大西暢夫のレビュー一覧

  • 炎はつなぐ めぐる「手仕事」の物語

    Posted by ブクログ

    ひとつの尊い仕事が
    縦横無尽に広がっていく
    目に見えているところは
    むろんのこと
    目に見えないところまで

    それは 
    どんなところで
    どんな人が
    どんなふうに
    どうやって
    生み出して
    おられるのだろう

    その手仕事のひとつひとつが
    大西暢夫さんの
    素朴な疑問と確かな取材力と
    職人さん達へのリスペクトで
    丁寧に述べられていく

    ああ
    わたしたちは 
    こんな素晴らしい文化遺産を
    持つ国に 暮らしている
    と思った

    それと同時に
    私たちは 私たちの国の歴史を
    振り返った時に
    ほんとうに大事なものを
    大事にしてきただろうか
    と思ってしまった

    0
    2026年05月02日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    ホハレ峠 大西暢夫 彩流社

    ドキュメントとでも言うのだろうか?
    改めて人の世とは何なんだろうかと
    問い直すキッカケとなる素敵な本だった
    理不尽な法治国家に生きる視野の狭い人間と
    あるがままに人生を噛み締めながら80年生きたとして
    その内何回の花を見て旬を感じて
    一生を全うして行く心豊かな人間は
    何を学びとって死と言う旅立ちを迎えるのだろうか〜

    0
    2024年03月20日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    ダム開発のために地図から消されていった日本の多くの村のひとつに、岐阜県徳山村がある。コミュニティが崩壊したあとも山で暮らしつづける老人たちのもとを1990年代初頭に初めて訪れたジャーナリストの著者は、トチの実やマムシ、種々の山菜などを採り加工し保存する日々の労働を克明に記録するにとどまらず、ひとり村にとどまったゆきえさんの人生、そして今や彼女の記憶の中にとどまるのみの村の歴史そのものを掘り出し、現場を歩いて自らの体によって確かめるようにして記録していくことになった。
    角入(かどにゅう)という雪深く貧しい集落から一度は北海道開拓民の村へ嫁いだゆきえさんは、なぜまたこの村に戻り、最後のときまで立ち

    0
    2024年01月28日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

     2006年9月25日早朝、揖斐川を堰き止めるゲートが。徳山ダムの記念日であり、それは徳山村がダムに沈む日でも。水かさが増していき、国道が、学校が、集落が・・・沈んでいく。1500人ほどが暮らしていた徳山村。2005年4月まで最奥地に最後の1人として暮らしていた廣瀬ゆきえさん(大正7年生まれ、2013年8月1日没、93歳)の万感の思いを、徳山村百年の軌跡を、大西暢夫さん(ゆきえさんより50歳若いカメラマン、徳山村で生まれ育った)が取材し書き綴りました。「生きる」ということを深く感じさせていただいた書です。

    0
    2022年01月31日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    ダムが建設されることによって移転を余儀
    なくされた、ある集落に住む一人の老婆の
    人生を追ったドキュメンタリーです。

    と、書いてしまうとどこにでもありそうな
    内容と思ってしまいますが、まさしく日本
    のどこでも起こっていることなのです。

    それがとても切なくて悲しくて、失ってし
    まったものの大きさに気付かされることは
    多いはずです。

    ダムの寿命は100年と言います。

    一人に人間の長さでしかないのです。そん
    な人間一代の長さでしかない物の為に、先
    祖代々から受け継がれてきた物を全て食い
    潰してしまった、と嘆く老婆の描写は心が
    痛みます。

    我々が失った「豊かさ」の大きさに愕然と
    させられる一冊

    0
    2021年09月29日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    ダムに沈む村の老夫婦の暮らしぶりを伝える第1部は普通の良書だが、第2部はハイパー展開だった。

    最後の住人となった老婦人は、この岐阜県の山村で生まれ育ったが、戦時中に、初めて会う夫と結婚するために北海道の開拓地に移住していた。しかもその夫とは血の繋がる関係だという。
    その夫は戦時中には満州移民を、戦後にはパラグアイ移民を志望して果たせなかったという。そして開拓地を捨て、岐阜の山村に移り住んで生涯を終えた。
    ダムに沈むような山奥の集落だが、その住人は丸1日歩かなければ越えられないホハレ峠を頻繁に行き来して外の世界と交流していたというのは、当たり前かもしれないが驚きがある。老婦人も14歳の頃から毎

