円満字二郎著『漢字が日本語になるまで』を読んで、こちらも気になったので読んでみる。
『漢字が…』と被っている部分もあったが、こちらの本は「訓読み」に特化した内容で、学者らしく漢字文化圏(中国、朝鮮、ベトナム)との比較や、様々な訓読みの例が豊富なエビデンス(古代中国の文献から現代の芸能人、歌詞に至るま
...続きを読むで)とともに示されている。
以下、面白かったところの一部。
中国語と日本語は本来系統が異なる別の言語で、訓読みについて(今では)日本人は何の疑問も感じないが、訓読みはアメリカ人が「山」を「mountain」と読むくらい特異なことである。
訓読みは朝鮮やベトナムにもかつてはあったが、廃れた。あるいは定着しなかった。
訓読みは和語に基づいているが音読みが訓読みを駆逐した例もある(「肉 しし」、「脳 なづき」など)。
日本ではたまごは「卵」「玉子」の表記があるが、中国では「玉」は宝石の意、「卵」は卵細胞や動物のたまごにのみ使い、たまごは「蛋」。(皮蛋の「蛋」)
蛋白はたまごの白身のこと。
「時計」の謎。「時」の訓読みは「とき」で「と」と読むのは部分訓であるし、「時を計る」の意味の漢語の熟語であれば目的語が後ろに来て「計時」となるはずである。一体この「時計 とけい」はどこから来たのか?
文選読みや世界の訓読みに近い現象なども「なるほど!」と思った。
通しで読んだ後は、スキマ時間に適当に開いたところを読んでも楽しいだろう。(到底すべてを覚えきれないので。)
「おわりに」より
「ことばは生きている」と比喩が語られるが、「ことばは人が生かしている」のであって主体は我々自身である。必要なことばを表記する文字を適切に選び変えていくことの責任は重い。(p254 )