羽田 正
(はねだ まさし、1953年7月9日[1] - )は、日本の歴史学者。専門は、世界史・比較歴史学[2]。東京大学名誉教授。東京大学東洋文化研究所元所長。 1953年、大阪市生まれ。京都大学文学部史学科で学び、1976年に卒業。京都大学大学院文学研究科東洋史学(西南アジア史学)専攻に進学し、修士課程を1978年に修了。同博士後期課程進学し、1980年よりパリ第3大学博士課程に進学。1983年、Doctorat de troisième cycle (Etudes iraniennes) を取得。帰国後、1984年に京都大学大学院文学研究科博士後期課程を単位取得退学。1984年、日本学術...続きを読む 振興会奨励研究員。1985年より日本学術振興会特別研究員。1986年、京都橘女子大学文学部助教授となった。1989年、東京大学東洋文化研究所助教授に転じた。1997年、同教授に昇格。2004年4月1日から2006年3月まで、同副所長を務めた。そして、2009年4月1日からは同所長となった[3]。2012年3月、同所長を退任。2012年4月1日からは東京大学副学長ならびに国際本部長となった。2019年、東京大学を定年退任し、名誉教授となった。その後は、東京カレッジ長を務めている[4]「歴史には力がある。現実を変える力がある。人々に未来を指し示す力がある。この歴史の力によって、現代社会を覆う閉塞感を突き崩し、将来に向けての展望を手に入れられないだろうか。 過ぎ去った昔について語る歴史に、本当にそのような力があるのかと訝る人がいるかもしれない。しかし、これは間違いなく事実である。戦前の日本における皇国史観を思い出していただきたい。国史の教科書では神武東征が皇国日本の始まりとされ、一九四〇年には、紀元二六〇〇年が祝われた。万世一系の天皇家が統治する大日本帝国は特別だと国民の多くが信じ、東亜に新秩序を建設することを帝国の責務と考えた指導者たちが人々を導き、帝国は日中戦争から太平洋戦争へと突き進んでいった。 皇国史観が崩壊した第二次世界大戦後の言論界では、近代主義とマルクス主義の歴史学者たちが活躍した。彼らは互いの歴史観を批判しあう論敵同士だったが、その一方で、戦争に負けた日本を欧米と比較してアジア的、後進的だと見る点で、立場を共有していた。彼らは、いわば同じ土俵の上で相撲を取る好敵手だったのだ。日本を後進的と見る歴史観に基づいて記された彼らの多くの著作が、日本人一般の世界と日本を見る眼に決定的な影響を与え、欧米に追いつくことを至上命題とする戦後の日本社会の骨格と方向性が形成されていった。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「これらの例を思い浮かべれば、納得がゆくはずだ。歴史には、確かに現実を変え、人々に未来を指し示す力がある。過去を研究することによって現代を理解し未来を展望する歴史学という学問は、決して「虚学」ではない。現実の人間社会と密接に結びついた「実学」である。もちろん、地上六〇〇メートルを超える高さの東京スカイツリーや瞬時に遠くの人にメイルを届けるインターネットに代表される科学技術のように、人々の生活の向上にすぐに直接結びつくわけではない。しかし、歴史学が生み出す歴史の解釈は、より深く静かに、そして時間をかけて人間の世界観に影響を及ぼし、やがて人間社会の仕組みやあり方を根本的に変えてゆくのだ。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「しかし、一部の例外をのぞくと、そのような場面を眼にすることはなかった。一時代前と比べると、歴史学者が社会の趨勢に大きな影響を与える著作を発表する機会は、確実に減っている。残念ながら、現代日本の歴史学が生み出す議論や語りには、かつてのように現実を変える構想力や、未来を指し示す魅力が備わっているようには見えない。 人々が過去への関心を失ったからというわけではなさそうだ。古代ローマから近代の清朝や日本を題材とするものまで、多くの歴史小説が人気を博し、なかにはテレビでドラマ仕立てとなって放映されているものもある。 NHKの大河ドラマは、過去に題材をとった現代のホームドラマだとの評もあるが、依然として人気が高い。歴史上の人物が映画の題材となり、映画作品の背景に歴史的な事件が用いられることがしばしばある。ゲームソフトの世界でも、「信長の野望」や「三国志」をはじめ、歴史ものは概して人気があるようだ。「歴女」と呼ばれる一群の歴史好きの若い女性たちが、日本全国の史蹟を巡ってもいる。人々は過去には十分関心を持っているのだ。