【感想・ネタバレ】江副浩正のレビュー

あらすじ

自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ
稀代の起業家「江副浩正の仕事と生涯」正伝

江副浩正の名前は、一般にはリクルート事件と併せて語られることが多い。ロッキード事件にも比肩する一大事件の主人公として昭和史に、そして人々の記憶に深く刻まれることになった。この鮮烈な記憶が、起業家としての江副浩正の実像を覆い隠しているのかもしれない。いまだに、強烈な逆光によって江副浩正の正体は眩まされ、「東大が生んだ戦後最大の起業家」「財界のあばれ馬」と讃えられた江副の凄みを本当に理解する者は数少ない。
1989年、リクルート事件で江副は会長職を退任する。その3年後にはリクルート株を売却、完全にリクルートを離れた。それ以来、裁判報道を例外として、江副の名前はマスコミから消えた。2013年2月8日享年76歳で亡くなるその日まで、江副が何を考えどう生きたのか、それを知る人はほとんどいない。実は、彼はその死の日まで、事業での再びの成功を願いもがいていた。新たな目標を定め、組織をつくり、果敢に挑んでいたのである。起業家の血はたぎり続けていたのだ。
その、江副浩正の実像を明らかにすることが本書の目的である。彼だけが見ていた世界、目指したもの、そこに挑む彼の思考と行動。その中に、私たちを鼓舞し、思考と行動に駆り立てる何かが準備されていると信じるからである。

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個人的にリクルートに縁があって今は卒業生の方とお付き合いがある。皆エネルギッシュで自分の意見を持っており、世間にとらわれない生き方をしている人が多い。この本の冒頭に出てくる「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」はリクルート人にとっては家訓のようなもので、在籍した人が実践しようと心がけている言葉だ。この本に書いてある江副浩正の起業家精神、すさまじい生き様、発想力、決断力などを読むと、類まれな経営者としての能力がよくわかる。家には銃弾も撃ち込まれ、リクルートコスモスはバブル崩壊と共に1兆4000億という歴史に残る負債額を抱え、優良事業や所有ビルの多くを売却せざるを得なかった。中々乗り越えられることではない。世間では江副浩正に対して様々な意見があると思うが、私は本書を読みエネルギーをもらい江副浩正という人物に感動を覚えた。その後のリクルートは驚異的な収益を上げ、巨額の債務を利益で返済し、15年には株式公開を果たしている。このことからもリクルートは江副浩正の生き様であり、江副イズムは多くの人たちに受け継がれていっているのではないかと思う。

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Posted by ブクログ

今まで読んだ伝記の中で一番読みやすかった。かなり分厚くて読むのに時間がかかると思ったが、面白くて一気に読んでしまった。その分細かくは読み解いていないが、自伝ではなく他伝の良いところが十分に出ていた本だった。

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2024年10月10日

Posted by ブクログ

すごい本を読んでしまった。ホットペッパー、タウンワーク、じゃらん、ゼクシィ、カーセンサー、リクナビ、衣食住のあらゆる情報インフラを築いた男の創業黎明期から凋落までの栄枯盛衰物語(フィクション)。
今や若者にとって、リクルートと聞いてリクルート事件という名前こそ知っていても内容を知るものは少ない。むしろ挙げたサービスが浮かぶ。それを創り、支えた人々がこんなにも泥臭いものとは知らなかった。
リクルート事件の渦中も含めて詳らかにする本書を読むと、江副浩正という人の天才さと時代に翻弄される様子に空恐ろしさすら覚えるし、同時にコク深い。
話に上る協力者たちも錚々たる面々。

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2022年07月28日

Posted by ブクログ

「起業の天才!: 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男」を読み終わったところで、本書が約500ページの厚さに挫けて積読になっているのを思い出し、一念発起して読みました。同一人物を描いているのでどうしても比較してしまいますが、本書の方が起業家だけでは無く人間「江副浩正」をしっかり描いていて好感がもてました。それにしても自分に対してとても過酷な取り調べをした検察官を主催したコンサートに招待してにっこり笑って一緒に写真に納まるとは、なんて懐の深い人なんだろうと驚きました。

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2021年04月25日

Posted by ブクログ

江副氏が犯した2つの判断ミスが頭から離れない。1つめは、野村證券に店頭登録の主幹事を断られたと早とちりしてしまったこと。2つめは、株式譲渡禁止の内規を過大解釈してしまったこと。主幹事となった大和証券へ株式譲渡の内規について確認した際の回答は、「店頭登録には当てはまらないが、あまりおすすめできない。どうしてもというなら私どもでは止められない」というものだ。当時の株式譲渡の実態を考えると妥当な言葉だったのかもしれないが、最終的な判断は当事者に任せるという無責任さには変わりない。リクルート事件後、野村證券から聞いた話によると、実際は店頭登録の結論が長引いていただけで、あと少しで店頭登録できたこと、政治家・官僚への株式譲渡は野村證券では認めていなかったことを聞き、あまりの救いようのなさに読みながら泣いてしまった。あのとき早とちりせずに野村證券からの回答を待っていれば、違う結末になっていたのかもしれない。私自身、日常生活において回答が待てなかったり、自分なら大丈夫と考えてしまうことがある。だがこの考えは時に危険な結末を招くと本書から学んだ。

