あらすじ
一八五四年、来航したペリー提督は蒸気車模型を幕府に献上。以来、日本は鉄道時代に突入した。幕末の外国人たちによる敷設計画に始まり、新橋~横浜間の開業、官設鉄道を凌ぐ私設鉄道の全盛期を経て、一九〇六年の鉄道国有化と開業距離五〇〇〇マイル達成に至る半世紀――。全国的な鉄道網はいかに構想され、形成されたのか。鉄道の父・井上勝をはじめ、渋沢栄一、伊藤博文などの活躍とともに日本鉄道史の草創期を描く。
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Posted by ブクログ
幕末から明治(正確には1906年の鉄道国有法の公布まで)の日本の鉄道の歴史を扱う。鉄道一本に絞っており、これまでの政治経済通史的な理解では得られなかったニッチな分野に光を当てている。
鉄道をもたらしたのも実はペリーで蒸気機関車の模型を持ってきた。これを佐賀藩や薩摩藩が作り直すところから歴史は始まる。
そこから有名な新橋〜横浜間の列車に繋がっていくが、この時点では、路線計画、敷設、車両など技術は西洋頼り(お雇い外国人)。そんな状況を鉄道局長たる井上勝が変えていく。具体的には教育機関を作って教えて現場に出すことを繰り返して日本人の手だけで作ることができるようになった。
その後、官と民が併存しながら、大きな幹線を優先的にやるという大方針はあり、民間鉄道事業は許可制なるも、雨後の筍のように官と民の鉄道が乱立。統一的に整備運営する観点から国有化がなされて9割の路線と客を持つ国鉄が登場。イノベーションを阻害するとの観点からの批判も相当あった模様だが、貴族院での大幅修正や衆議院での乱闘国会を経ながら1906年に成立する。
しかし、ストーリーとして面白かったのは鉄道で変わる社会。例えば、横浜・鎌倉が首都からの日帰りツアー圏になったり、日光や松島に盛んに観光鉄道が運行される。瀬戸内海などでの船との顧客争いも面白い。また、影の面として、昔の宿場町の衰退、鉄道が遅い山陰地方の発展の遅れなど「裏日本」概念が生まれたり、早く開通しても首都圏の経済衛星国のようになって搾取される青森県の状況、中間の中都市から大都市への人口流出など鉄道は様々な光と陰をもたらしつつ、社会を急速に変容させていった。
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本書は、1854年二度目の来航を果たしたペリーが蒸気車模型を幕府に献上してから、1906年鉄道国有化法が通るまでの日本の鉄道史を書いた本です。私は鉄道よりも明治時代の産業発展に興味があったのですが、まさに鉄道の目線を通じた産業発展および社会の変化が、当時の新聞記事の紹介など、わかりやすい形で示されていました。
特に鉄道が地域にもたらした影響が極めてリアルに書かれていて興味深かったです。村の産業全体が壊滅状態になるところもあれば、日光のように観光客数は増えたものの(鉄道によって日帰りできるようになって)宿泊客が減少すると言ったように、当時の日本人に与える影響が全国津々浦々いかに大きかったか、とてもよくわかりました。
またこれは本書の主題ではないのですが、改めて鉄道(線路と車両)というシステム自体を考え出したイギリス人の発想力というかイノベーション力はすごい。急速にキャッチアップしていった日本もすごいが、改めて本書を読んでイギリスもすごいと感じました。本書を読んで、日本の鉄道史自体の理解も深まりましたが、改めて別の興味もわいてきたので満足しています。
Posted by ブクログ
近代日本の交通・流通史の第一人者である著者によって語られた鉄道を軸とした日本経済の通史。それだけに,単なる鉄道の経営・技術開発史ではなく,外交や出資,社会生活との関係性をも記している点で,鉄道ファンでなくとも親しみやすい。
