歴史群像デジタルアーカイブス作品一覧
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-天下布武まで後わずか、信長を襲った悲劇――本能寺の変の激震は戦国の世を大いに揺るがした。織田方、明智方、朝廷から宣教師に至るまで、日本史屈指の大事件に遭遇した人々は、何を想い、どう行動したのか。その後の人生も合わせて解説する。
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-戦国時代の覇王・織田信長の激動の生涯を、誕生から本能寺の変で没するまで徹底研究!大うつけと呼ばれた青年は、敵対者を容赦なく打ち滅ぼし、日本のほぼ半分を手中に収める覇王となった。しかし、その苛烈さが争いを生み、彼の命取りとなるのだった…。
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-織田信長の家督相続から上洛を経て、本願寺と和睦するまでの壮絶な戦いの日々を活写! 勢力拡大に伴い、信長の眼前には次々と難敵たちが立ちふさがる。それはやがて、将軍・足利義昭、甲斐の虎・武田信玄をも巻き込んだ反信長包囲網へと発展する。信長危うし!
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-上杉謙信――越後の龍と称えられた男の生涯は、波乱に満ちていた。大人も持て余すほど腕白だった少年時代、骨肉の越後統一戦、そして、幾度も矛を交わらせた、武田信玄、北条氏康ら好敵手たち。“義”の猛将、謙信の誕生から死没まで徹底的に検証する。
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-独眼龍・伊達政宗の生涯を徹底解説! 家督相続から5年余での仙道制覇、小田原遅参にはじまる天下人・豊臣秀吉との対峙、天下分け目の関ヶ原から徳川政権への接近――乱世を生き抜き、仙台藩の基礎を築いた政宗は、その独眼に何を映したのか?
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-代々名門として近江の地に君臨した六角氏。弓馬に秀でた六角承禎は勇将として知られ、幕府も一目置く存在だった。しかし、織田信長の台頭は幕府に、そして六角氏に過酷な運命を強いる。新興勢力への飽くなき抵抗に見る、名門一族の誇りとは?
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-領土拡大によって生まれた隙をついた明智光秀の手口は鮮やかであったが、勝利の余韻を味わう間もなく、わずかの後に秀吉に敗れてしまう。光秀の敗因は何だったのか? 当時の信長軍団の軍制から見えてきたのは、光秀と与力部将たちの微妙な関係だった。
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-本能寺の変の印象が強い明智光秀だが、その生涯には意外に謎が多い。しかし、苦労の多い人生であったことは確からしい。貧しい浪人生活にはじまり、信長に出仕した後も将軍家との関係で苦悩の日々は続いた。良質資料をもとに光秀の歩みを探究する。
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-暗闇のなかで明智光秀率いる一万三〇〇〇の軍勢が歩を進めている。行く先は備中・高松ではなく、主君・信長が止宿する京都・本能寺。日本史上最も有名な暗殺が幕を開けたのだ。光秀が信長討伐の兵を出してから、山崎の戦いで果てるまでを詳細に解説!
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-日本史における三大暗殺事件の一つ、本能寺の変。明智光秀が首謀者といわれているが、他に黒幕や共謀者が存在したという説も研究者の間でさかんに議論されている。信長暗殺にまつわる諸説を紹介&検証する!
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-江戸城中にて大老堀田正俊殺害される! 五代将軍徳川綱吉擁立の立役者にして、天和の治と称賛される綱吉政権初期の幕政改革を指導した正俊は、なぜ凶刃に倒れてしまったのか? 正俊の生涯の軌跡を辿り、事件の真相に迫る!
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-館林時代から五代将軍徳川綱吉に奉公した初代側用人、牧野成貞。側用人として将軍親政を支えた成貞を綱吉は厚遇し、成貞の邸宅を訪ねること三〇数度を数えたという。献妻の噂さえ飛び交った股肱の臣、成貞の忠勤ぶりを解説する!
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-伊豆にはじまり、関東一円を支配する大名にまでのし上がった北条氏。多くの敵勢力と対しながらも、五代にわたる統治を実現できた理由とは? 「北条氏への改姓」「虎印判状」「所領役帳」など、細やかな施策を解説。領国支配の秘訣を探る!