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2021年04月11日

Posted by ブクログ

リクルートは仕事で縁があって、社内の方と何人もお話させて頂いたことがあるのですが、皆さん元気、アグレッシブ、好奇心旺盛な印象です。

そんな会社の創業者の話を読んでみたくなり、迷わず手に取りました。最初は500ページ近くあるので、読み切れるか心配でしたが、あっという間に読みました。非常に読みやすい。次から次に話が知りたくなって止まらなくなります。

30代後半になると、卒業して次のステップに上がる風土なのは知ってましたが、江副さんのイズムがそこにもあることを知りました。
自分の弁護団もあえて若い人を揃えてもらう話がありましたが、本当に人を育てる、人の成長を喜ぶ方なんですね。
働いてる人はかなり大変な部分もあるだろうと察しますが、高い給与と、結果が出れば認めてもらえるリクルートの風土で前向きに頑張れるのだと感じました。

リクルート事件を知らない私でしたが、あの一件でかなりご苦労されたこと知りました。あの一件がなかったら、江副さんはどんなことにチャレンジしてたんでしょうか?そんなことを想いながら読んでました。

読み終えた感想は、チャレンジすることの大切さ。それも若いうちに。私もそこそこオヤジな年ですが、諦める人生は送りたくない。この本を読んだ今が1番若い時。何か今できることがあると信じて、江副さんから頂いた勇気を実生活に活かしたいと決意しました。そんな勇気をもらえる一冊です。

自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ。

この一部のあるページを携帯の画像に残して、毎日朝に呪文のように唱えます。

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2021年03月31日

Posted by ブクログ

自社がどのようにして創られたか?を知りたくて読み漁りました。
YouTubeで「情報が人間を熱くする」を観ました。読後だったので、鳥肌が立ちました。

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2020年01月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自ら機会を作り、機会によって自らを変えよ。
そのスピード感、決断力、人を見る目、信念が読みながら伝わってきた。
新規事業を起こしても失敗を許容し、その失敗が起きたときには拍手をして迎えるという、リクルートのDNAは、現代の日本企業に足りていないものだと考える。
女性登用についても、非常に面白いエピソードがあり、当時のリクルートは素晴らしい企業だったと思う。
リクルート事件により失墜し、上場を見ることなく去った江副氏の手掛けてきた事業を、スピード感を持って同伴できる本書は、一読の価値あり。

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2019年05月16日

Posted by ブクログ

4月から、この生きた哲学を我が物とするために働くのです。

どうあるか、だけ大事にすれば自ずと道は拓けると思わせてくれる本でした。

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2019年02月03日

Posted by ブクログ

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」自分の転機には良い本に出会うものだ。チャレンジ精神、徹底した顧客志向、人材育成の精神、何よりも精力的に動く姿にパワーをもらった。そして「葉隠」の精神も大事だとも。久々に本に引き込まれたかも。おススメです。"

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2019年01月24日

Posted by ブクログ

【感想】
今では知らない人はいないレベルの大企業と化した「リクルート」。
この会社のツールを使用したことがない人間なんて、中学生以下の児童を除けば日本に殆どいないのではないか?
そう言い切れるくらい、ロングテールで充実したサービスを今もなお展開し、進化し続けている企業の1つ。
その創業者である「江副浩正」の出生から死没に至るまでの経緯を描いた長編。

江副浩正が書いた名作「リクルートのDNA」。
そこに書かれていた江副の人物像として、謙虚な姿勢ゆえ、凡庸な人間かのように思っていたが、決してそうではない。
常に世の流れを観察し、不満やニーズを模索した上でそれを解消するサービスを展開する。
当時ニッチな教科を選択して東大合格を果たしたあたりからも、その敏感な感覚と先見の明は、やはりあの「リクルート」を創設した江副ならではの偉大さを感じた。

また本著は決して順風満帆ではない江副の生涯についても触れられている。
コンプレックスに満ちた幼少期。
挑戦と苦悩に満ちたリクルート創成期。
時代と共に拡大し続けた成長期、そしてそれと共に変容していく江副の内部。
リクルート事件とその闘争。
そして、、、意外に世間には知られていない、穢れたといっていいような江副の晩年まで。

大河ドラマのようなボリュームのある江副の一生に、つい読んでいてのめり込んでしまった。
決して幸福とはいえない生涯だったのかもしれないが、没後にも尚成長を続ける「リクルート」を日々目にすると、それだけでも彼は本当に偉業を成し遂げたんだろうと心から思う。
同時に、日本の閉塞性が彼を狂わせてしまったのだろうとも・・・