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「よく言われるように、歴史は、現代に生きる私たちによる過去への問いかけである。自分たちの生きる今を理解し、これから進むべき方向を定めるために、私たちは歴史を必要とする。しかし、現在は一瞬にして過去となり、その姿は刻一刻と変化している。当然、過去への問いかけもそのときどきで変わってくるはずだ。どういう観点から過去を見るか、過去の何を重要だと捉えるかは、個人や人間集団によって、また時代によって異なる。過去の解釈や理解は、決して不変ではないし、ただ一通りしかないわけではない。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「時代が先に進んでいるのに、なぜか歴史研究者の多くは二、三〇年前の立ち位置にとどまったままでいるように思える。研究テーマは細分化され、本人以外にはほとんど誰も読まない論文が次々と生産されている。かつては重要だった研究の視点が、現在ではその意味を失っていることがままある。研究の枠組みや問題関心がすでに過去のものになっているとすれば、その上に何を積み重ねても、一般の人々の関心をひくことはないだろう。なぜそのテーマを研究するのか、現代においてそのテーマを研究する意義は何か、という点について、歴史研究者は、十分自覚的でなければならない。 現代には現代が必要とする歴史認識があるはずだ。人々が自らの問題としてそれを真剣に議論し、新しい歴史認識を生み出そうとしたときに、それが力となって、時代の歯車が一つ回る。いま歴史学者に必要なのは、学界の「常識」に忠実に従うことではなく、時代にふさわしい過去の見方を思い切って提案することだ。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「現代世界が一体として動いていることは、誰の目にも明らかである。世界のうちのある部分と空間的に離れた別の部分が、相互に影響を与え関連しあいながら複雑に動いている。どこのどんな出来事であっても、世界全体を見渡しながら個々の部分に注目しなければ十分には理解できない。例えば、日本のサブカルチャーや若者文化は、世界の多くの若者の嗜好、ファッション、音楽に大きな影響を与えている。現代のフランスで「日本」というと、多くの人々はマンガやアニメ、コスプレを思い浮かべるという。その一方で、当の日本のサブカルチャー自体が、他の国々に住む人々からの様々な影響を受けて成立したものだ。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「アメリカ合衆国で発生したリーマン・ショックは世界を駆け巡って各国の経済に多大な影響を与え、その結果がまたアメリカの政治や経済をゆるがしている。インターネットに国境はなく、テロリストと呼ばれる集団も、国単位で活動しているのではない。つい最近も私たちはインターネットを活用したチュニジアの政変が、そのインターネットを通じて他の国々の政治や社会の地殻変動に直結する有様を目の当たりにした。福島原発の深刻な事故がドイツの選挙結果に大きな影響を与えた。地球温暖化現象はどこかの国や人々の行為だけで生じているわけではない。世界中の人々の行動の総和が環境問題となって私たち自身のもとにはね返ってきているのだ。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「そこに、新たに世界史を構想する積極的な意味がある。この世界史は、地球市民が共有するべき世界史である。まだ漠然としている地球市民という帰属意識を私たちの身近なものとし、ただひとつの地球の上で生きる人々が共同で難問に立ち向かうための知識の基盤を形成すべきものである。これまでの世界史は、日本人の世界史、イギリス人の世界史、タイ人の世界史などなど、国民ごとの世界史だった。現代では、それらはもはや不十分である。現代にふさわしい地球社会の世界史を作り出さねばならない。それによって生まれる歴史の力を使えば、未来への展望が大きく開けるに違いない。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「第一章 現在、私たちが知っている世界史とはどのようなものなのか。最初にその特徴を確認する。また、その世界史が、どのような経緯によって日本で一般的となったのかを説明する。この部分は、現代日本における世界史理解の概略とその成立の経緯の確認である。世界史の歴史とも言えるだろう。「概略や経緯などどうでもよい。いまの世界史の何が問題で、どうすればよいのかを知りたい」とお考えの読者は、第一章を飛ばしてお読みいただいても構わない。 