【感想・ネタバレ】新しい世界史へ 地球市民のための構想のレビュー

あらすじ

グローバル化が進み,ますます一体となりつつある現代世界.従来のヨーロッパを中心とした世界史像は,もはや刷新されるべき時を迎えている.いまこの時代にふさわしい歴史叙述とはいかなるものか.歴史認識のあり方,語り方を問い直し,「世界はひとつ」をメッセージに,地球市民のための世界史を構想する.

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Posted by ブクログ

【地球社会の世界史は、世界がひとつであることを前提として構想され、それを読むことによって、人々に「地球市民」という新たな帰属意識を与えてくれるはずのものだからである。】(文中より引用)

「ヨーロッパ」中心史観や時系列的記述,さらには国家を主眼に置いた方法など,多くの問題点を抱えると著者が指摘する世界史を,新たな段階へ進めさせるための方策について考えた一冊。著者は、東京大学副学長を務めた羽田正。

本書が新たな世界史を丸々提示しているわけではないため,議論のとば口を考える上で有用な作品。歴史が持つ積極的な意義を改めて見つめ直しながら,新たな世界観の構築にまで思いを至らせることができるかと思います。

グローバル化に関するここ10年弱の価値観の変遷を感じ取ることもできます☆5つ

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2020年06月12日

Posted by ブクログ

東京大学学術俯瞰講義2009を聴講して、羽田氏のことが
気になり、手に取った一冊。

日本史、特に幕末〜明治成立期への興味が強かったため、
世界史は全く勉強してません。

ただ、ふとしたことがきっかけで、現在の日本と世界の関係に
興味を持ち、本を手に取ったりしてみるものの、サッパリ
分からず(理解できず)、数年悩み続けていたとき。

偶然、iTunesで羽田氏の講義を聴講し、「世界史」
「世界史を理解する」ことに対する考え方が変わった気が
します。

まず、羽田氏が指摘する「ヨーロッパ中心視観」。

「日本人」として「日本史を学ぶ」ことによる「日本人への
意識の帰属」といおうか。

「欧米」が創っている(創り出した?)歴史が、潜在的に
意識の中に刷り込まれているのではないか、と感じた。

まだ、全てを読み終えているわけではないけれど、講義を聴講
して、氏の著書を読む過程での感想は、こんな感じです。

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2013年03月31日

Posted by ブクログ

本書は、主に日本での「世界史」の語られ方、枠組みについて、今や常識となって学校教科にも根付いている方法を批判し、新しい枠組みで世界史を捉え直し、語っていく事を提唱した本。
即ち、副題にもある通り、「人々に「地球市民」という新たな帰属意識を与えてくれる」ようなものとして、世界史は在るべきであると主張する。
何故なら、世界史は単に学問世界における研究の在り方に留まらず、我々人類の来し方を説明し、今の世界がこうあるのはそのためであるという「色眼鏡」を我々にかける性質のものだからである。
世界がますます一体化し、人類が解決しなければならない諸課題が地球規模のものになるなか、我々の意識が「国家」「国民」から抜け出せないのは、ひとえに世界史の語りが影響しているから、と著者は解く。

日本における世界史の枠組みは概ね出来上がっており、高校の教育課程で習う世界史の枠組み・ストーリーがまさにそれである。
それは概ね以下のような枠組みである。
「世界各地に複数の地域世界が存在し、それらが変容、再編されながら互いに結びつきを強め、そのうちのひとつであるヨーロッパ世界の主導によって世界が一体化、構造化する」

何せ我々にとってはこれが学校で習ってきた「世界の来し方」だし、何ら違和感もない。
世界史を通史的に扱った書籍の多くは、概ねこの枠組みに沿っている。
その他にも世界史本といえば、各国史や地域史(中央ユーラシアの歴史、アフリカの歴史等)、海域史(大西洋の歴史など)に、モノに着目したもの(砂糖の歴史、コーヒーの歴史等)、その他かなりバラエティに富んだ切り口の書籍が多数出版されているが、それら全て、メインシナリオである「世界史」を共通の常識・前提として描かれていると言う(言われてみると確かにそうだ)。

