【感想・ネタバレ】テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習のレビュー

あらすじ

縁日から屋台が消える。
暴走する暴排条例。反社でないのに排除されている――。
テキヤ経験者の研究者が祭りを支える人々の実態を取材・調査!
テキヤ社会と裏社会の隠語集も掲載。

ソースせんべい、わた菓子、ヨーヨー釣りなど、
薄利の品を祭りで売る、縁日を支える人たちはどのように商売をし、どう生活しているのか?
世話人(出店を取り仕切る幹部)を務めた男に帳元(親分)の娘、2人のテキヤのオーラルヒストリーを通じ、戦後から現在までの縁日の裏面史が明らかとなる!
■ヤクザとテキヤは祀神が違う
■酉の市の熊手の商売は助け合い
■昔は刑事さんもお客さん
■祭りの混雑をさばくのも世話人の仕事
■テキヤ稼業は闇市から始まった
■テキヤの葬式じゃあ、ちらしちゃダメ
■前金も契約書もない、ご縁による商売

【テキヤ隠語使用例】
・バイはマブテン、サンタクヨロクした(商売は上首尾で沢山儲かった)
・アニコウからタイガリくっちまった(兄貴からひどく怒られた)
・ヒンはヤリモカマラん(銭は一文も無い)
・今日はジンがナイスクだった(今日は人出が少なかった)
・スイがバレないうちにハヤバにゴイしょうぜ(雨が降って来ないうちに早く帰ろう)
・あいつにヤクマチ切られちゃったよ(あいつに悪口言われた)


【目次】
まえがき
序章 テキヤ稼業とはなにか
第一部 テキヤの世界
第一章 テキヤ稼業の実態――元世話人の回想
第二章 戦後縁日史――帳元の娘の回想
第三章 彼らはどこから来て、どこに行くのか

第二部 テキヤ社会と裏社会の隠語
はじめに
テキヤ用語一覧
概説/数字/テキヤ用語使用例
あ~わ行
裏社会用語一覧
あ~や行
あとがき
参考・引用文献

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Posted by ブクログ

テキヤが暴力団と結びついた理由は主にこの3つです。
1.江戸時代の露店管理組織(香具師)がヤクザのルーツだった
2.屋台ビジネスは縄張り争いが多く、力の組織が必要だった
3.場所管理の仕組みがヤクザ組織と相性が良かった

廣末 登
(ひろすえ のぼる、1970年3月27日 - )は、日本の社会学者、ノンフィクション作家。元久留米大学文学部非常勤講師(社会病理学)、龍谷大学犯罪学研究センター嘱託研究員(治療法学)、日本社会病理学会会員、青少年問題学会会員。専攻は犯罪社会学、刑事政策学。福岡市中央区生まれ。服飾系の専門学校中退後、2001年、北九州市立大学法学部法律学科卒業、2005年、同大学大学院法学研究科法律学専攻修士課程修了、2008年、同大学大学院社会システム研究科地域社会専攻博士後期課程修了、博士(学術)。2008年、参議院において民主党の国会議員政策担当秘書に就任、3年勤める。2018年~2019年度、福岡県更生保護就労支援事業所長、2019年~2020年度、公益財団法人清心内海塾主席研究員、2019年、龍谷大学犯罪学研究センター嘱託研究員、2020年から、法務省・保護司(福岡市中央保護区)、2023年、西日本自分史文庫設立。2024年、立憲民主党の衆議院議員・藤原規眞の政策担当秘書に就任[1][2]。中道改革連合(旧立憲民主党)衆議院議員・藤原規眞が、第51回衆議院議員総選挙落選のため政策担当秘書を退任。


「注 8  テキヤは自らを神農と名乗るとともに、神農を崇める。テキヤの業界を神農会と呼ぶ。この神農とは「古代中国の伝説的な人とも神ともつかない存在で、『淮南子』などに出てくる。頭に角がある姿で描かれる。テキヤの間では、良薬になる植物を発見するために自らの命の危険を冒して、さまざまな植物を毒見した神とされている。現在でもテキヤの一部が神農を崇めるのは、彼らの系譜につながる古い時代のテキヤが薬草を商っていた名残とされている……テキヤはしばしば『神農道(しんのうどう)』という言葉を口にする。『神農道』とは神農のイメージを損なわないような生き方のことで、代目披露など彼らの社会での社会的地位の上昇を披露する儀礼では、『神農道に邁進する』という表現で決意が表明される。神農道に違わぬ態度とは、具体的には愚直なまでの勤勉さや、弱きを助け強きをくじく正義感あふれる態度をいうようである」(厚香苗『テキヤ稼業のフォークロア』青弓社、二〇一二年、二九頁)。注 9  テキヤ稼業経験者である北園忠治は、自著の中で、警察官による場所割りの弊害について以下のように述べている。「全国随所で散見するような、祭礼時の露店の場所割り(小間割り)が、餅は餅屋の諺に逆らい、餅屋でない素人の警察官の手によってなされ、祭りはさびれ、出店者は時間のロスや諸経費の高騰、売り上げの低下、その他諸々の弊害を被り、その損失は甚大なものとなる」(北園忠治『香具師はつらいよ』葦書房、一九九〇年、二〇頁)。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著


