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第一次大戦後の困難な時代を背景に、一人の若い女性が飢えと貧困にあえぎ、下女、女中、カフェーの女給と職を転々としながらも、向上心を失うことなく強く生きる姿を描く。大正11年から5年間、日記ふうに書きとめた雑記帳をもとにまとめた著者の若き日の自叙伝。本書には、昭和5年に刊行された『放浪記』『続放浪記』、敗戦後に発表された『放浪記第三部』を併せて収めた。
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Posted by ブクログ
放浪記といえば、森光子さんのでんぐり返しが思い出されるが、原作を読むのは初めてだった。 大正11年から5年間、日記をもとに昭和5年に刊行された放浪記「第一部・第二部」と、敗戦後に発表された「第三部」を収めてある。 これはおもしろい。言葉の運びがとても斬新で読みやすい! 第一部(放浪記以前) 「私は...続きを読む宿命的に放浪者である。」で始まり、「今の私の父は養父である。実直過ぎるほどの小心さと、アブノーマルな山ッ気とで、人生の半分は苦労で埋れていた人だ。母の連れ子の私は、この父と木賃宿ばかりの生活だった。」と続く。 見知らぬ土地を転々としながらの行商生活。芙美子が見聞きした事柄が生々しく伝わってくる。 「烈々とした空の下には、掘りかえした土が口を開けて、雷のように遠くではトロッコの流れる音が聞こえている。昼食時になると、蟻の塔のように材木を組みわたした暗い坑道口から、泡のように湧いて出る坑夫達を待って、幼い私はあっちこっち扇子を売りに歩いた。」 第一部・二部 下女、女中、カフェの女給と、次々に仕事を変えて、困窮すれば友人宅に食べに行き、生活に疲れたら借りた金で旅に出る。 「不運な職業にばかりあさりつく私だが、これ以上落ちたくはない。何くそという気持ちで生きている。」 "芙美子は強し" だが身内には甘く、惚れて捨てられた男への未練は断ちがたい。貧困にあえぐ女性の暗い話なのに、人間味があり滑稽にも思えてつい笑ってしまう。意地っ張りな芙美子を応援したくなった。 芙美子の書いた詩が良い。 特に『朱帆は海へ出た』と『黍畑(きびばたけ)』は好みの詩。 〈注解〉を見ると、日本の作家の本に限らず、外国のものも数多く読んでいたことに驚く。読むこと、書くことは彼女の生きる支え。しかし作家となり食べていくには大変な時代であったこともわかった。 第三部は発禁を恐れて発表されなかった部分を後にまとめたものだと〈解説〉で知り、当時の検閲の凄まじさを思った。 吹き荒ぶ嵐の中で生きた芙美子。 彼女に関わった人にもそれぞれの人生があったことを考えると胸にグッときた。 次は尾道にいた少女の頃の暮らしが書かれた『風琴と魚の町』を読んでみたい。
日記文学という形式の中に,自ら生計を立てていくことの自覚と,時折現れる詩情が入り混じる。本作のリアリティはいきが良い。
NHK百分で名著での紹介に触発され、放浪記を読み進めております(名前は良く知っていましたが、読んだことが無く)。炭鉱の多い西日本各地(門司、下関、戸畑、若松、佐世保、直方等)を転々とする小さな林芙美子(1903年生まれ)と松本清張(1909年生まれ)の小倉での苦しい暮らしが重なります。あの、海が見え...続きを読むる、という尾道の記述には(芙美子が女学校を卒業した町でもあり)、小津監督の東京物語の冒頭の風景が重なります。大正時代に書かれた日記を基にした小説(1928年の出版)のようですが、今読んでも、新鮮でかつ様々な町の歴史等を立体的に味わえる本ですね。こんないい小説だったのね、と今更気づかされております、★四つです。
