あらすじ
私、三風。
12歳までひとりぼっちだったんだけど、この前四つ子だったことがわかって、今は一軒家で四人暮らしをしてるんだ!
四姉妹の生活は、にぎやかで本当にすてき!!!!
でも……なんだか最近、姉妹1のしっかり者、長女・一花ちゃんの様子が変なの。
突然家を飛び出したり、怒り出したり――何か悩んでいるみたい。
わけをきいても教えてくれないし、心配になった私たち妹3人は、どこかへ出かける一花ちゃんをこっそり尾行することに???
みんな同じでみんな違う! キュートな姉妹生活第二巻!
第6回角川つばさ文庫小説賞特別賞受賞! 【小学中級から ★★】
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Posted by ブクログ
まさか一花ちゃんが不良だったなんて思えない→差別するなんて酷いなと思った!
怒った時の一花ちゃんがかっこよかったし、麗さんが何者なのかちょっと分かってきた!
Posted by ブクログ
「四つ子」設定を生かした姉の尾行プロットが面白かった。途中から三手に分かれてそれぞれが一花と顔を間違えられて色々ある。
本巻の主題は一花の「ほんとうのわたし」を問うことだと考えると、その過程で四つ子であること(交換可能性)を利用しまくっているのはある意味皮肉でおもしろい。
最後の一花の本音の吐露には号泣した。
またその前の、大切な人の入院でナイーブになり、これから自分たち子どもだけで生きていけるだろうかと一花が悩むくだりは、あまりに切実で胸が痛んだ。これが「自立」を求めるネオリベラリズム社会の末路か……と。
もはや子どもを抑圧したり敵対したりする「大人」すらほとんどいなくなり、13歳の子どもが、まるで20歳の大人のように自らの将来を不安視して苦悩する、そのさまが児童文学でアクチュアリティをもって描かれる社会……
子どもが大人に隠れて自分たちだけで「自立」したいと願うのは良いし、児童文学はそうした子どもの願いを形にするツールのひとつであるべきだ。
でも、まだ義務教育も終わっていない年齢の子どもに「自立 “しなきゃいけない”」と悩ませて人生の行く末を不安がるさまを児童文学でこのようにあたかも一般的な子供の苦悩のように描くことが自然なものだとされるのは、違うだろ…… この作品が悪いのではなく、ここ二十年ほどで本当に社会の底が抜けているんだなぁと感じてしまい、たいへんつらく、これからを生きる子どもたちに申し訳ない。
なんでアラサーの自分らが抱くような切実な悩みを12歳が抱いてしまっているんだよ。
つまり、従来の児童文学ならば、いくら子どもが「自立」することを願ってそれを実現するさまを描いていても、あくまで大人は子どもを庇護する責任を放棄しておらず、だからこそ子どもから鬱陶しがられて反発される役回りに徹していた。そうすべきだ。子どもが大人の庇護を抑圧と見做して反抗するのはあるべき姿だろう。
でも、本作では親も親に代わる児童養護施設も「国」も大人は皆、はなから自分たちの庇護責任を放り出して、子どもに「自立」を押し付けているので、子どもは「自立しなきゃこのさき生きていけない」と悩むことになっている。
そうしたシチュエーションを前提にしているので、いくら四つ子姉妹の尊い姉妹百合の日常が繰り広げられて「私たち子どもだけで生活するのって、大変だけど、楽しい!」と前向きに幸福に描かれていても、それをそのまま良いものとして受け取ることに躊躇いが生じてしまう。
大人が子どもに全力で向き合って、ちゃんと嫌われることの大切さ。
関わりを絶って嫌われることすらせずに、子ども自身に将来の不安を抱かせてしまう大人や社会はクソだ。
子どもたちよどうか、ちゃんと自立できるだろうかとか、社会でやっていけるだろうかとか、そういうことで悩まないでほしい。親や教師や周りの大人たちほんとうぜぇ〜とか、そういうことで悩んでいてほしい(というのも嫌な押し付けだが……)。
子どもにとって「自立」は憧れや夢であっても重くのしかかる”現実”ではあってほしくない。
その意味では、終盤に再登場する自称母親は、明確な「悪役」であるだけまだマシかもしれない。いや、アイツもクソだが……