本当に読み応えのある、素晴らしい1冊でした。



【内容まとめ】
0.江副の残した功績
①情報誌を創り出したこと
②成長する企業の思想と仕組みを作ったこと

中でも1番の功績は、経営者が変わっても発展し続ける企業を創ったことだ。
偉大な創業者が退いた後も発展を続ける企業は意外に多くない。
「優秀な人材を採用し、その能力を全開させること。」
リクルートの根幹にこの思想を植え付け、浸透させた。

1.リクルートはかもめだ。
この会社は若者が学校を出て、社会に一歩足を踏み出す時に必要な会社だ。
この会社は若い。社員も、社長も若い。
すべてが真っ白な状態のかもめだ。
事業という青空を舞い上がり、滑走し、飛翔するのだ。
その領域はどこまでも広い。どこまでも自由だ。


2.内田クレペリン検査
「もっと応募者の適性が見抜ける検査がないだろうか?」
これは企業からのニーズでもあり、江副の学生時代からの野望でもあった。

3.経営とは実践である
「わからないことはお客様に聞け」「取引先こそ最大の教師」
素人になること、相手に学ぶ態度こそが、機会をさらに拡大する。
謙虚に得意先の声に耳を澄ませば、きっと機会は訪れる!

4.リクルートの経営三原則
①社会への貢献
②商業的合理性の追求
③個人の尊重

5.人が成長できるか否かは、自己管理できるか否かにかかって大きい。
人は恵まれていない、チャンスに恵まれていないと思いがちである。
だが、自らの業績は上司の指示によるものではないし、チャンスもまた自ら掴むべきものである。
業績への機会はすべての人に平等である。
達成への能力は、上司に育ててもらうのではなく、自らの努力、つまり読書やお客様・周囲の人から聞く話などによって自らを育てていくものである。

6.ほとんど心を通わせる事なく過ごした親子だったが、父の最後の数日を共にできたことに江副は感謝した。
幾つになっても父は父だったので、葉隠の精神を説く父が生きている間、江副は自らの思いを封印して生きてきた。
やっと父の束縛が解け、江副は変容していった。
投機性の高い株式投資の世界に傾斜していった。同時に江副の中から少しずつ謙虚さが薄れていくのを、旧知の人たちは見過ごさなかった。

7.「江副2号」
不動産やノンバンク事業に傾斜し、ニューメディア事業で疾走する江副のなりふり構わないワンマンぶりに対し、社内では密かに「江副二号」と言い交わされ始めていた。
絶対君主のように振る舞う江副に戸惑い、その変容ぶりを嘆くかのようにそう呼んだのである。
変容の契機は、父・良之の死にあったと言えるだろう。
「社会の事を考えず、自らの利益だけを追求してはいけない」
そんな葉隠精神を江副自身が忘れ、言動から少しずつ謙虚さが消えて傲慢さが顔を出し始めた。

8.2001年12月20日、318回続いた裁判はようやく終わった。
主文「被告人を懲役三年に処する。この裁判の確定した日から五年間刑の執行を猶予する。」

9.生母に会い、今治から帰った頃から、江副の認知症は急速に進行した。
秘書やスタッフは江副が初期の認知症に侵されていることにしばらく気付けず、江副に振り回され困惑しながらも、「わがまま社長」と「爽やか江副さん」の二面性に対応するしかない毎日だった。

10.2013年2月8日15時20分
享年76歳で息を引き取った。
「ありがとう、ご苦労さま。また明日も頼みます。それでは。」
これが生涯最後の言葉となった。


【引用】
2013年2月8日15時20分
享年76歳で息を引き取った。
「ありがとう、ご苦労さま。また明日も頼みます。それでは。」
これが生涯最後の言葉となった。

戦時中を佐賀で暮らし、中高を神戸の私立学校 甲南で過ごす。
他の家と比べて貧しい事もあり、お金面で級友たちとの付き合いについていけない事も多く、「おじいちゃん」というあだ名だった。

コンプレックスから勉強も殆どしていなかったが、ニッチな教科であるドイツ語の授業や試験を受けることで東大にストレート合格する。
東大の同じ学部にはそういった点に目をつけて入学した級友も多く、同期では名だたる人物になった人も多い。


p102
・内田クレペリン検査
ドイツのエミール・クレペリンが1920年代に開発し、日本の内田勇三郎が30年代に改良した、戦前から続く適性検査。
一桁の足し算を15分間ずつ二回に分けて行い、1分ごとの計算作業量の変化パターンから人の性格や適性を割り出すといったもの。