第二章 私たちが知っている世界史がなぜ時代に合わないのか、どこに問題があるのかを説明する。ヨーロッパ中心史観を核とし互いに関連する三つのポイントが現行の世界史認識の問題点であることを指摘し、新しい世界史はこれらを超えるものでなければならないと主張する。 第三章 この章と次の第四章が、上記メッセージの最後の部分、「新しい世界史を構想しよう」に対応する。この章では、これまでにすでに試みられてきた新しい世界史に向けての様々な取り組みを、中心史観からの脱却と共通性・関連性の重視という二つの範疇に区分して紹介する。そして、これまでの試みのどこが有効で、どこが問題なのかを指摘する。 第四章 この章では、私自身が新しい世界史を構想するならば、それはどのようなものであり、具体的にどのような方法をとるかを説明する。新しい世界史はすでに私たちの目の前にあるのではない。これから作るべきものである。したがって、ここで提示される構想はまだ完成しているとは言えない。また、この構想だけが有効だというわけでもない。新しい世界史についての議論を喚起するためのたたき台だと考えていただきたい。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「実際「世界史」の名前を冠した書物は数多く出版され、その内容は様々である。「文明ネットワークの世界史」「港町の世界史」「海からの世界史」のように、世界史を捉える視点を強調したものがある一方、「疫病の世界史」「砂糖の世界史」のように、あるモノや現象を取り上げ、それを世界史の文脈で語ろうとしたものもある。また、世界各地の服飾、結社、国旗、贋札、スパイ、嫉妬などバラエティに富むテーマが、世界史の名を冠して語られ、はては「毒殺の世界史」などという物騒な本まである。さらに、二〇巻、三〇巻もある大部な世界史全集も出版されている。「世界史もの」は、まさに何でもありの様相を呈している。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「この捉え方をやや単純化して図示すると、図 1のようになる。学習指導要領では、古アメリカやアフリカなどは、必ずしも「地域世界」として明示されていない。しかし、地球上の各地に独自の地域世界が存在したという基本的な考え方に立てば、世界史の枠組みをこの図のように描いても大過ないだろう。ただし、東アジア世界と日本の関係は、やや微妙である。学習指導要領では、日本は東アジア世界に含まれているようでもあり、含まれていないようでもある。この点は学習指導要領、ひいては現行の世界史の説明の弱点の一つである。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「第二次世界大戦以前の日本では、世界全体を三つに分割し、それぞれの部分の歴史を「国史」「東洋史」「西洋史」と呼び、この三つの枠組みを用いて研究や教育を行うのが一般的だった。「世界史」という枠組みは、世界の過去を考察するに際して現実的とはいえず、一部の中学教科書が一時この名を用いたとはいえ、ほとんど問題にされていなかった。なぜ三本立ての歴史理解が一般的になったのだろうか。すでに多くの著作がこの問題を論じているので、ここでは簡単に経緯と留意点だけを説明しておくことにしよう。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「ここで注意しなければならないことが二点ある。一点目は、帝国大学における当初の科目名は「史学」であって、「西洋史」ではないということである。そこには明治日本が手本とした当時の西北ヨーロッパにおける歴史認識が投影されている。世界を「ヨーロッパ」と「非ヨーロッパ」という二つの部分に区分して捉えていた西北ヨーロッパの知識人にとって、歴史学とは人間社会の進歩の過程を研究し明らかにする学問だった。彼らは、歴史を語る意味があるのは進歩する「ヨーロッパ」についてだけだと考えた。したがって、ランケの『世界史概観』という著書は、古典古代から一九世紀ヨーロッパに至る「西洋史」だけを論じている。当時の西北ヨーロッパでは、現代日本で言う「西洋史」こそが、歴史であり世界史そのものだったのである。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「この内容構成からは、ヨーロッパないし西洋が近代を創造して先に進み、アジアがその影響を受けて後に続き、その結果として世界全体の一体化が進んだと世界史の流れが捉えられていることが分かる。西洋の歴史が軸となる世界史である。