後藤又兵衛の検索結果
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黒田官兵衛に育てられた「後藤又兵衛」
桶狭間の合戦の年に生まれ、戦国最後の戦いで散った生粋の武人、後藤又兵衛。地侍の子として生まれ、黒田官兵衛孝高に養育されることとなった又兵衛は、黒田家出奔を経て、大坂夏の陣での討死にいたる。「槍の又兵衛」の生涯を貫く誇りとは一体何だったのか。 -
後藤又兵衛 -黒田官兵衛に最も愛された男-
黒田官兵衛が率いし黒田八虎、黒田二十四将に名を連ね、その軍術をして「摩利支天もかくやと目を驚かし候」と伝わる武将がいる。男の名は後藤又兵衛。大坂の陣において徳川家康が真田信繁(幸村)を「信州3万石」で調略しようとしたと伝わるのに対し、後藤又兵衛には「播磨一国50万石」を提示して調略しようとして断られたと逸話が残っており、このことからも又兵衛の破格の人物像が伺える。そんな武将、又兵衛の出世物語から見た戦国時代は如何なるものか。物語は「本能寺の変」の少し前、羽柴秀吉率いる中国進攻軍による毛利攻めを舞台に始まり、又兵衛は信長死後の戦乱の世を、どう生き抜いてきたのか…。黒田官兵衛はもちろんのこと、その家臣団である栗山善助、母里太兵衛、井上九郎、秦桐若、吉田六之助らとともに活躍する後藤又兵衛の壮絶なる人生劇の幕がここに開く! -
黒田家との深い宿縁で結ばれた「後藤又兵衛」
黒田官兵衛の長男、長政の家中精鋭「黒田八虎」。その中に後藤又兵衛基次がいた。深き宿縁で結ばれた黒田家から、又兵衛はなぜ出奔しなければならなかったのか。そしてその後の運命とは。数々の勇猛なる戦いぶりと大言壮語、最後の武人、後藤又兵衛の生涯。 -
後藤又兵衛
戦国時代一の名軍師・黒田官兵衛の嫡男・長政の指南役として出仕し、彼に、武士としての心構えから、戦場での将としての立ち居振舞いまでを教え込むとともに、九州島津攻め、文禄・慶長の役、関ケ原合戦と、歩みをともにした、歴戦の勇士・後藤又兵衛。彼には自らの矜持として持っていた、武士としてのあるべき姿を、その人生において具現したいという、理想があった。常に泰然と構え、水の如き心持で戦に対峙せよと説く又兵衛に対し、血気盛んで情動的な教え子・長政は次第に彼に対する反感を募らせて行く。その確執は、やがて修復不可能となり、又兵衛は黒田藩を去らざるを得なかった。その後、大坂の陣が起こり、又兵衛は、不利を承知しながらも豊臣方に参加。時代の名主となった徳川家康を散々に苦しめながら、命を散らして行く。生まれつき、要領の良い世渡りが苦手で、武人として誇らしく生き切ることのみを願った、一徹な男の魅力を描く、長編歴史小説。 -
真田幸村と後藤又兵衛
大坂の陣から四〇〇年――誰も見たことのない幸村と又兵衛が、ここにいる!五十男にして側近から若殿と呼ばれる真田幸村。京の都で遊女屋の用心棒ぐらしをする後藤又兵衛。慶長十九年(一六一四)、不遇をかこつ軍略家二人が、大坂城に入った。しかし決戦を前に、大坂城内は謎ばかり。又兵衛が警戒する真田家の不審な家臣・味岡、幸村の脳裏に蘇る長篠合戦の記憶、突如姿を現わした亡父・真田昌幸と瓜二つの老人、そして決戦前夜の、幸村と又兵衛二人の秘策……。戦国最後の戦いの行方はいかに?謎が謎を呼ぶ巧みな仕掛けでかつてない大坂の陣を展開させつつ、時代の巨大な奔流に抗った男たちの熱き魂を描いた、著者渾身の歴史長編。