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-後北条家の祖である父・北条早雲から家督を継いだ氏綱。早雲が築いた礎をしっかり固めた氏綱は、ついに関東への進出を決意する。氏綱の前に立ちはだかったのは、関東管領上杉氏。一進一退の激戦が始まった! 北条氏を大勢力に押し上げた氏綱の手腕を検証する。
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-関白豊臣秀次に謀反の気あり――放埒を重ねた秀次に下された最後通告だった。その直後、秀次は切腹。連座して妻子と妾あわせて三〇名以上が処刑されたという。一度は天下人秀吉の跡目を継いだ男が、悲劇的な最期を迎えるまでの葛藤の日々を解説する!
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-戦国時代も終わりに近づくと城郭の形態も変化する。かつては軍事施設として利用された城も、統治のシンボルとしての役割が強くなっていった。そういった権力の演出に才能を発揮したのが天下人・豊臣秀吉である。城郭から、秀吉の意志を読み取っていく!
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-賤ヶ岳合戦が無数の陣城が構築された対峙戦であったことは、意外なほど知られていない。織田家の有力家臣として、ときに衝突しながらも鎬を削った秀吉と勝家。その陣構えもまた対照的であった。陣城という視点から、両軍の思惑を分析していく!
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-羽柴秀吉と柴田勝家が織田信長の後継の座を巡って争った賤ヶ岳合戦。賤ヶ岳七本槍の活躍など激しい野戦の印象が強いが、実際は陣城を構築した上での対峙戦であったという。南下を狙う勝家と迎え撃つ秀吉――両者の戦略を陣城から読み解いていく!
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-天下統一の総仕上げとも言われる小田原攻め。しかし、秀吉の視線の先は北条氏ではなく家康に向けられていた。一方の家康も秀吉の敵意を察し、生き残りを賭けた布石を着々と打っていく。大包囲戦の舞台裏で繰り広げられた、秀吉と家康の駆け引きを解説!
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-智謀に長け器用な豊臣秀吉と実直な武人である柴田勝家、織田家臣団の両輪として活躍した二人は、どのように出会い、行動し、どうして対立するようになったのか。信長に仕えてから賤ヶ岳の死闘に至るまで、二人の軌跡を追いながら検証する。
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-秀吉の天下統一に最も貢献した男、豊臣秀長。内政、調略、軍事とあらゆる分野に明るい秀長の手腕は信長からも一目置かれていた。また人格者としても知られ、武士、領民を問わず多くの人に慕われたという。出仕から早すぎる死まで、忠臣・秀長の生涯を追う。
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-戦国最強と謳われた武田信玄率いる騎馬隊。しかし、そもそも騎馬隊という組織的な軍団編成は本当にあったのか? また、戦において大きな戦力と成り得たのか? 定説に疑問を呈し、戦国時代の騎馬隊の実像に迫る。
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-戦国乱世、大名たちの命運を左右した領国経営。富国強兵に精を出す諸将の中でも、武田信玄の手腕は傑出していた。徳川家康も参考にしたというほど、後世に多大な影響を与えた信玄の政策と、そこから垣間見える理想を細部にまで踏み込んで解説!
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-西軍が関ヶ原への移動したのは、家康が流した偽情報に三成が反応したからだといわれている。しかし、書状などの信頼できる史料を検証すると、東軍による大垣城への水攻めが三成を動揺させていたことがわかった。東西両軍の作戦面での駆け引きを見る。
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-永禄五(一五六二)年に家康は信長と清洲同盟を結んだ。この外交戦略は家康にとって武田信玄を牽制する重要な意味を持っていたが、その代償も大きかった。三河一向一揆、大賀八四郎事件、信康事件など数々の悲劇が家康を襲う!