それは、一九四七年に出された学習指導要領(試案)の東洋史編で、「西洋の近代文化は優秀なものであるから、東洋の古風文化がこれに圧倒されたのは当然のことであって、ここに全世界はひとつになり、東洋はひたすらこの優秀な文化を学習消化することになった」と記されている世界史の見方に通じている。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「 いまから五〇年ほど前の一九六〇年に、岩波書店から一冊の本が出版された。『日本国民の世界史』と題されたその書物は、戦後日本の世界史研究と教育に大きな影響を与えた上原専禄を代表とする七人の人々によって共同で執筆された。元来は高等学校社会科世界史の教科書用に準備された原稿だが、その教科書が文部省による教科書検定で不合格となったために、一般書として出版されたものである。七人の執筆者が数年間、多いときには年に二十数回も集まり、しばしば十数時間もの討議を繰り返した末にようやくこの書物が完成したという。 コンピューターやインターネットはおろか電話すらまだ普及していなかった時代である。大変な労苦の末に生み出したこの本で、執筆者たちは世界史学習の意義を熱く語っている。その文章は、五〇年後の今日あらためて読み返してみても、きわめて興味深い。まず、この本の目的について見てみよう。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「現代日本における標準的な世界史認識は、五〇年以上の歳月をかけてゆっくりと練り上げられたものであり、その意味では、洗練されたひとつの完成形である。人々が頭に思い描く世界史という絵のデザインは、大枠としてはほぼ固まっているとみてよい。ドイツ史やロシア史、イスラーム世界史など世界各地の歴史を研究している人の多くは、この大枠を受け入れ、たとえていえば、デザインの細部に色を入れたり、部分的に色調を変えたりする研究を行っているということになるだろう。 しかし、私はその絵のデザインが全体として古くなり、現代という時代には合致しなくなっていると考えている。同じデザインの上にいくら色を塗り重ねても、絵全体の古さは覆い隠せない。いまやデザインそのものを刷新し、新しい絵を描くべきときなのだ。新しい絵は、まだはっきりとデザインが決まらず、当然色も塗られていない。だとすれば、新しい世界史を考えることは、歴史研究者にとって、テーマや方法について自らの創意工夫を発揮できる夢舞台である。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「いずれにせよ、この教科書の内容は、私たちが知っているフランス史とは微妙に異なっているし、もちろんヨーロッパ史(西洋史)でもない。とするなら、日本の高校で世界史を学んだ日本人と、フランスの高校で歴史を学んだフランス人が、世界史や双方の国の歴史に関する知識を共有したうえで、ビジネスや国際会議などの場で商談や討議を行うのは相当に難しいはずである。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「 しかし、何と言っても最大の違いは、この世界史に中国の歴史がほとんど書き込まれていないことである。日本の世界史では、黄河文明を古代の文明の一つとして学ぶが、中国の世界史にはそれは含まれない。唐の歴史も宋のそれも、清代史も記されていない。辛亥革命はもちろん、中華人民共和国建国や東西冷戦期における中国の動向も言及されない。あたかも、中国は世界史に何の影響も与えず、世界史は中国なしでも成立しているかのごとくである。第二編第六章の「二つの文明のアジアにおける衝突」では、主としてイギリスによるインドの植民地化について述べられる。ここで関連してアヘン戦争に始まるイギリスの中国への軍事的・経済的進出が解説されていないのは、日本の世界史を知っている私たちには相当奇異に感じられる。これは、少しでも中国に関係する事象はすべて中国史の出来事と捉えられ、中国史の教科書で扱われることになるからだろう。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「日本の最新の世界史学習指導要領では、世界史における日本の位置づけに十分留意すべきことが繰り返し強調されている。しかし、中国の場合はそのような配慮はなされていないようだ。むしろ、世界史と中国史がはっきりと区別され、両者は完全な二本立てで記されている。この教科書で「世界通史」を学んだ中国人と、日本の教科書で「世界史」を学んだ日本人の間で、世界史についての共通理解を得ることはそう簡単ではない。