【感想・ネタバレ】テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習のレビュー

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Posted by ブクログ 2023年08月14日

テキヤさんを世界を詳しく知ることができる一冊。知らないことだらけでした。

親の幼馴染にマルBの方がいて、夏祭りになるとテキヤさんをやっていた。
そのせいもあって、テキヤ専業の方が、同一視されてしまうのかなと思った。
でもその人は、いつも明るくてとても良い人だった。
いい人すぎて、その世界ではあまり...続きを読む出世できなかったと、親は言っていた。
でも、私はお祭りでその方に会うのが楽しかった。サービスしてくれるし。

以前、その人から聞いたことがあります。
販売するのもにも食べ物系からおもちゃ、金魚掬いなどがあって、下っ端は焼きそばや焼きとうもろこしなど熱い(暑い)

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Posted by ブクログ 2023年01月17日

初詣やお祭りに欠かせないと言えば、屋台だ。美味しそうな食べ物を作っているのは、「テキヤ」と呼ばれる人たちだ。




テキヤは怖い組の方と同じと見られがちだが、テキヤは売る商品を持っている。そして1つひとつの商品を対面で売って、細々と商売しているので、暴力団や博徒とは違うと著者は指摘している。


...続きを読む


著者は2011年12月下旬から地元のテキヤ組織に入り、断続的に商売に従事したことがあるそうだ。





実体験を交えながら、テキヤ組織の事務局長だった人物、さらにテキヤの帳元(親分)の娘だった人物からテキヤ業界にまつわる話を聞いている。




テキヤの世界は教科書には載らないが、この本は貴重な資料だ。




最後にテキヤ用語も載っている。テキヤの場合、「口伝
」形式なので、文字が残っていないから厄介だと感想を述べている。




テキヤの隠語は少なくとも8種類のカテゴリーがあると著者は述べている。転倒、省略、変音、分解、借用、添加、形容、連想。




もう1つ「裏社会用語一覧」も載っている。著者が2003年以降に、関わった調査で取材対象者から聞いた範囲の裏社会用語。




「大学」とあるので、どこかの国公立か私立の大学かと思ったら刑務所を意味する。




○○大学薬学部といえば、薬物関係で○○刑務所に服役していたという意味になる。




そうなるとあの有名人たち(浮かんで来る名前は3人)は何度も薬学部に通っていたことになるなあ。とてもではないが勉強熱心だなとはとても思えない。





それにしても今年の初詣は、屋台が多く出ていてにぎわっていたなあ。




初詣やお祭りには欠かせない屋台だけに担い手のテキヤの世界がどうなっていくのか気になる。

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Posted by ブクログ 2023年08月22日

お祭りで身近にもかかわらず、まったく知らない世界を垣間見れた。コロナ禍でお祭りが復活しだして気になって読んでみた。

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Posted by ブクログ 2023年08月12日

テキヤ稼業の実態が書かれた寂し本。
知らない世界だが、やはり怖い裏稼業方と同じ世界だと思っていたが、ちょいと違う事が理解でした。 感想は、なかなかいい表せなくて難しい本でした。

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Posted by ブクログ 2023年07月30日

縁日の屋台っていうのはやくざが取り仕切っているんだよ、と得意げに吹聴するひとも少なくないけれど、実際の形態を表すには大雑把に過ぎるよう。

本書は、ふたりのテキの(ちなみに両人ともかなりの高齢者である)オーラルヒストリーが大部分を占める。それは悲しくもあるし、感動的でもある。
ただ、あまりにも魅力的...続きを読むに描き過ぎて、つい天邪鬼な気持ちが芽生えるところもある。
嘘というわけではないし、暴排条例についての問題点も重要だと思う。特段問題もなくセーフティネットとして機能していたものを、わざわざ消滅させる理由もないと思う。
しかし、それをより浮き彫りにさせるためには、行政側の視点も取り入れたほうがわかりやすかった気がする。本書ではテキヤと警察との関係も度々描かれるし、暴排法施行してからの警察関係者の話などもあれば、よりよかった。

