で活躍している人たちがいるのも事実です。 シノギはパー券(パーティー券)が多かったかな。ディスコやスナックを二時間くらい借り切って、客を集めて飲んだり、踊ったり。それを先輩が後輩に無理やりさばかせる。差額が懐に入る仕組みです。「オバケ」もたくさんありました。パー券買って店に行ったら、開催されていない。一種の詐欺ですね。オバケ専門の先輩もいました。分かっていても、先輩には逆らえないんです。パー券さばいて新車を買ったヤツもいました。後輩から恨まれて、買ったばかりの新車を傷だらけにされて、怒り狂って犯人捜しをしてたのが、滑稽でした。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「それにしても、暴走族のステッカーを貼っていたような奴らが警察に被害届を出すなんて思ってもいませんでした。これがいわゆる「日曜逮捕」です。 この時、警察は平気で嘘をつくんだ、ということを知りました。この逮捕前にも西新井警察署から「特攻服を見せて欲しい」と呼び出され、持って行くと「任意提出」という名目で取り上げられ、「ウチで焼却処分する」などとサツに騙されたこともありました。後の私の人生でも警察の対応に苦労することになります。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「私は「テキヤなんかダサイじゃん。同じやるならヤクザのが、かっこいいんじゃないのか?」と言いましたが、彼は「いや、テキヤになりたいんです。絶対にテキヤになります」と頑として譲りませんでした。 佐々木の母親も病院に駆けつけ、亡くなった後、涙をこらえながら私たちに「お世話になりました。ありがとうございました。短い人生だったけど、この子は皆さんに巡り会えてきっと満足だったと思います」と言われました。佐々木のお母さんに、テキヤになりたいって夢があったことを伝えました。不思議な縁で、この亡くなった佐々木の将来の夢を、まさか私が引き継いだかのようにテキヤの道に入るなんて、この時は思いもよりませんでした。事故の当事者の堀田が、その後どうなったかは知る由もありません。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「正直、私はテキヤという稼業に誇りを持って歩んできました。暴力団や反社会的勢力などと思ったことは一度もない。何ら違法な手段で金銭を獲得したこともない。むしろ露店という空間を演出し、その一時ではあるが、祭りを盛り上げ、社会に貢献してきたと思っている。 しかし、国家権力(日本の社会)がテキヤ組織に所属する者を、反社会的勢力と位置付けるのであれば、愛する従業員とその家族、取引先を守るため、身を引くことも考えるようになってしまいます。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「ただ、これは父の口癖でしたが、「この商売、いつまでもやってんじゃねえぞ。どんどん辞めていけ。カネ貯めたら、すぐに辞めろ。二度と、こっちの世界に来るな」と言って、辞めた人間が訪ねてくることを禁じていました。もちろん、若い衆も辞めた人間を訪ねて行っちゃダメというように教えていました。自分がテキヤで生涯を終えたくせに、人には常々「露店という字を見てみな。露の店だぞ。こんな商売、五年やっても、一〇年やっても世の中で何の役にも立たねえんだ。生活の方策が立ったんなら、早いとこ辞めちまえ」と言っていました。 しかし、一方で、「世の中には、ここでしか生きれない人間もいる。そいつらは、おれみたく不器用な人間なんだよ。そのままほっといちゃ、悪さする。ここに括り付けときゃ何とかなるし、お上の世話にもなりゃしねえ」と、入りたい奴は仲間に入れ、その代わり(テキヤの稼業人に)仕立てたりはしないというスタイルを通していました。「ここに括り付けときゃ」というのは、テキヤの中には上下関係があるから、少々の悪ガキでも何とかできるという意味だったと思います。 テキヤ組織のようなところで、人間を纏める帳元という立場の人間は、そりゃあもう大変な苦労をすると思います。ちょっとしたことで、因縁のひとつも付けられかねません注 1。何といいますか、人間力が不可欠なのではないでしょうか。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「神社やお寺のショバに着くと、三寸を組み、商品を並べるのは私の仕事。販売は母の担当です。大酉(酉の市)など大きなお祭りの時は、父が座っています。お客が冷やかしで「この子可愛くない」などと言うと、「へっ、手前の面だったら、売りもんになんねえよ」などと、大きな声で悪態をついて、へいちゃらでした。でも、父からしたら、内心は裏腹なんだったと思います。だから、売り子はしなかった。「俺は、売っている人形のすべてに納得しているわけじゃあない。それでも図々しく金をとるんだから、恥を売っているんだ」って言っているのを聞いたことがあります。 お祭りのバイで、フランクや焼き鳥、電気(綿菓子)、ゴランネタ(金魚やお面)は、まず「まけて」なんて言われません。ですが、私らのように人形なんか扱っていると、まず「まけて」と交渉されます。すると母は、「まけらんないよ」など野暮なことは言わずに、「今度お願いしますね」と、受け流していました。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「浮浪人といえば、今日聞こえがわるいが、それは定着生活が一般となった、社会環境の転移発展にともなう感覚のずれである。流泊を生活とする習わしは原始の当然であって、洋の東西を問わぬところである。顕著な例でいえば、こちらに山窩の類注 1がのこるように、あちらにはジプシーのそれがある。