あらすじ
戸田城聖の後を継ぎ、創価学会第三代会長となった山本伸一の峻厳な「弟子の道」が綴られている。日蓮大聖人の仏法のヒューマニズムの光をかかげて、世界を舞台に繰り広げられる民衆凱歌の大河小説。
<各章の概要>
【文化の華】昭和37年10月22日、アメリカのケネディ大統領は、キューバにソ連の攻撃用ミサイルの発射基地が建設されていると演説。米ソ間の緊張は一気に高まり、人類を全面核戦争の瀬戸際に追い込むキューバ危機がぼっ発した。息づまる攻防のなか、28日、米ソ両首脳は破局の回避で合意する。
11月、恩師に誓った300万世帯という平和勢力を達成。そうした時、伸一のもとにケネディ大統領との会見の話がもたらされる。
【萌芽】昭和38年1月8日、伸一はアメリカを最初に、欧州・中東・アジアを巡る世界一周の平和旅へ。アメリカではハワイ、ニューヨークに支部が誕生し、ロサンゼルスを加え、3支部へと発展。
生命を削る思いで一人一人の友を激励する伸一に、相呼応して新たな人材群が信心に奮い立つ。目覚ましい成長の姿を示しながら、各地に地涌の若芽が育ちゆく。
【早春】欧州でも、ヨーロッパ総支部・パリ支部が結成。伸一の間断なき激励行は、スイス、イタリアでも。アジアにも世界広布の流れが着実に広がり、香港で3地区が結成。
1月27日、帰国の途に就く伸一は、飛行機のエンジントラブルのため、予定にはなかった台北(台湾)経由の便に変更。空港には、ひたすら彼の訪問を待ち望んできた友が集い、劇的な出会いが実現した。
【操舵】1月24日夜、総本山を下山し、新潟駅まで帰る会員約900人が乗る団体列車が豪雪のため、宮内駅で立ち往生してしまう。地元同志は、おにぎりや豚汁など真心の支援を続け、車内の友も懸命に耐え抜く。創価の同志愛が輝きを増すなか、約93時間ぶりに運転が再開される。
4月9日、台湾の台北支部は政府の命令により解散。メンバーは弾圧の嵐にも「冬は必ず春となる」と耐え、27年後、晴れて認可を受ける。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
キューバ危機
ー緊迫した状況の中でのアメリカ首脳の競技は、激しく意見が対立し、意見が紛糾した。怒りが爆発し、感情的なぶつかり合いも起こった。冷静を求められれる指導的立場の人間であっても、恐怖と緊張が極限に達すると、自勢力を失い、安易な道を選択したり、戦争という誘惑に負けてしまうことがあるものだ。それは”恐怖の均衡”が戦争を抑止するといういわゆる核抑止論が、いかに根拠薄弱なものであるかを示して余りある。ー
ーいかに文明が進歩しようとも、いかに時代が変わろうとも、最後に問われるのは「人間」自身である。人間の決断が、自らの運命を、そして世界の運命を決定づけていく。”キューバ危機”は改めてこの当たり前のことを実感させたといえまいか。ー
米物理化学しゃライナス・ポーリング博士
ー「世界には軍事力や核爆弾という悪の力よりも更に偉大な力がある。善の力、道徳や、ヒューマニズムの力である」(『ノー・モア・ウォー』)ー
ー仏法者の平和への戦いは、強盛な祈りから始まる。そして祈りは決意となり、智恵をわかせ、勇敢なる信念の行動となる。ー
ー仏法は、一切衆生が皆、仏であると教えている。万人に仏性があり、自分も相手も仏の生命を具えていると説く、仏法の生命哲学こそ、人間の尊厳を裏付ける大思想です。その教えが流布されるならば、必ずや、戦争を防ぐ最大の力となります。ー
ーこのころ山本伸一の身辺はにわかに慌しくなっていた。”キューバ危機”を経て間もなく、アメリカのケネディ大統領から、会見を申し込まれたのである。ある著名な民間人が伸一を訪ね、ケネディとの会見の意向を打診したのだ。ー
Posted by ブクログ
第7巻は昭和37年(1962年)8月から昭和38年4月までの物語である。以下、本書で注目したところ4点を記す。
①質問会について
本書には質問会について3ページ半に渡って書かれている。天才・戸田先生の爆笑の質問会から折伏の勢いが生まれた。
②春山富夫について
早稲田大学政治経済学部を卒業した後、商社に入ったエリートであった。ニューヨーク支部の初の支部長と北米男子部長を兼任し、後に本部職員となる。
③ケネディとの会見について
ケネディから会見の打診があったのが、昭和37年12月ごろと思われる。会見の予定は年明けて昭和38年の2月であったが、大物議員の横槍が入り、会見を中止にするのが昭和38年1月。直前でのキャンセルであった。
④台湾について
戒厳令下の台湾では、宗教団体が組織的な活動を行うには当局に申請をし、許可を受ける必要があった。台湾の学会はその許可が出なかった。それどころか、解散命令が出されてしまう。