巻末についている用語集は、なにかに役立つわけではないだろうが、なかなか貴重だと思う。

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Posted by ブクログ 2023年06月06日

暴力団、ヤクザには、博徒系とテキヤ系があるという基礎知識はあったんだが、いわゆるテキヤさんから、ヤクザになっているのはなくもないけど、沢山はない。
そういうことか。
縁日屋台がほぼボーやんの収入源かと思ってドン引きしていたんだが、相当違うようだ。日本の庶民の文化を、担って来た一面があることは間違いな...続きを読むいらしい。
筆者は、テキヤが、暴対条例の対象になっていることに憤る。分かる。
お二人の、テキヤさんの人生が描かれているが、かなり問題があるにしても、実に魅力的だ。

だが、これはあくまで、テキヤさんの視点だ。

テキヤをマル暴という警察や、関わる市井の人々、あるいは十把一絡げられている博徒系のおヤクザさんたちの声が全く聞こえてこない。

そこを聞きたい。

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Posted by ブクログ 2023年05月19日

現存する「テキヤ商売」は決して「ヤクザ商売」とは違い、縁日などでの稼ぎ商売人であることだ。また、近年露天商は「キッチンカー」など素人の商売人が増えている、と言う、その背景には昔ながらの「テキヤ」正月、5月、9月だけの商売では儲からず、人手がいないことだ、と言う。「テキヤ言葉」で気になったのが行商をゴ...続きを読むミと言い、客をジンキヤリと、様々な差別語が多いと言うことなど面白い。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2023年05月10日

テキヤの掟
祭りを狙った文化、組織、慣習

著者:廣末登
発行:2023年1月10日
角川新書

テキヤはヤクザか?違うなら、どう違う?誰しも持っている疑問。以前に読んだ本に、神棚や儀式の仕方が違うと書いてあった。この本によると、祀神(祭神)が違うのだという。テキヤの盃事(さかづきごと)の儀式では、...続きを読む中国神話の農業神である神農と、中国の伝統の帝王で異学の祖とされる黄帝、「神農黄帝」の軸を掲げる。一方、ヤクザは「天照大神」を中央に、「八幡神」「春日大社」を左右に掲げるという。(32)

著者は社会学者(犯罪社会学)で、九州で大学の教職や研究員、保護司についているが、毎日新聞で「暴力団博士」と命名されたらしい。「ヤクザと介護~暴力団離職者たちの研究」(角川新書)なども執筆している。2003年から反社会勢力の研究を行っており、2011年12月下旬からは断続的にテキヤ組織にも加わって商売に従事した経験も持つ。非合法なことはなにもしていなかったという。

テキヤを十把一絡げで暴力団扱いし、祭りの出店をコントロールする寺社や警察(機動隊や交通課)は許可を出し、四課(暴力団対策課)は締め付けるという図はおかしいと著者は主張している。(213)

テキヤは商売人、暴力団は博徒だから基本的に稼業が違う。物を売るテキヤ、裏社会のサービス業のヤクザ。テキヤの圧倒的大多数は暴力団ではないとする著者。しかし、テキヤ系暴力団が存在することも事実で、それが極東会。桜井一家関口一門を中核とする全国で最大規模のテキヤ組織で、指定暴力団となっている。(7)

テキヤ組織は庭場を持ち(極東会はなかった)、親分かその組織の幹部がテイタ割り(ショバ割り)を行う。その前に、チャクトウ(到着簿)をつけ、ネタ(商売で扱う品)の種別、業態、よその土地から商売に来る旅人の一家名と本人の名を記す。ネタと種別、旅人の持つ一家の看板の重さなどを検討し、上(神殿寄り)、中、下に店を割り当てる。旅人の顔を立て、商品バッティングを防ぐ。自分たちも他所へ行って商売するが、そこで世話になるのでテイタ割りは同業者の互助的なルールであり、配慮でもある。(28)

テキヤへの規制が厳しくなり、庭主が減ってきている。不在の場所は警察がテイタ割りにあたる「ヒネ割り(ヒネは警察を意味)」を行うが、その後の保守点検までは手が回らない。挨拶回り、規則通りしているかのチェック、クレームが入った時の対応なども、当然、警察はしない。例えば、フライドポテトをする屋台がブランクフルトや唐揚げもすると、当然、他の競合店からクレームが親分のところにいくが、そういう場合の対処など。(36)

