ウルフのレビュー一覧
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ネタバレ第一次世界大戦を終えたイギリスの、6月のある1日を描き出す作品。
「ダロウェイ夫人」が中心に据えられているが、作品の視点は周囲の人の頭の中を飛び回るような、独特の浮遊感で移り変わっていく。
大勢を招いたパーティを開くくらい精力的で、魅力的でもあるようなクラリッサ(ダロウェイ夫人)が内面で仄暗いものを飼っていて、誰かわからない人の自殺を知りなにかしら自分の中に落とし込むくだり、表面的にはなにひとつ変わらないこのことを真に迫って伝えてくるのは正に小説の力だと思う。
一番印象的だったのはヒュー。「完全無欠」ながら、本を読まない、ものを考えないと切って捨てる人もいるけれど、本人は本人の価値の置く世界で幸せに過ごしている。物事を考え過ぎないからこそ幸せでいられる、という暗喩のようでもある。
表現が芳醇で読んでいる間はとにかく至福の時間で、この内容で読ませるなんてほんとすごいと感嘆し通しだったけれど、最後の終わり方はえっえっこれで終わり??と何度も読み返してしまった。
この物語が終わるのには最上のタイミングだけれど、終わる予測をしてなかったので寂しい気持ち。
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Posted by ブクログ
イギリスの女流作家。初期の“Jacobʼs Room”(1922)あたりから伝統小説のプロットや性格概念に対して実験的再検討を試み、”Mrs. Dalloway”(1925)や”To the Lighthouse”(1927)などで刻々と移り変わる人物の意識の流れを叙述していく方法を確立
ウルフは外側のリアリズム、すなわち人間の外面的なものをいかに現実らしく書くかを重視した19世紀のリアリズムを否定し、独自の新たなリアリズムを作り出そうとした。
いわゆる実験小説と呼ばれる彼女の三つの作品、『ジェイコブの部屋』『灯台へ』『ダロウェイ夫人』を比較してみると、それぞれの作品における客観的時間の長短は極端に異なっている。
『ジェイコブの部屋』→ジェイコブの幼少期から戦争に出て死ぬまでの20年間
『灯台へ』→10年を挟んだ前後それぞれ1日づつ
『ダロウェイ夫人』→朝起きてからパーティーまでの10数時間人物を外側からでなく、内側から描こうとする。
『灯台へ』においてもウルフはこの方法を採用しているが、実験第一作『ジェイコブの部屋』では多数の人物を登場させ、各場面でそれらの人々の目に映るジェイコブを描いたが、それに比べると、彼女の技法の用い方はその時より効果的になっている。 -
Posted by ブクログ
淡くて美しい、まさにロンドンの6月のような文章。ラベンダーやヒヤシンスの香りが漂ってくるよう。
一方、権威への恐怖や自分の狂気への恐怖、同性愛に違い感情等も描かれているのが意外だった。
細部を読む小説だと思う。
ウルフは難しいと言われている通り、最初は、意識の流れや事実を流れるように織り交ぜて描く手法に戸惑った。
でも、普段自分達の意識や考えもそんなものだし、そういう小説として距離を取って読むと途端に細部の美しさが花開いた。
『ダロウェイ夫人』が発表されたのは1925年。大正14年。日本では普通選挙法が施行された年。
私の祖母はすでに生まれている。
その時イギリスでは、第一世界大戦の深い爪痕を、特にミドル〜ロークラスに残しながらも、
(ハイクラスが始めた戦争だろうが、実際に打撃を受けるのは彼らではなく、そして彼らに戦死した者達の死は意味を及ぼさない、なんてこともこの小説の中には示されている)
一方では豪奢で19世紀的なパーティが開かれている。
そのパーティの主であるクラリッサが、パーティの日の1日、ロンドン内を散歩し、起こった出来事と考えを流れるように描いている。
ウルフの「時」の描き方が好き。
「広場の濃い茂みのあちこちには、強烈な光がまだしがみついている。夕方が蒼ざめ、薄れていく。」
「夕方をそこに串刺しにした。引き止められる夕方。」
ビッグベンの刻の音とともに。
時をこんな言葉と共に感じられるなんて、なんて贅沢。
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ドイツの音楽家マックスリヒターが、ウルフ原作のバレエ音楽の作曲をしていて、この作品を知った。
世界的に有名な女流作家といえば他にブロンテ姉妹やオースティン、パールバックなどがいるけれど、ウルフの作品からは最も純度が高く痛々しいほどの女を感じる。
ブロンテ姉妹やオースティンの作品は、物語として筋が通っていて、長いながらも読者が型を見失わない作りになっている気がした。
ダロウェイ夫人の場合、一つ一つの動作や空気感の描写が優れているがゆえに全体像が見えにくい。
扱っている時間的な流れは小さいのに、絶えず繰り広げられる感情のスペクタクル。
まさに、有機的で予測がつかない女性の繊細な心を表していると思う。
面白い話なんて起承転結の型が分かってればある程度書けそう(それなりの才能があれば)だけど、このようにありのまま心情の波をなぞったような美しい作品は稀有だと思う。 -
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「意識の流れ」という手法を使った作品を読むのは初めてだったが、なかなか好感を持った。他の作品とは違った種類のいわく言い難い感動や恍惚感があったように思う。
《クラリッサは、わたしを連れていって、と衝動的に思った。だが、次の瞬間、全五幕の芝居を見終わったような気分に変わった。とても感動的で興奮する芝居だった。自分もその中で一生を過ごした気分。ピーターと駆け落ちし、一緒に暮らした。でもその芝居も終わった。》P87