    0
    2021年03月13日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    映画を是非見たいと思った。
    廣瀬ゆきえさんの人生を、写真と共に詳しく書かれていて、私自身、ヒトとしての生き方を考えさせられた。

    0
    2021年02月12日
  • 津波の夜に 3.11の記憶

    購入済み

    写真と一緒に

    写真の場所はよく知っている。
    昔、住んでいたからだ。
    震災当時は東京にいたから被災はしなかったが、この本を読んで、母校の高校が遺体安置所になっていたことを知った。
    理屈をダラダラと述べているくだらないジャーナリストよりも、ずっと良かった。
    すっと、入ってくる文章で読みやすかった。
    ぜひ、一人でも多くの人に手にとってもらいたい一冊だ。

    0
    2014年09月16日
  • 津波の夜に 3.11の記憶

    Posted by ブクログ

    現地に行った人にしか絶対分からない気持ちや状況を伝えていただいたことに感謝したいです。遠いとついつい震災から離れていく気持ちを引き締めたいと思いました。

    0
    2013年08月17日
  • 津波の夜に 3.11の記憶

    Posted by ブクログ

    宮城県東松島市の被災者の証言(記録)集。
    フォトジャーナリストの人がうまくまとめている。
    あまりよけいなことを書いてないし、
    使われている写真もなかなか質が良く、
    シンプルでストレートな仕上がりで好感度大です。

    ボランティアでこの地に関わって2年経ちましたが、
    よく知ってる場所の知ってる人の証言も出てくるから
    とても現実感があります。(逃げる時の距離感など)

    こういう記録はとても大事。
    あんなつらい凄まじい思いをても、
    人はいつか細かいディテール等、忘れて行く。
    (だから人間は前に進めるとも思う。)

    忘れるからこそ、聞き書いて記録にとどめることは、
    教訓を後生に伝えるのにとても大切な役割

    0
    2013年04月01日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    ダムに沈む村に最後まで住み続けた女性。電気もない不便な奥地に住んでいた方が豊かに生きていたと感じられる。その人生は本当に過酷で。開拓使として北海道で暮らしていた時のとても貴重な体験を知ることができました。
    読み終えて、歴史に名を残すような壮大な人生ではないはずなのに、ずっとその偉大さのようなものに静かに感動しました。
    本当にお疲れ様でした。ありがとうございます、と伝えたくなりました。

    0
    2023年02月27日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    日本最大のダムを作るために沈んでしまった岐阜県徳山村。
    岐阜県の西より、滋賀県と福井県の境にある徳山村の最も奥にある門入(かどにゅう)地区が本書の舞台で、隣の坂内村や川上地区につながる峠がホハレ峠、物資の流通や交流が行われた険しい山道だ。
    同じ岐阜県出身の作者は、徳山ダムの話は小学生頃から聞いていて、カメラマンを志しいつしかその記録を残したいと思うようになり、東京から徳山村まで通い詰めた。
    門入は徳山村の八集落あるうちの唯一水没を免れた地域で、昭和の末頃まで34世帯約百人が暮らしていたが、ダム建設によって危険区域となり移転を余儀なくされ、集落の人々は徐々に近隣の町に引っ越していった。
    そんな廃

    0
    2021年10月10日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    ホハレ峠
    ~ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡~

    著者:大西暢夫
    発行:2020年4月
    彩流社

    岐阜県中西部、福井県に接し、滋賀県ともほとんど接しているような地域にあったのが徳山村。村のほぼ北端、福井県との県境にある冠山を源流とする、木曽三川の一つ揖斐川が南へと流れ、その南端に出来た徳山ダム。2006年から水をためはじめ(マスコミでは貯水、役所は湛水と呼ぶ。とくに最初はテストを兼ねているので試験湛水というが、異常がなければそのまま水を抜かない)たため、徳山村は廃村となった。その様子は、著者が監督した「水になった村」というドキュメンタリー映画に収められ、公開された。文句なしの名作映画。

    去年発

    0
    2021年09月01日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    徳山村で唯一水没しなかった集落「門入」に最後の1人となって暮らしていた「ゆきえさん」が主人公の大河ドラマ.
    徳山の最奥地の集落に生まれ,見ず知らずの北海道に嫁入りし,跡継ぎのいない生家を嗣ぐために徳山に帰ってくる.しかしダム建設に追われ,最後は本巣の文殊の移転先で一人亡くなる.
    ゆきえさんが14歳の時に峠を幾つも越えて繭を売りにいった家を探し当て,北海道の開拓地での住居跡を見つける過程はスリリング.
    ただ,著者の感情が出過ぎている面が少し邪魔で,その分だけ1点減点.