「もっと応募者の適性が見抜ける検査がないだろうか?」
これは企業からのニーズでもあり、江副の学生時代からの野望でもあった。


p117
博報堂の森村稔、日立の大沢武志、IBMの位田尚隆と、日本の一流企業の社員を引き抜くことで、リクルートの取締役の陣容は厚くなった。
さらに位田の入社でIBMとのパイプは一層太くなった。
この事がリクルートのコンピュータ化を加速させ、新たな果実を実らせることとなる。


p128
・経営とは実践である
「わからないことはお客様に聞け」
「取引先こそ最大の教師」
素人になること、相手に学ぶ態度こそが、機会をさらに拡大する。
謙虚に得意先の声に耳を澄ませば、きっと機会は訪れる!


p132
・リクルートの経営三原則
1.社会への貢献
2.商業的合理性の追求
3.個人の尊重


p140
・人が成長できるか否かは、自己管理できるか否かにかかって大きい。
人は恵まれていない、チャンスに恵まれていないと思いがちである。
だが、自らの業績は上司の指示によるものではないし、チャンスもまた自ら掴むべきものである。
業績への機会はすべての人に平等である。
達成への能力は、上司に育ててもらうのではなく、自らの努力、つまり読書やお客様・周囲の人から聞く話などによって自らを育てていくものである。


p151
リクルートはかもめだ。
この会社は若者が学校を出て、社会に一歩足を踏み出す時に必要な会社だ。
この会社は若い。社員も、社長も若い。
すべてが真っ白な状態のかもめだ。
事業という青空を舞い上がり、滑走し、飛翔するのだ。
その領域はどこまでも広い。どこまでも自由だ。


p160
甲南の同級生、合田の言葉
経営は経常利益を生み出すだけではダメなんだ。資産運用で内部留保を高めていくことが必要さ。
だけど、株は安全とは言えない。特に江副のやり方ではね。
対して土地の運用は絶対の安全だ。


p186
1970年
レジャー事業?
「日本株式会社の人事部」を目指すリクルートが、レジャー事業を手掛ける?
突然の事業多様化の提案に、取締役たちは戸惑った。
「レジャーは福利厚生課の担当であり、それならリクルートが取り組んでもおかしくない。故郷を持たないリクルート社員に、土に触る喜びや大地で眠る幸せを教えたい。毎日深夜まで働く彼らに、帰って行くところを用意したいんだ。」

志布志プロジェクト
→農耕と牧畜、農産物は原価で社内販売。
→自然の中でファーム研修
→敷地面積に限界があった為、88年に土地を地元に譲渡し、撤収。

安比総合開発
デザイナーの亀倉が主導。
欧州のような広大で設備の整ったスキー場を目指す。
無料の駐車場やペンションの販売で収益回収。
東北新幹線や東北自動車道の開通で首都圏からのスキー客の大量動員に成功。


p229
ほとんど心を通わせる事なく過ごした親子だったが、父の最後の数日を共にできたことに江副は感謝した。
幾つになっても父は父だったので、葉隠の精神を説く父が生きている間、江副は自らの思いを封印して生きてきた。

やっと父の束縛が解け、江副は変容していった。
投機性の高い株式投資の世界に傾斜していった。同時に江副の中から少しずつ謙虚さが薄れていくのを、旧知の人たちは見過ごさなかった。


p274
1983年。リクルートは初めて売上一千億円を達成。しかし江副はその感激に酔い創業以来23年の月日を振り返るのではなく、いかにして次は1兆円を目指すかに思いを巡らせていた。
不動産とノンバンクは今後も花を開くが、問題はリクルート本体だ。今の紙媒体ではきっと限界がくる。
体力があるうちに将来の可能性に向けて、何らかの手を打たなければならない。
ただ、未来マーケティングの本を色々読んでみたものの、目指すべき新たな事業のキーワードは見つからない。

「リクルート1兆円の事業基盤はニューメディアだ!」
ニューメディアの旗手になった日本電電・式場。
通信産業への参画を目論むも、稲盛和夫率いる第二電電に阻まれた。


p296
不動産やノンバンク事業に傾斜し、ニューメディア事業で疾走する江副のなりふり構わないワンマンぶりに対し、社内では密かに「江副二号」と言い交わされ始めていた。
絶対君主のように振る舞う江副に戸惑い、その変容ぶりを嘆くかのようにそう呼んだのである。

変容の契機は、父・良之の死にあったと言えるだろう。
「社会の事を考えず、自らの利益だけを追求してはいけない」
そんな葉隠精神を江副自身が忘れ、言動から少しずつ謙虚さが消えて傲慢さが顔を出し始めた。


p335
逮捕前の宗像が、いかに紳士的な検事だったかをようやく悟る。拘置所で取り調べにあたる検事には、品性も礼儀もなかった。
大声で怒鳴られ、人格を無視する発言を次々に投げつけられた。最初はいらつき、反応していた江副の精神が鈍麻していく。
人としての誇りは剥ぎ取られ、虫けら同然の百二十六番に変容していった。