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-徳川家康の天下獲りを決定づけた関ヶ原の戦いでの勝利。その影で、徳川軍団の構造的欠陥が露呈しはじめていた。それを象徴するのが徳川秀忠率いる主力部隊の遅参である。政治的配慮、道路事情、徳川家の軍制といった複雑な要素を読み解き、問題の本質に迫る。
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-桶狭間の戦いで信長が今川義元を破ると、後に徳川家康と名乗る松平元康が動き出した。信長と清洲同盟を結び安全を確保しつつ、三河一向一揆や今川氏などの抑えこみを図ったのだ。戦国大名にのし上がるまでの家康初期の活躍を解説。
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-今川軍の先方として活躍した桶狭間の戦い、武田信玄に苦戦を強いられた三方ヶ原の戦い、三成率いる東軍を相手に天下の分け目の戦となった関ヶ原の戦い。徳川家康が参戦した三つの決戦をピックアップする。要点をまとめて紹介!
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-寛永十四年(1637)十月、徳川政権に激震が走る! 肥前の島原と、肥後の天草で相次いで一揆が勃発したのだ。首謀者は天草四郎、キリシタンの青年だという。平和な江戸時代になぜ大規模な一揆が起こったのか? 当時の統治政策をもとに分析する。
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1.0江戸時代、将軍や大名は世継ぎを得るため正室のほかに幾人の側室を置いた。その結果、女たちの権力争いが起きることもしばしばだった。なかでも、6代将軍・家宣の妻たちの暗闘は熾烈を極めた。正室と世継ぎを生んだ側室との争いの意外な幕切れとは?
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-近年注目された文書には、明智家の使者が上杉家の武将に接触する様子が描写されていた。そして、この文書の宛先は直江兼続! はたして、兼続は光秀の計画を事前に知っていたのか。虚報と真実が交錯した、戦国時代の情報事情と合わせて検証する。
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-大坂冬の陣、開戦! 関ヶ原で失墜した武威を取り戻すべく、この戦に並々ならぬ執念を見せる上杉景勝。上杉軍の倍を擁する大坂方の軍に対し、直江兼続渾身の策が冴え渡る。大坂冬の陣を上杉軍目線で解説。軍神と称えられた謙信以来の武、今こそ天下に示すとき!
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-天下統一に邁進する豊臣秀吉に対し、当初頑なに抵抗した長宗我部元親。しかし、和議成立後は態度を一変、新参大名たちのなかでも秀吉への忠勤ぶりは随一で、秀吉も四国安定の柱である元親を厚遇したという。元親が秀吉への臣従を決断した理由とは?
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-長宗我部家を悲劇が襲った! 当主・元親の長男で後継者と目されていた信親が戦死したのである。滅亡への序曲が、静かに始まろうとしていた。小田原攻め、朝鮮出兵と相次ぐ戦争で徐々に疲弊していく長宗我部家。そして、運命の関ヶ原決戦を迎える。
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-太田道灌と言えば江戸城の築城が有名だが、それは彼の才能の片鱗に過ぎない。戦場にあっては兵士に檄を飛ばす指揮官であったし、自陣営の戦略や政略を担う軍師であり、和歌をたしなむ文化人ですらあった。主すらも恐れたという道灌の才幹を研究する。
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-徳川秀忠とお江の間に生まれた千姫は不運な生涯を送った。一人目の夫となった秀吉の息子・豊臣秀頼は大阪の陣で敗北して自害。続いて家康の有力家臣・本多忠刻に嫁ぐが、彼もまた若くしてこの世を去ってしまう。幾度となく憂き目にあう千姫の人生を振り返る。
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-戦国時代、男たちが合戦に明け暮れるなか、女たちもまた過酷な運命との戦いを強いられていた。陰に日向に夫を支える賢妻となる者もいれば、政略結婚や人質に利用される者も少なくない。時代に翻弄されながらも、健気に生きた女たちを紹介する。
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-豊臣秀吉は恩義に篤い人物だったという。幾多の戦いを乗り越え功績を重ねるたびに、個性豊かな人々が秀吉の下に集まったのも、その人柄の為せる技かもしれない。裸一貫の非武士の身分から天下人に至るまで、秀吉の手足となって活躍した家臣団の変遷を追う。
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-甲斐の虎・武田信玄の周囲には様々な女たちがいた。信玄を英雄に育て上げた母、薄幸な正室、はかなく露と消えた側室、溢れんばかりの愛を注いだ娘たち――激動の戦国乱世を生きた女たちの生涯から見えてくる、信玄の意外な一面とは?
