林芙美子のレビュー一覧
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男なんか二度と当てにするものか! ——誰か私を受け止めてくれる男はいないものか?
書きたいことがありすぎる! ——いくら書いたところで一銭にもならぬ。
もういっそのこと死んでしまいたい! ——冗談じゃない、生き抜いてやる!
作者 林芙美子自身でもあり、実像とは大きく乖離した幻影でもある「私」。お金は無い、書いたものは売れない、今日その日の飯にもありつけない彼女の日々を綴った本作は、絶望と希望・不幸と幸福・暗さと明るさとが綯い交ぜとなっている。未熟で乱暴にも感じる文章からは汗・体臭・痛み・日差しの暑さ・風の冷たさ・空腹・満腹・身体の疲れが感じられる(作者は稚拙さを恥じて何度も手直ししているらし -
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読書会 課題図書
あまりにも著名な「林芙美子」
でも、じっくり読んだのは初めて
イマサラですね
三部の構成 重複するので???
だったけれど、検閲とかいろいろな事情で
後からつけられたとのこと
『私は宿命的に放浪者である』
極貧の中、それでも上を向き貪欲に本を読み、そして書いた彼女
生活主義というか、食欲・性欲にのたうち回りながらの
若い日々
大正11年から15年の日記風の雑記帳からまとめられた自叙伝
「読書会」では全く違う観点を知って興味深い
ずっと改変されてきたが
最初の改造社からのものが一番いいとか
岩波版との比較とか
≪ 放浪の 日々の苦悩を ただ書いて ≫ -
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林芙美子の海外への旅、紀行文集成。その主な行程は以下のようなもの。
1930年1月 台湾
1930年8月 大連、ハルビン、杭州、蘇州
1931年11月~1932年6月 シベリア鉄道を使い、パリ、ロンドンへ
1934年5月 樺太
1936年10月 北京
最初の台湾行こそ準公的な団体行動であったが、残りは基本的に一人旅。この時代に女性が一人で海外への旅をするというのは珍しいことだったのではないだろうか。文章を読んでも、「何とかなる」との精神でバイタリティーを持って行動していることが良く分かる。
シベリア鉄道の三等列車の旅では、乗り合わせたいろいろな乗客とのちょっとしたふれ合いを語 -
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大正から昭和初期の生活の様子が垣間見ることができ、興味深い。特に赤裸々に貧困した生活を描いているので、当時の物の価値を知るのも意外と面白かった。
貧しい中でも自分の作品(詩、童話、小説)を世に送り出そうとする意欲に感服する。
単に自分の能力に自信がある、ということだけではないのだろう。世に登場する芸術家、作家に共通するもの、目には見えない道筋、運命のようなものを感じる。
当時は、女性というだけでハンディが大きかったと思うのだが、精神力の強さというよりも、生命力の逞しさ、と表現した方がよいのだろうか。
この作品は、森光子の舞台でも有名だし、戦後、映画化もされてきた。特に戦後の復興に際して、彼 -
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●は引用、その他は感想
ブックレビューに”沢木耕太郎や下川裕治の先取りのようだ”というコメントがあったが、自分もそういった印象を受ける。バイタリティーに富んだ人なのだろう。だから、興味があるとそれを実行してしまう。本書では、軍国主義の台頭に嫌悪感を表わしているのに、たぶん同時に語られる愛国心の発露が、この後の従軍記者時代につながるのだろう。一見すると一貫性が無い様に見えるが、本人にすれば一貫しているのだろう。
文庫オリジナルの編集として、パリ→ロンドン→パリという移動を、年代と場所でくくってパリを一つにまとめて文章を配置している。時系列で文書を配置した方が読みやすくなるような気がする。
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少し前の時代を読むと男性作家が男女関係を書いたものが目立つ気がして、女性作家は何を書くのか気になって手に取った。
読んでみると題の通り、小説ではなく日記だった。ひたすらに飢えていた。読むうちに、当初知りたかった男女観よりも制作の実際に興味が湧いた。
「食事のあと、静かに腹這い童話を書く。いくつでも出来そうな気がして仲々書けない」
「詩や小説を書くと云う事は、会社勤めのようなものじゃありませんのよと心の中でぶつくさ云いわけしている」
そして、音楽。
「私は風呂の中であこまでつかって口笛を吹く。知っているうたをみんな吹いてみる。しまいには出たら目な節で吹く。出たら目な節の方がよっぽど感じが -
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第一部〜第三部が縦割りなため時系列がわからず、一つのストーリーとしては読みづらい。話自体とびとびなので、なりゆきがつながらず、ストーリーというよりは筆者の一つひとつの心情を読んでいく感じ。
故郷を持たず、旅を故郷とする筆者の放浪の記録。本当に職も所も転々としている。極貧の中自分で働いて尾道高女を出たと言う筆者の文学への造詣の深さがよく分かる。
力強くたくましく、というが、しょっちゅう死にたいと言ったり、でも母がいるから、ご飯が美味しかったから、etc.やっぱり生きたい、と言ったり、その揺れ動く感じや憂鬱な心情がリアルだと思った。生きるためには食べねばならず、食べるためになんとか働く、ギリギリの -
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林芙美子の出世作、なんども改稿し続けた1~3部を収録。
表紙には「逆境におしつぶされることなくひたすらに文学に向かってまっすぐに生きる」と書かれているけど、まったくそういう風には読めません。少しも埒の明かない暮らしに、しょっちゅう自棄っぱちになっては悪態を吐き、できもしないことを夢見たりして、それでも文学を捨てきれない人、というのが私の受けた印象でした。
なにしろ、貧乏でも芸術一筋を気どりつつ、生活の苦労は女に丸投げしてきた多くの男性作家とはわけが違うもの。女にとっては、貧しさと、男に依存する/利用されることとが不可分の関係なのだということが、この人の吐き出す思いを読むと、あらためて実感されて -
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最近はあまり小説は読まないが、女優「森光子」の逝去の知らせとともに「放浪記」が取り上げられる中で本書を一度は読んでみないといけないと思い手にとってみた。
しかしこれは「小説」なのだろうか「日記」なのだろうか?
「林芙美子」の原作は昭和3年(1928年)発表だが、その元となった著者の日記は大正11年(1922年)から大正15年(1926年)だという。
「関東大震災」や「虎ノ門事件(昭和天皇狙撃事件)」が大正12年(1923年)だから不安な時代だったのだろう。
世界恐慌の影響を受けた昭和恐慌は昭和5年(1930年)から昭和6年(1931年)にかけてだから、本書が発表されてベストセラーにな