「注 11  赤字破門や絶縁は、ヤクザの社会では最も重い制裁。慣習的職業社会の懲戒免職に相当する。黒字破門は復縁可能性があるが、赤字破門と絶縁については、復縁の可能性は無い。注 12  一家を形成する理由につき、添田知道は次のように述べている。テキヤが「『行衛出所不定』の者は仲間とせず、が、第一義となったのは、掟の上での当然だった。なにぶんその業態が移動を主としているのだから、行衛と出所が不明であるのが目に見えるところのかたちである。これを、不明でなくするところに、仲間の緊密性が欠かされないものになる。移動はしても、その本来の住居(本拠)はもってもいれば、またもたなければならないものでもある。それをまだ持ち得ない若い者は、親分をもつことで、その資格を得ることになる。  ここに親分・子分の関係が生じ、一家が形成される」(添田知道『てきや(香具師)の生活』雄山閣、一九六四年、一一七頁)。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「 私は勉強では理数系は苦手で、どちらかと言うと国語や歴史、いわゆる文系の方が好きでした。テキヤの頃にその歴史を自分なりに調べたりしましたが、小学校の頃からの歴史好きが幸いしたのでしょう。  そうそう、小学校の時は、月に一度開かれる西新井大師注 1の縁日(毎月二一日注 2)に行って、露店を見るのが楽しみでした。三寸(露店商の屋台)も結構出ていましたし、ボクヤ(植木屋)などもバイしてましたから、その縁日は賑わっていたことを覚えています。この時はまさか将来、テキヤを自分が生業にするなんて思ってもいませんでした。少ないお小遣いで、お好み焼きを買って食べたこともあります。初めて買ったお好み焼きは、おいしかったことを覚えています。その後の縁日、しかも同じ場所で買ったお好み焼きは、比べものにならない位まずかった。売る人が変わったり、粉やソースが変わると味も変わるんですね。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「野球部時代の成績ですが、中学三年生の時は、足立区で優勝し、都大会にも出ました。ただし、上には上がいて、慶應義塾中等部に一回戦で敗退しました。でも、この経験は、甲子園を目指す自信になりましたね。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「 その後、私も十二指腸潰瘍で吐血下血をし、梅島にあった佐々木病院というところに運ばれ、入院生活を余儀なくされたこともあります。その辺からですかね、変わった環境にも馴染めず、学校も面白くなくなり、家にもいづらくなり、渡部とつるんで、遊ぶ機会が多くなりました。高校二年に上がったばかりの頃でしたか、とうとう高校の数学教師を殴り退学。そこまでくると、坂を転がり落ちるように、不良の道へ傾倒していきました。  楽しいこともありました。夏、自分で新聞のチラシを見て、アルバイトを見つけて、綾瀬にあった「佐藤運輸」(仮名)というところで配送の助手をやりました。トラックの助手席に乗り、定期ルートで首都圏、特に横浜あたりを回るんですね。少ないお小遣いで洋服を買い、休憩時間はもの珍しくあちこち散策したこともあります。約一か月だけだったけど、楽しい思い出でした。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著


「私のいた「極悪」というチームは、昭和四八年頃、国士舘高校の OBが中心になって作られたそうです。築地、月島が発祥の地だと言われています。北千住、板橋、三ノ輪、千駄木、五反野、町屋、西新井と、どんどん勢力を拡大していきました。「硬派」「アンパンやシャブは御法度」「暴走族を潰すために存在する」みたいなことを謳い文句にしていました。  そういう先輩もいたにはいたけど、シンナー中毒やポン中(覚せい剤中毒)、軟派野郎も多かったですね。その反面、若くして侠道に身を投じ、現在も男を磨きながら第一線で活躍している人たちがいるのも事実です。  シノギはパー券(パーティー券)が多かったかな。ディスコやスナックを二時間くらい借り切って、客を集めて飲んだり、踊ったり。それを先輩が後輩に無理やりさばかせる。差額が懐に入る仕組みです。「オバケ」もたくさんありました。パー券買って店に行ったら、開催されていない。一種の詐欺ですね。オバケ専門の先輩もいました。分かっていても、先輩には逆らえないんです。パー券さばいて新車を買ったヤツもいました。後輩から恨まれて、買ったばかりの新車を傷だらけにされて、怒り狂って犯人捜しをしてたのが、滑稽でした。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著


