あらすじ
叔父・項梁の戦死後、反乱軍の全権を握った項羽は、鉅鹿の戦いで章邯将軍の率いる秦の主力軍を破った。一方、別働隊の劉邦は、そのすきに先んじて関中に入り函谷関を閉ざしてしまう。これに激怒した項羽は、一気に関中になだれこみ、劉邦を鴻門に呼びつけて殺そうとするが……。勇猛無比で行く所敵なしの項羽。戦さ下手だがその仁徳で将に恵まれた劉邦。いずれが天下を制するか?
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【感想】
初挑戦の中国歴史小説の第2弾!
上巻と変わらず、登場人物の多さや名前の読み方の難しさには辟易したが、、、ストーリーそのものは楽しんで読めた。
タイトル通り、項羽と劉邦の違いについて書かれていた。
上巻では仲間だったご両人だが、劉邦の裏切りによって関係が破綻、相対する関係となった。
英雄さながらの勢いで邁進する項羽に対し、劉邦の平凡さというか生々しさが本当に面白い。
己の平凡さや弱さ、また項羽の強さをしっかりと認識し、部下の容赦のない助言にも嫌な顔一つせずに信じて受け入れる劉邦は、項羽とは違った意味でトップとして優れているんだなと思った。
トップという立場の人間なのに、こんなにも執着なく自身を客観的に卑下できるのは、やはりトップとして求められるニーズの一つだろう。
運やツキと言えばそれまでだが、こんなトップだからこそ優秀な人材を獲得できたのかもしれない。
現代でいうところのトップダウンが激しい項羽軍に対し、杜撰なぐらいアメが多めな劉邦軍。
この群雄割拠の戦国でも、結局はこういった組織体制が功を奏するんだなぁ。
何と言っても、出てくる登場人物一人一人ののキャラクターが立ちすぎている!!笑
両将軍は勿論のこと、韓信・黥布・張良・随何、そして陳平。
本当にみんな、クセがスゴイ!!笑
最終巻である下巻が楽しみ。
【あらすじ】
叔父・項梁の戦死後、反乱軍の全権を握った項羽は、鉅鹿の戦いで章邯将軍の率いる秦の主力軍を破った。
一方、別働隊の劉邦は、そのすきに先んじて関中に入り函谷関を閉ざしてしまう。
これに激怒した項羽は、一気に関中になだれこみ、劉邦を鴻門に呼びつけて殺そうとするが……。
勇猛無比で行く所敵なしの項羽。
戦さ下手だが、その仁徳で将に恵まれた劉邦。
いずれが天下を制するか?
【ポイント】
1.劉邦の長所
劉邦は主将みずから鉾をふるって敵陣におどりこむという個人的戦闘力は持っていない。
劉邦軍は流民や敗残兵を吸収しつつも、項羽軍のような圧倒的な膨張力は持たなかった。
劉邦の長所は、劉邦という人間がつくりだしている幕営の空気が、なんともいえずいきいきしていることであった。
人を包容し、ささいな罪や欠点を見ず、その長所や功績をほめてつねに処を得しめ、劉邦に接すると何とも言えぬ大きさと温かさを感じさせる。
この大陸でいうところの「徳」という説明しがたいものを人格化したのが劉邦だった。
2.劉邦の長所2
功をたてた者への恩賞は惜しみなく与えた。
寛容さと気前のよさという劉邦の特質は、劉邦一個の能無しを補ってあまりがある。
肝心の戦のほうは一向にはかばかしくないのに、この一軍はつねに陽気で、ここにだけ陽が照っている具合でもあった。
3.戦場で叩きに叩いて秦人の敗北感を徹底させる以外に、彼らの抵抗心を奪う方法がないと張良は見ていた。
非戦闘員に対しては慰撫を、軍人に対しては打撃をという両面を徹底的に使い分けた軍略家はこれまでいなかったが、この方法が後世の模範となった。
4.(秦を滅ぼしたのは、果たしておれだろうか)
5.項羽は配下に官位や封土を与えるのに老婆が小銭を出し惜しみするように吝嗇であったが、一方劉邦の放漫さも世間では定評になっていた。
劉邦は鼻くそをほじるように、「同じ都尉でも、楚の都尉は重く漢の都尉は軽いと思っているのだろう」と、声を上げて笑い出した。
陳平は劉邦が世評をよく聴き知っていることに驚き、先刻の感想を胸のうちで取り消しつつ、(どうせ馬鹿だろうが、ただ馬鹿にするとひどい目にあいそうだ)というふうに思い直した。
【引用】
p6