従来,明治日本経済史における鉄道の役割は,新橋―横浜間の開通に始まり,殖産興業期における「開港場路線」としての限界,松方デフレを経て企業勃興期における鉄道建設ブーム,明治23年恐慌によるその終焉,日露戦後経営期の鉄道国有化と,主に明治政府による経済政策の変遷にあわせて段階的に描かれてきた。しかし,本書ではその間隙を縫うかの如く,東と西をつなぐ幹線鉄道としての「中山道鉄道の敷設」の意義や,鉄道敷設法体制下における小規模私設鉄道の濫立と広軌鉄道問題などに焦点を当てることで,明治期の鉄道史を連続的に表すことに成功している。
こうした連続的な明治鉄道史像を描写することによって,当時の人物に対する評価も変化してくる。これまで「長州ファイブ」(20-21頁)の中では「いぶし銀」的存在だった鉄道庁長官・井上勝は,井上馨や伊藤博文らを脇役へ追いやって,「鉄道のテクノクラート」(144頁)として主役の座を勝ち取っている。また,渋沢栄一は,「金本位制採用論争」に続いて,大蔵省の阪谷芳郎ら鉄道国有論賛成派に対する反対論を唱えるが,結局のところ日露戦後期には国有化を主張するように転換してしまう(193-195頁)。こうした鉄道に携わる人間模様も活発に語られているのが,本書の面白さだといえよう。
ただ1点気になったのは,97頁(初版)の記述である。高崎―横川間の官設鉄道が1885年10月に開業したことで,途中の磯部駅には湯宿が軒を並べており,「外務卿の井上馨らが別荘を建て,三菱の岩崎弥太郎もしばしばこの地を訪れるようになった」と書かれているが,弥太郎自身は同年2月7日に没している。おそらく,岩崎弥之助の間違いであろう。
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文字通りに「蒸気車模型から鉄道国有化まで」の状況が綴られている。非常に興味深い。
この「明治時代の話し」で少し驚くのは、“鉄道”に対して“海運”が「競争相手」的な位置に在ったことや、現在では想像し悪い程に大きかった鉄道の“存在感”だ。そして「分単位の運行」が行われる列車の故に、「日本人の時間感覚」が変わって行ったという事実である。
本書は文字通りに“温故知新”という感じがする。なかなかにお薦めだ!!
Posted by ブクログ
ペリー来航から日露戦争後に鉄道が国有化されるまでの
鉄道史をわかりやすく描く。
井上勝の献身や、明治初期のビジョン。
鉄道開通による庶民の暮らしぶりの変化など
興味深い内容が多いが、
軍事的な記述は意図的に省略している雰囲気を感じた。
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概説書ながら中身は濃く、国有化までのおよそ50年余りの間の政治・経済・軍事、様々な側面からの鉄道敷設構想への言及もコンパクトにまとまっていて勉強になった。地方への鉄道敷設によって生じる「経済効果」については種々議論があるわけだが、それに関しても正負両側面から叙述されている。
Posted by ブクログ
ペリーの2度目の来航の際、蒸気機関車の模型を将軍へ献上し、横浜の応接場の裏で組み立て、運転して見せた。その数か月前、長崎にプチャーチンが来航した際にも、佐賀藩の精錬方が艦内で蒸気機関車の模型を見学しており、その2年後にはアルコールを燃料として走らせる蒸気機関車の模型を完成させた。
長州ファイブの1人である井上勝は、ロンドンで鉄道技術を体系的に学び、鉄道専門官僚として日本の鉄道ネットワークづくりと鉄道技術の自立化に生涯をささげた。
1865~70年の日本の輸出額は、生糸が52%を占めており、集散地の上田や前橋に向かう鉄道を敷設すれば、輸出が増大すると考えられた。
日本初の私鉄である日本鉄道は、岩倉具視をはじめとした華士族層を主唱発起人として特許を受けた。83年に上野~熊谷間、84年に前橋までを開業すると、生糸の輸送に大きく貢献した。85年には品川から東京西郊を迂回して板橋を通り、川口に達する品川線が開業し、上毛地方と横浜が鉄道で結ばれた。