「それにしても、暴走族のステッカーを貼っていたような奴らが警察に被害届を出すなんて思ってもいませんでした。これがいわゆる「日曜逮捕」です。  この時、警察は平気で嘘をつくんだ、ということを知りました。この逮捕前にも西新井警察署から「特攻服を見せて欲しい」と呼び出され、持って行くと「任意提出」という名目で取り上げられ、「ウチで焼却処分する」などとサツに騙されたこともありました。後の私の人生でも警察の対応に苦労することになります。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「私は「テキヤなんかダサイじゃん。同じやるならヤクザのが、かっこいいんじゃないのか?」と言いましたが、彼は「いや、テキヤになりたいんです。絶対にテキヤになります」と頑として譲りませんでした。  佐々木の母親も病院に駆けつけ、亡くなった後、涙をこらえながら私たちに「お世話になりました。ありがとうございました。短い人生だったけど、この子は皆さんに巡り会えてきっと満足だったと思います」と言われました。佐々木のお母さんに、テキヤになりたいって夢があったことを伝えました。不思議な縁で、この亡くなった佐々木の将来の夢を、まさか私が引き継いだかのようにテキヤの道に入るなんて、この時は思いもよりませんでした。事故の当事者の堀田が、その後どうなったかは知る由もありません。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「正直、私はテキヤという稼業に誇りを持って歩んできました。暴力団や反社会的勢力などと思ったことは一度もない。何ら違法な手段で金銭を獲得したこともない。むしろ露店という空間を演出し、その一時ではあるが、祭りを盛り上げ、社会に貢献してきたと思っている。  しかし、国家権力(日本の社会)がテキヤ組織に所属する者を、反社会的勢力と位置付けるのであれば、愛する従業員とその家族、取引先を守るため、身を引くことも考えるようになってしまいます。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「ただ、これは父の口癖でしたが、「この商売、いつまでもやってんじゃねえぞ。どんどん辞めていけ。カネ貯めたら、すぐに辞めろ。二度と、こっちの世界に来るな」と言って、辞めた人間が訪ねてくることを禁じていました。もちろん、若い衆も辞めた人間を訪ねて行っちゃダメというように教えていました。自分がテキヤで生涯を終えたくせに、人には常々「露店という字を見てみな。露の店だぞ。こんな商売、五年やっても、一〇年やっても世の中で何の役にも立たねえんだ。生活の方策が立ったんなら、早いとこ辞めちまえ」と言っていました。  しかし、一方で、「世の中には、ここでしか生きれない人間もいる。そいつらは、おれみたく不器用な人間なんだよ。そのままほっといちゃ、悪さする。ここに括り付けときゃ何とかなるし、お上の世話にもなりゃしねえ」と、入りたい奴は仲間に入れ、その代わり(テキヤの稼業人に)仕立てたりはしないというスタイルを通していました。「ここに括り付けときゃ」というのは、テキヤの中には上下関係があるから、少々の悪ガキでも何とかできるという意味だったと思います。  テキヤ組織のようなところで、人間を纏める帳元という立場の人間は、そりゃあもう大変な苦労をすると思います。ちょっとしたことで、因縁のひとつも付けられかねません注 1。何といいますか、人間力が不可欠なのではないでしょうか。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「神社やお寺のショバに着くと、三寸を組み、商品を並べるのは私の仕事。販売は母の担当です。大酉(酉の市)など大きなお祭りの時は、父が座っています。お客が冷やかしで「この子可愛くない」などと言うと、「へっ、手前の面だったら、売りもんになんねえよ」などと、大きな声で悪態をついて、へいちゃらでした。でも、父からしたら、内心は裏腹なんだったと思います。だから、売り子はしなかった。「俺は、売っている人形のすべてに納得しているわけじゃあない。それでも図々しく金をとるんだから、恥を売っているんだ」って言っているのを聞いたことがあります。  お祭りのバイで、フランクや焼き鳥、電気(綿菓子)、ゴランネタ(金魚やお面)は、まず「まけて」なんて言われません。ですが、私らのように人形なんか扱っていると、まず「まけて」と交渉されます。すると母は、「まけらんないよ」など野暮なことは言わずに、「今度お願いしますね」と、受け流していました。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「浮浪人といえば、今日聞こえがわるいが、それは定着生活が一般となった、社会環境の転移発展にともなう感覚のずれである。流泊を生活とする習わしは原始の当然であって、洋の東西を問わぬところである。顕著な例でいえば、こちらに山窩の類注 1がのこるように、あちらにはジプシーのそれがある。これを軽蔑的に見たり、異端視する者があるとすれば、それは一所定着の習いを性とした者の偏見、または思いあがりといっていい。浮浪人をいやしむいわれはない。早い話が、私たちは旅にさそわれる。ほとんどの人が旅を好む。これこそ浮浪本能のよきあらわれ、魂の郷愁のなせるわざといってよいのではないか(中略)。  香具師は、実はこの浮浪人を原流としているのである。  海人・山人はそれ自身が生産者であるが、浮浪人はそれ自らの生産物をもたない。初期は物資移動・交換のための運搬者ともいえるし、今日語の便利屋ともいえる。これが通貨が行なわれるようになってから「商い」と変じたのである。(中略)」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「もともと、テキヤは大きく儲かる業態ではない。創意工夫を凝らしたところで、三寸(売台)ひとつあたり、息つく暇もなく大いに売れたとしても日に一五万円程度。それも祭りの期間に限られる。場所代など、出ていくカネもバカにならない。祭りの時に出店するテキヤ稼業だけでは、到底食っていけそうにない。  筆者と共にバイした元若中頭いわく、親分クラスになると、他にも商売をしているとのこと。たとえば、中古車屋や飲み屋などの副業を持っているから、縁日のバイ以外からも収入がある。親分クラスには、テキヤの庭場(ショバ)の地域をシマとするヤクザとの付き合いがある注 10。だから、出費も多いのだと言う。ちなみに、テキヤの若い衆はカタギだが、本家の親分に限っては土地のヤクザの親分と、兄弟分の盃を交わすケースもある。その理由は、「みな組長や一家の代表者が『オツキアイ』は俺一人でという気持で、類を下部に及ぼさないよう防波堤の役を一身に引き受けている」からである(北園忠治『香具師はつらいよ』葦書房、一九九〇年、二七頁)。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「テキヤと稼業違いのヤクザでも、チャッカリした者は、現役時代から二足の草鞋を履き、引退後の生活に備えてカタギの商売をしている(細君にさせているケースが多い)。一方、「宵越しのカネは持たない」オラオラ系の生き方をしたヤクザは、組織が解散したり、破門で籍を失ったりすると、途端に困窮するのである。縁日以外の営業努力がものを言う  テキヤは祭りが無い期間、何をしているのか疑問に思われる人も多いだろう。資金力がある者は、先述したように中古車を売ったり、スナックの経営などはできるが、若い者にそうした器量はない。  そこは、親分や兄貴分の顔がものを言う。元若中頭の言によると、祭りが無い時期は、専らヒラビ(平日)というスタイルで商売をしていたという。神社の境内などで、祭りでもないのにポツンとたこ焼きなど売っているのもテキヤのヒラビだが、彼の場合は、スーパーなどに営業をして、店頭(駐車場の片隅など)に三寸を組んで焼き鳥などを売っていたという。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「コンビニは外国人技能実習生などを受け入れて何とか回せるかもしれませんが、テキヤは無理だと思う。とりわけ、まともに日本に来ている人は難しい。テキヤは個人事業主ですから、労災や保険という問題がある。だから、外国人は難しいんです。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「土日にするバイは生活費を稼ぐため。タカマチはボーナスとして考えれば、テキヤは食っていけるんです。土日にバイやって稼ぐ。ネタブ(ネタの仕入れ値)と寺社に納めるショバ代、テッカリ(電灯代)引いて四万 ~五万の現金残れば一週間食えます。月に土日が四回あれば、約二〇万円の収入になります。サラリーマンとして、手取り二〇万円は少ないですが、テキヤはそれで食っていけるんです。もっとも、ネタモトに借金なんかしなくちゃいけない時もあるでしょうから、それはタカマチの上がりから支払えるようにする。これができれば、一番いいと思います。  あと、露天商組合ですが、ここに所属するテキヤが互助会費を支払うのは仕方ないと思います。組合では、町内会費や祭りの実行委員会への寄付などがあります。ほかに義理のカネが出てゆく(冠婚葬祭費)。事務所費は、家賃のほかに、電話番を一人は雇わないといけない。光熱水道費も出てきます。これらは必要経費として発生しますから、互助会費は仕方がない。これを、組織への上納だと言われたら心外です。なぜなら、私の所属していた組織では、自ら役職別に毎月会費を払っていました。一番高いのは月五万五〇〇〇円、委員長クラスで五万円、幹事で五〇〇〇円だったと記憶しています。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