テキヤの親分クラスだと、テキヤの庭場(ショバ)エリアをシマとするヤクザとの付き合いがある。テキヤの若い衆はカタギだが、本家の親分に限っては土地のヤクザの親分と盃をかわすケースもある。「オツキアイ」は俺1人でという気持ちで下部に及ぼさないため。(202)(216)

ヤクザとテキヤの関係は、大まかに言うと以上のようだが、個別にもっと密着したり、疎遠だったり、一概には言えないことだろう。

近来はテキヤ(的屋)、かつては香具師(ヤシ、ヤーサマ、ヤーコウ)と呼ばれたが、その名称については、ヤー的、つまりヤシ(香具師)の転倒から来たというが、はっきりとしない。(185)

歴史の詳細記述はないが、平城京には東市と西市が官設されている、現在のような集団化の原型は主として徳川中期から徳川末期にできた、などと先人の著作から引用している。(189)

1923(大正12)年に起きた関東大震災後はではテキヤが危機を迎えるが、東京や大阪で一致団結する。ところが、3年後に警視庁は失業者対策として「露店慣行指定地」を発令し、失業者や素人がにわか露天商となったため、テキヤは益々苦しくなった。しかし、これは若い人たちが露天商になってテキヤ文化を継承したメリットもあった。(190)

昭和に入ると百貨店がテキヤを不安に陥れる。昭和6(1931)年には浅草に松屋が進出。
第二次大戦は皮肉にも焦土においてテキヤに商機をもたらした。しかし、町が徐々に形を整えてくると露店のスペースはせばまったが、そこへGHQの露店禁止方針が出てしまった。転業資金3万円の交付を受けても焼け石に水。(197)

テキヤ側も対策を立てた。300人の組合員が15万円ずつ出して移動しないですむビルを建てた。4階建の「サービスセンター」。共同出資による露店の集合体。夜店の感じもどこか漂わせた異色デパートで、警備もテキヤ界の名物男が引き受けた。1995年、京都発祥で全国展開していた百貨店・丸物(まるぶつ)に買収されて「マルブツ百貨店」となった。(198)
(iadustika注:丸物は名古屋の丸栄の設立にも参加、最後は近鉄百貨店に買収される。サービスセンターは「新宿サービスセンター」で、マルブツから伊勢丹に渡り、現在は伊勢丹メンズ館)

テキヤのみでの生活は苦しく、資金力のある者は中古車販売やスナック経営などしているが、若い衆は祭りがない時期、ヒラビ(平日:縁日以外の日)というスタイルで商売をしてきた。例えば、スーパーなどに通って出店をお願いし、駐車場などに出させてもらう。(203)

コロナ禍で都市が麻痺した年から、キッチンカーやドライブスルーのバイ(商売)が散見されるように。(205)

観光地のキッチンカー、商売のスペースは、イベント企画会社が管理しているが、管理会社は誰でも聞いたことがある人材派遣会社など。テキヤが管理している庭にしても、うかうかしていたらこの管理会社が入ってくる可能性がある。彼らはパソコンでテイタ割りをするが、寺とすれば使用料さえ取れれば誰がやっていてもいい。(208)

この本は、以上の他に、2人のテキヤ関係者に対する詳細な取材記録を掲載している。ページの半分以上をさいていて、読み物としてはむしろこちらがメインであり、内容的にも面白く、読みやすかった。1人は若い頃にテキヤに入った叩き上げで、組織の3層構造の最上層である「連合会」の副会長をもした大和氏。もう1人は、人形師でテキヤの親分をしていた人の娘、宮田氏。

***(大和氏の話)***

大和氏は1960年代前半に東京都足立区で生まれ、製造業を営む祖父、父のもと、比較的裕福に育った。千葉に別荘もあったが、専業主婦の母親が働きに出るなど父の商売も下降気味に。プロ野球選手になりたくて帝京高校に入ったが、教師を殴り中退。運送会社で配送助手に。中学時代の転校生・渡部の誘いで暴走族「極悪」に入る。

ある朝、自宅で寝ていると「おはよう逮捕」される。傷害・暴力行為。保護観察処分となり喫茶店でバイトたが、先輩がトラブルでやめる。傷害容疑で「日曜逮捕」。今度は試験観察となり、保護施設に入って引っ越しセンターで働く。重労働だったが充実していた。保護施設が閉鎖になりアパート暮らし。しかし、会社の労働そぎに巻き込まれて辞めざるを得なくなる。