劉邦は抜群の偉丈夫であるという点ではかろうじて士卒たちを安堵させたが、しかし主将みずから鉾をふるって敵陣におどりこむという個人的戦闘力は持っていない。
劉邦軍は流民や敗残兵を吸収しつつも、項羽軍のような圧倒的な膨張力は持たなかった。
が、劉邦軍にも長所がある。
劉邦という人間がつくりだしている幕営の空気が、なんともいえずいきいきしていることであった。
人を包容し、ささいな罪や欠点を見ず、その長所や功績をほめてつねに処を得しめ、劉邦に接すると何とも言えぬ大きさと温かさを感じさせる。
この大陸でいうところの「徳」という説明しがたいものを人格化したのが劉邦だった。
言いかえれば、劉邦の持ち物はそれしかない。
徳と侠以外にはどういう力も持っていないという点では、劉邦はやはり遊侠に近い。
p41
劉邦は、西進へのみちみち酈食其(れきいき)のような奇才の士をひろい、奇功をたてさせることによって勢力をふくらませた。
功をたてた者への恩賞は惜しみなく与えた。
寛容さと気前のよさという劉邦の特質は、劉邦一個の能無しを補ってあまりがあり、肝心の戦のほうは一向にはかばかしくないのに、この一軍はつねに陽気で、ここにだけ陽が照っている具合でもあった。
ついでながら、酈食其が劉邦のために辣腕をふるうのは少し後のことになる。
p69
(張良、ええ加減にやめんか)
劉邦はその執拗さが不愉快になったが、張良はかまわずに劉邦の手元から大小の部隊をむしり取っては次々に秦軍に向かわせ、突撃させた。
戦場で叩きに叩いて秦人の敗北感を徹底させる以外に、彼らの抵抗心を奪う方法がないと張良は見ていた。
非戦闘員に対しては慰撫を、軍人に対しては打撃をという両面を徹底的に使い分けた軍略家はこれまでいなかったが、この方法が後世の模範となった。
p110
(秦を滅ぼしたのは、果たしておれだろうか)
劉邦はごくあっさりと、おれではないと思った。
かえりみると、始皇帝の死後、大小の流民が次第に数を増していき、ついにはその一方の大親分として自分が存在するようになった。
が、項羽の吸引力のほうが巨大で、人数では比較にならなかった。
しかもその項羽が河北で秦の主力を引きつけておいてくれたおかげで、自分は河南に南下し、関中から入ることができた。
功の九割までは項羽に帰せられるべきだということは劉邦にもよくわかっていたし、関中にまず入った自分を項羽が怒る気持ちも尤もだと声を上げてやりたいほどに、わかっている。
(なにか、挙兵以来、宙に浮いてここまできたようだ)
p118
項羽はもはや劉邦を殺す気がなくなっていた。
かれは劉邦の弁疏(べんそ)を信じたわけでなく、ろくに聞いていなかったし、憶えてもいない。
項羽は本来、視覚的印象で左右された。
体全体が、寒夜の病犬のようになってしまっている劉邦に、その本質を項羽なりに見てしまい、こんな憐れなやつをおれが殺せるかと思った。
p155
韓信は、自分を影のような人間だと思っている。
さほどに生存欲はなく、まして出世欲などはない。といって厭世家ではなく、ただひたすらに自分の脳裏に湧いては消える無数の戦局を本物の大地と生命群をかりることによって実現してみたいということだけがこの世で果たしたい希望であった。
p177
劉邦は、国名を創った。
「漢」と呼んだ。漢中王であったときその地域呼称にすぎなかった「漢」を、そのまま関中にまで持ってきたのである。
p196
劉邦とその軍は、東進した。
劉邦の軍は、つかのまに56万になっていたのである。
劉邦がかつて関中を去って漢中への桟道をたどったときは、3万しかなかった。この3万こそ、劉邦と運命を共にしようとする中核であるといっていい。
関中に戻って中原に出るにあたり、かつての秦人を募り、これによって6万の兵になった。
「敵を攻めるより、味方を維持する方が難しい」
張良などは、統制のために肝胆を砕いた。
p263
「私は死を決している。漢王に対してでなく、九江王に対してです。」
随何は、自分が黥布に説得しようとする外交上の内容よりも、まず使者としての自分の死骸の価値を説いたのである。
話を聞けというだけでなく、話がつまらぬと思えば殺せ、私の死骸はあなたの楚に対する外交上、非常な価値を持つはずだ。
話を聞いた黥布は、すぐさま随何と20人の使節団を呼ばせた。
