ヒトラーとナチ・ドイツ
著:石田 勇治
講談社現代新書 2318
本書は、ナチとは、ヒトラー(1889.04.20-1945.04.30)とはどういうものであったのかを主眼として語っている
ナチ党:国民社会主義ドイツ労働者党 は、実は、極右組織である
アドルフ・ヒトラーが政権にあった 1933-1945 をドイツでは「ナチス時代」という
ワイマール体制下で、消沈していたドイツ国民は、ヒトラーに魅せられ、高い人気があった
ヒトラーは、マックス・ウェーバの云う、カリスマ的指導者であった
本書は大きく3つに分かれる
ヒトラーの誕生から、ナチ党の発足まで
ナチ党の台頭から、ヒトラー政権の誕生まで
ヒトラー政権下で行われた政策について
気になるのは、以下です。
■ヒトラーの誕生から、ナチ党の発足まで
・ヒトラーは、オーストリア(ハプスブルク帝国)のブラウナウ生まれ
正確には、ドイツ人ではないが、ドイツ人としてのアイデンティティを強くもっていた
・孤児年金や親の遺産からもあり、絵葉書や水彩画の図案の作成などのアルバイトをしていたヒトラーは、1914年に、第一次世界大戦勃発の際に、バイエルン州ミュンヘンにて志願兵となる
・政治家になる転機は、戦後に1919.04 兵営内での選挙で、兵士評議会の一員に選ばれたことだった
・反ユダヤ主義的極右政党の1つ、ドイツ労働者党に入党、ヒトラーは党と軍とのパイプ役をまかされることとなった
・1920 ナチ党:国民社会主義ドイツ労働党に改名、25の綱領が発表された
①ドイツ民族の自治権の行使と領土の獲得、敗戦国ドイツの国境を修正し、国外のドイツ人を包み込む大ドイツを実現すること
②ユダヤ人から、公民権を剥奪すること
ナチ党の目的は、中間層へ危機意識を訴え、それを支持基盤に組み入れることであった
・1921 ヒトラーはナチ党の独裁権を握る
多数決という民主主義のルールをヒトラーは嫌い、反議会主義であった
党員の出身階層を、中間層から、労働者層へ広げることが課題であった
ナチ党が誕生した、バイエルン州の各地に党支部を設置すること
どの党よりも、ヒットラーは、街頭演説を重視し、そして彼は、演説の名手であった
・1923 ドイツの賠償金の未払いを理由に、フランス・ベルギー連合軍は、ルールを占領する
ルールは、ドイツの有数な工業地帯である
ワイマール共和国は、占領軍への要請を拒否するが、紙幣の増刷で経済危機に対処するが、歴史に残るハイパーインフレがおきてしまう
ワイマール共和国は国民の信頼を失い、国内政治は低迷する。この状況下で、軍と右翼が連携し、軍部独裁にて、事態を解決する動きがあらわれた
・ナチは、クーデターとして、ミュンヘン一揆、カップ・リュトヴィッツ一揆をおこすも失敗、ヒトラーは高速されてしまう
■ナチ党の台頭から、ヒトラー政権の誕生まで
・一揆への裁判で命を取り留めた、ヒトラーは、武力闘争から、順法闘争に方針を切り替える
その方針は3つ
①武闘路線を放棄し、選挙による合法的手段で政権獲得をめざす
②党指導権を再び、ヒトラーの掌中に帰する
③他の急進右派勢力との連携からは離れて、ナチ党の自主独自を確保する
・ナチの聖典として、「我が闘争」の出版 最終的に 1245万部という空前空語のベストセラーとなる
・シュトラッサーは、政権奪取後の政策提言を行うために、第二組織局、農政局を設置する
これにより、ナチ党は、単なる抗議政党から、具体的に政策を実行しうる政党をめざすこととなる
・ヒトラーは党内に弁士要請学校を開校し、6000名もの弁士を育成し、ドイツ全土に派遣した
・1930年ナチ党は、第2党として、国民政党となる
ドイツの4つの社会(ミリュー) 市民(ブルジョア)、資本家、労働者、カトリック、それぞれから
支持されるようになる
・民族の名誉:第1次大戦で亡くなった兵士の戦没追悼式、負傷した兵士への栄誉、社会復帰への援助
栄誉あるドイツに対する取り組みが、ドイツ各層に受け入れられていく
・1932 国会選挙が行われ、ナチ党が37.3%、1375万の票を得て、ドイツの第1党に躍進する
・1933 ヒンデンブルク大統領は、ヒトラーを首相に任命、ついにヒトラー政権が誕生する
・ヒトラーはヒンデンブルクに与えられた大統領特権を使い、
大統領令による、共産勢力の排除弾圧