「いつの時代も管理されて生きることを忌避する者や、清く正しく生きられない者は一定数存在する。現在社会は、清く正しく生きてきても、ある日、誰しも落ち込みうる暗くて深い穴が至るところに開いている。「誰一人取り残さない社会」を実現するためには、大和氏が話した初代親分のような柔軟な発想が必要だろう。生まれた環境から大人になるまで、非合法なサブカルチャーにドップリ漬かって生きてきた結果、前科を持つようになった人、たまたま犯罪に巻き込まれて前科が付いた人、各人各様である。  彼らを受け入れる社会の寛容さには、残念ながら限界がある。何より、現代社会はワンストライクでバッターアウトの時代である。一回の過ちで人生を棒に振り、所属する社会集団も失ってしまう。いい大人が仕事にも就けず、食うために再犯に至るなど、勿体ない話である。彼らを排除するより、納税者にした方が、よっぽど国のためになる。」

—『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登著

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2026年03月17日

Posted by ブクログ

テキヤさんを世界を詳しく知ることができる一冊。知らないことだらけでした。

親の幼馴染にマルBの方がいて、夏祭りになるとテキヤさんをやっていた。
そのせいもあって、テキヤ専業の方が、同一視されてしまうのかなと思った。
でもその人は、いつも明るくてとても良い人だった。
いい人すぎて、その世界ではあまり出世できなかったと、親は言っていた。
でも、私はお祭りでその方に会うのが楽しかった。サービスしてくれるし。

以前、その人から聞いたことがあります。
販売するのもにも食べ物系からおもちゃ、金魚掬いなどがあって、下っ端は焼きそばや焼きとうもろこしなど熱い(暑い)