p264
黥布は戦場では悪鬼のように強かったが、我が身の振り方となると、信じがたいほどに小心であった。
そのくせ、大望がある。この男は、天下を望んでいた。
漢と楚を激闘させて漁夫の利を得れれば、と思っていたが、黥布軍の唯一つ、そして致命的な欠点は、中立を維持できるための強大な武力を持っていないことだった。
(この男は、利の計算に窮している)
在来、随何は黥布のことを飢えた虎が肉を欲しがるように利を求め、利のためなら何をするかわからない男ととらえていた。
が、黥布はその利の計算をしぬいた挙句、窮している。
この男を随何の掌中に入れるには、利の話以外にない。
p296
「官位は何であったか?」
「都尉でございます」
「ああそれなら今日から都尉に任じよう」
劉邦があっさりそう言ったとき、陳平は喜ぶよりも、何か大きな穴の中に吸い込まれるような恐ろしさを感じた。
が、同時に劉邦の甘さを思った。
項羽は配下に官位や封土を与えるのに老婆が小銭を出し惜しみするように吝嗇であったが、一方劉邦の放漫さも世間では定評になっていた。
が、劉邦は鼻くそをほじるように、
「同じ都尉でも、楚の都尉は重く漢の都尉は軽いと思っているのだろう」と、声を上げて笑い出した。
陳平は劉邦が世評をよく聴き知っていることに驚き、先刻の感想を胸のうちで取り消しつつ、
(どうせ馬鹿だろうが、ただ馬鹿にするとひどい目にあいそうだ)というふうに思い直した。
p366
陳平の奇術と周苛と紀信により、栄陽城の寿命が延び、劉邦や張良、黥布らは脱出に成功した。
Posted by ブクログ
劉邦の関中制覇、鴻門の会での項羽への屈従、彭城への進軍、つかの間の勝利と大敗北、滎陽での籠城戦、そして撤退。今巻も事件が頻発し、見所も多い。
張良や陳平といった軍師の活躍も面白いけれど、巻末に登場する紀信の存在感が心に残る。悪口癖のある、特に取り柄もなさそうな男だけれど実は、この世に誰か一人だけ、好きな人間を持ちたくて仕方がない心を隠している、と描かれる紀信の潜めた感情の熱さ、そしてそれが表現されるときの、自身を焼き尽くすほどの激しさが悲しく、しかし静かに胸に迫る。
Posted by ブクログ
蕭何,張良,韓信の三傑に加え,曹参,陳平,夏侯嬰,樊噲といった劉邦の配下達が魅力的に書かれています。対する項羽陣営は,魅力がほぼ項羽に集中している形。史実と同様の対比が非常に面白いです。
Posted by ブクログ
【感想】
「上」に続く筆者の常套構成方法として、パートを大きく2つに分け、それぞれに役割を持たせているように思う。
1つが物語を進めるパートで、もう1つが新しい人物が登場するパートである。そして、どちらもそれぞれの良さがある。
物語を進めるパートでは、無論話が進むため内容は濃ゆく、地図を確認しながら話を追ってゆくことになる。それだけ、ゆっくり読む必要もある。
人物が登場するパートでは、新たに登場人物が登場するのであるが、登場するキャラ1人1人が非常に濃厚でノンフィクションではと思ってしまうほどだ。著者も本書内にて記しているが、それだけ当時の中国では様々な個性が認められていたのであろう。
【要約】
どちらが先に関中に入るかについて争う項羽と劉邦。劉邦は先に関中を手にしたあまり、つまらない抵抗を項羽に見せてしまい、彼の怒りを買うも鴻門の会にてどうにか乗り切る。その後、劉邦は一時漢に退くも、再び関中に戻り漢王国をつくる。その後項羽の虚をつき彭城を占拠するも、すぐに追い返され遁走。再び兵を集めて滎陽で1年籠城するもジリ貧により退却。(下巻に続く)
【引用】
p9
この大陸でいうところの徳という説明しがたいものを人格化したのが長者であり、劉邦にはそういうものがあった。
p10
戦国の現出の先駆的な条件は、古代社会にくらべ、農業生産力が飛躍的にあがり、自作農が圧倒的に増え、ひとびとは農奴的状況から解放され、それをふまえての自立精神ができあがったということを見ねばならない。これによってアジア的な意味での個が成立し、この個の成立からさまざまな思想、発明が、沸くように出てきた。戦国前時代の春秋期をふくめて諸子百家がぞくぞくとあらわれ、中国思想史上、後代にもない絢爛とした時代を現出するのも、以上のような土壌に由来する。