戦おう。
江副は大学ノートを買い、1日が終わるとその日1日の取り調べの内容をノートに克明に記録し始めた。
「早く出たがらない。絶好の勉強の時と思うこと。悲観したり怒ったりしてもどうもならない。ここにいる間を天賦の休憩と考えること。辛い環境は自分で克服しなければならない。今が良い環境なのだと思う勇気を持つこと。」

悔しさは怒りの熱量となり、怨念は生きる力になった。
どんなに孤独であろうと、したたかに、たくましく生き延びてみせる。


p399
2001年12月20日、318回続いた裁判はようやく終わった。
裁判官は江副に対し、懲役4年の刑を求めた。
主文「被告人を懲役三年に処する。この裁判の確定した日から五年間刑の執行を猶予する。」

弁護士の田中克郎
「世間を騒がせたのだから、無罪にするわけにいかない。しかし実質は、どの部分が犯罪なのだろうというような内容。」
しかし、67歳をすぎた江副は、これ以上「私戦」を続けるにはさすがに老い過ぎていた。


p422
2006年1月23日、堀江貴文が逮捕される。
江副の逮捕から17年。マスコミ報道が煽り、検察を動かす劇場型事件の図式は一向に変わらない。
かつての自分を見るような既視感にとらわれながら、江副は見つめ続けた。

江副の中に沸々とした怒りが湧いてきた。
検察はいつも若い芽を潰す。そして日本から先取の精神を奪い去る。
結果、日本の発展にどんなに阻害要因になっているかも知らずに。


p448
生母に会い、今治から帰った頃から、江副の認知症は急速に進行した。
秘書やスタッフは江副が初期の認知症に侵されていることにしばらく気付けず、江副に振り回され困惑しながらも、「わがまま社長」と「爽やか江副さん」の二面性に対応するしかない毎日だった。


p465
江副のもう一つの功績は、経営者が変わっても発展し続ける企業を創ったことだ。
偉大な創業者が退いた後も発展を続ける企業は意外に多くない。

「優秀な人材を採用し、その能力を全開させること。」
リクルートの根幹にこの思想を植え付け、浸透させた。

社員に自由にやらせた。
新人に教える人もいなければ、そんな技法も時間もなかったのが実情だ。
失敗しても咎めなかった。ただ、社員には全力であたることだけを求めた。
目標は常に高く設定された。目標達成は当然で、そのスピードを競った。

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2018年11月01日

Posted by ブクログ

リクルート創業者、江副浩正氏の自伝的な本。
彼がどのようにしてリクルートという唯一無二の企業を一代で築き上げたのか。
起業や新規事業を立ち上げるということはこういうことだ、というエネルギーをもらえる本です。めちゃくちゃ面白い。

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2018年09月11日

Posted by ブクログ

●感想
・緻密な取材に基づく正伝。なのにドラマティック、ワクワクする。
・登場人物がすごい
・起業ストーリーとして面白い
・戦後からバブル崩壊くらいまでの空気感のリアルを追体験できる優れた歴史書でもある

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2018年09月08日

Posted by ブクログ

このひとの熱量の物凄さ、時代や機会を感じ取る才覚の凄まじさに圧倒された。単なる礼賛本ではなく、なぜ「江副二号」のようになってしまったのかと考えさせられるところもある。487頁の分厚い本ながらも、読み始めたら止まらなくなった。稀代の起業家を学ぶ良い機会となった。

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2018年07月21日

Posted by ブクログ

5月に入って米国の人材マッチングの企業Glassdoorを買収し、テレビでもバンバンCF打っているIndeedとともに、人材グローバル企業の道をぐいぐい進んでいるリクルート。先週は株価の史上最高値をつけたとニュースになっていました。そんな会社の礎を築いた男の絶頂と奈落と再生と失意の物語です。東大の学生企業からの時代の風に乗って、いや時代に風を起こしてのし上がっていく感じは「ザッカーバーグは日本にもいた!」です。いやいや、ザッカーバーグが江副浩正西海岸バージョンか…顧客情報流失問題で背広を着て議会で証言せざるを得なかったフェイスブックの総帥は、たぶんトコトン政治嫌い、権力嫌いなのだと思いますが、リクルートの総帥はたぶん政治好きの権力好きだったのかも。それがリルート事件に繋がっていくのでありました。でもフェイスブック並みにリクルートは日本の社会を変えたと思います。リクルートがいなかったら就職市場、転職市場、新築・中古マンション市場、旅行市場などなど、業界が産業化していなかったであろうという分野がいっぱい。たぶんNTT民営化から始まる中曽根民活路線の旗手になってからは政治との距離は密接にならざるを得なかったのが日本のベンチャーの宿痾(?)なのかも。リクルートのビジネスが紙の時代を超えて、インターネット時代でも成立するのは、そのビジネスモデルが企業の側ではなく生活者をエンパワーメントするものだったから、と思っていましたが、江副浩正がどういう世界を作りたかったか、本書にはあまり書かれていないような気がしました。そのかわり満ち溢れているのは、こういう会社にしたいという想い。あっ、そうか…江副浩正は日本をリクルートのような国にしたかったのか…「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ。」すごい言葉。それにしても「江副一号」と「江副二号」の変質は、本当に父の死による葉隠精神の喪失だけなのかな?そして大和証券じゃなく野村証券だったら、本当にリクルート事件起こらなかったのかな?なんとなくわかるようでわからないところ、もっと知りたいところ多々。と、いいつつ昭和から平成へ、そして平成が終わるこのタイミングで、ベンチャーってテクノロジーの問題じゃなくてスピリットの問題であるというこなとを教えてくれた面白い本でした。