これを軽蔑的に見たり、異端視する者があるとすれば、それは一所定着の習いを性とした者の偏見、または思いあがりといっていい。浮浪人をいやしむいわれはない。早い話が、私たちは旅にさそわれる。ほとんどの人が旅を好む。これこそ浮浪本能のよきあらわれ、魂の郷愁のなせるわざといってよいのではないか(中略)。 香具師は、実はこの浮浪人を原流としているのである。 海人・山人はそれ自身が生産者であるが、浮浪人はそれ自らの生産物をもたない。初期は物資移動・交換のための運搬者ともいえるし、今日語の便利屋ともいえる。これが通貨が行なわれるようになってから「商い」と変じたのである。(中略)」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「もともと、テキヤは大きく儲かる業態ではない。創意工夫を凝らしたところで、三寸(売台)ひとつあたり、息つく暇もなく大いに売れたとしても日に一五万円程度。それも祭りの期間に限られる。場所代など、出ていくカネもバカにならない。祭りの時に出店するテキヤ稼業だけでは、到底食っていけそうにない。 筆者と共にバイした元若中頭いわく、親分クラスになると、他にも商売をしているとのこと。たとえば、中古車屋や飲み屋などの副業を持っているから、縁日のバイ以外からも収入がある。親分クラスには、テキヤの庭場(ショバ)の地域をシマとするヤクザとの付き合いがある注 10。だから、出費も多いのだと言う。ちなみに、テキヤの若い衆はカタギだが、本家の親分に限っては土地のヤクザの親分と、兄弟分の盃を交わすケースもある。その理由は、「みな組長や一家の代表者が『オツキアイ』は俺一人でという気持で、類を下部に及ぼさないよう防波堤の役を一身に引き受けている」からである(北園忠治『香具師はつらいよ』葦書房、一九九〇年、二七頁)。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「テキヤと稼業違いのヤクザでも、チャッカリした者は、現役時代から二足の草鞋を履き、引退後の生活に備えてカタギの商売をしている(細君にさせているケースが多い)。一方、「宵越しのカネは持たない」オラオラ系の生き方をしたヤクザは、組織が解散したり、破門で籍を失ったりすると、途端に困窮するのである。縁日以外の営業努力がものを言う テキヤは祭りが無い期間、何をしているのか疑問に思われる人も多いだろう。資金力がある者は、先述したように中古車を売ったり、スナックの経営などはできるが、若い者にそうした器量はない。 そこは、親分や兄貴分の顔がものを言う。元若中頭の言によると、祭りが無い時期は、専らヒラビ(平日)というスタイルで商売をしていたという。神社の境内などで、祭りでもないのにポツンとたこ焼きなど売っているのもテキヤのヒラビだが、彼の場合は、スーパーなどに営業をして、店頭(駐車場の片隅など)に三寸を組んで焼き鳥などを売っていたという。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「コンビニは外国人技能実習生などを受け入れて何とか回せるかもしれませんが、テキヤは無理だと思う。とりわけ、まともに日本に来ている人は難しい。テキヤは個人事業主ですから、労災や保険という問題がある。だから、外国人は難しいんです。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「土日にするバイは生活費を稼ぐため。タカマチはボーナスとして考えれば、テキヤは食っていけるんです。土日にバイやって稼ぐ。ネタブ(ネタの仕入れ値)と寺社に納めるショバ代、テッカリ(電灯代)引いて四万 ~五万の現金残れば一週間食えます。月に土日が四回あれば、約二〇万円の収入になります。サラリーマンとして、手取り二〇万円は少ないですが、テキヤはそれで食っていけるんです。もっとも、ネタモトに借金なんかしなくちゃいけない時もあるでしょうから、それはタカマチの上がりから支払えるようにする。これができれば、一番いいと思います。 あと、露天商組合ですが、ここに所属するテキヤが互助会費を支払うのは仕方ないと思います。組合では、町内会費や祭りの実行委員会への寄付などがあります。ほかに義理のカネが出てゆく(冠婚葬祭費)。事務所費は、家賃のほかに、電話番を一人は雇わないといけない。光熱水道費も出てきます。これらは必要経費として発生しますから、互助会費は仕方がない。これを、組織への上納だと言われたら心外です。なぜなら、私の所属していた組織では、自ら役職別に毎月会費を払っていました。一番高いのは月五万五〇〇〇円、委員長クラスで五万円、幹事で五〇〇〇円だったと記憶しています。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著
「いつの時代も管理されて生きることを忌避する者や、清く正しく生きられない者は一定数存在する。現在社会は、清く正しく生きてきても、ある日、誰しも落ち込みうる暗くて深い穴が至るところに開いている。「誰一人取り残さない社会」を実現するためには、大和氏が話した初代親分のような柔軟な発想が必要だろう。生まれた環境から大人になるまで、非合法なサブカルチャーにドップリ漬かって生きてきた結果、前科を持つようになった人、たまたま犯罪に巻き込まれて前科が付いた人、各人各様である。 彼らを受け入れる社会の寛容さには、残念ながら限界がある。何より、現代社会はワンストライクでバッターアウトの時代である。一回の過ちで人生を棒に振り、所属する社会集団も失ってしまう。いい大人が仕事にも就けず、食うために再犯に至るなど、勿体ない話である。彼らを排除するより、納税者にした方が、よっぽど国のためになる。」
—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著