その「世界史」の何が問題か。それは
①現行の世界史は、日本人の世界史である。
②現行の世界史は、自と他の区別や違いを強調する。
③現行の世界史は、ヨーロッパ中心史観から自由ではない。
3点であると喝破する。
そしてそれらに対応し、3つの処方を提案して本書を締めている。

本書自体は「新しい世界史」そのものが記述されているのではなく、これから目指していく姿を提唱したものだ。
実際、本書の出版は2011年だが、それ以降著者である羽田氏は多くの研究者と共同で、精力的に新しい世界史を標榜したシリーズ物の書籍をものしている認識だ。

本書を読んで面白かったのは、
・我々が常識としている世界史の枠組みをメタ認知できる。
・既存の多様な世界史研究の位置づけが明確になる。
といった点と、それに加え興味深かったのは、
「環境史的な視点を重視するなら(中略)人類誕生以前の地球の歴史を整理して示すことが是非必要だろう。(中略)137億年の宇宙史を問題にしなければならない」と考察しながらも、それは歴史家の手に余る仕事だと棄却している点。
ご存じの通り、昨今では「ホモサピエンス史」や「地球46億年史」「宇宙137億年史」といった一般向け書籍が多数出版され、多く読まれている。
この点については世の中が当時の著者の読みを追い越したと言える。

一方で、現実の世界はどうだろうか。
これまた言うまでもなく、世界にはいまナショナリズム・分断の風潮が2011年当時より強まっているのではなかろうか。
「地球市民」の意識を醸成し、地球全体の課題に一致団結して臨んでいく"常識"の形成が今こそ求められる時代だが、この15年間の歴史学者の仕事は羽田氏が目指した役回りを十分に果たしてこられているのだろうか。
浅学にしてこの点についてはコメントできないが、しかし世界史の最新の研究をうけた書籍をこれから目を通すにあたり、その研究がどんな願いを込めてなされたものなのかを読み解く補助線に、本書はなってくれたと思う。

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2025年05月30日

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ヨーロッパ中心主義からの脱却、ますますグローバル化する世界の中での「歴史」の意義を考えなければならない。

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2014年10月07日

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時代ごとの人の集団のうごきの断面図をそれぞれにつくっていくこと
銀河鉄道の夜の「それぞれ時代の地理の本」のイメージに近く思える。

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2013年05月14日

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ネタバレ

現行の世界史の問題点を挙げ、「新しい世界史」の構想を打ち立てた本。

現行の世界史には、①日本人の世界史であること、②自と他の区別や違いを強調していること、③ヨーロッパ中心史観から自由でない、という問題点がある。

私たちが世界市民の一人であることを理解できるような世界史にするために、著者は、これらの状況から脱却する必要があると述べる。

たしかに高校世界史の大半はヨーロッパ関連にあてられているし、学生はそれが中心のように思うだろう。
各国でどういった教育をするかということは、国際社会において大きなファクターになる。今後が注目されるところ。

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2013年05月12日

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これまでの世界史がヨーロッパ中心だったことは事実だ.地球全体の歴史をまとめるという構想は素晴らしいアイデアだと思うが,具体的な記述を早く読んでみたいものだ.

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2012年07月25日

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世界は一つ。そのことを世界史を通して実現させよう。そんな著者の思いが伝わってきた。世界史に関して全く無知であるが、それぞれの国がそれぞれの立場の歴史観でもって歴史を語る現状打開に向けての意気込みが伝わり、世界史を改めて勉強したくなった。

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2011年11月29日

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ネタバレ

 グローバル化がすすみ,ますます一体となる現代世界において,「地球市民」による「新しい世界史」のあり方を提起した書。
 これまでの学校教育の世界史は,時系列による各国の歴史であり,またヨーロッパが中心であることに,さしたる疑問も持たずに慣れ親しんできた。
 しかし著者はこれらを取っ払い,「人間集団間の総合的な比較によってある時代の世界の見取り図を描く」ことが必要であるとした。つまり世界史を時系列で捉えるのではなく,現代世界との対比を重視し,横との関連性を重視していくというのだ。この手法には,正直なところ難解に感じた。だが著者も述べているが,具体的な議論はこれからであろう。刺激と可能性に満ちた内容であり,世界史を教える教員は一読すべきだと思う。

