あらすじ
怖ろしくも美しい。哀しくも愛おしい――。シリーズ第3弾。建物にまつわる怪現象を解決するため、営繕屋・尾端は死者に想いを巡らせ、家屋に宿る気持ちを鮮やかに掬いあげる。恐怖と郷愁を精緻に描いた至極のエンターテインメント。全6編収録。渓谷で起きた水難事故で若者が亡くなる。彼は事故の直前、崖上に建つ洋館の窓から若い女に手招きされていた。一方、洋館に住む多実は、窓の外に妖しい人影を見る。(「待ち伏せの岩」)イビリに耐えて長年介護してきた順子には、死後も姑の罵詈雑言が聞こえる。幻聴だと思っても、姑の携帯番号から着信を受け、誰もいない家の階段で肩をつかまれ……。(「火焔」)温かい家庭を知らない弥生は、幸せな家族を人形で再現しようとする。しかしドールハウスを作り込むうちに些細なきっかけで「歪み」が生じ、やがて異変が起こる。(「歪む家」)典利は戸建てを新築し、第一子の出産を控えた妻と母親が暮らしている。以前に住んでいた屋敷には幽霊がいた。当時を思い返した典利はふと、あることに気付く。(「誰が袖」)ほか、全6篇を収録。解説・漆原友紀
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Posted by ブクログ
小野不由美先生が描く短編集
家屋に宿る思いを掬い上げる尾端が優しい。
家屋からの思いは本当に怖いものがあり、ずっとヒヤリとする話ばかり。それもあってか尾端の優しさが際立っている。
家屋に宿る思いも今住んでいる人の思いも両立させられるところが、尾端を良いキャラに仕上げている。
Posted by ブクログ
今回もフォーマットは変わらず、短編が全部で六篇が収められている。建物に宿った怪異に悩まされる人々と、それを営繕という形で受け止めていく尾端(おばな)の物語である、という基本構造は変わらない。
第3弾ということもあって、このシリーズは良くも悪くもフォーマットとしてはかなり安定してきたと思う。一応、探偵役というか怪異を解決するのが営繕を営んでいる尾端の役目なのだが、彼はミステリーの探偵のように事件に積極的に関わることはしない。
あくまで依頼者が悩んでいる怪異の話を丁寧に聞き、家や物の来歴をたどり、怪異そのものを力ずくで祓うのではなく、建物に少し手を入れることで怪異を受け流す、あるいは怪異の発生が起こらないようにするのが彼の仕事だ。言い換えると、仮にそこに何らかの怨念があったとしても、その怨念の種そのものを取り除くというというのは、彼の生業とするところではないのだ。
そして、その怨念が生まれる理由のうち、ほとんどが「家族」にまつわる話であるのが本作の特徴と言えるだろう。実際の殺人事件でも見しらぬ人への犯罪よりも圧倒的に身近な人同士での事件が多いように、怨念が生まれるのはやはりその関係性が濃く、かつ逃げることができないからだ・・というのが、著者の小野不由美の世界観なのかもしれない。
ただ実際にそういう”人間関係が難しい人間”を家族に持っていた身からすると、何もフィクションの中でまでそういったことを持ち込まないでほしい・・というきにもなってしまったりもする。特にしんどかったのが、夫の母(つまり姑)から夫の死後もさんざんいじめられていた女性の家に訪れる怪異を描く「火焔」と、二人の娘の中で母親から偏愛された長女が自殺してしまったことをきっかけに怪異が起こり出すという「茨姫」だ。
二篇ともに物語の語りとなる女性は、エピソードの中では被害を受ける立場にあり、しかもそれは本人には全く責任がない。後者は実の母親、前者は義理の母親という違いはあれども、同性の年上の女性から受ける迫害を描いているエピソードで、読んでいる方はただただしんどいという気持ちになる。
さらに発生する怪異も、後者の方は中庭にある物置小屋を囲む草が異常に伸びる・・程度なのだが、前者は家の中で亡くなったはずの義理の母親が暴れるということで、より凶暴性がましている。ただしこの話の場合は、”もしかしたら語り手が無意識のうちにストレスを溜めて暴れているのでは・・”という想像も決して不可能ではないようにしているところが、作者小野不由美の意地悪いところでもある(携帯電話になくなった母からかかってくる・・という話があるので、一応本人ではないとは思えるようになっている)。
とりあえず全てのエピソードで尾端の活躍により、語り手の悩みは解消する方向に向かっていくとはいえ、例えば亡くなった人が自分を探してくれるように求めて庭に来るという「骸の浜」では、怪異そのものは消えてなくなったりしない。ただ語り手の悩みを解決することで、怪異が語り手の人生に影響を与える度合いを小さくしているだけなのだ。
そういった意味では、このシリーズは日本風の怪談の特徴である「起こっている怪異は消え去りはしない。ただ一時的に収まるだけ」をしっかり引き継いだ、正統派の日本風怪談譚と言えるのは間違いない。
伏線の回収レベルがとわれ、全てに説明が求められるようになったミステリとは違い、ホラー作品にはこういった”余白”が許されるというところが、筆者が本作を描き続けている理由であるような気もするし、また読者も全てを説明する必要はないとどこかで感じている・・というのが、このシリーズが続いている理由なのだろう。