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2018年05月27日

購入済み

この本は、

最後の最後まで読むことで、感動する本だと思います。読んでよかった。

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2018年03月03日

Posted by ブクログ

リクルート事件、読むと昔の商慣習をこの機会に一新したかった国の思惑がかなり濃いのかなと思った。日本にはけしからん罪があるといきたが、本当かも知れない。

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2024年05月28日

Posted by ブクログ

江副浩正氏の生き様を連続で2冊読んだ。この事件は、マスコミ「朝日」に操られた感じをより強く持感じた。機会を創り出し市場を新たに創り上げた、偉大な起業家だ。やる、やらない、経営者としては、いかに素早く情報を知りスピード感ある判断が出来るか、ホント重要な資質だ。
ビジネス本には、いつも読み終わりと「元気」をもらうが一段のパワーを頂きました^o^
リクルートの原点が知識となり、為になりました。

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2022年05月07日

Posted by ブクログ

江副浩正という人物をリクルート事件というフィルターを通してしか知らなかったのが今更ながら残念。
もちろん良くない面もあったのは事実、だがそれ以上に人に与えた影響、リクルートという会社の精神に与えた影響は計り知れないほど大きかったことを知った。
もっと早く読んでおきたかったし、もう一度リクルート事件も調べてみたいと思う。

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2020年09月22日

Posted by ブクログ

江副浩正のリクルートとゆう素晴らしい起業の成功が検察の恐ろしさを際立たせています。
どれほど検察の権力が強いのか。
この本が暗にこめたメッセージだと思います。

ちょうど検察が世間の話題になっている時期に読みました。
検事長がマスコミと雀卓を囲んでいることが証明しているように、検察の手柄のためにマスコミは必要で、マスコミを利用してリクルート事件は炎上した。
その20年後にはマスコミであるフジTVを買収しようとしたホリエモンが検察に血祭りにされたことからも、このリクルート事件から日本は変わっていない。

事件後から江副浩正の精神が崩壊していく場面は、あの巨大なリクルートを創業した人間だから、そうとうなタフガイだとゆう先入観があったので、精神病になるとは意外でした。起業家のパイオニアと呼ばれる人なのだから、鋼の精神を装備していると思いこんでいた。
検察の取り調べで調書にサインしている場面もおなじように意外だった。
そうとうキツかったんだな。
ゴーンさんが完全否認で3ヶ月で保釈されたことを考えると、30年経った現代では取り調べはゆるくなってると推察されますね。それかゴーンさんのハートが強いのか。

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2020年05月27日

Posted by ブクログ

リクルートを創業された江副浩正さんの生涯ならびに、リクルート事件について書かれた本。筆者の方々はリクルートの元社員であり、内容はリクルート寄りの内容になってはいると思うが、それを差し引いても非常に良本だと感じました。
日本経済の停滞が叫ばれてやまない中、江副さんのような起業家が出続ける国になってほしいと切に願うし、自分もその一員になりたいと思わせてくれました。

0
2020年05月16日

Posted by ブクログ

江副さんの考え方を学びたく、この本を読みました。
江副さんの功績は
先見の明により「情報誌」を創り出したこともある
が、やはり、リクルートという企業を起こし、その
企業の思想と仕組みを創り、人を育てたことの方が
圧倒的に大きいように感じます。
今のリクルートにも脈々と受け継がれる「リクルー
トイズム」は本当に素晴らしいと思います。
幼少期の貧しさやナンバーワン主義からくる負けず
嫌いな面が晩年、マイナスとして影響してしまいま
したが、遺した功績はそれを上回るものであったよ
うに思います。
また、「社員皆経営者主義」「徹底した顧客志向」
「個人の尊重」等の考え方は今後の組織運営に参考
とさせていただこうと思いました。

0
2020年05月13日

Posted by ブクログ

リクルート創業者の江副浩正氏の一代記を描いたノンフィクション。会社の先輩のオススメで読んだのですが、80年代生まれの自分にとってうっすらとしか記憶のないリクルート事件とその主役の姿を、初めてちゃんと知った気がします。