失業中、暴走族仲間だった石田がよく来るようになる。ある日、埼玉で若い者を探している人間がいるので、義理があるから行ってみてくれ、嫌なら辞めればいいといわれた。それがテキヤだった。住み込みで入った宇山商事は、表向きは建設会社の下請けで人夫出しをしていたが、裏の顔は「関東神農連合会(後の関東神農会)に属する神農組織「武州睦(ぶしゅうむつみ)」系の親分だった。武州睦は東京の下町に庭場を持つ老舗のテキヤ。関東連合会―武州睦―宇山睦会という序列。(73)

タバコ銭として3万円と寝るところが与えられたが(途中から飯場に寝かせられた)、親分の飼っている何頭もの土佐犬の散歩から始まり、手配師の仕事もさせられた。浅草でぶらぶらしている人に声をかけて人夫を確保する。バイは、5月と6月、7月、8月など、親分の趣味で出していたボク屋(植木)をさせられ、その合間に人夫探し。売上が悪いと怒られる。

結婚し、ソースせんべいでテキヤ本格デビューする。以後、段々と商売を広げていく。平成の初め頃、酉の市で熊手をバイしていた親分の逝去にともない、本家の親分から言われて熊手もするようになった。酉の市は2回の年と3回の年があるが、3回の数日間で400-500万円の売上げ。大和氏の懐には100万円ぐらい入った。ただし、体にきつい。前夜祭は夕方から日付が変わるまで、翌日は朝9時~日付変わりまで営業。お客が買ってくれたら周りのテキヤも集まって三本締め。協力しあって盛り上げる(93)

1985年過ぎごろから、上部の武州睦の事務局次長もさせられるように。さらに、本家の親分から「世話人の補佐」も言われる。高市の主な流れは、事前に寺社に許可を取り、OKが出たら約1月前に受付を開き、ネタヅケ(出店申請)で、オトモダチの皆さんのネタ(商品)を確認。受付後の変更は認めない。警察、保健所、消防署に申請書類を提出、ごみの収集運搬業者も手配。前々日には店を割るための線引き、そしてショバ割りで出展者にバイする場所を割り振る。ネタ被りのないよう、また複数出店する同業者には公平に割るように、気をつけないといけない。バイ中は保健所や消防署の人と各店を回って安全確認。終わると清掃。あんず飴やジャガバタのバターはなかなか落ちない。翌朝も確認し、さらに掃除をして寺社に返す。これだけではない。交通整理、出店料集めも仕事。(99)

宇山の親分は、事務局仕事に体を取られるのが気に入らなかったが、さらに最上部団体の関東神農連合会の事務局も任されることになった。親分他界後は会の仕事に専念し、最後は副会長・総本部室長、慶弔委員長に。(101)

暴排条例が施行された2011年には、関東親王会・関東神農一家・武州睦四代目分家絵山下(仮名)三代目を継承した。名刺を使い分けるのが大変になった。(102)

バイだけでは生活できず、2014年に有限会社大和工業を設立し、建設会社の下請けに。十分ではないが、なんとかやっていけた。しばらくするとコンプライアンスがきびしくなった、おたくはテキヤだから大丈夫だと思うが十分注意を、と取引先から言われる。そこで、2017年には関東神農会十代目総長の下へ出向き、除籍を申し出る。快く承諾してくれ「今までご苦労さん、しっかりやっていけよ」と送り出される。(109)

2020年12月、自治体から呼び出しがあり聴取を受ける。アリバイ的にこちらの言い分を聞くだけで、納得したようなことを言いつつ、翌年の2月には建設業の許可取り消しが来る。(115)

理不尽さに我慢ができず、「暴力団博士」の存在を知ったのでフェースブックで連絡を取る。その後、警察が取引先にプレッシャーを掛け、取引を打ち切らせる。妻が大病で旅立つ。