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-三代将軍・徳川家光の第四子として生を受けた綱吉。相次ぐ兄の死で彼が将軍の座についたのは、運命の悪戯としか言いようがない。将軍となって以後、天和の治と呼ばれる善政を敷いた一方で、生類憐みの令などの悪法で世を混乱させた綱吉の本性とは?
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-徳川家康が征夷大将軍の座に就いた翌年、世子の秀忠に待望の男児が生まれた。生まれながらにして将軍になる事を運命づけられた男、後の家光の誕生である。不遇の幼少期、弟との確執を経て、名君と呼ばれるまで。徳川の世の礎を築いた家光の生涯を紐解く。
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-戦国時代、浅井三姉妹ほど激動の人生を送った女性たちはいないだろう。特に二度の結婚を経て徳川秀忠に嫁ぎ、後の三代将軍・家光を生んだ三女・お江は有名である。乱世を懸命に生きた彼女たちの誕生から婚姻、出産、死没までの生涯を追う。
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-「歴史群像デジタルアーカイブス」シリーズから選り抜きの作品を集めた「選集」が登場。 第1弾は小和田哲男氏の「織田信長」「本能寺の変」関連作品! 天下布武に向けた信長の戦略から、覇道の終焉――本能寺の変が戦国の世に与えた影響までを一挙に堪能する! ※本書は「歴史群像デジタルアーカイブス」シリーズのうち 『<織田信長と戦国時代>「天下布武」への戦略』 『<織田信長と戦国時代>外国人が見た信長』 『<織田信長と戦国時代>信長の革新性・七つのキーポイント』 『<織田信長と浅井長政>二者択一に迫られた長政の決断』 『<織田信長と浅井長政>信長の婚姻政策とお市の運命』 『「方面軍司令官」任命で読む 秀吉・勝家・光秀に対する信長の評価』 『<織田信長と本能寺の変>生真面目な逆襲』 『<本能寺の変>ひっくり返った下剋上』 『<本能寺の変>全国有力大名たちの動向』 を合本したものです。
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4.0【無料カタログ】歴史群像デジタルアーカイブスを完全網羅! 織田信長、真田幸村ら英雄たちの戦いを分析した戦記や、武将や妻妾たちの人物像に迫る伝記、当時の時代背景や文化の解説など、多種多様な全470作品を一挙ご紹介いたします。
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-戦国乱世を果敢に戦い、関東に覇を唱え続けた北条家。その五代百年におよぶ栄華を支えた居城――小田原城を徹底解剖! 策略家・豊臣秀吉も舌を巻いた鉄壁要塞の秘密とは? 北条家と幾度も刃を交えた上杉謙信ゆかりの城についても同時収録!
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-武田信玄が死なずに西上作戦を遂行していたら――歴史の「もしも」をシミュレーション! 包囲網への対応に四苦八苦する織田信長の間隙を突き、信玄は全身全霊をかけた西方への大規模侵攻を開始。天下取りのビッグチャンスに甲斐の虎が咆哮する!
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-上杉謙信が死なず上洛戦を開始していたら――歴史の「もしも」をシミュレーション! 毛利・本願寺ら反信長勢力を糾合し、足利幕府再興を目指す中世の守護者・謙信と近世への改革者・信長との最終決戦の行方は? 謙信の義戦を詳細に予測!
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-本能寺の急報を受け、中国地方から大返し中の豊臣秀吉を毛利軍が襲ったら――歴史の「もしも」をシミュレーション! 秀吉との対決から中央への進出、そして日本を東西に割る決戦まで、毛利輝元の天下取りを大胆予測する。
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-軍神・武田信玄の戦略を支えたのは、整備されたインフラ網だった!? 信玄が手掛けた巨大プロジェクト、「信玄堤」「棒道」「狼煙台ネットワーク」を解説。難治の国、甲斐を発展させた、信玄の領国経営者としての一面にスポットを当てる!
