あらすじ
守護・今川義忠の死による混乱を鎮めるため、早雲は駿河に下り、嫡子・竜王丸を後見することとなる。室町幕府の力はなきに等しく、国人・地侍たちが力を持ち始めていた。この時代の大きな変化を鋭く先取りした早雲は、天性の知略で彼らの信望を得、政敵を退けていき、有名な北条の治世の土台を築いていく。
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Posted by ブクログ
伊勢新九郎が伊豆を乗っ取る中巻。とても渋くて、あまりおすすめできないというオススメの本である。
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p29 頼朝が頭領になれたわけ
頼朝が関東八州の棟梁に推戴されたのは、彼の人望や実力というわけではない。
力を付けた関東の農民や武士団は、西の朝廷にいつまでへりくだっていなければいけないのか、不満が膨れている。そこで、自分たちで蜂起するのにふさわしい頭目を求めた。その頭は、格式高い貴種の出であることが望まれた。源頼朝は、いうても天皇家から臣籍降下した雅な人間である。ちょうど良い存在である。
鎌倉幕府の成立の頃から、頭領は担がれた神輿でしかないのである。それが、神輿を担ぎもしなくなったのが戦国時代と言えようか。
p36 巫女
当時は、病気は魔性の仕業として、巫女などが祈祷によって払うものだった。にんにくの臭いで攻めたり。
昔は縫い針は呪術性が強かったらしく、失くすと呪いがあるとして巫女による祈祷を受けた。巫女の秘部は呪術性が強いので、すっぽんぽんの巫女が針の落ちていそうな部屋を回って祈祷し、「三日のうちに出てくるであろう」というような胡散臭い生業をしていた。
p62 塩留
沿岸部を治める今川氏の外交戦術「塩留」内陸の国への塩の輸出を封じることで、兵糧攻めにする。そのための関所もあった。
p90 農民の力
早雲は言う、農民が力を付けたのは誰の入れ知恵でもない、社会の発展が生み出した自然の流れである。
日本は古来から、支配層は支配層のためにしか政治をしてこなかった。だれが農民のためを思って政治をしたか。
農民が鉄を安く手に入れられるようになり、自分の手で開墾をし、力を付けたのである。自分の手で力を付け、自分たちの足で立ったのである。
p129 道灌の江戸城
道灌は足軽戦法の創始者。さらに上杉氏の吏僚として江戸城を普請したのも太田道灌
p153 早雲の違い
守護のように権威を振りかざしたりはしない。自ら百姓頭として農事の世話やもめごとの調停役や百姓用の式目を作って、積極的に民のための政治をした。
また、早雲の国の租税は安かった。税を軽くすることで民の力を伸ばすことこそ、国力をあげることにつながると考えた。というのも、世に足軽戦法が浸透してきたからだろう。
税を軽くし、面倒をよく見てくれる国主のために働く農民を育てる。それが早雲の違い。
p156 応仁の乱とは
応仁の乱を起こさせたエネルギーとは何か、司馬遼太郎は国人の生産高向上による「余剰価値」であるとみている。
農業生産高が飛躍的に上がったことで、経済が発展し、貨幣とともに価値の貯蔵ができた。それを相続する時にすさまじいエネルギーを生み出し、応仁の乱のような社会的混乱を巻き起こした。
p243 朱印状
朱印状は今川風が元祖であった。鎌倉・室町時代に中国の宋代の文化が輸入流行した。そこに捺印の文化が生まれ、今川家が真似して、戦国武将に広まっていった。今日の日本の捺印文化の発端はここら辺にあるという説。
p249 すみーれ
室町時代の菫の花の発音は「すみーれ」だった。菫の花の花弁の下に大工の墨入れのようなものがついていたから、墨入れのような発音になったという説。
菫がぽつんと咲いていたら「大工さんが置いていったのかな」というと、巧い一言。
p256 倹約家
早雲は吝嗇者として嫌われる一面もあった。夜は8時には寝ること。そして朝4時には起きることを家臣に言い聞かせていた。
しかし、それでも本質的に素晴らしい人間なので、そういう表面的なことしか言われない。心根の部分では皆から慕われ、信用される頭領だった。
p300 尊氏の功罪
足利尊氏は太っ腹な大将だった。南朝を倒して政権を握ったが、それには失ったものも多かった。戦で家臣が功績をあげるたびにその褒賞を与えなければいけない。それを尊氏は惜しみなく与え、戦勝地を得られなければ自分の領地を分け与えた。
その結果、世の中は領土の椅子取りゲームの強い者が正義という世になってしまった。将軍家の領土も減り、もはやその名前しか権威が無く実行的な支配力が落ちてしまったのも、社会混乱を招いた一因だろう。
p365 土台になるだけ
北条早雲は、今川新五郎範満を討ち取り、妹:千萱の子:今川氏親が駿河の地の守護になる環境を整えた。
早雲ほどの人物なら、幼い氏親ではなく自分で駿河の地の棟梁になることもできただろうし、彼の方がより多くの人数を集められたかもしれない。
しかし、彼はあえてそうはしなかった。かれは土台になっただけ。
2014年の大河の黒田官兵衛もそうだが、できる男は自らが頭になるのではなく、手足になり、頭を支えるのだな。
p368 国一揆
早雲の考える駿河の国は、「駿河の国は、百姓のもちたる国」であった。一揆の象徴として今川氏親がいて、国人たちがキチンと権利を持った生活ができる社会を作るのが、早雲の理想であったし、武士の生き残る道だと考えた。
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北条早雲の人間の大きさが発揮される巻だった。
室町時代は熱いなぁ。司馬遼太郎が書くとすごく熱い。日野富子とかを題材にするとドロドロだけれど、この本は熱い。いや、そんな温度は高くないな。
良い加齢臭のする本でした。