これも、ヤマザキマリさんの本棚にあったので読みました。 明治36年に生まれ昭和26年まで生きた林芙美子の三部からなる日記と詩です。 (P530より) 死んじまいなよ。何で生きてるんだよ。 何年生きたって同じことだよ。お前はどうだ? 生きていたい。死にたくはござらぬぞ…。 少しは色気も吸いたいし、...続きを読む飯もぞんぶんに 食いたいのです。 十二、三歳のころから下女、女中、カフェーの女給として働き女学校には自分の稼ぎで通い、十七、八歳のころから、義父と母に仕送りをしなければならず、毎日の食べる者にも困窮する生活を送りながら詩と日記を書いています。 まだ、二十歳にしてはずいぶんと大人びていると思いました。大人にならざるを得なかったのでしょうね。 いくら貧しくても本は読みたい、詩や小説は書きたいという貪欲な、向上心には撃たれました。 私が同じ立場だったらとっくの昔に野垂れ死んでいると思いました。 林芙美子には強靭な精神力、生きる力があったからこそ、この作品は出版され日の目をみて読み継がれているのだろうなと思いました。 十七歳で独りイタリアに留学されたヤマザキマリさんもその姿をおそらく御自身に重ねて読まれたのだろうと思いました。 (ページ数不明) 私には本当は古里なんて、どこでもいいのだと思う。苦しみや楽しみの中にそだっていったところが古里なんですもの。 だから、この『放浪記』も旅の古里をなつかしがっているところが非常に多い。
林芙美子の一歳年上で貧困と不幸を絵に描いたような中で生き延び23歳で獄中自殺した金子文子「何が私をこうさせたか」とどうしても比較してしまう。林芙美子の貧乏は確かにそうなのだが、根底が明るい。夢を持てる適度な貧乏なのだろう。大正から昭和の初め、社会に貧富の差意識が生まれた時代。虐待や搾取を受け続けた金...続きを読む子と違い、林芙美子は友達や親切な人たちを引き寄せる星を持っていたということだろう。家を出て女中や女給の仕事をしながら文章を書きそこに熱意を持ち続ける。その健気な頑張りは好感が持てる。そして明るい希望を感じるラストは、現実には連載していた放浪記の好評が上機嫌にさせていたのかも知らないが、この後大成功する放浪記以降の彼女の生活を予感させる。
前半、貧しい暮らしぶりを読むにつれ、しみったれた話だなやだやだと思っていたが、次第に引き込まれる。 すさまじく金がなく寒いひもじいひもじいたべたい苦しい、という暮らしの中での、彼女の生きる力、伸びたい力の強さ、感性の鋭さとみずみずしさにおどろく。 作家になりたい、書きたくて書きたくてたまらない、...続きを読むという夢を静かに熱く追いつづける。トルストイを読み、心のままにシンプルに書け、という教えを実践して試行錯誤。でも金にならない、私なんて才能がない、だけど書きたい書きたいと渇望。 大正11年1922年(100年前!)から5年間の日記がベースとのこと。20歳前後。身なりは粗末であったかもしれないが、眼光はするどかっただろう。 ○裸になると元気になる。 ○トルストイが伯爵であったことに驚く。(略)トルストイの芸術は美しく私の胸をかきたてる。あなたは、陰ではひそかに美味いものを食っていたんでしょう?(//ふみこ、そこに嫉妬する?私だったらその知性と才能に嫉妬する。人は満たされてないところに嫉妬するのだなと)
続けて読んだ林芙美子『放浪記』とリリー・フランキー『東京タワー』 書かれたのは1930年と2005年、時代は半世紀以上はなれているけれどもなんと似ていることだろう!醸すもの雰囲気のことであって個性はちがうのだけども。 作者の生い立ち、経験を文学に昇華している 日記風 尋常な家庭、両親では...