あらすじ
有名な合戦を活写する「戦百景」シリーズ。第4弾は、戦国最強武将の対決「川中島の戦い」。信玄対謙信の激突はなぜ起こったのか!
父・信虎を追放して甲斐国主となった武田晴信(のちの信玄)は信濃への侵攻を繰り返す。晴信は次々に信濃の国人衆を従えていくが、北信濃の村上義清が立ちはだかる。だが武田軍の圧力に抗しきれず、義清は越後の実質的支配者・長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼る。景虎は義清ら国人の要請に応え北信濃に進出。武田軍と対決する。天文22年(1553年)の第一次川中島の戦いである。その後両者は二度対峙し、また景虎は関東管領職に就き上杉政虎と改名するが、二人が直接干戈を交えることはなかった。信州進出でほぼ無敗を誇る晴信と、戦神・毘沙門天を名乗る政虎。戦国最強の二人の勇将は互いに雌雄を決することを欲するようになる。そして永禄4年(1561年)、ついに決戦の時が訪れる。晴信を屠ることを決意した政虎が川中島の南部に位置する妻女山に13000の兵で布陣し、晴信はその意図を察したように武田の橋頭保・海津城に全軍20000を集めた。10日ほどの対陣ののち、濃霧が出る前夜に武田軍は二手に分かれて出陣。それを気取った上杉軍も密かに妻女山を下るのだった……。
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Posted by ブクログ
戦百景四作目は川中島の戦い。武田信玄と上杉謙信の龍虎の戦いです。一番有名な一騎打ちの場面は四度目です。通算の戦いは第五次までありますが、四度目以外は小競り合い程度なんですね。小学生の頃かな、川中島の戦いを初めて知ったのは。その時は、この有名な場面がある一大決戦を五回もやったの⁉︎という驚きにあふれていました。
まあ、信玄頑駄無と謙信頑駄無の元ネタというとこから入ったのですが。
そもそも信玄じゃなくて晴信、謙信じゃなくて政虎で表記されています。上杉謙信の名前変わり過ぎ問題なんとかしてくれないものか。作劇の都合上で、謙信で統一とかいうものもあるかと思いますが、読みやすさをとるか史実準拠なのかのせめぎ合いだったりするんでしょうね。
越後の竜・上杉謙信。甲斐の虎・武田信玄。
この二人のパブリックイメージをなぞりながら物語は進みますが、実際の二人の性質は真逆であるという構成。その隠してきた本性が爆発するのが、第四次川中島の決戦の最中です。好敵手として知られているために、理知的な謙信と野生的な信玄や、義の人・謙信と無道な信玄などなど、何かと対比で表現される両雄。パブリックイメージとは違うものを隠していて、それが互いの本質であるという点も合わせ鏡のようで、対比の位置にあるのでしょうな。相似というやつかしら。
理性的な場面では互いの行状を嫌っているのに、戦場で心の裡を曝け出して生命を賭けた後には、敵に塩を送る、の故事のような関係になるのが心地よいですね。
夕焼けの中、河原で殴り合う少年二人、みたいな。
川中島が大きな中洲なので、河原といってもいいか。そう捉えると、ヤンキー友情物語になってしまいます。