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「フランスと中国の世界史(歴史)教科書を見ただけでも、世界の異なった国々の人々が、互いに異なった世界史認識を持っているだろうことが容易に想像できる。日本には日本の、中国には中国の世界史がある。フランスでは、これらとはまた別のものとして世界史が理解されているのだ。異なった国に属する人々が世界の歴史について語るとき、彼らの議論の前提となる歴史の知識は、互いに微妙に異なっているわけである。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「もうだいぶ前になるが、ちょうど『イスラーム世界の創造』(東京大学出版会、二〇〇五年)という本を執筆中だった頃のことである。大学で理系の同僚と四方山話をしていた際、彼が私の具体的な研究テーマを尋ねた。私が「イスラーム世界とは何なのか、本当に存在するのかということを考えています」と答えたところ、これを聞いた同僚は、「そうは言っても、イスラーム世界はあるのでしょう。高校の世界史で習いましたよ」と反論した。このとき、私は、「そうか。歴史を習うことにはこういう意味があるのか」と咄嗟にひらめいた。期せずして有力なヒントを与えてくれたこの同僚には大いに感謝している。 人、人間集団、モノ、空間など、描く対象が何であっても、その対象の歴史が書けるということは、その対象が存在する、または存在したということになる。存在しないものの歴史は書こうと思っても書けない。イスラーム世界の歴史を高校世界史で習うから、日本人の多くは、イスラーム世界が存在することを当然だと思うのだ。世界史が、イスラーム世界の実体化に貢献しているわけである。 念のために言うと、むろん、世界史だけがイスラーム世界という概念を実体化させているわけではない。欧米とイスラーム世界を二項対立的な存在として捉える世界の見方に疑いを持たず、この世界の見方に基づく言説を強化し再生産し続ける世界と日本の知識人や政治家・官僚、マスメディア。彼らの責任はより重大である。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「現代日本において一般的な世界史の見方の三つめの問題点は、ヨーロッパ中心史観である。これはすでに述べた第一、第二の問題点と密接に関わっており、おそらく現行の世界史の見方に含まれる最大の欠点である。というのも、現在私たちが世界史を学べば、その結果として、ほとんど自動的に、ヨーロッパは特別であり、世界でもっともすぐれていると信じてしまう仕組みになっているからである。なお、日本語では「ヨーロッパ」という語が、しばしば「欧米」と同じ意味で使用される。これは一種の幻想であり、実際のヨーロッパとアメリカ合衆国は多くの点で異なった特徴を持っている。しかし、以下でヨーロッパ中心史観について語る際には、「ヨーロッパ」は「欧米」と同義の語として扱う。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「ヨーロッパ中心史観とは、端的に言うと、次のような考え方である。 ヨーロッパが歴史を作る。世界のその他の地域は、ヨーロッパがそこと接触するまで歴史はない。ヨーロッパが中心である。世界のその他の地域はその周辺である。ヨーロッパは他とは峻別される特別な存在であり、ヨーロッパだけが唯一歴史を作り動かすことが可能なのだ。( Robert B. Marks, The Origins of the Modern World, second ed. Rowman & Littlefield publishers, 2007, p. 8)」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「ヨーロッパだけが進歩・成功したと捉えるこのヨーロッパ史(日本ではしばしば西洋史と同義)が他地域の歴史と区別される形で世界史の中に入り込み、それを私たちが疑問を抱かずに受け入れている間は、ヨーロッパを中心に置いて世界の歴史を解釈するという姿勢や、ヨーロッパが世界の中心でありすぐれているという世界観は決してなくならない。 いくつかの西北ヨーロッパ諸国の経済力、軍事力が他の諸国(地理的な意味でのヨーロッパ内の多くの国も含め)のそれより図抜けて優勢だった一九世紀後半ならいざ知らず、実際にヨーロッパ諸国の意志だけで世界中の人々の生活が動いているわけではないことが明らかな現代世界において、ヨーロッパと非ヨーロッパを峻別しヨーロッパの優位性や特別性を強調するこのような歴史の見方は、もはや支持されない。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「世界の各地で、ヨーロッパ中心史観克服のための努力は、絶え間なく続けられている。