著者2人が、2人とも江副氏の部下(社長と新入社員という関係性だとかなり遠そうではありますが…)だったというのがまた凄い。おかげで本著で最も感動したのは「あとがき」です。
江副氏の部下でありながら、良いところだけを描くのではないニュートラルな江副伝を描いたというのも熱い。過去の人間関係まであたってリアリティを高めています。もう少しリクルートや江副氏をそこまで知らない人向けに写真なりロゴなりを載せてくれると有難かったですが。

本著を読んでいて、途中から「あれ、ビジネス書読んでるんだったっけ…?」となる瞬間が。特に、終盤の第20章あたりは史実なのにまるでストーリーを読んでいるかのよう。
江副氏の人物伝として十二分でありながら、どこか突き放した見方をしている側面もあって、これが本著の妙でもあるのかなと思います。
しかしそれもあって、本著の終盤の展開が「江副氏は亡くなるべくして亡くなった」的に(個人的には)見えてしまうのが何とも。史実からすれば、きっとそんな訳は無いのですが。

稀代の起業家の差配を学ぶというだけでも価値ある1冊ですが、それだけにとどまらない1冊。

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2019年09月23日

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江副浩正という人物について知っていることと言えば、リクルート事件くらいであったが、大前研一や孫正義も賞賛する起業家・名経営者であったとは知らなかった。各事業の立ち上げ期については非常に興味深い。

 江副はこれまでも会議の席で口が酸っぱくなるほど、「わからないことはお客様に聞け」と言い続けてきた。「取引先こそ最大の教師」とも言った。得意先の声の中にこそ、事業を興す機会があると信じた。

「『自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ』をモットーに
 人は、上司に恵まれていない、チャンスに恵まれていないと思いがちである。だが、自らの業績は上司の指示によるものではない。チャンスもまた自らつかむものである。業績への機会はすべての人に平等である。高い業績は、それを達成する執着心をその人が持ち続けるか否かにかかっている。業績達成への能力は、上司に育ててもらうのではなく、自らの努力、つまり読書やお客様と周囲の人から聞く話などによって自らを育てていくものである。自らが成長できるか否かは、自己管理できるか否かにかかって大きい」(リクルートの経営理念とモットー十章より)

「ナンバーワン主義
 リクルートの同業者が出現すれば、それを歓迎する。同業間競争のない事業は、産業として繁栄しない。後発会社の良いところは真似したと見られても恥じらわず取り入れ、協調的競争を行っていき、ナンバーワンであり続ける。『同業間競争に敗れて二位になることは、われわれにとっての死』である」(リクルートの経営理念とモットー十章より)

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2019年04月27日

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リクルート創業者 江副浩正の伝記
リクルート元社員の二人が著者

リクルートのベンチャー精神溢れる社風の成立ちが分かる。江副浩正が贈収賄容疑で逮捕され会長を辞任した後もその社風は次世代に引き継がれ成長を続ける。

都合のいい事実を並べただけかもしれないが、物語として面白い。

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2019年04月07日

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リクルート社内部にいた方が書いた本。江副さんの評伝というよりもリクルート社の評伝に近い。通読して思うのは、リクルートはまさに奇跡の存在であり、戦後日本経済史の青春ドラマであるということ。栄光と挫折、そして再び栄光というちょっと、そこら辺の会社とは全く違う輝きを持っている存在だと思う。

他方、主人公の江副さんは、その輝きにかなりの暗い影を最後までもって亡くなられた。それが何なのかこの本を読むと一端が分かると思う。ヒリヒリするようなギャンブルが好きなのは性分だと思うし、その明らかな欠落がこの本全体のドラマ性を増させていると思う。異形の経営者というのは孫さんではなく、やはり江副さんの為にある言葉のように思える。

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2019年01月04日

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500ページほどあるのに、夢中になって一気に読んだ。なにこれめっちゃおもしろい。


リクルートを創業した起業家、故・江副浩正氏の仕事と生涯について書かれた一冊。


まるで大河ドラマを見ているようなワクワクと興奮があった。仕事に対しての合理的な思考や大胆な決断力はもちろん、想像以上の人間くささに驚かされる。関わる人たちとの交流や会話については泣かされた。

これほんと、ドラマとか映画で見たい。
政治的な事件の中心的人物てことでタブー感あるのかな。もったいない。今の、江副氏を知らない世代みんなに見てほしい。

親の世代が社名を聞けば「ああ、リクルート事件の」とまず言われるけど、私自身は世代的なものと無学なもんであまりわかってなかった。まだまだ自分の言葉で語るには足りない自覚があるけど、本質を理解できるようにしたいなと思った。


