著者は中国の内モンゴル自治区出身で静岡大学の文化人類学者。
本書執筆の意図の中心には、直近の民族問題である習近平中国の2020年の内モンゴル自治区に対するモンゴル語教育禁止命令に対する元宗主国たる日本への中国の内モンゴル人同化政策阻止運動への期待にある。しかし、その根底となる知識、広く周辺の知識として、中央部ユーラシアを基礎に据えた民族地政学の提唱と言語問題を含む国際的民族問題、共産党中国、漢人の金丹道やスターリンのソ連のモンゴル人、ウイグル人、カザフ人、チベット人に対する多くのジェノサイドなどが述べられ、最後に国際的民族問題に対して日本がとるべき行動が述べられる。
実は中華人民共和国と内...続きを読む モンゴルの近代から現代の問題を知るつもりで購入したが、読み進むに従い、実際には南北(内外)モンゴル、テュルク系の中央ユーラシアを広く理解してこそ内モンゴルの問題を理解することになるということがわかる。
言語教育の禁止、同化政策は、現在のウクライナ戦争の原因の一つと言われる。ウクライナ東部やクリミアではロシア語を公用語から外そうとしたことがロシア系住民・移民の不満を産んだと言われる。今ではロシアが占領したウクライナではウクライナ語教育は禁止され、ロシア語教科書のみが使われている。最悪の効果を生み出す同化政策である。戦前までの日本でも、沖縄では学校で島言葉を話すと方言札と言う罰を受けた。アイヌが差別を受けることを恐れて、また、仕事を得る必要から家族の中でさえアイヌ語を禁じて子供には話させないことが横行し、今ではアイヌ語のネイティブ話者はほぼいなくなった。言語は民族にとって決して譲れないアイデンティティであり、それ故に同化政策は集団虐殺と共にある民族を抹殺するための最高で最悪な手段なのだ。
著者は、モンゴル人の共通認識では、中国とは漢民族の国を指し、モンゴル人の国ではないと言う。モンゴル人は中国人の中のモンゴル族、チンギス・ハーンはヨーロッパまで遠征した唯一の中国人(モンゴル人チンギス・ハーンは実はカスピ海の西には行っていない)、内モンゴルは元々中国の一部、などの北京政府の主張、モンゴル人に対する同化政策に強く反発する。そしてウイグル人やチベット人も同様の同化政策のジェノサイドの犠牲となっている。
現在の中国では内モンゴルのモンゴル人を、元来中華民族の中の一民族のモンゴル族として扱い、一方漢民族は民族と呼ばないことに、中国の同化政策を指摘する。中国政府の政策により、中国のモンゴル人はモンゴル族と名乗ることを強制され、国籍が中華人民共和国であってもモンゴル人は中国人と呼ばれることを嫌うと言う。内モンゴル人の著者は、北京の大学で自分をモンゴル人と名乗ったところ、モンゴル族と名乗るよう厳しく指導されたとのこと。
遊牧民は大きくは満洲から黒海周辺までの中央ユーラシア全体にわたって活躍していた。
現在でもモンゴル人の居住はモンゴル国や内モンゴル自治区にとどまらず、新疆ウイグル自治区、モンゴルに接するロシアのトゥバ、ロシア内極寒シベリアのバイカル湖周辺のブリヤート共和国、ロシア内カスピ海沿岸(遠い!)のカルムイク共和国の主な住民がチベット仏教を信仰するモンゴル系の人と知って驚いた。
テュルク系の人々はイスラム教徒が多く新疆ウイグル自治区、旧ソ連の中央アジアの独立国カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタンなどに住むが、古くモンゴルから出たチンギス・ハンの末裔を今も自認し、モンゴル人とは同じ遊牧民として古くから隔てなく交流し、互いに一定の同胞意識を持った人たちだと知った。
本書にはチンギス・ハーンに関する記述が多く、モンゴル人にとってチンギスは単なる英雄などではなく、日本人の天皇に比することができると言う。そして、満洲人の建国した清朝も、実はチンギス・ハーンの威光を利用してモンゴルを配下に置き、そして漢民族の中国に進出していったことを初めて知った。
さらに知ったのは、モンゴル人が漢民族を支配下に治めたことはあっても、モンゴル人が漢民族の支配下に入ったのは近年のわずか数十年前から過ぎないこと。つまり、不完全に北モンゴルだけで独立した社会主義国のモンゴル人民共和国と満洲人の清朝の下に残された内モンゴルの時期後、内モンゴルの2/3に日本の傀儡政権のモンゴル自治邦ができ、さらに第2次世界大戦後ヤルタ密談が発効し、この時点で歴史上初めてモンゴルは政治的に完全に南北(内外)モンゴルに分断する。そして衰弱していた満洲人の清朝が滅んだ後、漢民族中国は混乱期に入り、中国共産党が中華民国を台湾に駆逐して初めて漢民族は内モンゴルを支配することになる。そもそも、万里の長城を境として漢民族とモンゴル人は基本的に何千年も棲み分けられてきた。言い換えると、漢民族とモンゴル人は全く共通なものを持たないお互いに異民族ということ。つまり、元来中国の一部などではなく、現在の共産党中国がモンゴルを略奪支配している状態なのだ。
満州族による清朝に先立つ漢民族の明王朝はどうかと調べると、多少の越境紛争はあっても万里長城のきたに位置する内モンゴルを含めてモンゴル人を支配するには至っていなかった。
インド最後の王朝ムガールがイスラム化したモンゴル人だったというのにも驚き。調べると、ムガールとはモンゴルのペルシャ語。創始者バーブルは今のウズベキスタン出身で母がチンギス・ハンに繋がる。