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2023年08月14日

Posted by ブクログ

初詣やお祭りに欠かせないと言えば、屋台だ。美味しそうな食べ物を作っているのは、「テキヤ」と呼ばれる人たちだ。




テキヤは怖い組の方と同じと見られがちだが、テキヤは売る商品を持っている。そして1つひとつの商品を対面で売って、細々と商売しているので、暴力団や博徒とは違うと著者は指摘している。





著者は2011年12月下旬から地元のテキヤ組織に入り、断続的に商売に従事したことがあるそうだ。





実体験を交えながら、テキヤ組織の事務局長だった人物、さらにテキヤの帳元(親分)の娘だった人物からテキヤ業界にまつわる話を聞いている。




テキヤの世界は教科書には載らないが、この本は貴重な資料だ。




最後にテキヤ用語も載っている。テキヤの場合、「口伝
」形式なので、文字が残っていないから厄介だと感想を述べている。




テキヤの隠語は少なくとも8種類のカテゴリーがあると著者は述べている。転倒、省略、変音、分解、借用、添加、形容、連想。




もう1つ「裏社会用語一覧」も載っている。著者が2003年以降に、関わった調査で取材対象者から聞いた範囲の裏社会用語。




「大学」とあるので、どこかの国公立か私立の大学かと思ったら刑務所を意味する。




○○大学薬学部といえば、薬物関係で○○刑務所に服役していたという意味になる。




そうなるとあの有名人たち(浮かんで来る名前は3人)は何度も薬学部に通っていたことになるなあ。とてもではないが勉強熱心だなとはとても思えない。





それにしても今年の初詣は、屋台が多く出ていてにぎわっていたなあ。




初詣やお祭りには欠かせない屋台だけに担い手のテキヤの世界がどうなっていくのか気になる。

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2023年01月17日

Posted by ブクログ

お祭りで身近にもかかわらず、まったく知らない世界を垣間見れた。コロナ禍でお祭りが復活しだして気になって読んでみた。

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2023年08月22日

Posted by ブクログ

テキヤ稼業の実態が書かれた寂し本。
知らない世界だが、やはり怖い裏稼業方と同じ世界だと思っていたが、ちょいと違う事が理解でした。 感想は、なかなかいい表せなくて難しい本でした。

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2023年08月12日

Posted by ブクログ

縁日の屋台っていうのはやくざが取り仕切っているんだよ、と得意げに吹聴するひとも少なくないけれど、実際の形態を表すには大雑把に過ぎるよう。

本書は、ふたりのテキの(ちなみに両人ともかなりの高齢者である)オーラルヒストリーが大部分を占める。それは悲しくもあるし、感動的でもある。
ただ、あまりにも魅力的に描き過ぎて、つい天邪鬼な気持ちが芽生えるところもある。
嘘というわけではないし、暴排条例についての問題点も重要だと思う。特段問題もなくセーフティネットとして機能していたものを、わざわざ消滅させる理由もないと思う。
しかし、それをより浮き彫りにさせるためには、行政側の視点も取り入れたほうがわかりやすかった気がする。本書ではテキヤと警察との関係も度々描かれるし、暴排法施行してからの警察関係者の話などもあれば、よりよかった。

巻末についている用語集は、なにかに役立つわけではないだろうが、なかなか貴重だと思う。

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2023年07月30日

Posted by ブクログ

暴力団、ヤクザには、博徒系とテキヤ系があるという基礎知識はあったんだが、いわゆるテキヤさんから、ヤクザになっているのはなくもないけど、沢山はない。
そういうことか。
縁日屋台がほぼボーやんの収入源かと思ってドン引きしていたんだが、相当違うようだ。日本の庶民の文化を、担って来た一面があることは間違いないらしい。
筆者は、テキヤが、暴対条例の対象になっていることに憤る。分かる。
お二人の、テキヤさんの人生が描かれているが、かなり問題があるにしても、実に魅力的だ。

だが、これはあくまで、テキヤさんの視点だ。

テキヤをマル暴という警察や、関わる市井の人々、あるいは十把一絡げられている博徒系のおヤクザさんたちの声が全く聞こえてこない。

そこを聞きたい。

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2023年06月06日

Posted by ブクログ

現存する「テキヤ商売」は決して「ヤクザ商売」とは違い、縁日などでの稼ぎ商売人であることだ。また、近年露天商は「キッチンカー」など素人の商売人が増えている、と言う、その背景には昔ながらの「テキヤ」正月、5月、9月だけの商売では儲からず、人手がいないことだ、と言う。「テキヤ言葉」で気になったのが行商をゴミと言い、客をジンキヤリと、様々な差別語が多いと言うことなど面白い。

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2023年05月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

テキヤの掟
祭りを狙った文化、組織、慣習

著者:廣末登
発行:2023年1月10日
角川新書

テキヤはヤクザか?違うなら、どう違う?誰しも持っている疑問。以前に読んだ本に、神棚や儀式の仕方が違うと書いてあった。この本によると、祀神(祭神)が違うのだという。テキヤの盃事(さかづきごと)の儀式では、中国神話の農業神である神農と、中国の伝統の帝王で異学の祖とされる黄帝、「神農黄帝」の軸を掲げる。一方、ヤクザは「天照大神」を中央に、「八幡神」「春日大社」を左右に掲げるという。(32)