続きを読むない そんななかで親思いの強さがすごい 芙美子は行商をして育ててくれた養父と実母に 雅也(リリー・フランキーのこと)は母と母と離婚はしていないが別居している父に 貧困なる家庭、しかしどん底ならざる文化がただよう 芙美子は女学校(昔はそんな家庭の子は行けなかったのに) 雅也は武蔵野美術大学(母の献身的な働きのおかげで) 実質ひとりっこ、甘えん坊のどうしょうもないわがまま いったんは親を棄てたような本人達のハチャメチャな人生 しかし、ことあるごとに篤い熱い母親への思いをあふれさす、行動する 本人の行状を記しているようで、その底には母という1人の女性が浮かび上がる 芙美子の母の奔放的な男遍歴とみえるも正直な情熱 雅也の母の激しくも秘めた女性の生き方 つまり現代の女性にとって好もしく見える姿のよう 両方ともおいしいものがいっぱい、いいものがいっぱいでてくる 引越し、移動がはなはだしい、多い(放浪癖) 地方と東京(芙美子は尾道、雅也は小倉、筑豊) あげくに東京の魔力にはまっているよう 東京がやたら詳しい、もの(笑) アンバランスな裏打ちのない文化(今の日本人がそうなのじゃないか) わたしとしては両方とも好きだなー
故 森光子さんが2000回以上も公演を行った舞台の原作。たまたま実家の本棚で見つけ、読んでみたいと積読したまま約20年も経ってしまった。 一頁目「放浪記以前」という章。 「私は宿命的に放浪者である。私は古里というものを持たない。・・・故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であ...続きを読むった。それ故、宿命的に旅人である私は、この恋いしや古里の歌を、随分侘しい気持ちで習ったものであった。・・・今の私の父は養父である。・・・人生の半分は苦労で埋もれていた人だ。私は母の連れ子となって、この父と一緒になると、ほとんど住家というものを持たないで暮らして来た。どこへ行っても木賃宿ばかりの生活だった。・・・」 この悲しく苦労続きだった人生を、しかし詩情豊かに書いていくこの人の文章を私は「好きだ」と思って読み始めた。 子供のころの思い出「放浪記以前」を経て、東京に来てからの日記が始まる。もともとは愛人を追って上京し、彼の学費を稼いであげたりしたそうなのだが、卒業すると彼は尾道に帰って結婚してしまった。芙美子さんは絶望するが親元は帰る気にもなれず、下女や女中やカフェーの女給などの職を転々としたり出版社に売れない詩や童話を持っていったり、時々上京してくる両親と一緒に行商をしたりして、食べていくだけのお金を稼げたり稼げなかったりの生活を送っていた。 第一部、第二部は貧しい生活を書きながらも情緒豊かな表現が散らばっている。 「私は毎日セルロイドの色塗りに通っている。・・・私が色塗りをした蝶々のおさげ止めは、懐かしいスヴニールとなって、今頃は何処へ散乱して行っていることだろう・・・朝の七時から、夕方の五時まで、私達の周囲は、ゆでイカのような色をしたセルロイドの蝶々やキューピーでいっぱいだ。」 芙美子さんは意図していなかったかもしれないが、“スヴニール”、“セルロイド”、“おさげ止め”といった具体的な単語一つ一つでさえ、現代の読者がぼんやりとした輪郭しか知らない大正時代に色を付けていく。 (自分を捨てて尾道の因島に帰った愛人を訪ねて島へ行ったとき)「牛二匹。腐れた藁屋根。レモンの丘。チャボが花のように群れた庭。一月の太陽は、こんなところにも霧のように美しい光芒を散らしていた。」 びっくりするような波乱万丈の人生を送る女性たちが身近に何人も登場する。十二歳の時、満州にさらわれ、その後女芸者屋に売られた初ちゃん。三十歳も年上の亭主の子供を十三歳の時に産み、いつも妾を家に連れてくる亭主と養母のために働き続けている、お君さん。 アパートの隣の部屋の住人“ベニ”は、不良パパと同居する女学生なのだが、ある日突然そのパパが詐欺横領罪で警察に連行されてしまう。似たような境遇の人達が集まってしまうのか、芙美子さんはその女性たちと姉妹のような絆を感じている。救ってあげることは出来ないが、彼女たちのことを書く時、愛情が感じられる。 「・・・時ちゃんが自転車で出前を持っていく。べらぼうな時ちゃんの自転車乗りの姿を見ていると、涙が出るほどおかしかった。