また、日本が太平洋戦争時、7年ほど内モンゴルの2/3に当たる地域に傀儡国家を作って支配下に置いたことがあり(満州国とモンゴル自治邦)、この時に内モンゴル人とモンゴル人民共和国の両方のモンゴル人にとって、統一モンゴル人国家設立への期待を抱いたのだという。この時の日本人は満州の搾取・開発に忙しかったためかモンゴルを幸いにも高度の自治を与えて放置していたらしい。このため、モンゴル人は日本人を「(日中戦争での)侵略者」としては見ていないと言う。反日キャンペーンを延々と続けている北京政府とはえらい違いだ。日本人には、「元宗主国として」内モンゴル自治区のモンゴル人を支配搾取する中国を糾弾することを、著者は望んでいる。さらに著者は日本人の「自己の植民地(モンゴル自治政府)に対する忘却」を指摘するが、全くその通りだと思う。内モンゴルに関する情報はほとんど知られていないのではないかと思う。私はこのような過去や現在のモンゴル人と日本の関係も全く知らなかった。
著者は、「字も読めない中国人農民や自分の名前すら書けない共産党幹部が、複数言語を話し、日本やソ連の大学を卒業し」、「中国より先にモンゴル語のコンピューターソフトも開発」できたモンゴル人を「立ち遅れた野蛮人」として差別した、と言い放つ。もちろん全ての中国人ではないから言い過ぎの面はある。しかし、これはあくまでも危険でブラックなジョークに違いない。真に受けるのは止そう。
カザフスタンではソ連時代に強制されたキリル文字表記が2025年までにローマ字に置き換えられようとしていると知り、これも驚いた。
中央アジアのソ連諸国では、多くの国が長期政権で「遊牧民社会特有の独裁」政治を行っているのだが、筆者は古くからの「大ハーン」政治を継承して中国やロシアとうまく付き合っていく「ある程度の独裁者」を多くの(全てではない)国民が受け入れているとみなしている。これも私の思う典型的民主主義観に反していて、ちょっとした驚きです。
本著では、モンゴル人民共和国独立の経緯については、ほとんど記述がないのが残念で、なぜこの人民共和国独立時に南(内)モンゴルを含めることができなかったのか、とても気になっている。
著者は日本で広く知られている(らしい)「スーホの白い馬」という絵本を批判している。いくつかの点から、中国人が「階級闘争論」に沿って書いたプロパガンダ著作を元にしているために、モンゴル人にとって違和感だらけのものになったと指摘する。著者が指摘する「中国の北のほう、モンゴル」という文については、「中国内の」内モンゴル自治区を指すのは明らかと述べているが、日本語のあいまいさにより「中国の領土よりも北方に位置する、モンゴル」とも取れる(個人的にはこっちかな)。とはいえ、中国共産党の思惑に沿って書かれた物語がベースとなっていることには確か。
ただ、この「スーホの白い馬」部分は別の著作にして(結論のみ提示して)、その分モンゴル人民共和国の独立の経緯、南(内)モンゴルが含まれなかった理由などにページを使って欲しかった。
筆者の日本に対する苦言は一聴に値する。
一つは「戦争絶対悪論」。これは「正義対非正義の戦争論」によって導かれるが、正義・非正義は絶対的価値観にはなれずに崩壊しており(特にイデオロギーによる価値観)無意味と言う。しかし、戦争を肯定しては、戦争の如何なる諸悪さえも裁くことができなってしまうはず。更なる議論が必要だと思う。
もう一つは「現実離れした非武装論」。度重なる中国からのジェノサイドを受けてきたモンゴル人から見れば、天真爛漫となる。しかし、今では自衛隊の明記を伴う憲法改正論、沖縄県での自衛隊の軍備増強など、ウクライナ戦争や香港民主化運動弾圧の衝撃以後、日本でも実質的にはいくつもの武装化が進んでいる。中国やロシアに対抗するつもりではあるが、とても十分とは言えない。全く嫌な気分になるが、それは正論なのだろうか。
(たとえ防衛でも)戦争では不当な犠牲が生まれ、終わっても戦勝国の不当な密約が生まれ、報復の連鎖が起き、結局は問題が解決しないと確信している。
中華人民共和国のモンゴル人に対する過去のジェノサイドやモンゴル語教育禁止は悲惨だが、本書に加えて、「重要証人:ウイグルの強制収容所を逃れて/サイラグル・サウトバイ」を読むと、新疆ウイグル自治区のウイグル人やカザフ人ムスリムに対するジェノサイド(殺人・拉致・強制収容所監禁・拷問・強制避妊・生体臓器収奪・強制労働・ウイグル語教育禁止、漢人の移植と土地収奪、草原の破壊と河川・泉・飲料水の汚染)が今現在も起こっているとわかる。現代に甦る奴隷依存の植民地政策である。さらに、ウイグルの強制収容所(再教育収容所)内の写真を含む虐待の証拠となる大量のデータのリークと、それに続くトップの左遷は記憶に新しい。一帯一路が公表されたことで、本書に詳述されている内モンゴルで過去に起きたのと怖いくらいの一致で、漢民族が押し寄せて無断で土地を奪い遊牧民に壊滅的打撃をあげていることもわかる。世界の非難を浴びながらも、内政干渉とだけ言って済ませ続ける習近平政権の非道に、世界中の良心が関与できずにいるのは、本当に残念。新疆ウイグル自治区で進行中のジェノサイドが、モンゴル語教育禁止に続いて内モンゴル自治区で、あるいは同様にチベット自治区で始まるのではないかと怖くなる。