著者は社会学者(犯罪社会学)で、九州で大学の教職や研究員、保護司についているが、毎日新聞で「暴力団博士」と命名されたらしい。「ヤクザと介護~暴力団離職者たちの研究」(角川新書)なども執筆している。2003年から反社会勢力の研究を行っており、2011年12月下旬からは断続的にテキヤ組織にも加わって商売に従事した経験も持つ。非合法なことはなにもしていなかったという。

テキヤを十把一絡げで暴力団扱いし、祭りの出店をコントロールする寺社や警察(機動隊や交通課)は許可を出し、四課(暴力団対策課)は締め付けるという図はおかしいと著者は主張している。(213)

テキヤは商売人、暴力団は博徒だから基本的に稼業が違う。物を売るテキヤ、裏社会のサービス業のヤクザ。テキヤの圧倒的大多数は暴力団ではないとする著者。しかし、テキヤ系暴力団が存在することも事実で、それが極東会。桜井一家関口一門を中核とする全国で最大規模のテキヤ組織で、指定暴力団となっている。(7)

テキヤ組織は庭場を持ち(極東会はなかった)、親分かその組織の幹部がテイタ割り(ショバ割り)を行う。その前に、チャクトウ(到着簿)をつけ、ネタ(商売で扱う品)の種別、業態、よその土地から商売に来る旅人の一家名と本人の名を記す。ネタと種別、旅人の持つ一家の看板の重さなどを検討し、上(神殿寄り)、中、下に店を割り当てる。旅人の顔を立て、商品バッティングを防ぐ。自分たちも他所へ行って商売するが、そこで世話になるのでテイタ割りは同業者の互助的なルールであり、配慮でもある。(28)

テキヤへの規制が厳しくなり、庭主が減ってきている。不在の場所は警察がテイタ割りにあたる「ヒネ割り(ヒネは警察を意味)」を行うが、その後の保守点検までは手が回らない。挨拶回り、規則通りしているかのチェック、クレームが入った時の対応なども、当然、警察はしない。例えば、フライドポテトをする屋台がブランクフルトや唐揚げもすると、当然、他の競合店からクレームが親分のところにいくが、そういう場合の対処など。(36)

テキヤの親分クラスだと、テキヤの庭場(ショバ)エリアをシマとするヤクザとの付き合いがある。テキヤの若い衆はカタギだが、本家の親分に限っては土地のヤクザの親分と盃をかわすケースもある。「オツキアイ」は俺1人でという気持ちで下部に及ぼさないため。(202)(216)

ヤクザとテキヤの関係は、大まかに言うと以上のようだが、個別にもっと密着したり、疎遠だったり、一概には言えないことだろう。

近来はテキヤ(的屋)、かつては香具師(ヤシ、ヤーサマ、ヤーコウ)と呼ばれたが、その名称については、ヤー的、つまりヤシ(香具師)の転倒から来たというが、はっきりとしない。(185)

歴史の詳細記述はないが、平城京には東市と西市が官設されている、現在のような集団化の原型は主として徳川中期から徳川末期にできた、などと先人の著作から引用している。(189)

1923(大正12)年に起きた関東大震災後はではテキヤが危機を迎えるが、東京や大阪で一致団結する。ところが、3年後に警視庁は失業者対策として「露店慣行指定地」を発令し、失業者や素人がにわか露天商となったため、テキヤは益々苦しくなった。しかし、これは若い人たちが露天商になってテキヤ文化を継承したメリットもあった。(190)

昭和に入ると百貨店がテキヤを不安に陥れる。昭和6(1931)年には浅草に松屋が進出。
第二次大戦は皮肉にも焦土においてテキヤに商機をもたらした。しかし、町が徐々に形を整えてくると露店のスペースはせばまったが、そこへGHQの露店禁止方針が出てしまった。転業資金3万円の交付を受けても焼け石に水。(197)

テキヤ側も対策を立てた。300人の組合員が15万円ずつ出して移動しないですむビルを建てた。4階建の「サービスセンター」。共同出資による露店の集合体。夜店の感じもどこか漂わせた異色デパートで、警備もテキヤ界の名物男が引き受けた。1995年、京都発祥で全国展開していた百貨店・丸物(まるぶつ)に買収されて「マルブツ百貨店」となった。(198)
(iadustika注:丸物は名古屋の丸栄の設立にも参加、最後は近鉄百貨店に買収される。サービスセンターは「新宿サービスセンター」で、マルブツから伊勢丹に渡り、現在は伊勢丹メンズ館)

テキヤのみでの生活は苦しく、資金力のある者は中古車販売やスナック経営などしているが、若い衆は祭りがない時期、ヒラビ(平日:縁日以外の日)というスタイルで商売をしてきた。例えば、スーパーなどに通って出店をお願いし、駐車場などに出させてもらう。(203)