ヨーロッパの歴史は特別ではないと、当のヨーロッパに住む人々がしばしば語っている。日本でも、学習指導要領に従って、世界史は複数の文化圏ないし地域世界の歴史の集合体であり、ヨーロッパ史はそのうちの一つでしかないという捉え方が相当程度定着している。根強いヨーロッパ中心史観も、さすがに克服されつつあるようにも見える。しかし、果たして本当にそうだろうか。事はそう簡単ではないと私は思う。確かにヨーロッパ中心史観は相対化された。しかし、現在の日本において一般的な世界認識や世界史の捉え方は、この史観と無縁だと断定はできない。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「 「欧米と比べて日本は ○年遅れている」「欧米を見習い、欧米に追いつかねばならない」「日本が鎖国をしている間に欧米が先に進んでしまった」といった類の論説は、今日でも後を絶たない。ハプスブルク家や印象派絵画の展覧会を開けば、必ず人が押し寄せる。デパートでは、しょっちゅう「フランス・フェスティバル」「イタリア・フェア」などが開催される。 British Museumに「大英博物館」という訳語をあてたままで疑問を持たない。江戸時代の長崎は、実際はほとんど中国貿易の港であったにもかかわらず、「ヨーロッパ文明の窓口」と繰り返し強調される。九州各地で、オランダ船やポルトガル船がかつて来航した場所の自治体は、それを記念し、これらの国の都市と姉妹都市協定を結ぼうとする、などなど。私たちの周りは、いまなおヨーロッパ中心史観が生み出す言説と行動に満ちている。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「現代日本における世界史の見方の最大の問題は、そこに内包されているヨーロッパ中心史観である。かねてから問題として指摘されながら、世界の歴史はヨーロッパを中心に動いてきたと考える態度がなかなか改まらない。どうすれば、このしぶとい「病」を克服できるのだろうか。まず、この点から考えてみよう。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「これはきわめて過激な主張に聞こえるかもしれない。誤解のないように申し添えるが、私は「ヨーロッパ」という単語を世界史の叙述で使ってはいけないと主張しているのではない。価値、あるいは概念としての「ヨーロッパ」が生み出され、その空間に属すると信じる人々がいた、そして今もいること、彼らの信念と行動が、地理的なヨーロッパに住む人々も含め地球上のすべての人々の生活に大きな影響を与えてきたということは、新しい世界史にぜひ書き込まれるべきである。また、もし、西方ユーラシアという耳慣れない地理用語を使うことに抵抗があるなら、西北ヨーロッパ、東ヨーロッパなど、地理的な空間であることを明示して「ヨーロッパ」という語を使うことはあってもよいだろう。 私が批判するのは、はじめから「ヨーロッパ」というひとまとまりの歴史空間の存在を前提とし、その中だけで歴史を論じようとする態度と、それが世界史の中で他と区別された実在の歴史空間だと捉える認識である。これらの態度や認識こそが、概念としての「ヨーロッパ」を実体化させ、二項対立的な世界史の見方を育んできたのだ。 現実の政治・経済連合体であるヨーロッパ連合( EU)に帰属意識を持つ人々が、その歴史を描こうとするのは、彼らの権利であり自由である。 EUの政治的な基盤を固めるために、実際にそのような企画が進行し、 EU共通の歴史教科書が模索されている。しかし、それが概念としての「ヨーロッパ」の新たな歴史にならないように、細心の注意が払われねばならない。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「中心史観による過去の理解が問題なのは、「ヨーロッパ」史だけではない。「ヨーロッパ」と対をなす空間概念として一九世紀に形成された「イスラーム世界」史の場合も同様である。現代日本における「イスラーム世界」は、そこで生じたあらゆる出来事をイスラーム教の特質によって説明できる世界として、理解されている。ヨーロッパが地理的な枠組みによって定められた空間としても想定できるのに対して、高校世界史の教科書で扱われる「イスラーム世界」は、時代によってその空間の広さが伸縮し、どうにも始末が悪い(図 5)。しかも、ある地域が「イスラーム世界」と呼ばれるかどうかは、支配者がムスリムであるか否かというきわめて単純な基準だけによって決まる。支配者がムスリムであれば、イスラーム的な統治(それは他地域とは大いに異なる)が行われるはずだという前提ゆえの地域設定である。