こことか凄い感動してしまった。刹那的な想像のほとばしりとその満足感。そしてその満足感が人の生きるエネルギー(行動するエネルギー)を生み出している事実。それをこんなにも鮮烈に捉えるとは。この一文を読むまで、無意識にうごめく日常的な空想が、人の生命活動とこんなにも密接に関わっているだなんて、意識したことがなかった。一挙に認識が降りてきた感じ。凄い衝撃を受けてしまった。「意識の流れ」の手法の面目躍如という気がする。なんというか全体的に、読んでいると時間感覚が外部から体内(意識内?)に戻ってくる感じがして、身を委ねたくなる。 -
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アメリカの映画やドラマを見ていると、本好きの女性が必ずといっていいほど好きな作家にヴァージニア・ウルフを挙げるようなので、読んでみなければとずっと思っていて、やっと読んだんだけど。。。
うーん、バカなわたしにはまったくといっていいほど、ピンとこなかった。「ダロウェイ夫人」はタイトルは昔から知ってはいたけれども、こんな話だったのか。。。上流階級のダロウェイ夫人の一日のうつろいゆく思い、みたいな感じで、ストーリーらしいストーリーがない。とりとめのない思いがとりとめなく描かれていて、あまり強い感情はない。一瞬、強く思ってもすぐほかのことに移っていく感じで。
しかも、ダロウェイ夫人だけじゃなくて、登場人物すべて、すごい脇役みたいな人たちもすべての思いが、つながるように書かれているので、正直、え、今だれの話?と何度も見失っていた。。。。
確かに、文章は詩的で美しいとは思ったけれども。
あと、ときどき、人々の人生への思いとか、50歳をすぎた人々の老いることへの感情とか、いろいろ、はっとする文章はあった気がするけれど、それも一瞬で流れていって、あまり残らなくて。。。一度でさらっと流して読むのではなく、一文一文じっくりと読んでいくべき本なんだろうなー。そういうのがわたしは苦手だけど。
あと、ヴァージニア・ウルフって、フェミニストで、孤高の強い女性、ってイメージなんだけど、この小説、解説含めて読んでも、あんまりそういうイメージがわかなかったなあ。。。
訳者あとがきがおもしろかった。フランク・マコート「アンジェラの祈り」が読みたくなった。(ダロウェイ夫人の靴が何色だか知ったことか!とキレる生徒が出てくるとか)。あと、ヴァとバの表記についてとか。
映画「めぐりあう時間たち」は見てみようと思う。原作も読みたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ視点の使い方が特徴的。
クラリッサの視点かと思えば次のページではレーツィアに、はたまたメイジーに……それだけでなく一人称で語られたり三人称で語られたり……忙しさを感じる記述だった。
これにより個人的には読みにくく感じたが、ひとつの物事を複数人の視点から見れるのは面白い。
話の軸はクラリッサとセプティマスの2軸。
終盤までこの軸は独立を保ったまま同時並行的に話が続いていく……
正直、この2軸(幸福の中の不幸を見出す視点・不幸の中の幸福を見出す視点)は交わりようがあるのかと思いながらページをめくっていたが、交点を見つけた時は驚いた。
パーティという幸福の象徴的なものの中に自殺という不幸の象徴的なものが入り込むことで、より一層対比が明らかとなり、彼らの感情が強調されていたように感じる。
いちばん印象的だったのはセプティマスが自殺するシーンだった。
冒頭ではレーツィアは彼がシェルショックによって心からの会話が出来ないことを嘆いていたが、中盤で一時的に回復したような様子を見せたことで深い喜びを感じていた。しかしその直後、「人間の本性」がやってきたことにより彼は自殺という結果に至ってしまった。この場面はレーツィアの心情を考えると胸が痛い。希望の見えない生活の中でようやく差した希望の光が一瞬にして潰えてしまった。そしてその様も惨いものであった。
この話の後にピーター・ウォルシュが救急車のサイレンを聞いて「文明の勝利だ」なんて言って喜びに浸っているのも、この無惨さを強調させていると思う。 -
Posted by ブクログ
20世紀を代表するイギリス文学と評判こそ聞き知っていた作品。
歴史的傑作をたっぷり読む! という目標のもと、今回入手して挑戦してみました。
第一次世界大戦後のイギリスで上流階級のダロウェイ夫人が晩餐会を開く準備をしています。その一日を、数人の登場人物の内的独白に迫りながら描いています。
物語は最初から最後まで章や切れ目がなく、一つの大きな塊として始まり終わります。ある人物の意識の流れを丹念に追いながら、そのあと別の人物の意識に移行し、筋は続いていきます。この作品には、2つの読み方があるようです。最初から最後までまとめて一回で読み終える。または少しずつ、描写を味わいながら読み、お気に入りの栞をはさんで次の日にまた物語に戻ってくる。―私はゆっくりと読むほうを選びました。
ダロウェイ夫人は51歳。現在なら活気あふれるこの年齢も一世紀前だったら、人生の夕暮れ時を迎える世代でした。この作品は、読者もある程度の年齢にならないとわからない、最初はそう、断言していました。人生の経験を積んだ大人の女性のモノローグは、読む側の人生経験が浅いと、柔らかなひだが見えにくいはずです。
けれど、後半になって思い出したのは個人的には若いころにはこんな「意識の流れ、ゆらぎ」を描いた作品群をむさぼるように読んでいたのです。若いころに読んでいたとしても何か感じるものはあったと思います。
お酒が飲める年齢になったら読めますかね、この本は。味わい方をそれぞれ変えながら。