コロナ禍で都市が麻痺した年から、キッチンカーやドライブスルーのバイ(商売)が散見されるように。(205)

観光地のキッチンカー、商売のスペースは、イベント企画会社が管理しているが、管理会社は誰でも聞いたことがある人材派遣会社など。テキヤが管理している庭にしても、うかうかしていたらこの管理会社が入ってくる可能性がある。彼らはパソコンでテイタ割りをするが、寺とすれば使用料さえ取れれば誰がやっていてもいい。(208)

この本は、以上の他に、2人のテキヤ関係者に対する詳細な取材記録を掲載している。ページの半分以上をさいていて、読み物としてはむしろこちらがメインであり、内容的にも面白く、読みやすかった。1人は若い頃にテキヤに入った叩き上げで、組織の3層構造の最上層である「連合会」の副会長をもした大和氏。もう1人は、人形師でテキヤの親分をしていた人の娘、宮田氏。

***(大和氏の話)***

大和氏は1960年代前半に東京都足立区で生まれ、製造業を営む祖父、父のもと、比較的裕福に育った。千葉に別荘もあったが、専業主婦の母親が働きに出るなど父の商売も下降気味に。プロ野球選手になりたくて帝京高校に入ったが、教師を殴り中退。運送会社で配送助手に。中学時代の転校生・渡部の誘いで暴走族「極悪」に入る。

ある朝、自宅で寝ていると「おはよう逮捕」される。傷害・暴力行為。保護観察処分となり喫茶店でバイトたが、先輩がトラブルでやめる。傷害容疑で「日曜逮捕」。今度は試験観察となり、保護施設に入って引っ越しセンターで働く。重労働だったが充実していた。保護施設が閉鎖になりアパート暮らし。しかし、会社の労働そぎに巻き込まれて辞めざるを得なくなる。

失業中、暴走族仲間だった石田がよく来るようになる。ある日、埼玉で若い者を探している人間がいるので、義理があるから行ってみてくれ、嫌なら辞めればいいといわれた。それがテキヤだった。住み込みで入った宇山商事は、表向きは建設会社の下請けで人夫出しをしていたが、裏の顔は「関東神農連合会(後の関東神農会)に属する神農組織「武州睦(ぶしゅうむつみ)」系の親分だった。武州睦は東京の下町に庭場を持つ老舗のテキヤ。関東連合会―武州睦―宇山睦会という序列。(73)

タバコ銭として3万円と寝るところが与えられたが(途中から飯場に寝かせられた)、親分の飼っている何頭もの土佐犬の散歩から始まり、手配師の仕事もさせられた。浅草でぶらぶらしている人に声をかけて人夫を確保する。バイは、5月と6月、7月、8月など、親分の趣味で出していたボク屋(植木)をさせられ、その合間に人夫探し。売上が悪いと怒られる。

結婚し、ソースせんべいでテキヤ本格デビューする。以後、段々と商売を広げていく。平成の初め頃、酉の市で熊手をバイしていた親分の逝去にともない、本家の親分から言われて熊手もするようになった。酉の市は2回の年と3回の年があるが、3回の数日間で400-500万円の売上げ。大和氏の懐には100万円ぐらい入った。ただし、体にきつい。前夜祭は夕方から日付が変わるまで、翌日は朝9時~日付変わりまで営業。お客が買ってくれたら周りのテキヤも集まって三本締め。協力しあって盛り上げる(93)

1985年過ぎごろから、上部の武州睦の事務局次長もさせられるように。さらに、本家の親分から「世話人の補佐」も言われる。高市の主な流れは、事前に寺社に許可を取り、OKが出たら約1月前に受付を開き、ネタヅケ(出店申請)で、オトモダチの皆さんのネタ(商品)を確認。受付後の変更は認めない。警察、保健所、消防署に申請書類を提出、ごみの収集運搬業者も手配。前々日には店を割るための線引き、そしてショバ割りで出展者にバイする場所を割り振る。ネタ被りのないよう、また複数出店する同業者には公平に割るように、気をつけないといけない。バイ中は保健所や消防署の人と各店を回って安全確認。終わると清掃。あんず飴やジャガバタのバターはなかなか落ちない。翌朝も確認し、さらに掃除をして寺社に返す。これだけではない。交通整理、出店料集めも仕事。(99)

宇山の親分は、事務局仕事に体を取られるのが気に入らなかったが、さらに最上部団体の関東神農連合会の事務局も任されることになった。親分他界後は会の仕事に専念し、最後は副会長・総本部室長、慶弔委員長に。(101)

暴排条例が施行された2011年には、関東親王会・関東神農一家・武州睦四代目分家絵山下(仮名)三代目を継承した。名刺を使い分けるのが大変になった。(102)

バイだけでは生活できず、2014年に有限会社大和工業を設立し、建設会社の下請けに。十分ではないが、なんとかやっていけた。しばらくするとコンプライアンスがきびしくなった、おたくはテキヤだから大丈夫だと思うが十分注意を、と取引先から言われる。そこで、2017年には関東神農会十代目総長の下へ出向き、除籍を申し出る。快く承諾してくれ「今までご苦労さん、しっかりやっていけよ」と送り出される。(109)

