あらすじ
戦国時代の終焉を飾る大合戦。徳川vs豊臣、そして真田信繁、伊達政宗、上杉景勝、松平忠直らの戦場内外での陰謀や思惑を深掘り!(仮)
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
戦百景七作目は、大坂冬の陣。戦国の終わりを告げる徳川と豊臣の戦いです。
戦国の終わりという言い方でいいのだろうか。室町→安土・桃山→江戸、足利→織豊→徳川のどちらとしても、しっくりこないような気がする。
夏と冬の陣を終えたことで、徳川政権が強固に盤石になり、およそ二百五十年続いた平穏な時代の始まりになったことを考えると、戦乱が続いた戦国時代の終わり、という言い方は通りがいいのだろうな、とは思います。
家康の執念から始まった豊臣を滅ぼすためだけの戦。方広寺の鐘銘問答は、大坂冬の陣扱ったどの作品を読んでも、言いがかりなんだよなぁ、というやれやれの気持ちになります。ただ、その言いがかりを強行する徳川の強さと、はねつけられない豊臣の弱さ。そして、弱さに気づけていないハリボテ感に悲しくなります。
三英傑の中では、秀吉が一番好きな自分としては、あの英傑が興したものが、こうも簡単に衰えてゆくのかという悲しみがありますね。成り上がりに成り上がった末に老醜をさらし、遺したものも全て消えてゆく、というのも踏まえて秀吉の魅力としているので、悲しみも外せないのですがね。
豊臣と徳川の戦いである大坂冬の陣ですが、豊臣側の主役となるのはやはり真田信繁。幸村ではなく信繁と表記されるのも、だいぶ慣れてきました。第一印象って強いです。冬の陣では真田丸、夏の陣では家康強襲と、大いに活躍を見せる信繁。彼が一方の主人公のような位置にいるのは当然か。
作中を通じて「阿呆」という言葉が使われているのが目に止まりました。
何らかの思考や主義に囚われてしまって、己の現在や未来へと視座を進めることのできていないことを揶揄した時に使われていると思います。
一つの時代の終わり。過去の価値観にしがみつくのか、新たな価値感を迎え入れるのか。
新旧の価値観のぶつかり合いでもある戦いではあるのでしょうが、片方の豊臣側が虚勢に縋っている状態なのが虚しく思えます。虚勢に実を持たせないまま、戦いを仕掛けた家康の執念の賜物かな。