とにかく、この女は自分の美しさをよく知っているから面白い。・・・」 芙美子さんのような才女なら、もう少し要領良く生きればそんなに苦労しなくてもよかったのではないかと思いながら第一部、第二部を読んだ。情が深くて、少しお金を貯めると両親に仕送りしたり、本を買ったり、仕事を辞めてふらっと旅に出てしまったりして、その結果何日も食べることが出来ずにいる。 しかし、第三部を読むと第一部・第二部は比較的きれいなところばかりの抜粋だったと分かる。なぜなら、第一部と第二部は戦前に出版され、検閲を恐れて発表しなかった部分が多く、第三部は戦後に出版され、第一部・第二部で発表しなかった部分を発表しているからだ。 (第一部・第二部・第三部は時系列ではなく、大正11年から大正15年までの放浪時代の日記を最初に抜粋して「女人芸術」に連載したものが第一部、その後同じ時期の日記から再度抜粋して出版したのが第二部、戦後にもう一度抜粋したのが第三部である。) 第三部ではすさまじく彼女の極貧生活、思いが吐露されている。犬のように汚い生活。(当時の)夫から振るわれた暴力の実態。第一部、第二部ではあれほど「ああ、愛しいお母さん」と書いていた母親のことを「何をしても下手な人だ」「死んでしまえばいいのに」「あんな義父と別れさえしてくれれば、母と私はまともな生活ができるのに」などと書いている。 本当に大変だったのだなあと第三部では思った。“私生児”ということも書かれ、複雑すぎる家庭環境から「古里を持たない」ということの本当の意味も分かった(第二部の最後にも詳しく書かれているが)。 文学に対する彼女の見解も述べられている。「・・・捨身で書くのだ。西洋の詩人きどりではいかものなり。きどりはおあずけ。食べたいときは食べたいと書き、惚れているときは惚れましたと書く。それでよいではございませんか。」 林芙美子さんは当時の文壇のようなところからは認められなかったようだが、人のまねをせず、“捨身”で自分の生活や思いを吐露した結果、独自のスタイルを築きあげたのだと思う。 戦前は「貧乏を売りにする作家」や「半年間のパリ滞在をネタにする作家」、戦中は「政府お抱え作家(従軍作家)」など、常にボロカスに言われてきた作家らしいが、47歳で亡くなるまで、売れっ子作家として寝る間も惜しんでフル稼働で書き続け、母親や義父や親族一同の面倒を見ていたそうである。夢がかなった後も、“放浪”と“働き続けること”は変わらなかったらしい。 本当は自分の赤裸々な日記など誰も人目に晒したくないと思う。林芙美子さん自身も「自分の死後は『放浪記』も絶版にするように」と言っておられたそうであるが、「読まして下さって有難うございました」という気持ちである。
林芙美子の若いころの孤軍奮闘ぶりがすごいのだけど、更級日記の作者と正反対に実にさっぱりしていて男性的な文章が気持ちよし。 お金がほしいのだけど、安定している月給取りの仕事はどうもダメみたいですぐに辞めてしまう林さん。 カフェ勤めでもヒマだと店の隅っこで本を読みふける林さん。 とっても母親思いの林さん...続きを読む。 振られた元恋人に未練があって会いに行く林さん。 ずっとずっとがんばる林さんのパワーがすごいけど、そういう自分を持てあましつつも、こうするしか仕方がない自分というものがよくわかっていた人だと思いました。
第一次世界大戦後に林芙美子が貧困に喘ぎながらも、数々の仕事を経験しながらも自由に逞しく生きて行く姿を描いた自伝的小説。 さすがに時代を感じる作品であるが、日本が一番日本らしい時代を描いているように思う。貧困を物ともせず、人々が助け合いながら、日々の糧を手にする姿は恥ずべきものではなく、むしろ人間と...続きを読むして必死に生きる姿が眩しく見えた。
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