物語の立ち上がり方は寒気を覚える程で、肌の上をゆっくりと爪でなぞられている様な、痛さと戸惑いと、その裏に覗く昏い快感みたいなものがない混ぜとなった読中感。中年女性ばかりの群像劇ということで、蠱惑的というか本能的に感じる‘混ぜたら危険’な雰囲気があるんですよね。タイトルに含まれる『熊』というワードから想起される野生的でコントロール不能そうなイメージとも上手くマッチする。一度湧き上がったら抑えられない性欲や攻撃性、はたまた母性。食事や排泄の場面がやけに細かく書かれるのも、人間をどこまでも動物の一種として捉えている視座によるのかな。
欲求は理屈じゃないのよ。
東北某県にある女性専用のシェルター「丘の上の家」に暮らす〈リツ〉と〈アイ〉。雪の降っていた日にアイが偶然にも道の駅の公衆トイレに捨てられていた男の赤ちゃんを拾い上げ、その子を丘の家で育てることにした、というところから物語の時間が進み始める。
その子は〈ユキ〉と名付けられた。
何らか事情があったにせよ親から捨てられてしまった子供の姿と、「太くなりすぎたのや曲がった胡瓜」(p24)という、形が不揃いだったというだけで他所に「おすそわけ」(同)されてしまう野菜の様子が私にはオーバーラップして感じられた。
様々な立場の女性達が登場する作品であり、彼女たちそれぞれが抱える『熊』が何を示しているのか。
過去の性的トラウマから来る男性不信。
他人と比べた時にどうしても覚える劣等感。
強烈な被災体験により壊れてしまった倫理観。
地方から上京したものの弾き出された挫折の記憶。
それぞれが対峙する『熊』は時に心をズタズタに掻き乱し、時に自分の身体も他人の気持ちも食い破らんとする勢いで暴走することもある。
どうすれば『熊』を宥めることが出来るか。
ひとつには‘愛’に触れる事なのではないか、という回答を木村紅美先生は「皮膚を合わせているとなめらかさとぬくもりが移り、はちみつ色の光に包みこまれる錯覚に陥る。」(p139)と表現されているのではないか、と私は思いました。
この場面はリツがユキを性的な拠り所として抱き締めているシーンなので、見方によってはグロテスクな風にも捉えられるかもしれないのですが、『熊』にとって『はちみつ』はやっぱり嬉しいものだと思いますので、そこには何らかの示唆があると思います。
そう考えてみると、本作に登場する女性達は皆【‘愛’に飢え‘愛’を探して市街地を彷徨い歩く『熊』】という事になるのではなかろうか。
そのように私の中で納得のいく理解の折り合いをつけた時、確かに凄い作品を読んだな、という思いが再び肌を粟立てたのでありました。
1刷
2026.1.17