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-大坂冬の陣、幕府軍の心胆を寒からしめた真田幸村の秘策・真田丸を解説! 大坂城を囲んだ幕府軍二〇万に反撃を――大砦・真田丸を築いた謀将・幸村は、真田家伝統の用兵術と一糸乱れぬ統率力で大軍を翻弄する。日本一の兵と称された幸村の奮戦に刮目せよ!
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-勝者が作った歴史の裏に、真実の歴史がある――定説の影に埋もれた異聞を紹介! 秀頼は生存していた? 真田十勇士のモデルとは? 大久保長安事件の真相は? 家康は影武者だった? 疑惑の数々を独自の視点から検証する!
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-母・お東の方による伊達政宗毒殺未遂事件ののち、誅殺されたはずの政宗実弟・小次郎に生存説あり!? 検証を進めるなかで浮かび上がった不可解な事実、そして政宗の弟と名乗っていた謎の僧侶の存在――歴史の闇に隠された疑惑を追う!
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-武田家滅亡の混乱を乗り切るため、真田昌幸は次男幸村を人質に出すことを決断する。上杉、豊臣と人質先を転々とした幸村だが、景勝、秀吉ら一流の武将たちと交流するなかで、自らの将器を磨いていく。勇将幸村の基礎となった人質生活の実態に迫る!
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-戦国時代を代表する軍師、海北綱親と上井覚兼を紹介! 浅井氏の重臣にして、豊臣秀吉に「我軍法の師なり」と言わしめた綱親と、島津義久に従い九州統一戦に参陣した覚兼。後世にも語り継がれる天才軍師たちの活躍を解説する!
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-下剋上の戦国時代、上昇志向が強く叛服常無い国人衆は大名たちにとって両刃の剣だった。国人衆の統率という課題に対し、勢力拡大を目指す信長が導き出した答えとは? 信長の没後、秀吉と家康が天下を争った「小牧長久手の戦い」についても同時収録!
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-戦国乱世に覇を唱え、天下を制した織田・豊臣・徳川家の女たちを紹介! 夫からの寵愛を受け子宝に恵まれたもの、政略の駒として利用されたもの、戦陣にあって男顔負けの活躍をしたもの――波乱万丈だった戦国の女たちの生涯とは?
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-生涯で二男六女を生んだ、徳川秀忠正室・お江。男子二人と千姫、和子は著名だが、他の四人もまた、将軍家の縁者としての宿命を背負っていた。完子、珠姫、勝姫、初姫――徳川家の繁栄のため、政略の駒となって有力者に嫁いだ四人に待っていた運命とは?
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-乱世に翻弄された武田義信と武田家の女たちの生涯を解説! 武田信玄の跡取りとして期待された義信は、なぜ悲壮な謀反を計画したのか? 信玄の野望成就のため、政略に利用された女たちがたどった運命とは? 覇道の裏で涙を呑んだ人々に光をあてる。
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-独眼竜伊達政宗のもうひとつの顔――和歌、茶道、能楽などあらゆる知識を身につけた教養人としての側面を紹介! その見識の広さは豊臣・徳川政権下での処世に大いに役立ち、将軍の饗応も難なくこなすほどであったという。政宗の新たな魅力に迫る!
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-『五輪書』の執筆を終えた宮本武蔵が病身をおして記した『独行道』。二十一箇条に渡る武蔵の遺訓は、泰平の世を生きる武士たちに広く浸透し、処世訓として重用されたという。己の剣術のみで身を立てざるを得なかった武蔵が後世に遺した信条や自戒の念とは?
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2.0戦国・江戸時代を語る上で欠かせない刀剣に関するキーワードを解説! 剣、太刀、打刀の違いは? 業物、古刀、新刀って何? といった基礎知識から、今さら人には聞きづらい剣豪小説お馴染みの用語までを網羅。これさえ知っておけば、通の仲間入り!
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-武田信玄の軍師は山本勘介だけじゃない! 甲州法度之次第の草案者にして優れた外交官だった駒井高白斎、信虎追放を首謀した板垣信方、信玄の信頼厚き実弟武田信繁、不死身の馬場美濃と畏れられた馬場信房――宿将たちの比類なき活躍を解説する!
