あらすじ
十二世紀末、源頼朝は初の本格的武士政権である鎌倉幕府を樹立する。彼を出した河内源氏の名は武士の本流として後世まで崇敬を集めるが、祖・頼信から頼朝に至る一族の歴史は、京の政変、辺境の叛乱、兄弟間の嫡流争いなどで浮沈を繰り返す苛酷なものだった。頼義、義家、義親、為義、義朝と代を重ねた源氏嫡流は、いかにして栄光を手にし、あるいは敗れて雌伏の時を過ごしたのか。七代二百年の、彼らの実像に迫る。
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Posted by ブクログ
坂東という田舎に、源氏の貴種が来ただけで
ははーっと従うイメージで、ふわっとしてた
実際は、何代もの開発領主が領地でモメなが
ら中央の政局に振り回された結果、以仁王の
令旨の出た時点で、蜂起せざるを得ない武士
団がそこかしこに生まれていた(´・ω・`)
武家の棟梁?
王権と自力救済の間で揺れ動きながら、栄光と没落、凄惨な骨肉の争いを経験した、実に劇的な一族河内源氏。
源頼信が平忠常の乱、源頼義が前九年の役、義家が後三年の役を平定。→東国武士を結集し、「武家の棟梁」と称される地位を確立。→院や貴族に脅威を与えた河内源氏は、院と結んだ平氏による源氏勢力削減政策により不遇を極め、保元の乱と平治の乱を経て没落。→先祖が築いた基盤をもとに頼朝が鎌倉幕府を開いた。
こういった歴史の教科書に載ってるような通説に対する検討をされています。
・貴族と武士は同じ支配者層であり、貴族と武士が対立関係にあったのではない。
・頼朝の隆盛の基盤は源平争乱の結果で得た領地であり、先祖からのものではない。
・当時の武士の第一人者とされてはいたが、彼らを反乱の主役に押し上げたものは、卓越した戦闘技術や、武士の組織力、そして中央との政治的連携。