***(宮田氏の話)***

娘は1947年、疎開先の長野県で生まれ、墨田区に戻ると焼けたところに父親が手作りした家で暮らす。父親は子供のころにわんぱくで、屋根から飛び降りて怪我をして壊疽を起こし隻脚(松葉杖も手作り)になった。人形の店をしていた家に生まれた父は人形師だったが、戦後の動乱期に食べられず、家族を養うためにテキヤに。好きで入ったのではなかった。1954(昭和29)年、父が加入していたテキヤ組織「江東三寸(こうとうさんずん)」の親方が他界し、まだ数年の経験しかない父が先輩からのすすめで跡目を取り、帳元(親分)に。(131)

テキヤの親分は地元の顔なので、知らない人も飛び込んでくる。ある親子が「死ぬしかない」と来た。父親は学校の先生だったが体を壊して失職したとのこと。すると父は「おまえさん死ぬんだね。そうかい。じゃあ、何でもできらあな。明日、山に行って教えてやるから、カブトムシとクワガタを取って来いよ。売り方も教えてやっからさ」と言う。その親子はカブトムシとクワガタを集めて暮らした。その後、水チカ(水風船)の商売を教えた。(132)

一家の暮らしは楽ではなかった。原因は父の「博打」。テキヤは小旅行をかねて温泉旅館などで花会(博打旅行)を開く。父は親分なので行かないわけにはいかない。負けが多かったが、勝った時はその分を物に換えて周りに配ってしまい、帰るころにはすっからかん。たまに使い切れないことがあると、「旨いものでも買ってこい」と母に渡す。汗水垂らして得たお金は綺麗に使う、博打の金はさっさと使ってしまう、という主義だった。(141)

金に困ると家を売り、次の家を買う。借りずに必ず買う。古くても駅に近いところ。当時は、それでも倍とかで売れた。

人形づくりにかける情熱は強かった。売るのは母。仕事は教えず、見て覚えろというタイプ。娘も見ていた。父が死に、残した人形を売り切ると、見様見真似で娘もつくる。うまくできない。髪をつけると禿げていく。ある日、通りかかったお客さんが「この子は寂し気で、薄毛でどうしたの」といい、さらに「この子売れないわよ」と。恥ずかしい思いをしていると「かわいそうね、私が連れて帰ります」とお代を払ってくれた。(169)

三年目ぐらいからやっと自分なりに納得ができるように。浅草や亀戸では、「あなた、腕を上げたわね」と声を掛けてくれるお客さんが。すると、「昔売った人形を返してください。新しい人形と交換しますから」というと、「いえ、あの子は私の家に置いておきます」と言われる。(170)

客のなかにある製薬会社の管理職がいた。専務が退職するので社員からの記念の品として人形の注文をもらった。専務は大のテニス好きだから、人形にテニスの格好をさせてくれないか、と頼まれた。和の人形に洋装させるのは申し訳なさそうだった。彼女は二つ返事で引き受けた。社内で評判となり、追加で3組の注文が来た。

ベルギーの人からは「三社祭風のいなせな格好にして欲しい」との注文も。気が付くと23年間も人形を作っていた。(172)

こないだまでスーパーのごみ箱あさりをしていた、というオジサンが来た。通りがかりの奥さんが「うちに来て働かないか」と言ってくれて、材木屋の仕事をしてごみ箱あさりしなくていいようになった。昔からお姉さんの売っている人形見てたんだ、欲しいなって思って。そういってピン札だして買ってくれた。2年後、また来た。孫夫婦が見つけてくれて一緒に住もうといってくれたのでもう来ない、だから今日は大きいのをもらっていくよ、とまたピン札を出して買ってくれた。(173)

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Posted by ブクログ 2023年04月15日

正月や縁日などで見かける出店や屋台は、子供の頃など、お参り自体より楽しみなものだった。こうして、誰もが知ってるのに、実態をよく知らないテキヤ。何となく不良っぽい人もいるし、裏稼業的なイメージもある。本書は、そんなテキヤが、様々な例外はあれど、本来は一種の商売人であると指摘する。屋台(三寸と言うらしい...続きを読む)一つで商売しているわけで、相互扶助や親分子分の一家的なつながりなどヤクザ・暴力団と似た感じもするが、基本は真っ当な商売らしい。中には前科者もいるだろうが、更生して、あるいは更生するためにテキヤをやっている者もいるだろう。そんなテキヤも時代の変化とともに変わりつつある。今後、どうなっていくのだろうか。

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