あらすじ
金がなければ戦はできぬ! だが天下分け目の大いくさで、東西両軍で動いた金は総額いくらになるのか? 『「忠臣蔵」の決算書』に続き、日本史上の大転換点をお金の面から深掘り、知っているようで知らない「関ヶ原の合戦」の新常識を提示する。そもそも米一石は現代なら何円? 徳川家康は本当に儲かったのか? なぜ敗軍に属した島津家がおとがめなしで生き延びたのか? 史上最も有名な戦の新たな姿が浮かび上がる。
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今年(2024)のGWの大掃除で発掘された本のレビューは大方終わりましたが、その前に娘夫婦が宿泊した時に大慌てでスースケースにしまい込んだ本があり、それらの本のレビュー書きを終了させたく思っています。
記録によれば、まだまだ世の中がコロナ騒動の真っ最中だった、4年前(2020.5)に読み終わった本です。読み終わった時に、自分で評価を星5つをつけています、内容をほとんど覚えていないのですが、レビューを書きながら振り返りたいと思います。
以下は気になったポイントです。
・兵糧米は現在の貨幣価値でいくらだろうか、当時の米1石を8万円とすると、米5キロで2,670円ほどである。現在の値段もだいたいそれくらいである。180人分の兵糧15日分で、108万円。兵一人当たり1日分の兵糧米が400円、1,000人の部隊を一日動かすと40万円である。関ヶ原の戦いのように10万人だと、兵糧米だけで1日4000万円となる(p19)
・天正12年(1584)の相場は、金1枚(44匁=165グラム)が米26石(3.9トン)なので、米1石を8万円とすると、金1枚=26石=208万円となる(p22)金で寒山すると、金1枚=99万円となる。金の価格は時代が進むと高騰していく。関ヶ原の頃には、350万円ほどになる(p22、23)注)この本の書かれた時は、1グラム=6000円、現在(2024.8)は、13500円である。
・日常使われている「銭」の価値は、銭1貫=80000x1.2石(米の値段は100文=一斗2升)=96000円、なので、銭1文=96円である(p24)ただし、明から輸入した永楽銭は、天正18年(1590)金1枚を永楽銭18貫とあるので、352万円÷18000(永楽銭18貫)=195.5円となる、日本で製造された銭の2倍の価値である(p24)
・銀は一枚、2枚と数えるほか、高額の場合には貫で表示される。一貫は1000匁(37.5キロ)で、現在価値にすると800万円である(p27)
・10万石の領地を持つ大名は、10万石の米が収穫できる地行を持っているということ、その10万石(80億円)は領地で収穫される米の生産量の総額で、大名収入そのものではない。なぜなら収穫された10万石をそっくり大名が年貢米として徴収したら民は飢え死にするしかないから。一般的に、年貢の実収は、石高の3割だろう、10万石なら3万石=年収24億円である。10万石の領地のうち8割くらいは、給地(家臣に与える領地)となる、それ以外の部分が大名直轄の領地(蔵入地)となる、10万石のうち2万石、年貢は6000石=4億8000万円、そこから直属の足軽部隊の給料を払い、軍勢全体の兵糧米を支給する(p35)
・騎馬武士は身分に応じて3段階に分けられ、最低の300石は従者10名を連れて従軍する。戦闘員は1万人の軍勢で3割ほどであった(p43)
・文禄の役以降、秀吉と三成が推し進めた太閤検地による大名蔵入地の強化により、島津氏は飛躍的に強固な経済基盤を手に入れた。島津義久、義弘が秀吉に、また三成に恩義を感じたとしても無理のないことだろう(p45)
・関ヶ原の戦い当時の家康の領地は、6カ国242万石他、近江などに与えられた在京賄料を合わせて250万石、ここから大名クラスの家臣領地が94万石強、直属家臣知行地2万強、寺社領1万強を差し引いた残りの151万石強が蔵入地である。242万石の軍役は計算上は12万人であるが、家康は3万人の軍勢で江戸を出発した(p131)
・騎馬の武士は総数の2%、軍5000の軍勢であれば、100騎ほどであろう。馬に対する糧食費は、10万石であれば1日213万円である。これを大名の蔵入地(直轄領=2割)から払うことになる(p224)
・関ヶ原の敗者、西軍の領地の合計は、671万3100石である、当時の全国けんち=1850万石の36%強=2685億円強である、まさしく天下分け目の合戦である(p240)
・豊臣家の蔵入地は、222万石、全体の12%を占める。秀吉本拠の大阪城を中心とした摂津・河内・和泉の合計は、73万石で、蔵入地は46万石=185億円、これ以外に全国各地に蔵入地があり、10万石以上設定されている国が7箇所ある。それ以外に、主要な鉱山(合計397億円)も豊臣家に流れ込んでいた(p243)豊臣家の蔵入地を管理する大名を移封すれば、蔵入地は宙に浮き、家康にとっては加増分の原資となった(p246)
・秀頼の手元に残ったのは、73万石となった、秀頼が戦ったわけでもないのに関ヶ原の合戦後に3カ国の大名に転落したのは、全国に分布していた豊臣家蔵入地と金銀山からの運上収入を失ったことによる。合戦前は1286億円であったが、185億円になった。家康は、金銀山からの主運輸が397億円、領地は1205億円を生んだ。合計1890億円という戦前の豊臣家を上回る財力を得た。一門、譜代の領地=220万石を加えれば、573万石が徳川家の実質的な支配下となった。これは日本全体の3割に相当する(p251)
2020年5月28日読破
2024年7月18日作成
Posted by ブクログ
○米一石(1000合)=8万円から換算したとき,現代の価値とこんな感じに対応する. 永楽銭1文=200円 銀貨1枚=35万円 金貨1枚=200万円 千両箱=20億円 100万石の大名(五民五公でも実収入は30%程度)=年収240億円 ※そもそも,石(領土)=領地から年貢を取る権利.
