【感想・ネタバレ】江副浩正のレビュー

あらすじ

自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ
稀代の起業家「江副浩正の仕事と生涯」正伝

江副浩正の名前は、一般にはリクルート事件と併せて語られることが多い。ロッキード事件にも比肩する一大事件の主人公として昭和史に、そして人々の記憶に深く刻まれることになった。この鮮烈な記憶が、起業家としての江副浩正の実像を覆い隠しているのかもしれない。いまだに、強烈な逆光によって江副浩正の正体は眩まされ、「東大が生んだ戦後最大の起業家」「財界のあばれ馬」と讃えられた江副の凄みを本当に理解する者は数少ない。
1989年、リクルート事件で江副は会長職を退任する。その3年後にはリクルート株を売却、完全にリクルートを離れた。それ以来、裁判報道を例外として、江副の名前はマスコミから消えた。2013年2月8日享年76歳で亡くなるその日まで、江副が何を考えどう生きたのか、それを知る人はほとんどいない。実は、彼はその死の日まで、事業での再びの成功を願いもがいていた。新たな目標を定め、組織をつくり、果敢に挑んでいたのである。起業家の血はたぎり続けていたのだ。
その、江副浩正の実像を明らかにすることが本書の目的である。彼だけが見ていた世界、目指したもの、そこに挑む彼の思考と行動。その中に、私たちを鼓舞し、思考と行動に駆り立てる何かが準備されていると信じるからである。

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個人的にリクルートに縁があって今は卒業生の方とお付き合いがある。皆エネルギッシュで自分の意見を持っており、世間にとらわれない生き方をしている人が多い。この本の冒頭に出てくる「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」はリクルート人にとっては家訓のようなもので、在籍した人が実践しようと心がけている言葉だ。この本に書いてある江副浩正の起業家精神、すさまじい生き様、発想力、決断力などを読むと、類まれな経営者としての能力がよくわかる。家には銃弾も撃ち込まれ、リクルートコスモスはバブル崩壊と共に1兆4000億という歴史に残る負債額を抱え、優良事業や所有ビルの多くを売却せざるを得なかった。中々乗り越えられることではない。世間では江副浩正に対して様々な意見があると思うが、私は本書を読みエネルギーをもらい江副浩正という人物に感動を覚えた。その後のリクルートは驚異的な収益を上げ、巨額の債務を利益で返済し、15年には株式公開を果たしている。このことからもリクルートは江副浩正の生き様であり、江副イズムは多くの人たちに受け継がれていっているのではないかと思う。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

自ら機会を作り、機会によって自らを変えよ。
そのスピード感、決断力、人を見る目、信念が読みながら伝わってきた。
新規事業を起こしても失敗を許容し、その失敗が起きたときには拍手をして迎えるという、リクルートのDNAは、現代の日本企業に足りていないものだと考える。
女性登用についても、非常に面白いエピソードがあり、当時のリクルートは素晴らしい企業だったと思う。
リクルート事件により失墜し、上場を見ることなく去った江副氏の手掛けてきた事業を、スピード感を持って同伴できる本書は、一読の価値あり。

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2019年05月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

リクルートという社名には次々と新規事業を切り開き人材を世の中に送り出し続けているよいイメージとともに、リクルート事件による負のイメージも強い。創業者である江副氏も、理念に燃えていた初期、リクルート事件を経て株式市場で空売り王として名を馳せ(ダイエーに支援を要請した時はリクルート本体はもちろん、個人的にも株の借金が150億あったという)、認知症を患い、孤独のうちに亡くなった晩年と、そのコントラストに改めて驚かされる。不世出の経営者で、本当に惜しい人を亡くしたと思う。江副氏が予見していたようにコンピュータと高速通信が融合した時代を迎え、もし仮に存命であったらどのような経営をされただろうか

・初期の社員の中には立花隆もいた。ただ、営業に熱心でなくすぐに辞めてしまった

・月間リクルートなどで経営者への取材を自らすすんで行なうなかで学ぶことも多かった。「そうだな、『ソニーは人を生かす』と書いてほしいな。僕はソニーに入ってきた人を必ず幸せにする」と言った盛田昭夫や「出身校とか、学校の成績は関係ない。人には得手なことと不得手なことがある。人を生かすには得手なことをやらすことでんな。大事なことは、だれにどの仕事をどこまで要望するか。それが、人を用いるうえで肝心なことや。ありゃ使いものにならんと言うてんのは、使う人が使いものにならんからや。人はみな人材です」と言った松下幸之助のことばなどが印象に残っていた。

・リクルート事件の背景には、上場のためのルールとして、株式の公開にあたってある程度の株主数が必要だったという事情もある。(著者はリクルート事件を、贈賄という性格のものではなく、世話になった人たちに純粋にお礼として送っただけだという)

・晩年は惨めであった。震災の後のインタビューなどにも「日本は今年に入って餓死者が七万人。行方不明者が十万人」と答えてみたり、認知症が進行していた。最後は駅のホームで倒れ、寂しく亡くなった。

■「誰もしていないことをする主義」だから、リクルートは隙間産業と言われる。だが、それを継続していって社会に受け入れられれば、やがて産業として市民権を得る

■「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

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2018年11月26日

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