(2018年1月のブログ内容を2020年11月に転記したものです)
○ インドとギリシャの数のかぞえかた
零はインドで発見されたというのはよく知られていることですが、興味があり、詳しく読もうと手に取りました。
私たちが何気なく行っている数の計算にも実は長い歴史がありますが、その歴史の中で、「位
...続きを読む取り記数法」という考えに至るのにとても長い時間が必要だったことが書かれています。わたしたちが27529と書くとき、1番初めの2は20000を表すのに対し、4番目の2は20を表しています。同じ記号で2種類の数字を表しているのです。言われてみればそうですが、あまりにも普段自然に使いすぎているので、これを読んだときなるほどと思いました。BC五世紀の古代ギリシャでは
M(β) ,ζ φ κ θ (M(β)は (Mの上にβ))
と書いたそうです。ここでは20000はM(β)、20はκと書かれています。27029であれば
M(β) ,ζ κ θ
となるでしょう。1瞬4ケタの数かなと思ってしまいますが、2729であれば、
,β ψ κ θ
となります。20000と2000と20にはそれぞれ別の文字が割り当てられているのです。これは当時の数字が計算のためのものではなく、そろばんなどの道具で行った計算結果を記録しておくための道具だったことに起因するようです。
インドでなぜ、それとは逆に、0を置くことによる位取りが行われていたかということには諸説あり、本書でも明確にはしていませんが、インドでは数を郵便番号や電話番号のように順に読んでいく流儀があったことも原因のひとつではないかといっています。27529であれば
2アユタス 7サハスラ 5シァタ 2ダシァン 9
と読んだようです。これは現代日本で
2マン 7セン 5ヒャク 2ジュウ 9
と読むのに似ていますね。
このような読み方をすると必然的に空位(0)という概念が出てくるのではないか、というのは面白い考察だと思います。
○ 数の概念の拡張
さて、0の発見だけにとどまらず、数が自然数から実数まで拡張していく歴史も述べられています。これこそ本書の中心ではないでしょうか。
本文を一部引用します。
“ギリシァ人は、数学的事実――たとえば、ユークリッド幾何学における諸定理――は数学者がこれを発見するに先立って、すでにそれ自身存在しているものと考えていた、これに反して、現代では、数学的事実は、ポアンカレのいったように、「数学者自身が――時として数学者の気まぐれがこれを創造する」のであると考えられている”
人間のこころを説明するためのワードも、そのような飛躍が必要なのかもしれません。自然数(有理数の一部)から無理数への飛躍、これは離散から連続への飛躍でもあります。特に性に関して述べるとするならば、男女という枠組みから脱して様々な分類がなされていますが、これらは全て離散的な概念であり、連続的な性という考え方を持っている人は、少ないのではないでしょうか。真実は後世にまかせるとしても、そのようなことを考察するには十分な価値があるように思えます。そのために、数学の歴史というのは一つのロールモデルになるのではないでしょうか。