林芙美子のレビュー一覧
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本を読んでいると、作家や作品への言及が在る場合が多々見受けられる。そういう記述を読んで、作品に関心を覚えて読んでみるという場合も在るように思う。
他作品で言及が在った樺太への紀行が収録されていると知り、入手して読んでみた文庫であった。なかなかに興味深い一冊であった。
1930年の台湾、満州、1931年から1932年の欧州、1934年の樺太、1936年の北京と様々な形で発表された紀行が収められている。瑞々しい感性や自由を愛する気概を持った女性が奔放に何処へでも出掛けて行くという様子、その中での思索というような事柄が綴られた本書である。
表紙にトランクを沢山抱えた女性のイラストが在る。これは欧州を -
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去年の12月にラジオで偶然、作家の林芙美子さんの亡くなる4日前に放送された肉声を聴きました。
昭和26年に放送された若い女性からの様々な人生に関する質問に林さんが答えていく内容です。
車の運転中でしかも音質もそんなに良くなかったので内容はきちんと聞き取れていなかったのですが、その語り口はとても優しくかつとても力強いものでした。
聴いたラジオが非常に頭に残ったので、林さんの代表作「放浪記」を軽い気持ちで読み始めたのですが、、読むにはなかなかな覚悟の必要な内容でした汗
苦境から作家で成功するに至ったサクセスストーリー的な単純なものを想像していたのですが、一つ一つの文章表現を理解するのに時間はかか -
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まだ林芙美子をよく知らない。
NHK「100分de名著『放浪記』」の回で林芙美子の文章の魅力に目覚めた。
上記番組で指南役を務めた、作家の柚木麻子さんが、とっても新しいんです、今こそ読んでほしいと言っていた意味がよく分かりました。
この本は、その林芙美子の若き日の紀行文を収めたもの。
1930年から1936年の作品。
「放浪」がいよいよ海外へ舞台を移した。
令和の今だって、女一人で海外旅行なんて怖くてできやしない。
ましてやこの時代、女ができることは非常に狭い範囲に限られている。
そこへ一人で旅立つ芙美子に、すっかり魅了されてしまった。
旅の目的があったりしたようだが、それは書かれていな -
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放浪記といえば、森光子さんのでんぐり返しが思い出されるが、原作を読むのは初めてだった。 大正11年から5年間、日記をもとに昭和5年に刊行された放浪記「第一部・第二部」と、敗戦後に発表された「第三部」を収めてある。
これはおもしろい。言葉の運びがとても斬新で読みやすい!
第一部(放浪記以前)
「私は宿命的に放浪者である。」で始まり、「今の私の父は養父である。実直過ぎるほどの小心さと、アブノーマルな山ッ気とで、人生の半分は苦労で埋れていた人だ。母の連れ子の私は、この父と木賃宿ばかりの生活だった。」と続く。
見知らぬ土地を転々としながらの行商生活。芙美子が見聞きした事柄が生々しく伝わってくる。
「 -
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時系列が…とか人間関係が…など気にし出すと読めないと思うが、一気に読んでしまった。
NHKの番組がきっかけで手に取ったという経緯は恥ずかしいが林芙美子さんに出会えてよかった。
ジェンダー、経済格差、いじめや差別、政治不信などいろいろな課題があるのに放置されている今こそ読む価値があると思う。
昔の絵画(風景画など)を見るとその当時の街の風景や人の息遣いなどを視覚的に感じられることが多いが、放浪記を読むと彼女が生きた時代の東京下町の景色、街並み、地図上の位置関係や風俗が甦るようで、生きていた人々の日々の暮らしやその息遣いまでが手に取るようにわかる。歴史書にはない楽しさがあった。
長編だが -
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ネタバレ題名のごとく、ひと所で落ち着いて暮らすこと、働くことがない。
それは放浪癖があるわけではなく、働いても貧しい賃金でそのまま働き続けることへの失望から
よりよい場所を求めてのさすらいであり
沈む気持ちを奮い立たせての場所も気持ちもリセットする意味があったのでは無いかと思われる。
途中で関東大震災が起こったと思われる辺りがあるのだけど
そこに大きく触れずに、ちょっと場面に触れて後はいつものような生活になるところが
どれだけ普段の生活から苦しく貧しいものかを思わせる。
第三部の終わりの方で母親が本音をもらすかのように
娘を「むごい子」と言うのがやるせない。
女郎屋に売らなかっただけマシとで -
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ネタバレ貧乏ってやつぁこういう事を言うのさね。どこまでもどこまでも追いかけてきて、いつの間にか自分に成り代わって、次の貧乏をうむのさね。自業自得とのたまう人の、なんたる無理解。金と親と別れた男についてのどこまでも続く愚痴。恋愛模様は演歌そのもの。さまようのは、住まいだけでは無いのです。
破滅型の生活、自己生産の貧乏と、持て余した若さと体力は過激思想とよくくっつく。理想の奥深くに昏く光る恨みを籠めて。当時、この書き方で口に出して歩いたら思想犯として逮捕される流れもよく分かった。
ただひたすらの困窮のサイクルの中でこの人はよくぞ文筆家になったものだ。詩に触れ続け、詩人に囲まれてきた方のようで、日記も非常に -
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満州国というものが存在していた頃の、かの地やモスコー(モスクワ)や欧州へ野望や夢を抱いて乗り込んでいった人々を描く短・中編集。今の感覚で読むと、この人たち侵略に罪悪感とか抱かなすぎじゃない? と思ってしまうが、当時の普通の人々の感覚としては、内地で鬱々としているよりも海の外に出てやろう、という気持ちはイキイキした野心として肯定的に捉えられていたのだろう。異国の地で、女性としてのつらさや、男性との立場の差、同性間でも身分の差を感じたり、ということはあるが、侵略される側の人々のことを登場人物たちが慮るのは、表題作の男性二人くらいで、それはひどく一方的なものに終わる。これらの作品を違和感なく読めるよ
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「柚木麻子と読む」とあるので、一作ごとに解説が入るのかと思ったら、そういう形式ではなかった。
柚木麻子・編の林芙美子の短編集である。
こういう作品集は、編者が原作者のどういった部分を好んでいるかで、色合いが変わってくることもある。
やはり「柚木麻子と読む」で良いのだろう。
「はじめに」で、林芙美子本人があまり気に入っていなさそうな作品をあえてチョイスした、と書かれている。
女友達に、ニヤニヤしながらちょっと意地悪をしてみる感じで微笑ましい。
「おわりに」では、林芙美子の作品では、男女の機微を描いたものより、シスターフットが感じられるものの方が好き、と書かれていて、この好みが『ついでにジェント