あらすじ
本書は,西洋美術鑑賞の懇切な手引きとして好評の『名画を見る眼』のカラー版である.モネに始まる近代の名画14点,そして同時に鑑賞したい絵画を多数収載.題材や技術だけでなく歴史的・思想的背景,くわえて画家の個性が感じられるエピソードを交えながら解説した.刊行より半世紀を超え,著者監修の決定版をお届けする.
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Posted by ブクログ
美術館に何気なく絵画を見に行くのが好きで、この本を読む前は絵画をなんとなく見て自分で咀嚼するだけで満足していた。
ふと、作者の背景や意図を知りたくなり、この本を手に取った。
印象派と呼ばれる作者から始まり、それぞれの歴史、背景、絵画の捉え方に時代の流れを感じることができ、より一層絵画を楽しむことができそうだと思えた。
教養として知るもよし、シンプルに楽しむもよしで、いい本だった。
が、淡々と読む本ではありながら参考書を読むような感覚があり、少し退屈だった。
Posted by ブクログ
Ⅱは印象派以降の14人の巨匠、14点。
高階先生の授業を直接聴かせて頂いているような語り口。
各章の絵画だけではなく、その周辺の作品の解説も語られているので個々にストーリー、歴史があることがよくわかります。
美術史という学問は近代を理解するための学問の1つなのだと思いました。
Ⅰの15点も含めて自分で直接見る機会がある絵画があと何点あるのかわからないが
その際にはこの本を必ず読み返すでしょう。
〇モネ 「パラソルをさす女」
〇ルノワール 「ピアノの前の少女たち」
〇セザンヌ 「温室のなかのセザンヌ夫人」
〇ゴッフォ 「アルルの寝室」
〇ゴーギャン 「イア・オラナ・マリア」
〇スーラ 「グランド・ジェット島の日曜日の午後」
〇ロートレック 「ムーラン・ルージュのポスター」
〇ルソー 「眠るジプシー女」
〇ムンク 「叫び」
〇マティス 「大きな赤い室内」
〇ピカソ 「アヴィニョンの娘たち」
〇ジャガール 「私と村」
〇カディンスキー「印象・第4番」
〇モンドリアン 「ブロードウェイ・ブギウギ」
Posted by ブクログ
Ⅰを読んだならばⅡも読まねばと、早速ひもときました。
Ⅰは歴史、美術史の解説なども含まれていましたが、Ⅱは美術史上の年表幅が少ないらしく(さくっと100年くらい)そのせいなのか、あまり細かな歴史的背景には言及せず、画家本人の略歴や手法などの解説が細やかに書かれている。
馴染みのある画家名も多く『これ見たことがある』というものが多いので、読んでいて飽きない。その反面、いわゆる抽象画も多いので、解説を読んでも分かったよーな分からないよーな、そんな気持ちになることもしばしば……
別の本に出ていた名前をここで見つけて、作中に出ていた店名はこの画家からとったのかと妙に納得したりして、楽しく読めた。
Posted by ブクログ
印象派の代表的な存在であり、睡蓮やパラソルをさす女で有名なモネ。
なるべく絵具を混ぜ合わせないで、純粋に使うことを考えた。
理由は、「絵具を混ぜ合わせると明るさが失われる」ため。
モネの作品が明るいものが多いのは、絵の具の使い方の革新にあった。
Posted by ブクログ
外界を見る人間の眼は、習慣や約束に規制されているが、画家はこれにとらわれない新しい感覚を拓く。
まず絵画を見て読み進め、改めて観ると新しい感想を覚える新鮮な鑑賞体験。実物を見たい。
絵のリアルとは。これまでの系譜。
現実を追求した印象派が色彩分離により平面化していき、キュビズム、フォーヴィズムを経て抽象画に繋がる。色彩と造形。
Posted by ブクログ
しかし、だからと言って、印象派 絵画がチューブ入り絵具から生まれたと言うことはむろんできない。 戸外における現場での制作は、すでに一八三〇年代のバルビゾンの画家たちの時代から、絵画の野望のひとつであった。持ち運びのできる便利な絵具の発明は、それまできわめて困難であったことを容易に実現させてくれるという便利さをもたらしたに過ぎない。ただ、それによって思いのままに戸外で制作できるようになった七〇年代の若い画家たちが、眼の前の自然のな かに、それまでの絵画の知らなかった新しい世界を発見したことは事実である
ところが、モネたちは、太陽の光の下では、自然のなかのものは固有の色を持っていないということを見出した。緑の草も、時には夕陽の照り返しを受けて赤く輝くこともあれば、青い衣裳の上にオレンジ色の陽の光がこぼれ落ちることもある。それは言うまでもなく「光」の作 ちゅうちょ 用であるが、モネたちは、その「光」の作用を、躊躇なく「色」の世界に置き換えた。 例えば、この「パラソルをさす女」は、白いドレスを身にまとっている。そのドレスに、青い空や赤い野の花の輝きが微妙に反映している。そこでモネは、白い衣裳の上に、薄い青やピンクのタッチを加えるのである。
このようなことは、白い衣裳はあくまでも白いものだと信じていた当時の人びとには、容易 に理解されるものではなかった。
彼(セザンヌ)が求めたものは、眼の前の対象を形づくる本質的な構造であった。すべてが一様な光の波に還元されてしまう印象派の世界のなかから、セザンヌは、 対象を周囲の世界から区別する基本的な形態を求めた。そして、そのような確固とした形態を求めるということは、もはや単に視神経だけの問題ではない。それは後にブラックが、「眼は 形態を歪め、精神は形態を作る」という簡潔な言葉で表現したように、自然のなかにひとつの 秩序をうち立てようという精神の働きである。 セザンヌが友人のモネについて、
彼はひとつの眼に過ぎない、だが何と素晴らしい眼だろう。
と語ったという話は有名であるが、この一句にはモネの精緻な感覚に対する賛嘆と同時に、ひそかな批判をも読み取ることができる。