【感想・ネタバレ】花神(中)のレビュー

あらすじ

長州──この極めてアクティブな藩に属したことが、蔵六自身の運命と日本史に重大な変化をもたらしてゆく。“攘夷”という大狂気を発して蛤御門ノ変に破れ、四カ国連合艦隊に破れて壊滅寸前の長州に、再び幕軍が迫っている。桂小五郎の推挙で軍務大臣に抜擢された蔵六は、百姓兵たちに新式銃をもたせて四方からおしよせる幕軍と対峙し、自らは石州口の戦いを指揮して撃滅する。

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ネタバレ

大村益次郎の物語。

中巻は、長州の雇士から、桂小五郎の強い推薦により長州軍務大臣となり、第2次長州征伐で大村氏自ら指揮をとり、ことごとく勝つところまで。

大村氏が時代に必要とされ表舞台に出るまで、長州の狂騒とその維新における役割など、面白い。

特に士農工商の封建社会の崩壊が、システムではなく、ソフトの面で、しかも思想が世に出たのち、遍く社会に浸透していく長州藩の様子、それを日本社会から見たときの歴史上担う役割が興味深い。
革命とはこのように起こるのだな、と。

戦闘部分は、戦争とはこういうものか、となるほどと思いながら読んだ。大村氏の言う戦略と戦術の違い、いかに少数で長州が幕軍に勝っていったのか、戦線の行方を決めるのが武器の先進性と、合理主義、政略、情報であったことなど。

お琴さんが結構すき。

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2012年11月28日

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ネタバレ

以下、簡単なあらすじ
伊藤俊輔(のちの伊藤博文)と井上聞多(のちの井上馨)らの密航を手伝った村田蔵六(のちの大村益次郎)は、京を追われた長州に帰り、高杉晋作と会う。
攘夷という大狂乱を発した長州は、蛤御門ノ変に敗れ、四カ国連合艦隊に敗れて、壊滅寸前に陥る。再び幕軍が迫っている、その窮状を救うのが蔵六である。桂小五郎(のちの木戸孝允)の推挙により村医から軍務大臣へと大抜擢され、百姓兵に新式のミニェー銃を持たせて四方より押し寄せる幕軍を退け、石州口の戦いを指揮し撃滅する。

一番の驚きなのは、一度も軍隊を指揮したこともない蔵六を信頼しきった桂小五郎の先見の明、会った事もない勝海舟をして「長州に村田蔵六がいては、とても幕軍に勝ち目がない」と言わしめる蔵六の知性は見る人間が見ればはっきりするものなのか非常に謎でした。
蔵六が実行した魔術的戦略は単純なものでした。
「旋条銃を一万梃そろえれば勝てます」
蔵六の新しい技術が旧文明を破壊し長州の窮地を救うのでした。
あと「世に棲む日日」の空白部分が描かれていたので、合わせて読むと一層面白いと思いました。

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2011年11月08日

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ネタバレ

 「維新の十傑」の1人である大村益次郎は、改名するまでの期間を村田蔵六と名乗っていた。「蔵六」という熟語は、亀が手足を甲羅の中にしまって閉じ籠る様子を指す言葉であるようだが、これほど村田蔵六という人物を的確に表す言葉は他にないだろう。攘夷思想によって殺気立つ長州藩に仕えながらも、政治活動には興味を示さず、ひたすら蘭方書を読み漁る村田蔵六という人物は、同藩の士にとっても奇怪な人物として写ったに違いない。そんな蔵六が、後に木戸孝允と名乗る桂小五郎の指名を受けて長州藩の軍事統括を担うことになる。蔵六が大村益次郎として幕軍との戦争に挑むのは本作(中巻)以降である。
 最後に、幕長戦争に臨むにあたって長州藩が作成した日本初の「革命宣言書」について。蔵六が書いた印象的な文章についてまとめておく。

「東人(幕府)は病気だ」
中略
「防長(長州)は、医師である」
以下、原文。
「今日の事は、人身に疾病ある如く、人心は国家な 
り。疾病は東人なり。医師は防長なり」
「医師に任せ、すみやかに病根を御絶ち遊ばされず候
ては、他日再発」
「再発候節、病人、元気衰え、快気むつかしく存じ奉り候」

医学の徒でもある蔵六らしい「革命宣言」である。

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2025年03月27日

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堪えることの意味や内容、あるいは理屈などはない。元来、人間の行為や行動に、どれほどの意味や内容、あるいは理屈が求められるであろう。なぜ親に孝であり、なぜ君に忠であるのか、と問われたところで、事々しい内容などはない。うつくしい丹塗りの椀の中に、水を満たそうと飯を盛ろうと、また空でそこに置こうと、丹塗りの椀の美しさにはかわりがないのである。孝や忠は丹塗りの椀であり、内容ではない。蔵六は堪えしのぶことによって、自分のなかに丹塗りの椀をつくりあげている。丹塗りの椀の意味などは考えておらず、ただ自分は丹塗りの椀でありたいとおもっているだけである。