81年に、明治14年の政変で大隈重信が失脚すると、松方正義が大蔵卿に就任した。81~85年の松方財政の時代には、貨幣制度の整備と通貨価値の安定による金利低下の結果、投資意欲が刺激された。85~89年にかけて、会社の数は3倍に増加した。中でも、日本鉄道の業績が良好なのを受けて、鉄道業の次に紡績業、さらに鉱山業と移る形で、これらの増加が著しかった。
89年に東海道線が全通し、91年に日本鉄道が青森まで開通した。92年には、中央線、北陸線、北越線、奥羽線、山陽線、九州線などを拡張する鉄道敷設法が成立した。
90年の恐慌後、94~95年の日清戦争後に鉄道熱は再燃し、北海道鉄道、日本鉄道、山陽鉄道、関西鉄道、九州鉄道をはじめとする私設鉄道が著しい発展をとげた。
1904~05年の日露戦争後、鉄道の統一、貨物運賃の低廉化、植民地鉄道と内地の鉄道の一体化の視点から鉄道の国有化が主張されるようになった。06年に鉄道国有法が公布され、五大私鉄をはじめとする17社が買収された。国鉄のシェアは、開業距離で32%から91%、輸送人キロで29%から91%に増加した。
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所々、時間が入り乱れてはいるが、全体的に時間の流れに沿っているので、鉄道と社会の変遷が対比して読むことができた。
何より、日本最初の鉄道計画が東京・京都間と、京都・敦賀間であったことに驚いた。
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日本鉄道発展前半満鉄以前までの通史。明治の鉄道開通から国有化までの軌跡が描かれる。1906年に鉄道国有化なんていうことがあったとはつゆも知りませんでした。
Posted by ブクログ
近代化していく中で鉄道が敷設される過程や、社会的経済的な影響が紹介されている。鉄道萌芽の時期は、いわゆる開明派官僚である大隈重信大蔵兼民部大輔、伊藤大蔵兼民部少輔がイギリス支援の下で推進していくことになる。
イギリス支援時に日本の鉄道路線の狭軌採用が決定した事実は恥ずかしながら初めて知った。
鉄道敷設に尽力した人物として井上勝が紹介されている。井上はいわゆる「長州ファイブ」として知られる人物であり、イギリスで鉄道技術を学んでいる。
日本の鉄道敷設でまず検討されたのが、1869年に東西両京間の鉄道敷設である。1870年からはモレルが東京~横浜間を測量開始し、二年後には新橋~横浜間の仮開業までこぎ着ける。その後、1874年には大阪~神戸間の開業、三年後には京都~大阪間の開業と徐々に敷設距離を伸ばしていく。
東西両京間鉄道も当初は中山道ルートを採用していたことも意外であった。
政府だけ敷設を進めるのは困難であったため、私設鉄道を認めていくことで鉄道敷設を促進させた。その代表例が、1881年設立の日本鉄道会社であった。その後、松方デフレからの企業勃興が起こり、私設鉄道が官営鉄道を上回っていくことになる。
しかし、一方で政府内部では鉄道国有化という意見が出始め、将来的な鉄道国有を匂わせつつも、私設鉄道を容認する鉄道敷設法が出される。私設鉄道は当時、小規模鉄道会社の分立経営状態が続いており、経営も不安定であった。尚且つ、路線も分立しているため運輸もきわめて不便であり、統一した鉄道経営が望まれ始めてきた。
こうした流れの中での鉄道国有化であるということを本書はとても明快に示してくれており、交通史門外漢の小生にも分かりやすかった。
また、鉄道による地域格差(有名な「裏日本」の問題など)も紹介されており、鉄道による社会に与えた影響も紹介されている。
また、鉄道萌芽の時期の鉄道敷設に関して、郡司的理由というよりも経済的理由が優先されていたという事実も意外であった。