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-義元の時代に今川家の隆盛に貢献した、太原雪斎と岡部元信を紹介! 智謀神の如しと畏れられた雪斎は、武田・北条家との三国同盟締結に尽力。猛将・岡部元信は小豆坂・桶狭間合戦で勇名を馳せた! 屋台骨として今川家を支えた両名の活躍を解説する。
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-米沢藩主上杉綱憲の実父、吉良上野介への財政援助は藩の経済を大きく傾けた。米沢藩江戸家老の色部又四郎にとって気の休まらない日々が続くなか、上杉家を揺るがす大事件が発生する! 元禄赤穂事件の舞台裏を解説!
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-戦国後期を代表する名将、上杉景勝と徳川家康を徹底比較! 弱きを助け、悪しきは討つ――養父である軍神謙信の遺訓に従う上杉景勝と、天下への欲をむき出しにした徳川家康。両者はどのような経緯で対立し、武力衝突にまでいたったのか?
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-関ヶ原合戦の決着後、上杉家に下されたのは領土を四分の一に減封するという厳しい懲罰だった。執政の直江兼続は、家臣団の維持と城下町の新設という軍事・民生両面の課題に対し、どのような施策をほどこしたのか? 米沢藩上杉家の基礎を作った改革を解説!
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-関ヶ原合戦から百年後、泰平の世を震撼させた元禄赤穂事件にまつわる疑問と謎をスッキリ解決! 事件の発端、浅野内匠頭と吉良上野介の確執とは? 討ち入りまでの浪士たちの暮らしぶりは? 事件後の幕府と世間の反応は? 『忠臣蔵』の真実を徹底検証!
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-伊達家隠密集団、黒脛巾組――反伊達連合との激戦となった人取橋合戦では、連合を瓦解へと導く流言工作で活躍するなど、舞台裏から政宗を支えた影の軍団の謎に迫る! 黒脛巾組も勝利に貢献した摺上原合戦についても同時収録。
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-奥州を征し関東へ進出、あわよくば京へ! 大望を抱く政宗に関する二つの疑惑を検証。小田原遅参の真相――伊達・北条の連合は実在した? 秀次事件の背後に政宗あり? 状況証拠を積み重ね、歴史の闇に沈んだ真実に迫る!
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-大友家の二本柱、実父・高橋紹運と養父・立花道雪の薫陶を受けた立花宗茂は、数々の戦陣で勇躍した。生涯不敗を誇り、秀吉、家康の両天下人から絶大な評価を得た奇跡の勇将の生涯を解説! 宗茂と因縁深い岩屋城、立花城の激戦についても同時収録!
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-東西一六万もの大軍が激突した関ヶ原合戦において、戦わずして終戦を迎えた西軍・長宗我部盛親。当初親家康派と見られていた長宗我部家は、なぜ西軍に参加し、合戦本番で非戦を選んだのか? その決断の背後にあった先代・元親の野望とは?
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-父・国親の急死により、長宗我部家の命運は若き元親の双肩に託された。齢二十二の青年武将は、果敢な軍指揮と機知に富んだ謀略を武器に、破竹の勢いで版図拡大に邁進する! 家督相続から土佐統一までの一五年間にわたる長宗我部元親の戦いの記録!
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-戦国時代、大名家の盛衰を左右した情報・謀略戦で活躍した忍者たち。なかでも、主家への貢献度で抜きんでていたのが、服部半蔵正成率いる徳川忍者軍団である。泰平の世を築くため、歴史の舞台裏で暗躍した陰の軍団の秘密に迫る!
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-政治の舞台裏で暗躍し幕府安泰に貢献した異能の僧、南光坊天海を紹介。家康に用いられるや、瞬く間に信頼を獲得した天海は、豊臣家滅亡の引鉄となる謀略を画策する。政界、宗教界に絶大な影響力を誇った徳川幕府黎明期のフィクサー、天海の謎に迫る!
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-商人でありながら、三代にわたって徳川家康に仕えた茶屋四郎次郎を紹介。 物資調達、貿易といった分野で活躍し、家康の財務コンサルタントのような存在だった四郎次郎。そのほか隠密や密使まで務め、多方面で家康を支えた異能家臣の秘密に迫る!