「学問は、したくてするものです。学問であれ遊芸であれ、人間の諸道は、たれのためにするというものではない。自己のためでもない。ただせざらんと欲してもしてしまうという衝動が間断なくおこるという生れつきの者がついに生涯学問をやりつづけてゆくということであり、それ以外になんの理屈もつけられませぬ。…」

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2020年03月08日

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ネタバレ

上巻とは売ってかわって、中巻以降では歴史の表舞台へ出てくる。

適塾で蘭学を極めた村田はその語学を買われ、四国の宇和島藩で召し抱えられる事になる。
ここでは時代の要請に従って、砲台の建設、汽船の開発、兵学書の翻訳と医療以外の世界にも従事し始める。そして徐々に世の中から、注目され始めていく。
そんなある日、村田蔵六は長州藩の桂小五郎に見初められ、長州藩の藩士となった。

ここでの仕事は攘夷思想の実現の為、西洋軍隊の拡充および教育であったが、時代の改革期に起こる事態ではあるが長州 と 幕府の戦争。実質的には長州 対 日本の戦争が勃発し、その作戦参謀長として村田改め大村益次郎が出陣した。

この件で感銘を受けたことは、
古老の老中達が過去の戦闘や口伝の戦術から作戦立案を推挙したが、大村はこれを却下し、誰も実戦で見たことはない、書物の中にしかない戦術を用いて作戦を指揮した。
結果、この作戦は面白いようにうまくいったということ。

このことから、未知の事柄でも内容を熟知し、運用出来るほど習熟すれば、過去の経験則を吹き飛ばす程の力を得られるということ。

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2017年05月05日

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靖国神社に聳え立つ男:大村益次郎の物語(中) 戦略家としての頭角を現し始める。幕府が…崩れ始めた…。


 蔵六は相変わらず蔵六であるけど、彼の周囲が彼を放っておかなかった。火吹き達磨を見出した桂小五郎のすごさが際立つ。
 さらに、若かりし頃の明治の大物が次々登場するから読んでいてウキウキしてきます

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p15,~18    開明論と攘夷論(司馬の見解)
 開明論(漸次的な開国)は江戸幕府の国政制度を抜本的に改革するものではなかったはず。だからこの当時、日本が西欧列強に喰われない術は過激な攘夷論しかなかった。はず。
 西郷隆盛は戊辰戦争で徹底的に戦争し、日本全土を焼き尽くして新しい国家を建設しなくてはならないとまで考えていた。それほど徳川300年の歴史は日本人の政治・思想・慣習あらゆるものを硬直化させていた。西郷は戦争が足りないと思っていたから征韓論派だったし、西南戦争も起こした。自ら明治の人柱になった。かっこいい。
 鎌倉末期や室町末期も、崩壊した原因は腐敗した幕府や朝廷などによる国体の硬直化だった。江戸幕府も結局同じような結末を迎えることになってしまったのは、歴史の周期性を感じる。足利尊氏、織田信長、ペリー、硬直した国の在り方を破壊するものが歴史を作っていく。

p444  「哲学」の語を作った人
 幕末期、外国の新知識をどうにかして日本語に訳さなければいけないから、いろいろな造語が生まれた。それがちょくちょく話題に出る。蔵六も軍事用語などいくつも造語した。
 西周。島根の津和野藩に生まれた明治の哲学者。森鴎外の近所の子だったそうな。philosophyを頑張って哲学と名付けた男。この人のことは前から気になっていたからもっと知りたい。


 装条銃…銃弾にスパイラル回転をつけ、弾道の安定と射程の長距離化を実現した。外国人商人は日本に旧式の兵器を最新式として売りに来ていたが、蔵六は世界の本当の最新式を知識として知っている。「情報」を持つものがいつの時代も勝者になるのである。
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 この間は著者の雑談が多かった気がする。紙面ですらついつい語りたくなってしまうほど、幕末期は話題豊富なのだ。


 次巻で終結。残りはほぼ戦争の話だから読むスピード早くなりそう。

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2014年06月05日

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ネタバレ

 これまでの蔵六には、情熱の対象が明確であった。人間ではなく、科学と技術である。かれは、オランダ文字をたどることによって、この未見の世界をすこしずつひらき、かれの頭のなかに、ほかの日本人にはない風景をつくりあげた。そこにはニュートンの力学であり、解剖台上の臓腑があり、蒸気機関のパイプとメーターがあり、そして曠野に進退する大群と砲声があり、このかれの頭脳のなかの風景のなかにかれは棲みに棲んで、飽くところを知らなかった、自然、生きた人間どもの誰彼に興味を薄くしかもたなかった。
 そういう蔵六のことをお琴は、
「とんぼ獲り」
と、規定してしまっているが、蔵六にすれば、かれは自分の頭脳のなかの風景を追っかけ、それを追うことが、かれを各地に転々とさせる結果になった。青春は、その過程のなかですぎた。おもえば、一瞬のうちにすぎた。ひとがいう青春は、蔵六にはなかったといえるであろう。
 が、蔵六はいま、にわかに青春のなかにのったような気がするのである。動乱を恋い、生命をそこに燃焼させようとする壮士の青春が、いまはじめて蔵六のなかに誕生したかのようであり、蔵六自身、この自分の整理をさせ圧迫しつつある感情の変化に、じっと堪えている。
 原因をつくったのは、桂であろう。
 蔵六はいままで、世間も人も、自分の学問を需要し、蔵六自身を需要しなかったことを知っている。それが、この男なりに不満であり、その不満は鬱積していた。
 その蔵六を桂は需めたのである。
 わずかに、
 ーー村田にだけ話せ。
 というそれだけのことであったが、しかし人間が大昂揚するのは、そういうことであるかもしれなかった。