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2011年11月29日

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歴史学とは何かとか、歴史学者が歴史というものをどのように捉えているかの一端を知れる本。

自分は高校生のころ歴史というとただ年号を覚える暗記科目といったイメージしか持っていなかったが、そうではなく過去の失敗や教訓を現代や未来に活かそうとする学問なのだと理解した。

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2022年07月22日

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ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』は当然参照されるだろうと予想していたが、川北稔『砂糖の世界史』も登場してきたのは、興味深かった。

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2020年12月11日

Posted by ブクログ

「新しい世界史」ってなんだろう……そんな軽い興味から手に取った一冊。これまでの歴史学で無自覚に濫用されてきた「ヨーロッパ」と「非ヨーロッパ」という歴史の捉え方に著者は異を唱え、新たな視点を提案している。問題点の指摘やその重大性は十分に理解できるものの、抽象的な記述が延々と続き、退屈。「新たな視点」を導入して得られるであろう具体的な記述がもっと欲しい。誰に向けて書かれた内容であるかが見えにくかった。

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2020年05月03日

Posted by ブクログ

思ったほど驚くようなことはなく、流し読みになった。高校生などには勧めたい本。
これまでの世界史のとらえ方、特にヨ―ロッパ中心史観を改革する必要と方法について多くの紙幅を割いている。その主張には概ね賛同する。
しかしながら、隔靴掻痒というか、、、
現代世界でいわゆる「欧米」がいかに主導的役割を占め続けているか、それが「ヨ―ロッパ亅中心史観の原因であることに触れないように書いているあたりに不満を持った。
理想だけを優等生的に書いているようで、これでは「ヨーロッパ」を解体することは叶わないのではと、歯痒い気がするのである。

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2018年08月04日

Posted by ブクログ

2013年47冊目

【全体要約】
日本人にとって世界史とは、高校で習う世界史に基礎がおかれている。しかしこれはあくまで日本人にとっての世界史であり、世界中で普遍的な世界史ではない。そして世界中の世界史はあくまでヨーロッパ、西洋を中心においた歴史観において構成されているため、世界中の人々のための世界史たり得ない。地球がこれほどにグローバル化した以上、地球市民のための世界史を考えるべきではないか。そのために必要な方策を探るのが本書の目的である。

【構成】

1章:日本人にとっての世界史
ー日本の大学では、西欧に追いつくために西洋史(現在の世界史に近い)が研究され、ナショナリズムのために日本史が研究され、アジアを植民地にしていくために東洋史が研究されたという性格を持つ。ゆえに日本において世界史とは西洋史であり、高校で教えられる世界史はそれに東洋史をつぎはぎしたものに過ぎず、純粋な世界史ではない。日本での世界史は日本人にとっての世界史なのである。

2章:今の世界史の問題点
多くの国がそれぞれの歴史を持つ。それは国家が国家としてまとめるために歴史を必要としたからである。そのため、日本での世界史は日本人にとっての世界史である。そしてナショナリズム高揚のために、他国と区別することを目的としていた。最後に、ヨーロッパを中心にした世界の発展を叙述しているため、世界史は世界史というよりも西洋史である。

3章:新しい世界史
現行の世界史には上記の問題点がある。グローバル化が進んだ以上、それぞれの国民のための世界史ではなく、地球市民のための世界史、いうなれば地球史が必要ではないか。現在でもその克服は行われている。例えばバナナの世界史がある。これは国境を越えたバナナの歴史を描くことで世界史のある一側面を描き、ボーダレスな世界を叙述している。近年ベストセラーになった「銃・病原菌・鉄」なども世界を巨視的に描いている点で地球史に近い。しかしながら、それら多くの叙述はヨーロッパを中心に起き、それ以外を周辺においているため、ヨーロッパ中心史観を抜け切れていない。様々な史観と相対的な叙述、ヨーロッパを中心史観の克服が求められる。