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「しかし、地球社会の世界史において、イスラーム法の特殊性を強調することはむしろマイナスである。第一に、支配者がムスリムである社会であっても、イスラーム法とは直接の関係を持たない慣習法的な性格を持つ君主の法や裁きが重要な役割を持つことが多かった。社会を律したのはイスラーム法がすべてであると捉えるのは間違っている。また、イスラーム法の「条文」の多くは、信徒が守るべき戒律と、正しい生活を送るための指針である。このような「法」の存在は、イスラーム教以外に、キリスト教やユダヤ教、さらには仏教や儒教にも見られ、「宗教」には相当程度共通している。イスラーム教とイスラーム法だけが特殊だったとは言えない。新しい世界史では、宗教間に違いがあることを認めたうえで、共通性こそが強調されるべきなのである。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「現代の国家や地域の起源を、時間を遡って探ろうとすると、「中心史観」に陥りがちである。中国についても同じことが言える。中国史では、漢や唐などの大きな王朝国家が成立すれば、それは統一の時代であり、それ以外の時代は分裂の時代とみなされる。この見方には、はじめから広大な中国大陸は政治的に統一されているはずだとの価値判断が入っている。清朝後期、そして近現代中国の姿を過去に投影し、「中国」は必ず過去においても存在していたと考えると、このような理解になる。しかし、交通や通信の状況が現代とは比べものにならない前近代において、地理的な広さがヨーロッパ全体と変わらないこの空間が、政治的に統一されていたとするなら、その方がむしろ例外的な事態なのではないだろうか。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「中国史の有するもう一つの問題点は、漢民族中心史観である。それは、漢民族という人間集団がはるか昔から存在し、中国史はこの民族の歴史として展開してきたとする考え方である。この観点に立てば、例えば、モンゴル人の建てた元や満州人が中心となってできた清は、「征服王朝」と捉えられる。しかし、前近代において、同じ政治権力に統治されていたとしても言語が地方ごとに異なる「中国」の人々に、どの程度の同朋意識が存在したのかは、あらためて検討してみるべき問題ではないだろうか。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「南塚信吾は『世界史なんていらない?』(二〇〇七年、岩波書店)という刺激的な題名の著書で、日本に生きるわれわれが抱える「現代の問題」が、日本という枠を地域的にも時間的にも越えてますます世界的になっている以上、歴史的思考も世界史的な規模で養われねばならないと指摘する。そして、このような問題に対応するには、世界史の中に日本史を取り込んだ「世界史」、あるいは日本史の中に世界史を広く取り込んだ「世界史」が必要だと主張する。 方向性として、私は南塚の意見に同意する。しかし、「日本史」という言葉で、私たちが思い浮かべるのは、地理的な境界は必ずしも一定ではないが、太古から日本列島周辺で営まれてきた人々の過去を他の地理的な空間の過去と切り離し、一本の「筒」の中に入れて解釈し叙述した一国史である。もし、そのような日本史を認めるなら、朝鮮史や中国史、フランス史なども一つのまとまりとして世界史の中に認めねばならなくなる。それでは、現行の世界史の構造と何ら変わらないままになってしまう。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「ヨーロッパ中心史観は「ヨーロッパ」が動いて歴史を作り、「非ヨーロッパ」には歴史がないと考える。両者の間で、過去の捉え方に共通性が見られることは明白である。 もう一つは、中核と周縁という捉え方が、中心性を排するという新しい世界史の目指す方向に反するということである。すでに上で何度か指摘したが、現行の世界史は、政治的、経済的、文化的を問わず、世界のどこかに中心を置いてストーリーを語ろうとする傾向がある。その意味で、世界システム論は、現行の世界史とまったく同じ特徴を持った理論だと言えるだろう。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「現在、地球上の多くの地域で、資本主義の考え方が人々の経済行為の基本となっていることは事実だ。従来は、これを一九世紀以後に欧米によって与えられた、強いられたものと解釈してきた。