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-豊臣秀吉が採用した三つの戦法――鳥取城攻略戦の「兵粮攻め」、備中から京への「大返し」高松城攻略戦の「水攻め」を、時間や距離、人員数など具体的な数字をもとに徹底検証! 前代未聞の大作戦を成功に導いた秀吉の才能とは?
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-天下を治める兵法を家光に説いた柳生宗矩、家康の伊賀越えの功労者服部半蔵、『五輪書』を著した無敵の剣豪宮本武蔵、壮絶な仇討をなした荒木又右衛門、大坂の陣で散った木村重成――時代が移り変わろうとも、侍の本質である武に生きた五人の男たちを紹介!
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-自らも新陰流を学ぶほど剣術に熱を入れていた徳川家光。彼の統治期は、将軍家御流儀の新陰流を中心に様々な流派がしのぎを削る武術の黄金期であった。剣術、槍術、兵法学――戦国の余風が残っていた尚武の時代を解説する!
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-天正十年五月二十八日から本能寺の変勃発の六月二日までの四日間、織田信長と明智光秀は何をしていたのか? 天下を瞠目させた史上空前のクーデターに至る軌跡を詳細に解説! 教養人にして武辺者? 光秀の武術に関する記事も同時収録!
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-齢十三のときにはじまり、生涯六〇余度もの決闘に臨んだ宮本武蔵。吉岡一門や佐々木小次郎らとの生死を賭けた戦いの先に、武蔵が辿りついた境地とは? 誕生から幼少時代、武者修行の青年期を経て、『五輪書』を著し死没するまで――宮本武蔵を大研究!
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-甲斐の虎・武田信玄を取り巻く一族衆を、ルーツである名門・甲斐源氏にまでさかのぼって研究! 信玄の父にして智勇に優れた信虎、血気盛んな後継者勝頼をはじめとした子供たち――甲斐の地に生まれた屈強な戦士たちの生涯とは?
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-柳生宗矩は、どのようにして一介の剣豪から万石を領する大名に上り詰めたのか? 家康に見出され、秀忠への忠勤に励み、家光の信頼を獲得し、新陰流を将軍家御流儀の地位に押し上げるまでの経緯を徹底解説! 柳生新陰流の極意に迫る!
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-長きにわたる雌伏の時を経て天下人となった徳川家康。そんな家康と苦楽を共にし、泰平の世の礎を築いた家臣団を紹介! 酒井忠次、本多忠勝ら徳川四天王をはじめ、屈強で知られた三河武士たち。幾多の難敵を退けた、結束力の秘密とは?
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-武田信玄のライバルは上杉謙信だけじゃない! 二度にわたり信玄を撃破した北信濃の雄・村上義清。三方ヶ原での惨敗を教訓に、天下人に上り詰めた徳川家康。信玄の侵攻を幾度も退けた西上野の守護神・長野業政など、信玄に挑んだ勇将たちを紹介!
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-中条流・富田勢源は眼病を患いながらも決闘に勝利、一族は後に万石を食むほど繁栄した。その一方、師岡一羽は主家の滅亡によって不遇の晩年を送り、斎藤伝鬼坊も非業の死を遂げている。戦国乱世を生きた剣豪たちの悲喜こもごも三者三様の生涯を解説!
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-二の太刀いらずの剛剣の使い手、東郷重位と樋口又七郎定次を紹介。東郷重位の創始した示現流は薩摩藩士に受け継がれ、幕末動乱期に猛威を振るう! 馬庭念流・樋口又七郎定次の剣は岩をも砕くと恐れられた! 必殺剣誕生の経緯を解説する!
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-剣を使うということは、刀を抜くことからはじまる――抜刀術を極め一撃必殺の剣技・居合を編み出したパイオニア、林崎甚助を紹介! 甚助が奥義を会得した経緯とは? 甚助の教えを受け継いだ居合の達人、関口柔心と野無楽斎についても同時収録!