2020年12月、自治体から呼び出しがあり聴取を受ける。アリバイ的にこちらの言い分を聞くだけで、納得したようなことを言いつつ、翌年の2月には建設業の許可取り消しが来る。(115)

理不尽さに我慢ができず、「暴力団博士」の存在を知ったのでフェースブックで連絡を取る。その後、警察が取引先にプレッシャーを掛け、取引を打ち切らせる。妻が大病で旅立つ。

***(宮田氏の話)***

娘は1947年、疎開先の長野県で生まれ、墨田区に戻ると焼けたところに父親が手作りした家で暮らす。父親は子供のころにわんぱくで、屋根から飛び降りて怪我をして壊疽を起こし隻脚(松葉杖も手作り)になった。人形の店をしていた家に生まれた父は人形師だったが、戦後の動乱期に食べられず、家族を養うためにテキヤに。好きで入ったのではなかった。1954(昭和29)年、父が加入していたテキヤ組織「江東三寸(こうとうさんずん)」の親方が他界し、まだ数年の経験しかない父が先輩からのすすめで跡目を取り、帳元(親分)に。(131)

テキヤの親分は地元の顔なので、知らない人も飛び込んでくる。ある親子が「死ぬしかない」と来た。父親は学校の先生だったが体を壊して失職したとのこと。すると父は「おまえさん死ぬんだね。そうかい。じゃあ、何でもできらあな。明日、山に行って教えてやるから、カブトムシとクワガタを取って来いよ。売り方も教えてやっからさ」と言う。その親子はカブトムシとクワガタを集めて暮らした。その後、水チカ(水風船)の商売を教えた。(132)

一家の暮らしは楽ではなかった。原因は父の「博打」。テキヤは小旅行をかねて温泉旅館などで花会(博打旅行)を開く。父は親分なので行かないわけにはいかない。負けが多かったが、勝った時はその分を物に換えて周りに配ってしまい、帰るころにはすっからかん。たまに使い切れないことがあると、「旨いものでも買ってこい」と母に渡す。汗水垂らして得たお金は綺麗に使う、博打の金はさっさと使ってしまう、という主義だった。(141)

金に困ると家を売り、次の家を買う。借りずに必ず買う。古くても駅に近いところ。当時は、それでも倍とかで売れた。

人形づくりにかける情熱は強かった。売るのは母。仕事は教えず、見て覚えろというタイプ。娘も見ていた。父が死に、残した人形を売り切ると、見様見真似で娘もつくる。うまくできない。髪をつけると禿げていく。ある日、通りかかったお客さんが「この子は寂し気で、薄毛でどうしたの」といい、さらに「この子売れないわよ」と。恥ずかしい思いをしていると「かわいそうね、私が連れて帰ります」とお代を払ってくれた。(169)

三年目ぐらいからやっと自分なりに納得ができるように。浅草や亀戸では、「あなた、腕を上げたわね」と声を掛けてくれるお客さんが。すると、「昔売った人形を返してください。新しい人形と交換しますから」というと、「いえ、あの子は私の家に置いておきます」と言われる。(170)

客のなかにある製薬会社の管理職がいた。専務が退職するので社員からの記念の品として人形の注文をもらった。専務は大のテニス好きだから、人形にテニスの格好をさせてくれないか、と頼まれた。和の人形に洋装させるのは申し訳なさそうだった。彼女は二つ返事で引き受けた。社内で評判となり、追加で3組の注文が来た。

ベルギーの人からは「三社祭風のいなせな格好にして欲しい」との注文も。気が付くと23年間も人形を作っていた。(172)

こないだまでスーパーのごみ箱あさりをしていた、というオジサンが来た。通りがかりの奥さんが「うちに来て働かないか」と言ってくれて、材木屋の仕事をしてごみ箱あさりしなくていいようになった。昔からお姉さんの売っている人形見てたんだ、欲しいなって思って。そういってピン札だして買ってくれた。2年後、また来た。孫夫婦が見つけてくれて一緒に住もうといってくれたのでもう来ない、だから今日は大きいのをもらっていくよ、とまたピン札を出して買ってくれた。(173)

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2023年05月10日

Posted by ブクログ

正月や縁日などで見かける出店や屋台は、子供の頃など、お参り自体より楽しみなものだった。こうして、誰もが知ってるのに、実態をよく知らないテキヤ。何となく不良っぽい人もいるし、裏稼業的なイメージもある。本書は、そんなテキヤが、様々な例外はあれど、本来は一種の商売人であると指摘する。屋台(三寸と言うらしい)一つで商売しているわけで、相互扶助や親分子分の一家的なつながりなどヤクザ・暴力団と似た感じもするが、基本は真っ当な商売らしい。中には前科者もいるだろうが、更生して、あるいは更生するためにテキヤをやっている者もいるだろう。そんなテキヤも時代の変化とともに変わりつつある。今後、どうなっていくのだろうか。

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2023年04月15日

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