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Posted by ブクログ
わたしは栗田さんの本ってものすごく面白いと感じる。真面目で深刻なのにどこか滑稽さがある。本書は、本書の執筆をうっかり引き受けてしまったものの、とても書けないと編集会議で号泣したというまさかの事態の告白から始まる。わたしがこう書いても何もおもしろくないし、むしろ引く話にしか聞こえないし、実際多くの人はもしかしたら本書のこの部分を読んで引いたかもしれない、と勝手な心配までしてしまう。でも私にはおかしい。小さなことに躓いてどうしようもなく悲しくなって大泣きして、泣いているうちに、こんな小さなことで大泣きしている自分のことが自分でもおかしくなって泣きながら笑えてくる、そんなときみたいなおかしさ。もっとつらいめにあっている人はたくさんいて、自分の境遇は最低なんかじゃないしむしろ恵まれているほうだということもわかっている。要するに過剰反応なんだよな、とわかっているんだけど、反応しちゃうように出来上がってしまった今があるんだからしかたない。そんな感じ。
〈引用〉
・内側に入りこんだ否定が、方向を変えればそれは非常にわかりやすい暴力になるのだった。
・自分の感情をただただ打ち消し否定しようとして自殺を図ったし、「自殺をやめてほしい」と言った母に暴力をふるったが、怒りも悩みも悲しみの言葉も神に向けることは構わないということを知り、ようやく自他への暴力がストップしたのだ。
・悲しみや怒りを神にぶつけることそのものが祈りである。違う言い方をすれば祈りは、悲しみや怒りをぶちまけてストレスを発散させる手段ではないのである。
「内側に入りこんだ否定」自体を取り除くことができれば、それが根本的な解決策となる構造である。しかし栗田さんの場合、そうではなくて「祈り」という対処療法を得て、救われた、という物語だった。わたしは「内側に入りこんだ否定」を溶かしていくことばかり目指そうとしていた気がするが、これは相当難しいということにも気づきはじめている。根本治療だけが正しい対処ではないのかもしれない。これが今回の発見だった。
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