p18
韓非子はいうまでもなく法家思想の大成者であったが、かれの思想とその国家学は韓の内部的現実の中からうまれたといっていい。
p46
諸子百家の時代から遥かにはへだらないこの時代にあっては、百家の思想はそれぞれ教団のような形で継承され、孔子を教祖とする儒教の教団も、そのうちのひとつにすぎず、後世のような中国的素養そのものにはなっていない。むしろ儒者は、他人の服装、容儀、行儀にやかましく、いちいち指摘する癖があったから、一般から煙たがれるか、嫌われる傾向があった。
p57
劉邦はただ、
「おのれの能くせざるところは、人にまかせる」
という一事だけで、回転してきた。
→DMM の亀山さんと似ている。
p67
自己の意見を古わらじのように捨て、張良が十分に説明を終えないうちにとりあえず全軍に停止を命じた。
p77
お教えしなかったからこそ私の生命がいままで無事だったのでございます、もし申し上げていれば、趙高どのを信ずることあつい陛下は私をお殺しになったでしょう。
p97
秦政権そのものが罪人の製造機械のようなところがあった。
p187
戦いの基本は補給であり、いくら兵の進退に長じた将軍でも補給を思考の主要要素に入れなければしろうとにすぎず、しろうとの戦さ上手に戦争をやらせるととんでもない惨禍を味方に蒙らせてしまうことを蕭何はあらゆる人間と局面を見てきてよく知っていた。
p369
(この小僧の癖がはじまったわ)
老范増は、もはや、そういう項羽を憎悪した。
→爆笑
p390
この男は、このように惨烈な状況になってもそのけい室に婦人をたやしたことがない。
【ハッシュタグ】
#中国史
#漢の建国史
#リーダーシップ
#儒家思想
#法家思想
#キャラの個性
#難語習得
Posted by ブクログ
劉邦の元にたくさんの優秀な人材が現れる。
項羽にあまり重用されず劉邦の元に行き大仕事をなす韓信。劉邦の右腕として、様々な戦略を考える天才軍師張良。また、誰彼構わず官位をくれる劉邦を頼りに属することになる陳平など。魅力的な人物ばかりが登場した。
一方項羽は自分の親族にしか良い官位は与えず、亜父と慕っていた范増をも陳平の策に溺れ手放してしまう。いつでも弱音を吐いたり、すぐ意見が変わる劉邦だが、そんな男だからこそと仲間になる人たちがいて、リーダーシップとは面白いなとより感じた。
まだまだ項羽の勢力は衰えていないのでここからどう劉邦が天下を取るのか、しかし、だんだんと心が離れていく項羽兵。方向性の違うリーダーだが一体どうなるのか。下巻に続く
Posted by ブクログ
有能なリーダーと無能なリーダー、そんな対照的な二人の闘いの物語・中盤戦。
上巻では影も形もなかったですが、張良という人がいきなり登場します。
彼は劉邦を天下人に至らしめた名軍師で、楚漢では項羽と劉邦に次ぐ魅力的な人物であります。
この張良には、超大国を滅ぼしてしまった伝説の英雄・太公望呂尚の兵術書を謎の老人から授かったという、なんともドラマチックな伝説があります。
そのため、彼の戦術は呂尚に非常によく似ている、ということが、本書でも指摘されています。
宮城谷昌光さんの「太公望」という作品を読むとよく分かりますが、太公望はまさしく「準備の人」です。
戦ってから勝つのではなく、勝ってから戦うというスタイル。
張良という人はやはりこのスタイルを受け継いでいて、情報収集を柱にして、慎重に事を進めるタイプの人間です。
さて中巻では、劉邦に手柄をとられたことでキレてしまった項羽が劉邦を呼び出して殺そうとしますが、劉邦がごめんなさいをして許されるという、かの有名な鴻門の会が描かれてます。
ただ見所はそこではなく、中巻の最後の方、劉邦軍の籠城戦だと思います。
劉邦は項羽軍に兵糧攻めされて、絶体絶命のピンチを迎えるのですが、最後の数ページ、ある方法で難局を乗り切ります。
この最後の数ページで、ある下っ端の兵士がある行動をするのですが、その行動が劉邦軍すべてを助ける結果になるというのが、なんとも熱いです。
同時にこの兵士の劉邦に対する忠誠心というのが、単なる忠誠心ではなくて、少し複雑だというのがポイント。