「お会いしても、しなくっても、どっちでもいいことです。イネどのは、二十代のお父上を自分の夢の中で作られ、それとともに生きて来られた。それ以外に、あなたにとって真実のお父上はいない。人間にとって真実とはそういうものです。この真実は医学をもってしてもいかんともしがたい。この真実の前には、へんぺんたる事実は、波のしぶきのようにくだけたは散るものです。事実とは、長崎出島で再会されたシーボルト翁のことだ。あれはたしかにシーボルト翁に相違ない。しかし事実にすぎない」
「蔵六先生は、事実を軽視なさるおつもりですか」
 イネは、思想として反撃した。西洋医学は事実にもとづく学問であり、事実に対して冷厳であらねばならぬことを蔵六やイネにおしえてきた。蔵六もイネもおなじく事実の教徒である。その蔵六が、妙なことを言いだしたことにイネはおどろき、「医学の徒たるものが、主観的事実を持ちあげて事実の上に置くということはおかしいではないか」という意味のことを抗議したのである。イネが思うに、蔵六式にいえば、たとえばマジナイ師たちが主観的事実としているマジナイが、西洋医学よりもまさるということになるのではなか。
「それはカン違いです」
 と、蔵六はいった。蔵六ほど事実を冷厳な態度で尊重している人物はすくない。
 いま蔵六がいっているのはそういうことではなく、医学の踏みこめない人間の内奥のことである。蔵六にいわせれば、イネにとって二十代で日本を去ったあとのシーボルトなどは、事実どころかマボロシであり、ほんとうのシーボルトは、イネの精神をそだて、いまもイネの精神のなかにいる主観的真実のシーボルト以外にない、人間というものはそういうものである。事実的存在の人間というのは大したことはない、と蔵六はいうのである。

「あの長崎から参られたお女中は、むこう五日間泊まられるそうじゃ。いずれ五日のうちには、いかな村田先生でも、狂おしゅうおなりになるじゃろ」
 といったが、久兵衛が察するとおり、階上の蔵六は、寝床のなかで歯噛みする思いで、自分の欲望に堪えていた。なぜ堪えるのか、とい蔵六は自問しない。自問したところで、
「堪えるべきだ」
 というだけが、蔵六の自答である。堪えることの意味や内容、あるいは理屈などはない。元来、人間の行為や行動に、どれほどの意味や内容、あるいは理屈が求められるであろう。なぜ親に孝であり、なぜ君に忠であるのか、と問われたところで、事々しい内容などはない。うつくしい丹塗りの椀の中に、水を満たそうと飯を盛ろうと、また空でそこに置こうと、丹塗りの椀の美しさにはかわりがないのである。孝や忠は丹塗りの椀であり、内容ではない。蔵六は堪えしのぶことによって、自分のなかに丹塗りの椀をつくりあげている。丹塗りの椀の意味などは考えておらず、ただ自分は丹塗りの椀でありたいとおもっているだけである。

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2023年02月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

大河ドラマになっていたというのは全く知らなかった。

"表舞台"に登場しない村田蔵六。

上中下の三巻に渡る物語の内の中巻。
多少冗長に感じるところもある。

司馬氏は地の分に普通に自分の考えを入れたり、
わからないことはわからないと書いたり、憶測を入れたりする。
それがまた、筆者の文章の独特の魅力にもなっているのだろうと思う。

武士ではない人間たちが動かした瓦解(明治維新)。
この時期の長州人の議論は過激なほど支持され、
過激であるほど内容が空疎であるというのは非常に納得。
関ヶ原からの因縁を持ち続け、海外への視点が広く、
徳川を敬う気持ちがないところが長州の特徴だと思う。

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2015年04月07日

Posted by ブクログ

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長州人の悪癖を連ねられ、思わず苦笑。
・議論、思想ばかりで実践がない。
・手紙をよく書く。
頭でっかちでいざ行動すると過激に過ぎる。
あー、私は紛れもなく長州の末裔だわ。

長州育ちながら、武家でなく百姓の蔵六はその弊害に染まっていないから桂の信頼を得たのだろうな。

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2011年11月23日

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