4章:新しい世界史への構造
では新しい世界史はいかに描くべきか。ヨーロッパ中心史観を克服し、それを相対的な位置づけとして世界史を描くべきである。また、時系列的な書き方ではなく、重要な概念、①法の支配、②人間の尊厳、③民主主義、④平和の追求、⑤勤労と自由市場、という枠組みで描いていくべきではないか。なぜならば、これらは地球社会が向かっていく先として重要な概念だからである。また、ヨーロッパを相対的に描くためにも横のつながりを意識する必要がある。例えば、ある自由という概念はヨーロッパ以外の場所でも存在しており、それはヨーロッパの概念の対になりうる。こうしていく努力を重ねていくことで、地球史なるものが出来上がっていくのではないか。

【評価】★×2.5
【読書時間】90分
【読んだきっかけ】東京大学における筆者のweb講義を受講し世界史の定義について興味を持ったため。

【感想】地球史なるものの構想は評価できるが、そのための克服の発想は不十分であり(この点筆者も認めており、しかしながら地球史という概念を提示したい気持から本書の発刊を踏みきった模様。)、加えてその克服方法は不適切と感じた。以下2点である。1点目、筆者は現実社会を無視しているように感じる点。2点目、筆者は地球史の必要性に対してきちんと考えをまとめていないのではないか、という点である。
以下詳しく記述する。
従来の世界史がヨーロッパ中心史観に基づいており、それを克服する必要性に対しては共感できる。しかし何のための克服なのか。ヨーロッパ中心史観から離れることの価値が私には理解できなかった。なぜなら現実社会はヨーロッパの歴史により良くも悪くも侵食され、歴史が出来上がっているからである。現実の歴史、現状に目を向ければ、ヨーロッパを中心にする以外に世界史をまとめるすべはないのではないだろうか。どれほどグローバル化が進もうとも、安全保障理事会の常任理事国の多くは西洋国家であるし、国際会議でも西洋社会の方がプレゼンスが高い場合も多いだろう。このような社会はフランス革命や産業革命などの西洋の概念が世界を席巻したことの証左ではないだろうか。もちろん、だからといってヨーロッパ以外の国がおざなりになっていいわけではない。ヨーロッパ中心にまとめつつも、その功罪を適切に評価し直すことこそ新たな世界史になるのではないだろうか。フランス革命も産業革命も、良い部分を多く作りだしたが悪い部分も多く作り出した。現代社会の問題点の多くは西洋社会が作り出したといっても過言ではない。また植民地政策などの他国の蹂躙や大虐殺など、ヨーロッパが良くも悪くも世界をまとめあげた世界を描くことこそヨーロッパ中心史観の克服ではないだろうか。筆者のヨーロッパ中心史観への反論であるヨーロッパの相対化などは現実を無視した所業であると考えざるを得ない。
上記のように、わたしは本書の考えに批判的である。しかし、現代社会に地球史なるものが必要である点には賛成である。歴史がそれぞれの国の帰属意識を作り出すことが目的であった以上、それを地球という規模に広げることもまた可能なように感じる。しかし、そもそも地球史の必要性が本書ではあいまいである。こここそが最も重要であるはずなのに。グローバル化したから地球史が必要というのは短絡的すぎる。筆者は、①法の支配、②人間の尊厳、③民主主義、④平和の追求、⑤勤労と自由市場の概念で地球史を描く必要性を唱える。それはこれらがこれから先の地球市民にとって重要だからとされる。歴史とは未来への指針を求める際の基盤となるものであるため、地球の未来のために必要な概念でまとめることこそが重要であると考えるのである。しかし、これらの概念でまとめた地球史を眺めた時、私たちは自分たちは地球市民と考えるだろうか?私はそうとは考えない。抽象的な概念でまとまるのは現代では難しいと考えるからである。地球市民として考えるには、より具体的な考えのもとに地球史なるものを描くべきではないだろうか。地球史の必要性とは、私はグローバル化した社会の中には、グローバル化した問題、例えば環境問題などが現れ、これを地球全体で解決する必要性にあるのではないだろうか。または、国際連合の発展のように、実際に国家がどのように統合されるようになってきたかという現実を描くうがより地球史足りうるのではないだろうか。筆者の唱える考え方はあまりに抽象的すぎ、現実の市民感覚に適合していないと思われる。また、自由という概念でまとめてみたところで、何かを中心におかなければ寄せ集めのつぎはぎだらけの歴史になるにすぎないのではないだろうか。
地球史なるものを考えるためには、なぜ地球市民としてまとまる必要性があり、どうすればまとまるのかをより具体的に考えなければならない。筆者の考えは現在の世界史を批判するだけで、一つの世界史を描く資料を十分に示せていない。そのために本書は非常に消化不良を起こす。実際問題、地球史なるものが出来上がった時にどのような効用があるのかも疑問のままである。各国の歴史を知り、文明史を知り、自国の歴史を知る。それだけで個人としては十分であり、地球市民としてまとまっていないものを地球史なるもので地球市民としてまとめあげるのは難しいのではないだろうか。かつて各国の歴史が出来上がった時にように啓蒙化されていなかった市民に対して歴史を伝えるのとは現在はわけが違うであろうし。
結論としては、本書の内容に疑問もあるが、世界がまとまっていないのに、地球史など無理なのではないだろうか。それこそ机上の空論ではないか。