    0
    2021年08月22日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    ”本の雑誌”ランキングから。村に唯一残った家庭との交流を通じて、一方的な行政のやり方に疑問を投じる。思い出話を通し、舞台は北海道開拓史におよび、実現はしなかったものの、南米への移住までが絡んでくる。時代背景も考えると、何とも壮大な話。自分の中では”カムイ”とか”熱源”とか”ヒストリア”とか、最近読んだ物語との共通点も見つかったり、なかなかに興味深いものだった。

    0
    2021年01月12日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    あれ?大西さんて『ぶたにく』の人じゃないですか。

    ダムの是非という以上に、ゆきえさんという1人の女性の人生に、力強さ逞しさと共に、生きる悲しみそのものを思う。山村に生まれ、14歳で親元を離れて紡績工場で働き、写真で見た人と結婚して北海道へ渡って開拓の厳しい生活を生き、また生まれた村に戻るとそこはダムになる…。

    村の、現金はないけれど四季折々の収穫や自分のやるべき仕事のある豊かな生活と、移転した先でのスーパーで買い物する暮らし。たくさんの人のためにネギも作ってきた「農民のわしが」なんでスーパーで「買わなあかんのか」と言うところに、生きてきたプライドを見る思い。

    そうなのだ、「壊すことは簡単

    0
    2020年08月15日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

     ダムに沈む村。
     本屋で手に取って気になってしまった。

     岐阜県徳山村、かつて地図に存在した村は今は徳山ダムの湖の下に沈んでいる。
     この村の最奥の門入集落に最後まで暮らしていた老婆、廣瀬ゆきえの生涯を追うノンフィクション。

     門入集落は、村の中心地の本郷ではなく、ホハレ峠を越えた隣村との交流が盛んだった。
     東京オリンピックの年になっても村には電気は来ず、物流はボッカが担っていた。
     
     冬は雪に閉ざされるこの村で、ゆきえは生まれた。
     幼いころは畑仕事を手伝い、
     14才になり彦根の紡績工場に冬の出稼ぎに行き、
     24才で嫁いだ先は北海道真狩村だった。

     北海道真狩村は、門入の入植

    0
    2020年05月17日
  • 津波の夜に 3.11の記憶

    Posted by ブクログ

    淡々とした記録なので読み進めやすかった。
    通っている地域だから、いろいろ知れてよかった。
    北川吉隆さんが編集担当だったんですね♪
    この本の取材をしたときからも、被災者の方々の状況は変わっているので(たとえば当時のことをより克明に思い出してしまうこととか)、やっぱり、そのときどきのことを残していくことは大切だなと思う。
    同じ場所でも、また別の時期に、同じ人に聞いて記録することも大切なような気がした。
    大西さんのような記録してくださる方はありがたいです。

    0
    2013年04月07日
  • ホハレ峠

    Posted by ブクログ

    木曽川町を葉栗郡と書く。
    当時もう葉栗郡は木曽川町しかなかったが、元木曽川町民に話したらどう思うだろうか?
    元木曽川町民は、木曽川町という町名に自信を持っていたし、一宮へ編入される際も町名を残すことでもめた。
    尾西市も、葉栗郡木曽川町も、ダムには沈まなかったが地図から地名は消えた。
    尾西市、木曽川町の記憶も建物はあるが、市立町立の建物の名前が消えた。

    0
    2025年09月24日
  • 津波の夜に 3.11の記憶

    Posted by ブクログ

    311。あの日眠れずに数日間テレビ画面に釘づけになっていた自分を思い出した。映像として、その後何度も何度も目から飛び込んできた悲惨な姿を、今回は文字を通して、それを現実に体験した人々の思いや行動を噛み締めながら心に刻み込んだ。体験を語る方々は急死に一生を得ながらも生きていたからこその言葉の一言一言が重くのしかかった。本当に本当に大変な大きな出来事であった。

    0
    2025年08月26日