授権法の成立による、政府への立法権の付与と、そのための議会運営規則の事前変更
を行う
授権法成立後は 死刑執行法、州と国の均制化のための暫定法、同第二法、職業官吏再建法を制定し,施行した
・結果、ナチ党以外の党は解党もしくは、禁止され、わずか半年の間に、ワイマール憲法の実質停止、議会制民主主義は解体された
・1934.08.02 ヒンデンブルグ直後にドイツ国元首に関する法を制定し、大統領と首相の役職を統一し、ヒトラー総統に大統領権限を委譲する法が成立する。こうして、ドイツ史上最大の権力を有する独裁者が誕生する
■ヒトラー政権下で行われた政策について
・ヒトラー政権では、権利関係が複雑であり、ヒトラー自身も把握ができないほど、複雑な権利関係が出現した
しかしヒトラーは、よしとした。些少時間がかかっても、最終的にヒトラーが判断できればよかったのである
・失業対策
①勤労奉仕制度
②結婚奨励制度による女子の労働市場からの退場と、その枠を男子若年層への解放
③アウトバーンの建設、軍事部門の拡大による雇用の拡大
・国民統合 ⇒ 民族共同体 フォルクスゲマインシャフトの形成
社会的弱者、ロマ、ユダヤなどの非アーリア人の排除 そのため、ナチ党大会が頻繁に実施される
都合の悪い、思想書籍を排除 ⇒ナチスによる焚書坑儒が行われた
・大ドイツ主義 ドイツ人が生活する領域をドイツに取り戻す事
①1933 再軍備交渉 ジュネーブ軍縮会議決裂、国連離脱、再軍備 背後にポーランドとの相互不可侵条約
②オーストリアの併合交渉、ドルフース首相の暗殺、併合は失敗、ソ連は孤立をおそれ、国連加盟へ
③1935 ザール地方の住民投票、ドイツに帰属
④1935 ドイツ再軍備
⑤1936 ラインラント進駐(ケルンを中心とする、フランス占領地域)
⑥1936 スペインフランコ支援 1937 伊日枢軸
⑦1938 オーストリア出兵、ズデーデン、プラハ攻略、ポーランド回廊返還要求
⑧1939 ポーランドへ侵攻、第2次世界大戦が勃発
⑨1941 ドイツ軍が、ソ連領内に侵攻、独ソ戦が始まる 1941 アメリカへも宣戦布告 1945 終戦
・人種政策
安楽死殺害政策 ホロコースト、大虐殺を受けたのは、ユダヤ人だけではなく、敵兵の捕虜や、
ロマ人(ジプシー)、ドイツ人でも、身障者、同性愛者、精神病患者、反体制者も同様の迫害を受けた
人種主義、優生思想、反ユダヤ主義
当初、ユダヤ人を東ポーランドへ移民 ⇒ 移民ドイツ人を優先中止
次に、マダガスカルへ移民 ⇒ イギリスと和解できなかったため中止
ソ連へ移民 ⇒ 独ソ戦が進捗しなかったため中止
最終 ⇒ 絶滅収容所を設置し、そこで殺害
ナチスの思想は、アーリア人の優れた考えを広めるための十字軍として、ソ連を含めた各国に侵攻した
絶滅収容所
①ヘウムノ 145,000名死亡
②ベウゼツ
③ソビプル
④トレブリンカ ②~④合計で 1,750,000名死亡
⑤マイダネク 125,000名死亡
⑥アウシュヴィッツ・ビルケナウ 1,100,000名死亡
目次
はじめに
第一章 ヒトラーの登場
1 若きヒトラー
2 政治家への転機
3 ナチ党の発足まで
4 党権力の掌握
5 クーデターへ
第二章 ナチ党の台頭
1 カリスマ・ヒトラーの原型
2 「ヒトラー裁判」と『我が闘争』
3 ヒトラーはどのようにナチ党を再建したのか
4 ヒトラー、ドイツ政治の表舞台へ
第三章 ヒトラー政権の成立
1 ヒトラー政権の誕生
2 大統領内閣
3 議会制民主主義の崩壊
第四章 ナチ体制の確立
1 二つの演説
2 合法的に独裁権力を手に入れる
3 授権法の成立
4 民意の転換
5 体制の危機
第五章 ナチ体制下の内政と外交
1 ヒトラー政府とナチ党の変容
2 雇用の安定をめざす
3 国民を統合する
4 大国ドイツへの道
第六章 レイシズムとユダヤ人迫害
1 ホロコーストの根底にあったもの
2 ヒトラー政権下でユダヤ人政策はいかに行われていったか
第七章 ホロコーストと絶滅戦争
1 親衛隊とナチ優生社会
2 第二次世界大戦とホロコースト
3 絶滅収容所の建設
4 ヒトラーとホロコースト
おわりに
関連年表
参考文献・図書案内
ISBN:9784062883184
出版社:講談社
判型:新書
ページ数:368ページ
定価:1000円(本体)
2015年06月20日第1刷発行