【お勧めか】一章の日本の世界史のとらえ方は読んでいて面白いです。しかし、ある程度知識のある方であれば知っている内容かもしれません。2章以降は議論がまとまる方向性がないのでお勧めできません。なので1章だけお勧めです、

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2013年03月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 現在の「世界史」を自他の相違を所与の条件とする自国中心史観、ヨーロッパ中心史観とみなし、それに代わり、「地球市民」「地球主義」に立脚し「世界はひとつ」と実感できる「新しい世界史」像を提起する。歴史叙述からのあらゆる中心性の排除(被支配者やマイノリティ中心の見方も危険視される)、時系列による通史の放棄など、従来の歴史学の常識を否定する大胆で野心的な試みである。

 問題は「世界はひとつ」という考え方、「地球市民」という帰属意識自体がある種の権力、イデオロギーとして機能する可能性に無自覚なことである。本書がヨーロッパ中心史観の例として攻撃する「世界システム」論が、「周縁」の立場からの新自由主義への批評性をもつのに対して、世界をフラットな存在として認識しようとする本書の考え方ではそうした批評性はなく、むしろグローバル化の諸矛盾を覆い隠し現状を追認する効果を与えている。英語での発信にこだわるのもその一例であろう。

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2018年08月16日

Posted by ブクログ

「イスラム」とか「ヨーロッパ」とか適当に使ったらあかんなぁと思った!
羽田さんの掲げる新しい世界史観は未完成のものではあるけど
ぜひとも授業に取り入れさせていただきたい。

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2012年04月03日

Posted by ブクログ

全体の方向性としては、納得いくものではある。しかし、逆に言えば、さほど目新しい視点でもない。マクロな視点の歴史のあり方としては理解できるが、ミクロやミドルな視点での歴史はどのように位置づけられるかの疑念を覚える。そして、「世界はひとつ」・「地球市民」という表現には違和感を覚える。どのような意図での言葉の選択なのかは分からないが(本書にはその意図は書かれているが、どこまでの含意があるかは私には分からなかった)、やはり短絡的な印象を受けざるを得ない。むしろバラバラの「世界」のなかでどうやって「他者」を理解していくのか、あるいはその理解の不可能性を認識したうえで、つながっていく必要があるように思う。その答えと本書の内容は微妙にすれ違っているように思う。

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2012年01月28日

Posted by ブクログ

概略はわかった。しかし見切り発車的なものを感じる。問いたいことはたくさんあった。
求めるものが「世界史」である必要性はあるのだろうか。
地球市民として何が必要かと問え、我々「人間」を知ることであり、その歴史を知ることなのだろう。
著者はあくまで「現在の世界史の在り方」を問うているのであり、「新しい世界史の見方」を模索しているのである。
従って「新しい世界史の必要性」を問うているのではないのだろう。

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2011年12月09日

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