■自ら機会を創り出し、 機会によって自らを変えよ

リクルートの旧社訓。
今では社訓ちがうけど、この言葉は永遠だと思う。

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2018年12月12日

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日本企業が世界で注目されていた時代の、経営者たちのリアルな息遣いや熱気が伝わってくる本。
江副さん自身の話、当時の彼を取り巻く日本社会の話、この二つがこの本の大きなトピックである。
  
江副さん自身の話については、彼の悪い部分も良い部分も書かれている。熱い想い故に盲目に突っ走ってしまう独裁者的な一面、天才なのに腰が低い営業気質、社員想いな一面、決して良好では無かった家族のとの関係性。この本を手にするまでは、江副浩正と聞いたら、"凄い人(そしてばあちゃん世代からは嫌われている人?)"という印象しか無かったが、とても人間味のある人物だったのかと感じた。きっと読み手によって彼に対する印象が変わる本だと思う。
  
また、当時の日本社会全体の動きについても触れられている。
出る杭は打つ風土、鎖国気質が日々増していく日本の状況や、個人志向が強い若い世代の思考もあり、今後、こんなにも日本が盛り上がる時代は来ないのだろうな、と少し寂しく感じた。それが良いか悪いかは別として。

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2018年09月16日

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私の知る江副浩正氏は、リクルート事件だけだった。
しかし、本当の姿は違っていた。

日本にこんなに素晴らしい起業家が居たことを、知ることができて、私は幸運だった。

世の中の人たちが求めているものを嗅ぎとる能力、人を大切にする姿勢、そして失敗。

この本によって、彼の人生から非常に多くのことを学べる

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2018年08月26日

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リクルート事件のイメージが強い江副氏ですが、リクルート出身の経営者は多いという話もあり、手に取って読んでみました。
時代にとらわれない発想など、起業家としての素質をお持ちなんだろうなということをうかがわせるポジティブな内容が前半は展開されますが、後半で展開される転落のギャップが大きく感じました。
ちらも「起業」していることに変わりはないのに、晩年は失敗が続くところは起業家として輝きを失っている感があります。1号、2号の下りはどの経営者もというか有名人も陥りがちな要素のように感じます。
自分自身は平々凡々な人間ですが、決しておごってはいけないと気が引き締まる思いがしました。

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2018年08月01日

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リクルートは大好きな会社だと思っている前提でコメント。

一人の稀有な人物の伝記としては素晴らしい本。
そして、やはり江副さんは素晴らしい実業家であり、組織のDNAを作り上げた事実の前半。学ぶべきところは多い。

一方で、リクルート事件からの後半は、うまく言語化できないが非常にモヤモヤした。リクルートほどのDNA作りのノウハウを、他の企業でなぜ再現できないのか。江副さんが素晴らしいという信奉だけでは違うような気がした。まだ、この解が自分の中で見つからない。

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2021年02月23日

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ネタバレ

リクルートという社名には次々と新規事業を切り開き人材を世の中に送り出し続けているよいイメージとともに、リクルート事件による負のイメージも強い。創業者である江副氏も、理念に燃えていた初期、リクルート事件を経て株式市場で空売り王として名を馳せ(ダイエーに支援を要請した時はリクルート本体はもちろん、個人的にも株の借金が150億あったという)、認知症を患い、孤独のうちに亡くなった晩年と、そのコントラストに改めて驚かされる。不世出の経営者で、本当に惜しい人を亡くしたと思う。江副氏が予見していたようにコンピュータと高速通信が融合した時代を迎え、もし仮に存命であったらどのような経営をされただろうか

・初期の社員の中には立花隆もいた。ただ、営業に熱心でなくすぐに辞めてしまった

・月間リクルートなどで経営者への取材を自らすすんで行なうなかで学ぶことも多かった。「そうだな、『ソニーは人を生かす』と書いてほしいな。僕はソニーに入ってきた人を必ず幸せにする」と言った盛田昭夫や「出身校とか、学校の成績は関係ない。人には得手なことと不得手なことがある。人を生かすには得手なことをやらすことでんな。大事なことは、だれにどの仕事をどこまで要望するか。それが、人を用いるうえで肝心なことや。ありゃ使いものにならんと言うてんのは、使う人が使いものにならんからや。人はみな人材です」と言った松下幸之助のことばなどが印象に残っていた。

・リクルート事件の背景には、上場のためのルールとして、株式の公開にあたってある程度の株主数が必要だったという事情もある。(著者はリクルート事件を、贈賄という性格のものではなく、世話になった人たちに純粋にお礼として送っただけだという)

・晩年は惨めであった。震災の後のインタビューなどにも「日本は今年に入って餓死者が七万人。行方不明者が十万人」と答えてみたり、認知症が進行していた。最後は駅のホームで倒れ、寂しく亡くなった。

■「誰もしていないことをする主義」だから、リクルートは隙間産業と言われる。だが、それを継続していって社会に受け入れられれば、やがて産業として市民権を得る

■「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

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2018年11月26日

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