栗田隆子の作品一覧
「栗田隆子」の「「働けない」をとことん考えてみた。」「高学歴女子の貧困~女子は学歴で「幸せ」になれるか?~」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
わたしは栗田さんの本ってものすごく面白いと感じる。真面目で深刻なのにどこか滑稽さがある。本書は、本書の執筆をうっかり引き受けてしまったものの、とても書けないと編集会議で号泣したというまさかの事態の告白から始まる。わたしがこう書いても何もおもしろくないし、むしろ引く話にしか聞こえないし、実際多くの人はもしかしたら本書のこの部分を読んで引いたかもしれない、と勝手な心配までしてしまう。でも私にはおかしい。小さなことに躓いてどうしようもなく悲しくなって大泣きして、泣いているうちに、こんな小さなことで大泣きしている自分のことが自分でもおかしくなって泣きながら笑えてくる、そんなときみたいなおかしさ。もっとつらいめにあっている人はたくさんいて、自分の境遇は最低なんかじゃないしむしろ恵まれているほうだということもわかっている。要するに過剰反応なんだよな、とわかっているんだけど、反応しちゃうように出来上がってしまった今があるんだからしかたない。そんな感じ。
〈引用〉
・内側に入りこんだ否定が、方向を変えればそれは非常にわかりやすい暴力になるのだった。
・自分の感情をただただ打ち消し否定しようとして自殺を図ったし、「自殺をやめてほしい」と言った母に暴力をふるったが、怒りも悩みも悲しみの言葉も神に向けることは構わないということを知り、ようやく自他への暴力がストップしたのだ。
・悲しみや怒りを神にぶつけることそのものが祈りである。違う言い方をすれば祈りは、悲しみや怒りをぶちまけてストレスを発散させる手段ではないのである。
「内側に入りこんだ否定」自体を取り除くことができれば、それが根本的な解決策となる構造である。しかし栗田さんの場合、そうではなくて「祈り」という対処療法を得て、救われた、という物語だった。わたしは「内側に入りこんだ否定」を溶かしていくことばかり目指そうとしていた気がするが、これは相当難しいということにも気づきはじめている。根本治療だけが正しい対処ではないのかもしれない。これが今回の発見だった。
Posted by ブクログ
去年の半ばから、なんかちょっとしんどいなぁと思いながら、そんな自分の声に応えてくれそうな本に手を伸ばして色々読んできた。その中で、星座を作るように点つなぎ遊びをしてみるならば⋯
野坂きみ子『“発達障害かもしれない人”とともに働くこと』の中で提示されていた、「発達障害というものが人類史においてここ数十年で“発見された”ということをどう捉えるべきなのか?」という問いへのひとつの答えに、本書はなるのではないかと思う。「働けない」とは、産業社会からはみ出しちゃいましたということだが、産業社会の側から見ればそれは傷病だったり障害だったり個人の性格の問題だったりして、それを周縁者として位置づければ制度は維持される。周縁者として位置づけるというのは、(被害者意識の高い言葉ととられるかもしれないが)いないとみなすことであり、「もはやインクルージョンできない」という野坂さんの表現もまた思い出される。
さらに、キャロル・ギリガン『人間の声で』を組み合わせると、これは希望になるのか絶望になるのかわからないが、既存の制度(ギリガン著書の言葉でいうと家父長制)のなかでは、周縁者(ギリガン著書の中では女)の声は失われる(ついでにいうと周縁ではない「男」のほうは心を失う)。「主人の道具を使っている限り、主人の家を取り壊すことはできない(オードリー・ロード)」という引用もあったとおり、既存の枠組みの中では何を言っても聞き届けられないことはもうわかっているのだ。
今、「主人の道具を⋯」という引用文を確認するために私のギリガンメモ(=ギリガンの『人間の声で』を読んだときに私がとったメモ)をチラ見したら、そのあとに、「しかし、他にも道具はある、それだけでなく、他の道具を私たちはすでに持っている」というギリガンの言葉が続いていた。それは希望だ。しかし、このメモの出どころそのものは、その声による動きが、現状維持の方向に働く力の強大さに阻まれた事例の文脈だったことも思い出した。こっちは絶望だ⋯いや待てよ、希望がある限り“絶”望ではないか。
栗田隆子さんのことはこの本で初めて知ったが、このような本が出版されていることだけとってみても、まだこの世も捨てたものではないかもしれない、と思う。栗田さんの己を見つめる鋭さというか温度感というか突き詰めすぎてますます複雑化していく感じは、素晴らしいとか優れているとかではなく私は自分にとても近いものを感じてしまい、私はすごくわかるよと抱きしめにいきたいような逆にこの人の前で大泣きして抱きしめられたいようないやそんなことお互いしたくないですよねでも握手だけいや見つめるだけしてもいいですかみたいな、よくわからない昂ぶった気持ちに何度かなった。そして、本書への否定的な感想やコメントを目にするとまた暗い気持ちになったりと、布団の上から動いてないし誰にも会ってないのに、脳と心だけはカロリー消費が激しい昼下がりである。
他の本や自分の話ばかりで本書の内容の紹介みたいなことができていないが、そういうテンションなので要点まとめは荷が重い。代わりに、とある一部分を、「他の箇所だってたくさん良いんだけどさ」とブツブツ言いながら、引用させてもらって終わりにします。
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そんな時代において静かに横になっていることは、他人への、ひいては社会への地味な問いかけになっているかもしれない。そして何より怠けていようが寝ていようが病んでいようが、あなたが今存在していることを否定できる人は誰もいない。いてはならない。あなたが今はただ眠ることで生き延びているならば、それはなによりも大事な営みなのだ。賃労働とは真逆であっても。(p.109)