ダムに沈む村の老夫婦の暮らしぶりを伝える第1部は普通の良書だが、第2部はハイパー展開だった。
最後の住人となった老婦人は、この岐阜県の山村で生まれ育ったが、戦時中に、初めて会う夫と結婚するために北海道の開拓地に移住していた。しかもその夫とは血の繋がる関係だという。
その夫は戦時中には満州移民を、戦
...続きを読む後にはパラグアイ移民を志望して果たせなかったという。そして開拓地を捨て、岐阜の山村に移り住んで生涯を終えた。
ダムに沈むような山奥の集落だが、その住人は丸1日歩かなければ越えられないホハレ峠を頻繁に行き来して外の世界と交流していたというのは、当たり前かもしれないが驚きがある。老婦人も14歳の頃から毎年この峠を越えて出稼ぎしていたという。
大正8年(1919年)生まれで小学校しか出ていない山村の老婦人の生涯、と聞いて想像するようなものとは全然違うものだった。そしてたぶん、彼女が特別なのではなく日本中にこういう人生があったのだろう。
第1部のダムに沈む村の最後の住人、という部分も、これも日本中にあった話なのだろうが、だからこそ彼女の話は重い。
「ここに家を建てて、やがて20年になる。正直に言うと、もう金がないんじゃ。ダムができた頃は、一時、補償金という大金が入ってきて喜んだこともあった。でも今はそうじゃない。気付いたころには、先祖の積み上げてきたものをすっかりごとわしらは、一代で食いつぶしてまったという気持ちになってな。」「体験した者じゃないとわからんが、耐えられんぞ。結局、税金などを長い時間をかけて支払っていたら、補償金は国に返したようなもんや。気づけば、わしらの先祖の財産は手元にすっかりことなくなとるんやからな。」