終わり方が劇的だった中巻、楽しかったです。
Posted by ブクログ
秦帝国が滅亡したあとの話。先に関中に辿り着いた劉邦は関中王となり、項羽と敵対することとなる。元々敵対するつもりはなかったが劉邦の側近に函谷関を閉じれば関中は手に入ると唆されたことで項羽と争うこととなる。その後項羽に謝罪をし中国の山の中である漢、巴蜀に封じられることとなった劉邦はそこで挙兵し再び関中を制圧し漢王と名乗ることとなる。前回関中に入った際に、劉邦軍は秦の人たちに対して略奪をしておらず逆に項羽軍は掠奪強姦をしたことで秦の人たちは劉邦軍を歓迎することとなる。その後劉邦は項羽軍の本拠地である彭城を一度は占拠するも留守から戻ってきた項羽によって返り討ちに遭い劉邦は敗走し、滎陽にて籠城する。この敗走する場面で劉邦は自分の子供を馬車から投げ捨て車を軽くしようとするがあまりにも必死すぎる。
最後籠城から抜け出すために同郷の紀信を影武者として項羽に降伏する間に劉邦は滎陽から抜け出し関中へと向かう。
なんでもできる項羽に対して何もできない劉邦の対比が面白い。前者は有能な部下がいても重宝せず、身内を才能に関わらず信用していたため大事な軍師である范増が抜けてしまう。逆に後者は張良、韓信、蕭何と言った有能な人材をしっかり登用していく。何もできないのもどうかと思うが人を信じて適用するのも才能の一つか、
Posted by ブクログ
p.197
酒があなたの体を得てよろこんで跳ねまわっているのです。
天下の統一も人間の欲や妬みも、現代と大きく変わらず、そして、それが歴史を作っていくんだなーとしみじみ考えさせられてしまいます。
Posted by ブクログ
あらためて劉邦が大きな空虚であることを思った。張良が将権を代行すると、まずいことが多かった。かれが一個の実質であるため、かれに協力する劉邦の幕下の多彩な才能群ともいうべき諸将は張良の意中をいろいろ忖度することに疲れ、結局はその命を持って動くのみで、みずからの能力と判断でうごかなくなってしまう。とくに後方補給と軍政の名人という点で張良以上である蕭何の場合、この幣がいちじるしかった。張良の作戦が正と奇を織り交ぜて複雑になるため、蕭何にすれば補給をどこに送っていいかわからず、結局は悪意でなく怠業状態におちいり、張良が後方の蕭何へ連絡者を走らせて命令と指示を伝えねばならなくなった。このため、張良も疲れ、蕭何も疲れてしまうのである。
これが劉邦に指揮権がもどると、幕下の者たちは劉邦の空虚をうずめるためにおのおのが判断して劉邦の前後左右でいきいきと動き回り、ときにその動きが矛盾したり、基本戦略に反したりすることがあっても、全軍に無用の疲労を与えない。
義は、正しさのために自然の人情を超える倫理姿勢をいう。この語感には、後世「外から仮りたもの」という意味が加わっていく。この当時から、すでに「実行上むりはありながら」という意味も詞(ことば)の中にまじっていた。しかし言葉の建前としての意味は、あくまでも正しさ、ということである。但しその正しさは個人の倫理感覚による判断というより衆人がともどもに認めるというたぐいのもので、この時代の場合の語感としては「衆ノ尊厳スル所ハ義ト曰フ」というほどの意味であった。
「どうも勝手が違うのです」
片頬の血だけを凍らせたように不快な表情でいった。正直なところ、韓信は巧妙な作戦をたてているつもりだったが、結果はそれを必要とせず、つねにむこうから勝利が勝手にころがりこんでくるようで、あれだけの軍の指揮をしたがったこの男としては、この点、不本意だっただけでなく、自信をうしないかけていた。戦とは自分がかつて考えぬいてきたものとは違うのはないかという、奇妙な恐怖もあった。この恐怖は、自分の才能に対する疑問というべきものだが、本来、勇気とそれと同量の臆病さをかかえこんでいる韓信としては、臆病のほうの内質にその疑問が食い入っていた。(なぜ、こうも勝つのか)ということを、韓信は懸命に考えていた。この経験から韓信はやがて哲理や法則をたぐり出すのだが、ともかくもこのときは劉邦からほめられることさせ物憂く、わずらわしかった。