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-近世から現代まで脈々と受け継がれる剣術界の一大流派、一刀流の開祖・伊藤一刀斎の生涯を解説! 謎多き剣豪の生き様とは? 一刀斎の剣術を受け継ぎ、徳川秀忠の指南役となった小野忠明、一刀斎の師といわれている鐘捲自斎についても同時収録!
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-日本戦史上最大の野戦、関ヶ原合戦を誘引した石田三成の蹶起を徹底分析! 「専横極まる徳川家康への対抗」「豊臣家の護持」など、義挙として語られがちな三成の行動に、正当性はあったのか? 当時の政治状況を精査し、歴史の真実をあぶり出す!
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-近世武家社会の確立過程で頻繁に行われた転封(国替え)。特に、上杉景勝は関ヶ原合戦を挟んだわずか三年の間に豊臣秀吉、徳川家康両名から転封を命じられた珍しい武将である。二度の転封に秘められた天下人たちの狙いとは? 当時の政治情勢と合わせて解説!
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-幼少の頃から上杉景勝に仕えた直江兼続。御館の乱鎮圧後、正式に謙信の跡目を継いだ景勝とともに、上杉軍団の改革に乗り出す! 織豊政権を経て徳川の世へ――時代の変化に対応し、近世上杉家の基礎を築いた、兼続の組織作りを研究する!
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-山内一豊の出世街道に立ちはだかった二つの苦難について検証! 後見を務めていた豊臣秀次に下された切腹命令! ようやく手に入れた領国、土佐に残る旧領主・長宗我部氏の威光! 次々と襲いかかる試練に、一豊はどのように立ち向かったのか?
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-加賀百万石の礎を築いた前田利家と、織田信長と徳川家康との人間関係を調査! うつけとかぶき者――気質の似た信長とは厚い信頼で結ばれた一方、家康とは豊臣政権の将来を巡って対立した。二人の覇王と対峙した利家のとった行動とは?
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-天下分け目の関ヶ原合戦において、本戦からは距離を置き、あくまで生に固執した増田長盛、長束正家、前田玄以、片桐且元、毛利輝元。豊臣政権下、それぞれ要職にあった五将は、なぜ傍観を決めたのか? 当時の状況から、五人それぞれの胸中を推察する!
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-豊臣家五奉行の一角、増田長盛を紹介! 奉行衆として、豊臣政権の屋台骨を支えた長盛だが、関ヶ原合戦に際し、西軍側に身を置く一方で徳川方とも内通するなど、終始一貫しない態度をとる。自己保身か策謀か? 長盛の真意に迫る!
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-数少ない一門衆として、豊臣秀吉に仕えた浅野長政を紹介! 検地や兵站構築に尽力した長政は、五奉行の一角として豊臣政権の中枢を担った。しかし、奉行仲間である石田三成との確執から、秀吉の死後、長政の心は次第に徳川家へと傾いていく…。
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-初期織田政権を支えた外交僧、朝山日乗を紹介! 他勢力との調停に力を発揮した日乗は、朝廷や将軍に対する窓口として活躍。織田家の京都支配に大きく貢献した。同じ外交僧として著名な安国寺恵瓊をして、油断のならない切れ者と言わしめた日乗の正体に迫る!
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5.0戦国時代の覇者、徳川家康の婚姻政策を検証! 自身も、かつて政略結婚で痛い目を見た経験のある家康は、誰よりも慎重に、そして効果的に姻戚関係を構築していった。関ヶ原合戦の勝利に結実した、婚姻ネットワーク構築の過程を追う!
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-石田三成の挙兵に際し、対照的な行動をとった三成の朋友、増田長盛と大谷吉継を紹介! 家康弾劾状の発起人に名を連ねる一方で、家康方と内通していた長盛、友のため病をおして参戦した吉継。三成と共に豊臣政権を支えた二人が道を違えた理由とは?
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-石田三成と志を一つに、豊臣政権の存続に尽力した、小西行長と宇喜多秀家を紹介! 非武士の身分から大身の大名にまで出世した行長、秀吉の養子として厚い寵愛を受けた秀家――豊臣家からの恩顧に報いんと、家康に抵抗した男たちの生き様とは?