しかし、見方を変えれば、欧米の資本主義の利点に気づいた各地の人々が、それまで各地域に存在した類似の制度に工夫を加えた、あるいは自分たちの意志により資本主義を自分たちの社会に合うスタイルに修正して導入したとも言えるのではないか。実際、同じ「資本主義」という言葉でひとくくりにされてはいるが、現代世界における経済行為の実態はかなり多様である。世界システム論の言うように、「非ヨーロッパ」が単純に資本主義を通じて「ヨーロッパ」の一部を中心とする世界 =経済に組み込まれていったと捉えるのは、あまりに一方的な解釈である。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「また、最近盛んになっているジェンダーに焦点をあてた歴史研究も、男性が叙述の中心に置かれ、人口の半分を占める女性について目を閉じている現行の歴史解釈と叙述に対する反抗として、大いに注目される。 ただし、女性だけに焦点を絞って世界史を語ろうとすれば、それは逆の意味での中心史観に陥りかねない。女性史という独自の研究分野は存在してよいが、新しい世界史との関係で言えば、女性に注目して過去を見直すことによって、男性中心に描かれた通説を修正し、社会における男女の役割や位置がよく理解できるような叙述を心がけるべきだろう。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「例えば、川北稔『砂糖の世界史』(一九九六年、岩波書店)は、この種の著作の代表としてしばしば取り上げられる名著である。他にも、コーヒー、茶、じゃがいも、銀などを用いて、多くの作品が公にされている。 ただし、この方法による叙述は、従来からのヨーロッパ中心史観的な歴史解釈をそのまま維持したままでも可能であることに注意しなければならない。例えば、上記川北の『砂糖の世界史』では、ヨーロッパやヨーロッパ人という言葉が、ほとんど無前提のままで用いられている。一五世紀以前のヨーロッパ人はキリスト教徒、コロンブス時代のヨーロッパ人はスペイン人、ポルトガル人のことを指し、一八世紀以後になると、叙述はイギリスを中心としてフランスやアメリカに関するものとなる。概念の「ヨーロッパ」の存在を前提とした従来の西洋史的な歴史解釈と叙述である。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「 日本の場合について言うなら、新しい世界史認識に基づき、世界はひとつというメッセージが伝わるような過去の説明が高校の教科書に取り入れられ、人々がそれを学ぶことによって現代にふさわしい世界観を獲得できるのが望ましい。しかし、これまでの高校世界史教科書の歩みを振り返ると、そう簡単にその段階に至るとは思えない。まず、歴史研究者の「常識」が変化し、彼らの生み出す成果が変わり、それが学習指導要領の内容に反映してからでなければ、実際に新しい世界史認識に従った教科書が執筆され出版されることはないからである。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「同じ人間集団の活動が、それを見る角度と立場によって、極端に異なって評価される。これが近現代史の難しさである。オランダとインドネシア人の関係は、日本と韓国人の関係に似ている。植民地期における両者の間の明らかな非対称性を、地球社会の世界史としてどのように描けばよいのだろうか。オランダが東インド(現在のインドネシア)を植民地としたことを記し、それによって何がどう変わったのか、それは世界史の文脈ではどのような意味があるのかといったことを、どちらの立場にも立たず、しかしどちらの立場にも配慮しながら注意深く説明するしか方法はないだろう。それは、基本的に日本と韓国や中国の場合についても同様である。個別の事例を取り上げて解説すると同時に、それらを比較し、この時代の世界全体の構造化も試みねばならない。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著
「西方ユーラシアでは、二〇世紀に二度の大戦を戦ったドイツとフランスの学者が、第二次大戦以後の現代史について、独仏共通の歴史教科書を作成している。バルカン半島でも同様の試みが始まっているという。これらは国ごとの異なった歴史解釈を克服する試みとして注目される。とはいえ、歴史学者が国を背負ったままで議論しても、全員が合意できる結論を得ることはなかなか難しい。日本と中国、日本と韓国の政府間の合意で開始された歴史共同研究も、スムーズに進んでいるとは言えないように見える。」
—『新しい世界史へ 地球市民のための構想 (岩波新書)』羽田 正著