○関ヶ原前後で,徳川家の年収は604億円→1809億円に増加した. 配下に収めた領地は573万石で,日本の約3割相当.さすが天下人って感じのスケール.
Posted by ブクログ
歴史的な出来事の収支報告、この視点で読むとグッと身近になる。
武将の給料、物資運びの運賃、道案内の同行手間賃、こんな風に考え当時の支払種別を現代のお金に置き換えるあたりも面白い。
地図でちゃんと土地の管理がされていない所、未開の地みたいなのが出てこざるを得ない策も面白い。
日本史もなかなかだなぁと思った一冊。
Posted by ブクログ
忠臣蔵に続いてとにかくわかりやすい!
兵糧の考え方が秀吉以前と以後で違い、自弁と現地調達の考えから、各大名が準備する方式になっていく。
1人あたり1日5合の兵糧米ってなかなか大変…
以下も、本書で示された基準↓
●米1石=8万円
→1000人の軍勢を動かすのに1日40万
●金1枚(165グラム)=200万
が、どんどん高騰し、5年で350万に上がる
●永楽銭1文=200円
↑信長が堺の町衆に要求した矢銭2万貫(40億!)の規模の大きさがわかる。
しかし対外貿易で潤っていた堺が払えない額ではないというのもすげぇ
●銀1枚=35万円
1匁=8000円、1貫=800万
●大名は家臣がいないと合戦に出れないので、10万石の領地のうち、8割くらいは家臣に与える領地になる
小田原攻めの時に秀吉が用意してた兵糧米が50万石=400億ってのもすごすぎる。北条の総構をそこまで警戒してたということなんだろうか。
あまり島津家に詳しくなかったので、島津義弘が伏見にいながら西軍側としてずっと戦い、兵が少ないから早く援軍を、と薩摩に求め続けていたのが少し意外だった。
でもだからこその敵中突破だったのかもしれない。
(そして追いかけたのが井伊直政だけってのもなんかもう井伊らしい感じで面白い(笑))
関ヶ原合戦後も、家康に従うか従わないかで大いに揉めていた島津家。強硬派の義久と恭順派の義弘の板挟みになった忠恒が、従う決断をしたのは大きかったと思うな。
それに対し、10億以上ポンと貸してくれて応援してくれた福島正則のカッコいいこと(笑)
確かに戦ってもないのに関ヶ原以後、豊臣家が没落したのは疑問だったが、
豊臣家蔵入地(直轄地)を持っている武将を移封させて家康にとっての加増分にしたのか。
納得だし、それで豊臣家が年収1286億→185億になったのって大きすぎる。
ここまで大きな合戦になると、大きなお金がこれだけ動き、歴史を動かしていくのだなと実感できる一冊。
全然関係ないけど、城好きなので、
山内一豊が高知へ大幅加増になったのが、家康が京へ上る生命線だった東海道筋の城を明け渡したのがきっかけだったというのも面白いし、
松江城の堀尾氏も関ヶ原以後なのか。
逆に毛利の下関移封もここからだもんな。
やっぱり大きな合戦は、とことん歴史を動かすのだなと実感する。
Posted by ブクログ
タイトルは、誤解を生みやすい。ガチの決算書解説本ではない。著者は歴史研究の第一人者ではあるが、会計の専門家ではない。
何万石とか何両など当時の通貨が分からないため、経済的規模感がわかりにくい戦国時代をザックリとわかりやすく解説してくれる。しかし、タイトルに特化した内容では決してなく、関ヶ原の戦いの経緯全体を解説している著作である。
Posted by ブクログ
島津の話は、よく分かった。関ヶ原に限らず、戦の終わらせ方は難しいのだと理解。
「忠臣蔵」に比べると、あまりに額が大きすぎて、「決算書」という感じはしなかったな。